序章
序
家族に問いましょう。
それは私たちの永遠の命題。
私たちの、戦う意味を。
父に問えば、父はこう答えるでしょう。君は守るために戦うのだ。
母に問えば、母はこう答えるでしょう。貴女は育むために戦うのだ。
未来の子に問えば、子らはこう答えるでしょう。母よ、貴女はいずれ生まれる僕たちのために戦うのだ。
母なる火星に問えば、火星はこう答えるでしょう。
お前は使命のために戦うのだ。
【プリンセスの責務と誓約 第一条】
過去のように尊く未来のように眩い、流れある現在。
世界のいずれの地でもなく、またあらゆる全てでもあるところに、一人のお姫さまがおりました。
きらびやかなドレスを身に纏ったお姫さまは、魔法の杖を奮い、数多の戦場を独り駆け抜けます。
その日、お姫さまが舞い降りた新たな戦場は、鳥かごの中でした。
戦場に降り立った途端、数多の光の矢が、お姫さまへ降り注ぎます。
驚愕で反応が遅れたお姫さまの身体は――為す術もなく、地面に縫われてしまいました。
標本のように磔になったお姫さまを、止まり木から見下ろすのは一人の影。
影は三日月の弓を持ち、鏡のドレスを纏った、姫君でした。
鏡のドレスの姫君は口を開きます。
「――アンタって本当、雑魚ね」
¶
私が身に纏っていたドレスも、手にしていた魔法の杖も消えていく。同時にもう一人の私が存在していたはずの鳥籠も視界から掻き消えていった。まるで最初から、そんな場所なんて存在していなかったかのように。
代わりに私の視界に映るのは『YouLose』の文字だ。私たちが忌み嫌う、敗者の烙印。
私は重いため息を吐いて、頭に刺さった数本の接続端子を外した。そうして〈ゴッドマザー〉との接続を解除すると、『YouLose』の文字が私の視界から消え、代わりに訓練室の真っ白な天井が目に入った。
電子世界から現実へと戻ってきた私は、ゆっくりと身を起こす。
真正面に、私と同じようにシートに座る少女の姿が見える。ついさっきまで、私と〝戦っていた〟、鏡のドレスの姫君だ。
少し経ってから、彼女もまた起き上がり、自身の頭に着いた接続端子を外した。眩しそうに瞬いたあとで、私を視線上に捉えた彼女は、意地の悪い笑みを浮かべる。私を一瞬のうちに倒した鏡のドレスの姫君と、全く同じ顔で。
「あーあ、訓練にならないなあ。……ねぇアンタ、そんなに弱くてだいじょうぶ?」
大丈夫な、訳がない。
実際に、訓練を終えた私の足はがくがくと震えてさえいた。
私たちにとって弱いこと、敗北することは、存在意義を否定されるのと同じことだ。
何故なら、私たちが負けてしまえば、私を信じてついてきてくれた、何万人もの人々を不幸にしてしまうから。
「……私たちの一年間の結果次第で、私たちが所属する〝特区〟の人たちの運命は決まる。天国か地獄か――」
形の良い彼女の唇が、でも、と笑みを作った。
「アンタ、本当に責任取れるの? ……こんなに、弱いのに」
「――……っ」
限界だった。あはは、と馬鹿にするような笑い声をあげる彼女に、何も言い返せない自分が情けなかった。彼女の言うことは、本当に正しかったから。
気付けば、私は逃げ出していた。
靴も履かずに廊下へと駆け出す。途中、訓練室に入ってきた子たちと入れ違う。なに、どうしたの、と戸惑う声が聞こえる。後ろから教官が叫ぶ。待て、まだ訓練は終ってないぞ。
けれどどの静止も、私の足を止めるには不十分だった。
私は逃げ出す。誰もいないところへ。一人になれるところへ。
私たちが囚われたこの宇宙居住地に、逃げ場なんてないって、わかっていたけれど。
辿りついたのは、私たちが『公園』と呼ぶ場所だった。
それは私が知っている『公園』より、ずっと地味で味気ないものだ。花壇と申し訳程度の植木、ブランコがあるだけの『公園』。けれど、私よりずっと前からここに住まう少女たちが、すでにそう呼ぶから、私もそんなものかと納得していた。
地球から移植された木々の向こうに、なだらかな丘陵がある。
その丘の一番高いところに、窓を向く形でベンチが設置されていた。私は鼻をすすりながら丘を登り、ベンチへ座る。
私の視線の先、窓は、三層の耐圧ガラスになっている。
その先にあるのは青を、とてもとても濃くしたような世界だ。
暗い色。深い色。まるで大きな生き物の、口の中に飲み込まれたかのような空間。
寛大で広大な、宇宙の姿だ。
その先に――私は見つけた。
遠く遠くで光る、青い星の瞬きを。
私たちの故郷。母なる大地、地球の姿を。
「ねぇ!」
ふいに、誰かの声がした。
私は慌てて周囲を見渡し、声の主を探す。
丘の下に、一人の少女が立っていた。
「あ……」
その子を見つけた私は慌てて居づまいを正す。
丘の下にいたのは、私をいつも気遣ってくれる、あの子だった。ちびで細いだけの私と違って、もうすっかり体つきも大人な彼女。
「隣、いっていい?」
私は、うん、と頷いた。
私が訓練から逃げ出したことを、彼女が知らない訳がない。
けれど、私の隣に座った彼女は、何も言わなかった。
俯いた私の代わりに窓の外を見上げた彼女は、足をぶらつかせて、楽しそうに言う。
「今日も綺麗だね、宇宙」
「――全然、綺麗じゃないよ……」
彼女が私を見下ろす気配がした。
構わず、私は吐き捨てる。胸の内に湧いた不安を、そのままに。
「もういやだ……怖いよ……。今でさえ勝てないのに、地球に行ったって勝てる訳ないよ……」
私たちはいずれ、ここから放り出される。
パサパサのランチの悪口も、ひどい頭痛に苛まれる訓練も、苦手な子だらけのルームメイトも――全て思い出になって、たった一人で、地球へ帰っていく。
いや、帰るという表現はおかしい。確かにあの星は私たちの生まれ故郷だけれど、帰る場所はない。
私たちは、不必要だからここへやってきたのだから。
そしてまた地球へ戻り、誰かの未来のために戦うことを強制される。とてつもなく重い責任を背負わされて。私たちの意思なんて、まるで関係なしに。
「このままじゃ……誰も助けることなんて出来ない……。ううん、むしろ苦しめるだけ……。私にプリンセスなんて、やっぱり無理だったんだよ……」
私の話を黙って聞いていた彼女が、ベンチから立ち上がった。
私の真正面に立ち、屈んで、私の手をぎゅっと握る。
「仕方ないよ。だって――」
そこにあったのは、悲しそうな瞳。
「そのほかに、私たちが生きていく方法は、ないじゃない」