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少年と化物と人間の物語3

 月は気狂いの象徴であるらしい。


 ルナティック、と云うそうだ。昔、漸く空を翔べるようになった頃に父親が教えてくれた。そして同時に忠告されたのだ。大きくなるまでは、どんなに月明かりが明るくても、決して夜間に空を翔ぼうとしてはいけないと。翔びながら月を見てはいけないと。


 月に惑わされてしまうから。


 父親はこうして時々、十六夜に奇妙なことを云う。

 惑わされる――というのがそもそもよく理解らなかった。だって月は単なる衛星で、この星の周囲を廻っているだけのもので、光って見えるのだって満ち欠けするのだって、太陽の光を反射しているにすぎないではないか。ただそこに在るだけの月が、どうして観る者を惑わすというのか。

 だから、ようは暗い中を翔ぶなという教えなのだろうと単純に考えていた。鴉天狗は夜目が利かないのだから、そりゃあ夜に飛行するのは危険だろう。そう解釈し、守っていたのだ。……昨夜までは。


 だけど、父親はもっと違うことを言っていたのかもしれない。

 ただそこに在るというだけでも、観る者を狂わせるものというのはあるのだ。


 例えばそう、あの人間。

 山小屋にいたおじさん。


 そういう意味でいうならば、彼は、とても月のような人だった。彼に関わってからの十六夜は、凡そ彼らしからぬ行動ばかり取っている。日暮れ寸前に山へ入ったり、初対面の人と一晩一緒に過ごしたり、朝になっても親に連絡も入れずにこうしてひとりで危険な場所に来たりして。


 ――で、捕まってりゃあ世話無いよな、本当。


 溜め息が出た。冷静になった頭で己の行動を振り返ってみると、まるで熱病にでも浮かされていたように愚かしくて、まったく呆れ果てて言葉もない。

 自分の事だというのにまるきり他人事である。


 これが普段ならば、十六夜はもっと自分の過失を意識し反復し羞恥心と後悔の念で身悶えていただろう。そうならないのは、どうしても間違えている間の自分を、己の事として認識出来ないからだ。

 まるでそういうシナリオのムーヴィープログラムでも思い返すみたいに、現実味がない。顕かに間違っている筈なのに、その行動で過不足無く、他に選択の余地などは無いような、なんだかそんな気がしてしまうのだ。これはどう考えても異常である。

 だから、


「惑わされた、か……」


 呟いて、十六夜少年は埃臭い絨毯へ背中から倒れ込んだ。後ろ手に縛られた腕に体重が乗って痛い。

 天井を見上げながら考える。

 ようは責任転嫁がしたいだけなのかもしれないが、

 でもきっとこういうのを、惑わされたというのだろう。

 思考能力が著しく低下して、目の前の物事しか認識できなくなって、後の事も先の事も考えられなくなって、だから、


 ――人間の居場所を教えてやろうかと、


 あのおじさんが言うのに、一も二もなく飛び付いたりしたのだ。

 案内されて、それで、すぐに父親へ連絡をとればよかったのに、というか、普通ならば逡巡すらせずに連絡していただろうに、どういうわけか、そう、


 我慢が出来なかった。

 どうしても、見たかった。

 人形屋敷に潜伏している、人間達を。


 もっといえば、そもそもその時には父親の事とかどれほど危険だとか、そんな考えは端から脳内には無かったのだ。

 馬鹿みたいな話だけれど――


「これからどうなるんだろう」


 ただぐるぐる廻るだけの思考を切り換えたくて、十六夜少年は意図して疑念を口に出してみた。すると他に誰もいない室内で独り言は思いの外に響いて、反響などはそりゃあしないのだけれども、奇妙に耳に残って落ち着かなくなった。意味もなく視線をさ迷わせる。


 白い壁と天井に月と太陽と星のペイント、ぶら下げられた飛行機や天使の模型。面積だけで考えれば広い部屋なのだろうに、抽象的な地図を描いた絨毯の上に雑多に配置されたベッドやおもちゃ箱や背の低い棚や木馬やらのせいで、室内は随分と手狭な印象を受ける。

