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白と黒の間  作者: 伍陸
1/3

*第一章*黒き白の戯れ《前編》

 暖かな日差しが差し込む午後のこと。とりわけ今日は、柔らかな風も舞い込んでまさに絶好の一時だ。

 この機を逃すまいと、一青年は机の上に伏し深い眠りに落ちていた。心地よい寝息がスースーと音をたてる。

 彼の名をクロノスという。見た目は10代後半かそこらの若者にしか見えないのだが、実際は優に200を超えている。神界に住まう者は1000も生きるという事実から見れば、これでも彼は若い方に部類する。

 そう、ここは神界と呼ばれる場所。人間の住まう地界とは遠く離れた世界である。

 クロノスは机に伏せたまま身動き一つしない。時折、風が彼の顔を撫で、淡い水色の髪が揺られるのみだ。その度に白い素肌が見え隠れした。

 室内には依然彼の寝息だけが心地よさげに静かに響く。直前まで書物に目を通していたのだろうか。彼のまわりには、いかにも難解そうな古びた書物が無造作に山積みされている。不安定な本の塔は、今でこそバランスを保っていたが、強い衝撃か何かを受けたらひとたまりもないように見えた。勿論そうなれば、すぐ側にいるクロノスも無事ではすまないだろう。

 しかし、こんな長閑な昼下がりに、一体誰がそんな気のきかない無粋なことをするだろうか。しかも今日という日に限って…。

 だが残念なことに、日々移り変わるのが世の常。一時として同じ状態が続くことなどありはしない。そしてこの穏やかな空間さえ、無情にも一瞬のうちに壊される羽目になった。

「クロノスはおるか」

 青年の名を呼ぶ声がして、同時に勢いよく扉が開かれた。大きく頑丈で、いかにも重そうな扉が一気に開く。見ればその客人は片手で軽々とそれを押し開けていた。これだけで既に常人であることを疑いたいところであるが、話はそれだけには留まらなかった。そのあまりに凄まじい勢いによって扉が壁から引きちぎれたのだ。壁を離れた扉は奥に吹っ飛び、その形状を変えて中央の部屋に横たわった。

 ドウッ!

 長閑な一時には似つかわしい騒々しい爆音が轟く。と同時に、建物を揺るがす程の衝撃波が襲った。部屋中の家具がビリリと震動する。勿論さっきのアレも例外ではない。 奥の方でばたばたと何かが落ちる音が聞こえた。それも一つや二つではない、大量の『何か』だ。

「むぅ、力の加減がわからぬ…」

 応答の有無など気にすることなく、突然のやかましい訪問者は、ズカズカと踏み入れる。自分が破壊した扉は勿論、他のものに一切目をくれることなく、迷いなく一番奥の部屋を目指した。そこでは確か水色の髪をした青年が眠っているはずであった。

 部屋に足を踏み入れると、目の前には文字通りの本の山。先刻まで塔の如く聳え立っていた本は無残にも崩れ去った後だった。しかし、そこに青年、クロノスの姿はない。

「クロノス、なんて所に隠れているんだい」

 この惨状の原因が自分だとは思いもかけないのか、彼は愉快そうに本の山に語りかける。すると、暫くした後に、本の山から応答があった。

「っ痛…。これが隠れているように見えますか?」

 雪崩れてきた本の山を押し退け、クロノスが顔を出す。折角の一時をこんな形で邪魔されて、いかにも不機嫌そうだ。水色の前髪の間から透き通るような碧色(みどりいろ)の瞳が覗き、物言いたげに客人をじっと見る。

 「いえ、それよりも…立たせたままでは申し訳ありません…どうぞ、こちらへ」

 クロノスは急ぎ立ち上がって、乱れた髪と衣服を正した。客人を客間へと促すと、相手は満足気に頷いた。

 しかし、客間に入るや否や、クロノスの方が一瞬ギョッとさせられる。それもそのはずで、そこには原型を留めていない、先程までは「扉」と呼ばれていたものが横たわっていたのだった。

「…。全く、貴方という方は…………。ではこちらにお掛け下さい」

「うむ」

 本来そこにあるはずのない扉の残骸。暫し呆気にとられたものの、それを目にしたにしては、クロノスの驚きは小さいものだった。

「まぁ、貴方様が来るときは大抵何かしら壊して行かれますからね」

「力の加減がわからぬのだよ」

 否定もしないが、同時に悪びれる様子もない。相変わらず、とクロノスは苦笑した。この件に関してはもう随分前から諦めがついていた。何故なら彼が―…

「で、今日は何の御用ですか?神王カオス様」

―神界で一番の権力者であるから。

 神王カオス。誰もがその名を知る絶対の権力者。

 容姿はいたって普通、言ってしまえばそこらの青年と何ら変わりはない。スラリとした長身に、短くそろった前髪と後ろに垂らした長い黒髪はやや不ぞろいで、鋭い眼光を除けば見た目は平凡そのものだった。

