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閑話休題と老人と化物と人形の物語・壱ノ後

 むかし

 むかしむかし

 うンとむかぁしに

 惑星が創られた。

 まぁるくおおきな星だった。


 名前をリオネという。


 しかし惑星の創り手は不器用だったようで、これがどうも上手く自転しない。

 これでは生物が創れないではないか。

 困った創り手は色々と手を加えてみる。

 大地の一部を空に浮かせてみたり、水を減らしてみたり、逆に足してみたり、衛星を二つに増やしてみたりしてみた。

 だけどどうしても上手くいかない。


 腹を立てた創り手は、もういっそいちから創り直そうと考えて、大きな杭を惑星に打ち込んだ。

 まっぷたつに割って壊してしまう算段だったのである。

 だが杭は惑星の中心にまでしか届かなかったので割れなかった。

 どころか、どういう訳だろう、惑星は安定して自転するようになったのである。

 創り手は大層喜んで、この杭を一本の樹に変じた。


 緑生い茂る若木を、創り手はユグドラシルと呼んだと云う。


 惑星リオネの全土に伝わる創世の伝承だ。

 巫女は謡う、この樹が枯れ朽ち果てたときに、この世界は滅ぶだろうと。

 伝承を信じる者達は、だからこの樹を探し求め続けている。

 神々よりも先に創られ、地上で最も旧くから存在し、この世界を護り見つめ続けてきた一本の樹を。

 世界樹を。



「見つけてどうするんですかー?」


 十六夜少年の左斜め前の席に座る同級生が、不意にそんなことを訊いた。

 神話の授業中のことである。

 聖書を纏めた神話の教科書をぱらぱらと捲っていた十六夜は、その質問に顔を上げた。

 朗々と聖書を読み解説していた担任の女教師もまた顔を上げて、質問をした生徒を向くと顎に指を添えて、うーんと唸った。


「さぁ、どうするのかしらね。考古学的価値は高いでしょうし、なんか色々調べさせてもらうんじゃないかな」


 教師らしかぬざっくばらんな解答である。まぁそれが彼女、未希先生の味なのだけれども。

 別の同級生が手を挙げた。ぬいだ。


「その世界樹も、ジィさんみたいに受肉しているんでしょうか」


 受肉、というのは、木や花や風や水や、そういう動けない物や掴めない現象が人格を持ち、仮初めの肉体を具現して活動することである。この世界の総人口の三パーセントくらいはこの受肉した物達が占めているらしい。


「さぁ、どうかしらねぇ。そういうふうにも言われているけど、何せまだ誰も見つけたことが無いらしいから」


 ──世界樹はこの世界の事を何でも識っていて、だからどんな質問にも答えをくれるんだよ。

 そう言いかけて十六夜は飲み込んだ。そういう都市伝説があるというだけの話である。それこそ根も葉もない噂話だ。


「でも、そうだと素敵ね」


 教師の言葉に、ひとり強く頷いた。





++++



 人間が街に来とるらしいぞ。


 夕闇で髪も羽根も衣も鈍い朱色に染まった大男の言葉に、老爺はまず驚いて、それからうんざりと顔を顰めた。

 そんな老爺の反応に、大男は鳥のようにくりっと首を傾げてみせる。


「はて、どうかしたか」

「どうもこうもねェよ鴉天狗、その話の出所は手前ェだったかこの野郎め」

「何? ……あぁ、倅が言いふらしたのがここまで届いたか。噂が駆けるのは早いのぉ」


 クァクァクァ。なんとも奇妙な笑い声に、何を暢気なことを行っていやがるこの阿呆めお喋り親子めと罵れば、何をそこまでヘソを曲げちょるねと、またくりくり首を傾げられた。