 どこからどう見ても、何度見ても、子供部屋だ。それも展示場にあるようなこれみよがしの子供部屋である。ここまで子供部屋であることを全面的に押し出した子供部屋を、十六夜はリアルで初めて目撃した。なんだか雑誌の中へ入り込んでしまったような違和感が込み上げてくる。


 逃げるように――別に逃避しなければならないような事では無いとは思うのだけれど――十六夜は視線を窓へ向けた。壁一面の殆どを占める大きな窓は、十六夜がこの部屋へ連れて来られたときからずっと、遮光カーテンが重苦しく閉じていて、揺れもしない。だから室内はずっと薄暗く、鳥目ではまったく家具の輪郭くらいしか判らなかった。


 ただ、そう、四方の壁に縄が巡らされている事は識っている。

 それから等間隔に貼られたお札の事も。


 十六夜をこの部屋に連れて来た男に、崖から落ちたときの傷を手当てされながら説明された。治療はありがたかったけれど、それはそれとして思い出すとつい顰め面になる。


 ――子供相手にあんなものまで使うなんて。


 苦言を胸中にこぼしたとき、遠く扉の外に物音を聴いて、十六夜は文字通り飛び上がった。何か、諍うような声だ。いや、それにしてはひとり分しか聴こえない。一方的に怒鳴っているのか。出来ることなら扉に耳を寄せたいが、両足首も縛られているから難しい。それに扉に近付けない理由はもうひとつある。

 動きあぐねている間に、声が端々だけでも聞き取れるようになってきた。どうやら此方へ向かって来ているらしい。気忙しい気配が近づいて来る。もうすぐ扉の前にまで。それにしてもこの声はどこかで、

 ――あ、


「玉緒ちゃん!?」


 がちゃり、と、

 扉が開く音が十六夜の誰何に被さった。


「あ! 十六夜君みつけたぁ!!」


 耳慣れた少女の声が室内に飛び込んで、静謐な空気を破壊する。室内以上に闇のこもった廊下から、玉緒と、それから此方は大人しくしているぬいとを片手ずつに捕らえた男――捕まる以前に十六夜が窓から視た情報を元に考えるに、彼も他の者達と同じく都市迷彩柄の軍服を身に纏っているだろう――が踏み入ってきて、投げるように二人を押し込んだ。きゃあ、と短い悲鳴をあげて、少女らが十六夜の足元へ転がる。がしかしすぐさま起き上がった玉緒が、射殺さんばかりに男を睨みつけた。


「なにすんのよ!!」

「大人しくしていろ。そっちの嬢ちゃんみたいにな」

「なによ大人しくって、そっちこそ大人らしくしなさいよ、子供にこんなことして、じどーぎゃくさいでうったえてやるんだから!!!」

「玉緒ちゃん、それを言うなら児童虐待」


 呆れ混じりに突っ込みを入れるぬいは、平常過ぎるほどにいつも通りで、怯えた様子ひとつ無い。それは当然のことなのだ。何せ彼女は水龍族期待の才女で、その能力は既に成人の間に入っても通用するレヴェルなのだから、武器防具で身を固めねばならない人間を怖れる必要など皆無なのである。

 ――でも、

 なおも怒鳴る玉緒に身を寄せる同級生をみつめながら、十六夜は自らの思考へ問いかける。

 だったら、何故、どうして彼女は捕らわれている?


「ひきょーもの!!! せーせーどーどー勝負しろっ!!!!」


 一際高く玉緒が吠えた。十六夜同様に縛られた身体を捩って暴れる。男の方はと視線を巡らせれば、部屋の入り口で無感動に暴れる少女を睥睨していた。


 機械みたいな眼だ。


 ぞくりと怖気が走る。玉緒は気づいているのかいないのか、犬のように唸り声を上げながら男を睨み続けていた。いや、きっと気づいてはいるのだ。睨むその眼差しに一抹の怯えがちらついて見えて、十六夜は細く息を詰めた。

 いやそれよりも、

 ふたりの頭に貼られているあの紙は?