 しかし、確かに彼は尋常ならざるオーラをその身にまとっていた。何をするわけでもないのに、唯ならぬ威圧感を放つ。この男がその絶大な力で他のものを敬服させているというのも頷けた。

 クロノスはこの神王に仕える一天使であった。

 神は下級の者と戯れることはない。通常従者が最低でも二人以上付き従い、神の意志は彼らを通して他の者に伝えられる。 一般階級の天使が直接に言葉を交わすことは原則的には有り得ず、まして個人的に顔を合わすことなどは全く想定されていなかった。

 これがたった今覆されるように、神はただ一人きりで一天使の前に立っているのわけであるが…―。

「宜しいのですか?私のような者をこんな風に訪ねて来られて。官もさぞお困りのことでしょう」

「私はどうにも気紛れでね」

「困ったお方だ。しかしまぁ、後でお叱りを受けるのはこの私なのですがね」

「そうでもしないとあちらも格好がつかないのだろう」

「それは、そうでしょうね」

 クロノスはまだ若い一天使でありながら、二人はよく見知った間柄のように接する。明らかに別格、異例の処遇を受けているのだった。それは彼の過去に因果しているのであるが、自らそれを語ることはなかった。

 クロノスはこの大物客をもてなすために、茶葉を入れた壺型の容器に熱湯を注ぐ。

 これは、度々彼の元を訪れるカオスの為にと特別に取り寄せた代物で、クロノスも滅多に口にすることのない希少の品である。が、それでも神界の頂点に立つ存在をもてなすと言うならばやはり不十分であろう。

「何、気を遣わないでも良い…私が勝手におしかけたのだからね」

「そういうわけにもいきませんよ」

 クロノスは苦笑しながら、ガラスケースの中からティーカップを一つ慎重に選び出す。細部にまで繊細な細工が施してあるカップは、一流の職人に特別に手配したものだ。そこに紅茶を注ぐと、部屋中に上品な香りが広がった。

 どうぞ、と差し出されたカップを手にすると、カオスはまずカップに施された見事な細工に目をやった。まずは目で楽しんで、それから一口。香りを十分に楽しんでから、ゆっくりと味わった。

 それを待って、ようやくクロノスは神王に真意を質す。

―訪問の目的は何なのか。

 「気紛れ」と彼は言うがクロノスはその言葉をまるで本気にしていなかった。敢えてそう装いながらも、いつもそこには何か隠された意図があるのだ。

 神は決して暇を持て余しているわけではない。一国を統べることでさえ、苦難を強いられるというのに、世界を統べる事は人智を遥かに超えた難業である。それでこそ神ともいえるのだが…。つまりカオスは、その重大な職務を抜け出して、今ここにいるわけである。

「ふふ、お前は気が早いな。そう急くな。私だってゆっくり茶を飲みたいこともある…」

 ティーカップをテーブルに置いて苦笑する。そして、意地悪げに一言付け加えた。

「それくらいメイアのことにも積極的であれば良いのだが」

『メイア』

 その言葉を聞いた途端、クロノスの体が心なしか強張る。浮かべていた微笑はぎこちなくなり、元々白い肌がより白くなったようにも見えた。

「妹君がどうかされましたでしょうか」

 メイア…―彼女は破壊神の異名を持つ、神王カオスの妹であった。

「何だいクロノス、その顔は。お前は今更にして私の可愛い妹が嫌いだとでも言うのかい。まさかそれはあるまい。私としては、そろそろいつ2人が一緒になるのかという具体的な話が聞けるのだとばかり思っていたわけだが……」

 笑顔ではあるが幾分語気に力が入り、詰め寄られると、なかなかうまい言葉は見つからなかった。

「いえ、あの…それはまだ…」

―そう。嫌いではない…。だが、


「わかっている。私もメイアには手を焼いておる。だが、あやつはお前のことをそれは大層気に入っておるからなぁ。それに、やはり兄としては可愛い妹の気持ちを尊重してやりたいのだ」

 ここにクロノスの神界における特別な待遇の事情がある。妹を溺愛する兄は、良くも悪くも、その妹が恋心を抱く相手を放っておきはしないということだ。

 そこで言葉を遮る。

「今はこの話はやめにしましょう。まさか、この話をされる為にわざわざおいで下さったわけではありますまい。本当の理由をお聞かせ願えますか」

「ふむ…もったいぶってもしかたあるまい。確かに目的は他にもある。だが、メイアのことも重々しく受け止めて貰いたいものだ」

 シスコンの兄は簡単に引き下がることを知らない。脅しをかけるとまではいかないが、確実に釘をさす。それから本題に入るまで、また少し時間がかかった。ようやく彼はこう切り出した。

「…少々悩みがあるのだ…」

 それは思ってもみない言葉だった。

 クロノスはそれをおくびにも出さなかったが、やはり驚いた。それはもう心底驚いた。だが、神には悩みがないという発想は、完全無欠の神を妄信していればこそである。神が創造した世界が、彼の思い描くままになっていなければ、やはり神は全能ではありえない。なれば悩みもあることだろう。それを理解していても、やはりクロノスにはこのカオスに恐れるものがあるとは思えなかった。

