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白と黒の間  作者: 伍陸
3/3

*第二章*トラブルメーカー《前編》

 還魂の力を持つ王家、派遣された天使と還魂が行われなくなった世界。これらが意味することは何だろうか。


----------

「クロノス様ーっ!」

 神は絶対不動の創造主ではあるが、と同時に個の救世主ではない。非情であり、また残酷である。ともすれば答えを導き出す暇を用意する気遣いなどあろうか。己の名を呼ぶ声に一時思索は中断した。

 クロノスが地界を去ってから実に200年。今この地に己を知る者などもはや存在しないはずである。だが、周囲には自身の他に人の姿もなく、何者かが自分を名指ししているのはおよそ間違いなかった。しかも、聞いた声は初めてではない。これが幻聴でないのだとすれば、それはやはり神界の者でしか有り得ない。振り返る先にはぼんやりと見覚えのあるシルエットが映る。

 だが、それとわかる前にクロノスの顔からは笑みが消えた。虫の知らせと言う奴だ。妙に胸はざわつき、忘れかけていた何か、それが記憶の底から呼び起こされそうになっていた。

 影が明らかになるにつれ、漠然とした嫌悪感は次第に確固たる確信へと変わっていく。はっきりとした輪郭をその視野に収めると、ひどく目眩がするようだった。

 駆け寄って来るのは、まだあどけなさの残る黒髪の少年である。少年はその小柄な体に自分と同じくらいの大きさの荷物を背負い、息をきらしていた。大方丘を急いで駆け上がってきたという所だろう。肩でゼェゼェと息をする。

「………………お前はアーサーなのか?」

「はいっ、クロノス様。お久しゅうございます。覚えていて下さり大変光栄です」

 眩しい程の笑顔に、複雑な思いが入り混じって溜め息が漏れる。忘れたいこと程、強く記憶に残るものかもしれない。その記憶は完全に呼び起こされていた。

 思い返せば、それはたった一度きりのことだったのである。初めて顔を合わせたのは数年前のこと、そしてそれが最後となった。

 当時アーサーはまだ一還魂士の見習いにすぎなかった。その彼の名を知らしめたのは他でもなく、その人知を遥かに超えた異常なまでのアンラッキーっぷりであった。彼はただ1人で不運なわけではなく、彼の最も恐るべきは、周囲をも巻き込んで災厄をもたらすことにあった。脅威のトラブルメーカーは、ある種破壊神の化身のようであるとも言われていた。

 助けを呼びに行って、迷子になり、終いには魔物まで連れてくることもあったし、彼が神具の解放を行おうとすれば、大抵それには爆発を伴った。よかれと思ってやったことは大概裏目に出る。故に、巻き込まれては御免と誰もが端からアーサーを敬遠する。彼の名を知らぬ者は神界にいなくなった。

 クロノスは実際に被害を受けた一人である。だが今問題なのは、過去の被害云々ではない。その疫病神たる彼が何故此処、地界に、自分の前にいるのかということなのだ。

 ひょっとすると、彼もまた神王より別の命を授かって派遣されたということなのかもしれない。

 そもそも、あれからもう何年も経っているのだから、アーサーだって以前のままではあるまい。

「…………」

 考えつくだけの尤もらしい理由を並べ立てみるが、所詮それも憶測の域を出ない。

「アーサー…念のために聞いておくけど、ここで何を?」

「…え?あの…神王様からお聞きではないのですか?」

「…………」

 聞いてなどいない。が、逆に面食らったように聞き返されて、もう『何を』とは聞けなかった。仮に事前に聞いていたなら、間違いなく丁重にお断りしたはずである。いや、だからこそのことだったのかもしれない。

 謀られたのだ。

 返らぬ言葉にアーサーは驚き以上に大層困惑していた。アテにしていたものを失い、何ら身の振り方を心得ぬ彼は、戸惑い焦る。縋るような表情はまるで小動物のそれだ。だがこの時、クロノスもまた同じ気持ちでいたのである。

 (あの方は一体何を考えておられるんだ………)

 我が主ながら恨めしくすら思う。だが、そもそも神界の王たる存在の思惑を一介の天使にすぎないクロノスが理解することなどできようはずもない。ましてその意に逆らうことなど叶わない。だからこそせめてこの現実を肯定的に捉える術はないものかと、しきりに目の前の災厄、アーサーを見る。