「正々堂々と真っ向から馬鹿正直に勝負を仕掛けるのはな、嬢ちゃん」


 長く、長く、疲労感のある溜め息の後で、男が口を開いた。


「そりゃあ、子供だけだ。猪みたいに真っ直ぐ突っ走ることしか知らない、経験値の絶対的に不足した、そういうガキのやることだよ」


 大人の戦い方じゃあない。言って男は腕を組む。


「大人はもっと賢い。よりしくじる可能性の低い、堅実な手を使う。卑怯結構。それこそが大人らしいやり方だ」

「だから、子供相手にこんなものまで使うの?」


 謐とした問い掛けはぬいだ。こんなものとは何だろうかと疑念を抱く十六夜を余所に、男は臆面もなく首肯した。


「子供だろうと化け物相手だ。札ぐらいは使わせて貰うさ。しかもその角、あんた龍だろう。大人より怖いね」


 ふだ。その単語に思い当たって、漸くふたりに貼られた紙の正体に至った。というか先刻から十六夜は同種のものを見ていたではないか。

 この室内に巡らされている妖力封じの御札を。

 理解すれば、嫌悪感が一気に背筋を這い登った。


「は、犯罪者にしか使っちゃいけないのに」


 思わず批難の言葉が鋭く飛び出た。だって、これは警察官や賞金稼ぎや、そういう特殊な職業の者達が、一定の犯罪レヴェル以上の相手にしか使えない定めになっている筈の道具だ。一般人相手に使用した場合は、人権侵害やら傷害罪やら様々な罪に抵触する。否、そもそも認可もされずに使用したならば、使ったという事それ自体が罪に問われる代物なのだ。

 なのに、


「それがどうした」


 男は答えた。責難の視線を声を受け流し、まるで世間話の体で、それがどうしたと、そう返したのだ。開き直っているような様子すら無い。そのままの言葉通りの響きしか無い無感動な、否、煩わしげですらある返事だった。


 十六夜は混乱した。男のそれはおよそ十六夜の知る大人の態度では無く、だから少年の小さな脳味噌のまだ拙い処理能力では、理解も把握も出来なかったのだ。

 罪を犯す事は、法律を破る事は、誰かを傷つけるという事は、とても悪いことなのだと、取り返しのつかないような大変なことなのだと、いつだって大人達は言うのに、


「ど、って……!」

「俺達は犯罪者だから、札ぐらい一般市民にも平気で使うさ」


 他人を傷付けるし他人の権利を尊厳を踏みにじりもする。

 犯罪者だから。


「いいかい坊や、罪過ってのは法律を遵守している連中にのみ抑止力足り得るんだ。良い子は罰せられることを怖れるからな」


 だけど、と男は碧眼を細くする。


「俺達みたいな悪い大人は、犯罪を犯すことを恐れない。ゲームと違って、現実では、ルールを破ってもその場でペナルティを課せられることは無いことを知っているからだ。罪状というのは、公的機関に捕縛されて初めて課せられるもんなんだよ」