「なに、私にだって悩みくらいあっても良かろう」

 クロノスが心の中に抱いた驚きに、カオスは当たり前のように自然に答える。クロノスは、どきりとした。驚きで一瞬失念していたが、神王は、カオスはヒトの心中を読む。

「申し訳ありません」

「ふ、その無礼は扉を破壊してしまった分で帳消しにしよう。だが、私はふざけているわけではないぞ。これは真面目な話だ。と言うかふざけたことなど未だかつて無い。今、少し頭を痛めていることがあってねぇ、それでお前に頼みたいことがあるのだよ」

「はぁ、任務ですか?それでしたら従者を通していただくか、僕を直接お呼びたてして下されば良かったのに」

 用件が任務だとわかると、急にクロノスは開放感を覚える。

 ならば何も忍んでやってくる必要もないではないか…

「強制をするつもりはなかったのだが…、その方がやりやすいかね?ならば命じよう」

 この言葉の言い回しに違和感を感じながらも、クロノスには神の下す任務を断る理由など見当たらなかった。だが、その内容を聞いた時、すぐに答えは言葉となって出てこなかった。

「お前を還魂士として地界に派遣する。魔化の調査とその滅却の任を命ずる」

 クロノスの表情には驚きの色が浮かんでいた。だが、自分でも意外なほどに冷静さを保っていた。暫くじっと考えるように黙っていた。そしてカオスも何も言わずそれを見守った。

『地界』

 この言葉はクロノスの過去を、二百年前の記憶を呼び戻していた。彼はカオスが目の前にいることさえ忘れたかのように、遠くを眺めていた。その双眸は何を見ていただろう。そしてゆっくり言った。

「少し、時間を頂けますか」

「宜しい。最初からそのつもりだった」

 返事は後日改めて聞こう、と言い残しカオスはその場を後にする。

 まだクロノスの視線は窓の外にあった。その先に何があるわけでもない。それどころか、彼の意識はそんなことには微塵も向けられてはいなかった。

 決めかねていたのではない。この時には既に彼の心の内は決まっていた。その目が遥か彼方に見据えていたものは…―

―地界。

 それはクロノスの故郷があるその地…

 かつて彼は人間だった。


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「いたのか」

 退室の際はもはや扉を打ち破る必要はない。静かにそこを後にする。が、すぐに立ち止まった。部屋の外には撒いたはずの従者が待ち構えていた。それを見てもカオスは顔色の一つも変えない。

「わかっておられたのでしょう?」

「ならば止めれば良かっただろう」

「貴方様を御止め出来る者はおりません。メイア様くらいでしょう」

 それを聞くとカオスは微かに笑みを浮かべた。

「あぁ。どうしても私の口から伝えたいことがあったのでね」

「わざわざ逃げ出すような真似をなさらないでも、公式な手段で問題無かったと思いますよ」

「おお、そうであったか。いやはや考えつかなかった」

 わざとらしい演技に溜め息をついてみせると、主君はくっくっと笑う。

「ですがカオス様、クロノス殿はこの任を受けないと思いますよ」

「ほう?」

 カオスは興味深げに目を細める。

「クロノス殿は200年前に地界で起きた大惨事の犠牲者で御座いましょう?地界はあの方にとって忘れたい過去の記憶であるに違いありません」

「成程、そう考えることも出来よう。だがそれならば、何故奴は記憶を背負い尚生き長らえることを選んだだろうか」

「生と死の選択を迫られれば、ヒトが生に執着するのは当然のことでしょう」

「それは違いない。だが、こうも考えられんかね、奴はあの件に関してさぞ悔いが残ったであろう。なればこそ奴は姿を変えてまでも生き長らえることを選んだ。成る程人は悲劇から遠ざかりたがるものだ。だが起こってしまったものを今更遠ざけようもない。だが、今だ安穏としている元凶があるならば、それを根絶したいという思いがあっても不思議ではあるまい。…いや、これは確信だ」

 自信ではない。カオスにはクロノスの心を手に取るように理解している。

 「地界」と聞いた時のクロノスの顔は、驚いてこそいたが、悲哀は殆ど感じられなかった。そればかりか、瞳には強い色が浮かんでいた。

 カオスの確信に満ちた顔に従者は首を傾げる。

「カオス様がそう仰いますのなら、きっとそうなのでしょうね」

「ふむ、それよりずっと気になっていたのだが、私は完璧に撒いたはずだが…?」

「あぁ、それは簡単なことですよ。カオス様が急にお姿をくらまされるときは大抵此方を探せばいらっしゃいますから」

 腑に落ちない様子の神王に、従者は当然のように言ってのける。カオスの不覚。

「そうか…覚えておこう…」

 それから職務に戻るために、回廊を行く。長い長い回廊の窓の外に見える晴れ渡る空。見上げてカオスは低く呟く。

「この任にこれ程相応しい者は他にあるまい」






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