「俺ァ樹だ、ヘソなんぞねェよ莫迦野郎」

「それを言ったらジィさん、儂とてヘソなんぞ無いわ」

「当たり前だ、卵から産まれたヤツにヘソがあるかよ」

「樹にヘソが無いのも当たり前だろうよ、そんな事は知っちょるよ。そうでなくて、なしてそんなに機嫌が悪いのかねと訊いとるのだよ」


 金色をした円い双眸で不思議そうに見詰められて、なんだか居心地が悪くなった老爺は、目を合わせてられなくなって、フン、と怒った様子でそっぽを向いた。


「なしても何もあるかよ、つい先刻その話題で面倒被ったところだ莫迦野郎」

「なんだ、人間が来たのか?」

「違ェよ、来るかよこんな観光地でもねェ山ン中。そうじゃなくて餓鬼どもが」


 勝手に騒いで勝手に怒って帰ってった。

 そう言おうとしたものの、なんだか怒るのも馬鹿らしいほど些末な事のような気がして、老爺は途中で言葉を呑んでしまった。

 閉じた歯を食い縛り、苦虫でも噛んだように渋面を浮かべて舌を打つ老爺を見て、ははぁ、と、訳知り顔で鴉天狗が嘴を擦る。


「良くは解らんが、人間の事で童っぱらを怒らせるか泣かせるかしちまったンだね」

「フン、あんまり莫迦な事を言うから笑ってやっただけだ」

「やっぱりそうかい、ジィさんの機嫌が悪いときは、いっつも誰かに不味い事をしちまった後だものな」


 煩ェ莫迦野郎解った口利いてんじゃねェぞと毒吐けば、解った口も利くさと大鴉がまたあの奇妙な声を響かせて笑った。


「ジィさんとは儂が孵った日からの付き合いだ」

「たかだか二百年ばかしのもンじゃねェかくだらねェ」


 俺ァもっとずっと前から此処に立ってンだ。老爺の弁に大鴉は羽毛に覆われた指でまた嘴を擦ると、アンタは儂が孵ったばかりの頃にはもうジィさんだったなぁと懐かしんだ。


「まぁいいさね昔話は。それより今だ、現代の話だ」


 人間の話だよ。

 老爺はうんざりと顔を顰めた。


「聴きたかねェよ」

「いや、そういう訳にはいかんのだ、何せこの街だけでない、和国全体に関わる問題だからなコレは」

「はぁ?」


 何を大袈裟な。深刻ぶった顔で告げられた台詞に耳を疑った。

 人間が街に来たという、ただそれだけの事で、何故国が引き合いに出されるのか。


「まさか手前ェまで国家転覆だのと莫迦げたことをのたまう気じゃあねェだろうな、えェ? 刑事殿よ」

「今は警部だよ。しかしなんだそれは? そういうのではなくて」


 あの人間どもは、ソニア共和国の残党なんだ。

 他に誰が聞いているわけでもなかろうに、声を潜めて告げられた言葉に、老爺は包帯の下で眉根を寄せて、それから背筋を伸ばすと両腕をそれぞれ袖の中へ納めて組んだ。


「餓鬼共も言っていたような気がするなァその名前は。しかしそんな国があったか?」


 どうにも聞いた覚えがない。

 かくん、と、黒い嘴が大きく開く。


「まさか知らんのか」

「知らんな、異国の名だろうというのは流石に判るが」

「去年の今頃にニュースなんぞでえらく騒がれていたのだが」

「TVなんぞ見ねェよ。こんな雨晒しの吹きっ晒しな山頂で、TVなんぞ置く場所があるように見えるかよ」


 言われて鴉天狗は、大柄な体躯を傾けながら辺りを見回した。元々恰幅が良いのが、羽根で膨らんで余計に太く見えるその姿はかなりでかく、動作がいちいち億劫そうに見える。……などと鴉の様子を眺めていても仕方が無いので、老爺もついでに周囲を見回した。


 しかし、まぁ、改めて見回すまでもない。

 大樹の周囲には剥き出しの土と岩と、時々雑草が見えるばかりだ。


「……まぁ、見えんな」

「そうだろう」


 そもそも電気を引いていない。この山には電柱が一本も無いのである。他でもないこの老爺が厭がったので。


「樹の前に小屋でも建てたらどうだ。……いや、おおそうだ、そう言えば路があるのとは逆を少し下ったところに、あばら屋があっただろう。あそこを使えばいいじゃあないか」


 名案だとばかりに手を打つ鴉が言っているのは、随分昔、この街がまだ村だった頃に狩人が建てた、囲炉裏しかない頑丈なだけが取り柄の山小屋の事である。

 持ち主の家系はとうに途絶えているために、今では山の主である老爺が所有権を預かっているのだが、使うこともないのでずっと放っておいていた。

 時折、思い出したように子供らが見つけては遊び場にしていたようだが……


「あれァ駄目だ」

「ダメって事はあるまいよ、ちょいと手を加えればまだまだ使えるだろう」

「おう、使えそうだったからひとに貸してンだよ」


 しん……と、奇妙に間が空いた。

 老爺は緑色の双眸を細めて、沈黙した鴉天狗を見やる。


 烏天狗は、下に袴を履いただけの出で立ちで、全身顔までもが真っ黒い羽根で埋もれている男は、それでも立ち姿だけを見れば人間と思えなくもない。……背後で折り畳まれた一対の翼を無視すれば、の話であるが。