 バレなければ構わない。バレても捕まらなければ関係無い。


「そもそも、俺らは誰も彼も捕まれば良くて終身刑。今更軽犯罪重ねたところで大差無い。お前らいたいけな少年少女とは、胆の据わり方が違うんだよ」


 わかったら探偵ごっこは今回限りにしておけ早死にするぞ。溜め息混じりの言葉はなんだか角が丸く感じられて、十六夜は眼を瞬いた。

 反芻してみれば、彼の言葉は忠告染みている。


「…………おにいさん、もしかして良い人?」

「いやぁ、それは無ェな」


 のったりとした調子で否定して、男は組んだ腕を解く。そして室内へ踏み入ると、突然ぬいの身体を抱き寄せた。


「なに」


 なにするのよ。という玉緒の怒声は、翻った白銀の煌めきを見て短い悲鳴に変わった。


「良い人は、いたいけな児童相手にこんな非道はしねェよ」


 変わらぬ口調で言い乍ら、広い刃の腹でぬいの頬をぺちぺちと叩く。

 それは無骨でシンプルな、それ故に只破壊の為だけに作られた道具なのだと、否応無く視る者に実感させる、大降りのミリタリーナイフだった。

 長く分厚い刃は頑丈そうで、子供の細い頚なんていとも容易く切り落とせてしまいそうだ。

 ただ軽く左右に引く。それだけの動作で、容易く。


 ぬいの顔から視る間に色が失せていくのが、暗がりのなかでもなおはっきりと判った。玉緒も青ざめ金魚のように口を開閉している。

 実は十六夜が一番狼狽えた貌をしていたのだけれど、


 ――男の俺がしっかりしないと。

 血の失せた顔のまま、少年は眼前の脅威を確と睨んだ。


「なにすんだよ、ぬいちゃん離せよ!!」

「お前さんらが質問にきちんと答えれば離すさ」


 ただし。言い乍ら刃がぬいの白い頬を滑る。


「きちんと正直に答えなかった場合は、まず左耳を切り落とす」

「な、」

「その次は右耳、右手の指、左手の指、左眼、右眼。まぁここまではかからないことを願うね。お前らだって、お友達が取り返しのつかない怪我をするのは、心が痛むだろう?」

「そ、そんなの」


 単なる脅しだ。続く言葉は紡げなかった。断言するには男の言い様はあまりにも慣れている。こう言ってしまって、もし、では確証をと実際に耳を切り落とされたりしたら。

 その先は考えたくない。想像でも嫌だ。


「ぬいちゃんじゃなくて、俺を!」

「余計なやり取りをさせるな」


 声は低く冷たく鋭さがあって、十六夜は気圧され言葉を飲む。


「質問にだけ答えろ。それ以外は喋るな」


 玉緒の眼がすがるように十六夜を注視る。ちらりと視線を交わせてから、男へ大きく頷いた。


「両方に質問だ。どうして此処へ来た。俺達がいることは知っていたのか。知っていたのならば、それは誰に教えてもらった。まずは坊やが答えな」

「こっ、ここへは、その」


 逡巡した。本当の事を話せば、男らはあのおじさんを放ってはおくまい。


「えっと……」


 でも嘘を吐いたり隠し事をしてそうとバレたら、ぬいちゃんは、

 視軸が白い刃へ固定される。

 脳裏に鮮烈な赤のイメージが浮かんで、がくんと天秤が傾いた。


「山で、おじさんに聞いたんだ。俺、人間を見たくて、そしたらおじさんが教えてくれて、それで此処に来たんだ」


 ごめんおじさん。胸中で謝るが罪悪感は苦く舌に広がる。


「……次は嬢ちゃんだ。答えな」

「えっあっ、う、ううぅ」


 どうすればいいの、と眼差しが十六夜に問う。正直に話して、と眼差しに籠めて十六夜は頷いて返した。

 玉緒が男の方を向く。正確に言えばぬいを見ていた。


「だいじょうぶ、はなして」


 呂律が回らないながらも、存外に確りとした声音でぬいが言った。そこにすがる色は無い。何か、信頼のようなものがあるように聴こえて十六夜は眼を瞬いた。

 玉緒が強く頷いて口を開く。


「ジィさんに教えてもらったの。私たち十六夜君を探してて、それでジィさんが、ココじゃないかって。えっと、十六夜君人間探してて、それで昨日家に帰ってこなくて、だったらココみたいな、人間がいそうな場所探せばいいんじゃないかって、あの」

「そこまででいい」


 玉緒の言葉を止めてから男は問う。


「おじさんってのは、誰だ」


 返答は沈黙だ。十六夜の視線が忙しなく虚空をさ迷う。最初の二秒は、仮にも恩人である彼の情報を渡すことへの抵抗からだったが、次の六秒は、彼に関する情報を、そもそも教えられるほど有していない事に気づいてのもので、今なお続いている沈黙は、困惑と焦燥による混迷故にだ。