「ん、ところでアーサー…それは?」

 彼自身と言うよりは、彼が必死に背負ってきたあの大きな荷物、それは必然的にクロノスの目を引いた。荷からは白布に包まれた筒状の物が、天をも貫かんとばかりに上方に突き出している。しかもそこからは何か特殊な力さえ感じるのだった。

 クロノスの視線に気付き、アーサーは荷からそれを取り出して差し出す。

「ええと、これですか?僕は中身を知らないんですけど…カオス様より、クロノス様にお渡しするようにと。『渡せばわかる』と仰有ってました」

「渡せばわかる?」

 首を傾げながら、それを受け取る。今一度カオスの言葉を思い返してみた。

『クロノス、お前に新しい還魂具を与えよう。この世界に数えるほどしかない、特別製だ』

 包みを開けると、白塗りのそれは見事な銃が現れた。

(なるほど、これが……)

 稀少な還魂具だと思うと感慨深いものがある。与えられた銃をしげしげと眺める。それを一際興奮した様子で見入る者がいる。

「うわぁぁあっ、これ銃だったんですね!凄い、見せて下さい!アレ、でもこの銃、弾丸がありませんね。込めるところもないです。おかしいなぁ…」


 初めて見るもの、珍しいもの、好きなもの、それらを目の前にした時、人は好奇心を掻き立てられ、興奮のあまり、時には声をあげる。殊にアーサーは子供のようにはしゃいだ。

 確かにこれは珍しい還魂具かもしれない。だが…―

「当然だよ。これは普通の銃ではない、れっきとした還魂具なんだからね。知っての通り、還魂銃は弾丸に魂を使う。養成所で習ったはずだね?アーサー、君が還魂士になった時に与えられたのはどんなヤツだい?」

 アーサーはギクリとする。すぐに其れを出して見せるということはしなかった。

 還魂具は形状用途共に多種多様あるが、それらを手に入れる方法は限られている。神界で言うと、神王から昇級の祝いという形で授かるのが最も一般的であり、天使が還魂士に認定された際は必ず1つ与えられるものである。つまり還魂士という肩書きを持っているならば、普通は1つ所持しているということになる。

「えっと、あの…僕は…」

「確かお前がまだ見習いの時に会って以来だから…あれから5年振りになるだろうか。今の階級は?」

 さらなる問いに、少年はとうとう押し黙った。

 還魂士の中にも階級というものが存在し、養成施設で特別な訓練を受た後に還魂士としての認定を受ける。その後幾つかある試験に合格するとさらにその階級が上がっていく。

 個人差はあるものの、大抵の者は訓練を受け始めてから5年もすれば還魂具を与えられるほどには成長する。センスのある者なら中級還魂士、最低でも初級の還魂士くらいには昇級が見込める。

「あのう、僕実はまだ見習いなんです」

 不意にぽつりと言った声はあまりに弱々しく消え入りそうであったが、突如訪れた静寂の中で反響する。申し訳なさそうに下を向いたアーサーを前に、クロノスは黙り込んだ。文字通り絶句したのだった。

「まだ見習い………………?」

 端正な顔立ちには驚きと動揺が色濃く浮かぶ。

 神界における5年など極めて短い時間に過ぎないが、それにしても何ら成長をしていない事実はやはり喜ばしいことではない。

「それなら何のために、ここへ?」


 還魂具を扱えない見習いに何が出来ようか。おとなしく待機し、足手まといにならない事であろうか。そうでなくとも荷物持ちが関の山だ。だが、それだけならそもそも天使である必要もない。自分の身さえ守れない者は枷になるだけだ。

「申し訳ありません。でも僕はただ……神王様の言いつけを守って……それで…」

 勘気を知り、少年はどこか怯えた様子になる。


 この少年を責めることに何の利も有りはしない。クロノス同様遣わされた者にすぎない彼もまた答えを知らないのだ。真に責めるべきは別にある。神王カオス、彼こそが件の元凶である。

―何のために?