 白刃がわずかに角度を変えて小さな耳に触れる。


「ま、待って!」

「待つ気は無い。質問に答えろ」

「やまでっ! 山で会ったんだ」


 引っくり返った声で続ける。


「知らないひと、この街のひとじゃない! うんと遠くから来たって言ってた」

「遠く……?」


 何か琴線に触れたらしい。呟きは独り言の体だったが、十六夜は何度も頷いた。


「そう、外国のひと!」

「名前は」


 問いに十六夜は色を失う。

 あのひとは名前を教えてくれなかった。


「どうした、名前はなんと言っていた」

「あ、あの……」


 刃先が動く。


「ごめんなさい、知らないんだ!」


 泡を食って叫んだ。


「訊いたんだけど教えてくれなかったんだ! あのひと、自分の名前を覚えてないっていって! だから知らないんです、ごめんなさい!!」

「……覚えていない、じゃあないだろう」


 言葉に、心臓を捕まれたような気がして呼吸が止まった。やめて、とか、いやだ、とか、そんな祈るような想いで凶器を注視る。


「名前は、長くて覚えられない。……だろう?」

「……え」


 その台詞は、


「ど、どうして」


 それはあのおじさんが言っていた台詞だ。


「質問するのは俺だ。次、嬢ちゃん。ジィさんってなァ誰だ」

「ジィさんはジィさんだよ」


 即答は答えになっていない。けれど玉緒の声音は困惑の色と確信の色で染まっている。なるほど確かに、この老樹町の住民にとって"ジィさん"といえば"ジィさん"の事であり、"ジィさん"とは即ちあの"ジィさん"だ。が、目の前で彼らを脅しているのは、街どころか国すら違う異邦人なのである。そんな言葉で通じるべくもない。


「ダメだよ玉緒ちゃん、もっとちゃんと答えて」

「だ、だ、だって、ジィさんはジィさんでしょ!?」


 反論は涙声だ。


「うん、それはそうだけど」


 ちらり、十六夜は男を窺う。喋っている事を咎められるかと思ったが、目線で続きを促されて安堵する。


「もっと、住んでる場所とか、外見とか、そういうのを言わないと」


 そう師事しながら、十六夜は自身の肩が幾分解れてきていることを自覚していた。同時にぬいの信頼の眼差しの理由にも思い至る。

 ――ジィさんが、自分達が此処に居ることを知っている。

 ならば大丈夫だ。きっと何とかなる。無条件にそう思える。

 だってジィさんは


「ジィさんは、この街のヌシだよ!」


 殆ど叫ぶように玉緒が言った。


「ヌシ?」


 男が呟く。それは単語の意味を問うものではない。


「ヌシだって?」


 ゆるゆるとその双眸が瞠られる。

 その口許にのぼる

 笑み。


「そうか、ヌシか」


 上擦った声で呟く。


「ジィさんってのはこの街のヌシの事か。山のてっぺんに棲んでいるとかいう、ヌシの事なのか」


 頷けば、男は堪らないといった様子で笑い始めた。豹変ぶりについて行けない十六夜らは、順繰りに顔を見合わせるしかない。誰もが困惑顔をしていて、実際に困惑していた。

 男がまだ喉の奥に笑みを絡ませながら立ち上がる。ぬいを置いたまま、ナイフを仕舞って扉へ向かう。


「あ、あの、」


 質問はもう良いのだろうか。いや、アレコレと訊かれたい訳では無いのだけれど、急に手離されたらそれはそれで不安になった。

 身体半分で振り返った男が言う。


「事情が変わった。お前らはそこで大人しくしていろ。そうすれば無事に解放してやる。まぁそれも、ヌシの出方次第だがな」


 そうして、とろけるように崩れるように微笑むと、罪人が訊きもしない犯行動機を告白するときのような、あの愚かに熟れた声音で、囁いた。


「運が良い。俺達はな、そのヌシに会うために此処まで来たんだよ」


 ――にんげんをころすために。


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