 彼はいつもこんなことを口にした。およそ意味のないことなどない。全ての物事は来るべき終焉に帰着する、と。彼の言う終わりが何を指すかは知らない。彼はただ笑うだけだった。意味深でもあり、意味なんかなくただ戯れているだけのようでもある。どこかはぐらかされたような気持ちになるが、それがどちらであれ拒む術はない。

「本当は帰れ、と言いたい所なんだけど…―」

 そこまで言って、クロノスは顔を動かさずに視線だけをアーサーにくれる。目の端にしょんぼり小さく映る彼がいた。

「そう、ですよね…。僕も何でこんな退任を任されたのか…。多分何かの間違いですよね。すみません、ご迷惑をお掛けしました。僕、帰りますね」

 とりあえず己の力不足には自覚があるようだが、それでもやはり内心では相当落ち込んでいるに違いない。無理に作る笑顔はどこか覇気が見られなかった。

 クロノスは既に今日何度目かの溜息をつく。長い睫毛の下に見える緑色の瞳は憂いの色が濃い。伏せた目を上げ、語気を強めた。それは自分に言い聞かせる、そんな節もあった。

「一度下された天命は絶対。例外はないよ」

 天命…―。言って、笑う。そう、これは天の命だ。ならば、意味を解せずとも、そもそも意味がなかろうとも、何も問題ではないはずだ。神王カオスが命じたならば、それを為さねばならない。ただそれだけのことなのである。元より拒む権利などもない。

 だが、どちらかと言えば「天罰」と言い表すのが適当ではないだろうか…―。

「え…じゃあ…」

「勿論、僕としてもこのままでいられるのは困るからね、実戦で還魂士としての修行を積んで貰うよ」

「は、はいっ、有難う御座います。僕、頑張りますから!!」

 分かりやすい一喜一憂を釈然としない思いで見つめる。意に反して抱え込んでしまった「災難」をどうしたものかと一考していると、ついぞ凶悪な面構えになる。但し、と付け加えた。

「僕は僕の任務が最優先だ。お前が任務の障害となる場合には然るべき措置として最悪の手段をも辞さない」

「え、あ、はい?その、然るべき、措置…とは?」

 具体的にどうなるのかまでは即座に思い至らなかったものの、クロノスの唯ならぬ様相からそれとなく察しはつく…―。図らずもアーサーの顔は強張った。

「任務に支障が出た時、その時僕はお前を還魂しよう。その場ですぐさま神界に送りかえすだろうね」

「あ、成程、還魂するんですね!……ってええぇぇぇぇっ!?そんなこと…!?」

―生きたまま還魂するってこと!?

「出来ないと思うかい?出来ないんじゃなくて、普通はしないだけだよ」

 クロノスは事も無げに言う。 本来、肉体が死した後に魂だけになったものを還魂するものだが、生きたまま還魂することも実は不可能ではない。

 だが、肉体に定着している魂を強引に引き剥がして、魂だけを神界に送ろうというのだから、かなり手荒い手法ではある。しかもこれが大層苦痛を伴うものらしく、想像して背筋がゾッとする。

「またそんな冗談ですよね?あはは…」

「ちなみに僕は冗談というものが嫌いなんだ」

 恐る恐る聞き返すアーサーに、クロノスはニコリともしない。思わずアーサーは顔をしかめて一歩後退した。


 いちいち真に受けるこの素直さに好感が持てないわけではないが、クロノスとしても冗談を言っているわけでもない為、やはりこれが意外と笑えない。冗談になるといい、言葉に出さず切に願った。

「ところでアーサー、お前はどうやって神界に帰るつもりだったんだい」

 神界と地界を繋ぐ扉は神王カオスの意によってのみ開かれる。しかも地界の扉が開く場所は定まっていない。

 つまりクロノスたちは、少なくとも任務が完了し、カオスが良しとするまでは、自らの意思で神界に戻ることは出来ないというわけだ。その、強制的還魂を除けば…―

「あ」

 そのことをこの時初めて理解したというのは、敢えてここで詳しく述べるまでもない。

 帰ってもらいたくても帰らせられない、帰りたくても帰れない、というわけだ。

 道は前にしかない。

「さて、理解したなら行くとしようか」

 そう言うと、クロノスはマントを翻し向きを変える。足早に丘陵を下り始めた。

「あぁっ、待って下さい!!」

 下ろしたばかりの荷物を慌てて拾い上げ、その小さな背に担ぐ。荷はずっしりと重たい。その荷を背負い、折角苦労して登ってきた丘を、今度は下らなければならない。

 だがそこには、頼りない足取りながらも、必死にクロノスの後を追っていくアーサーの姿があった。


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