 その翼が、男の輪郭を形作る羽根の一枚一枚が、一際輝く夕陽の残照を背負い、めらめらと紅く燃えていた。


 背後で左右に伸びた雲は血でも吸ったような赤黒い色で、鴉天狗の黒を際立たせる。

 まるでそこだけ墨で塗り潰したようだ。

 大きなその影の中で、金色の小さな双眸だけが鈍く輝き、じっと老爺を見詰め続けている。


 東の空はもうすっかり夜の顔をしていることだろう。

 鴉の黒を見ながらそんなことを思った。


 ──人に貸しているのか。

 鴉が漸く嘴を開く。


「人間を匿っているのか」

「解らんな、なんだってそう人間に拘るンだ」


 たかが人間ではないか。


「ソニア共和国は、人間こそが至上と宣う人類主義の国だった。儂らみたいな混ざり者や異形を差別し、奴隷として扱ゥちょったと聞く」


 フン、と老爺は鼻を鳴らした。嗤ったのだ。


「それがどうした。手前ェが虐げられたわけでもあるめェに、風聞だけで、今度は手前ェらで人間の方を差別しようてな肚か? くだらねェ。随分とまあ狭ッ苦しい了見じゃあねェか。御門違いも甚だしいぜ、いつからお前ェはそんな莫迦になったんでィ」

「そういう話ではない」


 あの国は世界を引っくり返そうとしておったのだよ。

 はァ? と、すっとんきょうな声が出た。


「世界って、莫迦か、法螺話にしたって大きく出過ぎだ」

「騒ぐだけなら相手はせんかったよ。飲み屋なんかに行けば、やれ俺が世の中変えてやるだのなんだのと騒ぐ奴はいくらでもいる。そんなもんをいちいちしょっぴいていたのじゃあ、警察は首が回らんなるよ。だから」


 それが出来るだけの力を持っていたから厄介なんだよ。

 陰鬱と嘆息しながら言われた言葉に、訝りながらも老爺の双眸にも真剣味が灯った。


「どういう事だ。たかだか人間だろう」

「人間がどういうモンなのか儂はよう知らんが、数が集まればそれだけでも力になるだろう。ソニアってのは、この国の半分程度の広さしかない国だったらしいが、それでも国は国に相違ないんだ。人口は八千万とか言っていたかな。その殆どがあちこちの国から遙々移住した連中だったのだと。それが全部、自分は人間だと名乗っちょったそうだ」

「つまり、世界中にいた、自分は人間だと、そう思っていやがった連中が寄り集まって出来ていた国だったのかい、そんな国が成り立つもンか」


 思想も文化も習慣も国によって大きく違う。種族だっていくら混在していると言っても、地方によってコレが多いアレが少ないといった程度の差はあるのだから、それらがごちゃごちゃと集まったって。

 いや──そうじゃないのか。


「全員が人間だから、成り立つのか」


 たった二つ、思想と種族は同じなのだ。

 全員が自分の周囲を見回して、自分はコイツらとは違うぞ俺は人間なんだぞと、そう思い込んだ末に故郷を捨てた連中の集まりなのだから。

 そして、人間であることを主張するということは、人間という種族を、何らかの理由で特別視しているということに他ならない。


 彼らにとってその国は──自分も含めて──特別な者達が集う国、だったのだ。


 特別であることこそが最も重要な事柄で、そのことの為だけに故郷を捨てて集った者共ばかりで、国は構成されていたのだ。自分達は選ばれた者なのだと、全員がそういう幻夢に酔っていたならば……文化や習慣の違いなど、国が「人間とはこうするものだ」と示せばいくらでも矯正出来てしまうだろう。

 ──それは、とても恐ろしい事なのではないか?


「儂はそういう難しい事はよく分からんよ。ただ、そういう国があって、そこの連中は世界を引っくり返そうとしちょって、それが出来る力を持っておったと、儂らにとっちゃあソレが重要で、ソコだけ分かっとったなら子細はどうだってええ。どうして国が成り立ったとかどういう考えでとか、そういうの考えるのはまた別の肩書き持っちょるひとらだ。それは儂ら警察の領分じゃあないよ」


 だから難しいことは聞かんでくれ。

 言外にそう言われてしまい、老爺は問いを飲み込んだ。

 代わりに別の問いを投げる。


「その、世界を引っくり返せる力てのァなんだ」


 咆哮一つで天を割る者も、ただのひと薙ぎで地を焼く者も、嵐を呼べる者達も、津波を起こせる者達もいる。そこまでの力を持つ者となると全体から見た割合は少なかろうが、それでも掻き集めれば確実に万を超えるだろう。

 こんな世界を引っくり返せるほどの力とは、何だ。


 機械だよ。──鴉は自身も半信半疑だといった顔で答えた。


「何でも、世界の理を書き換えることの出来る機械を造ったらしい」

「は、何だそりゃあ。そんなことが出来るかよ莫迦莫迦しい」

「出来んかな」

「出来るわけが無ェだろうこの頓馬。そもそも”ことわり”ってのァ何だよ、ンなもんはお前ェ単なる概念だろうがよ。数字と同じだ。ひとつふたつと俺らァ物を数えるが、ひとつとかふたつて物体があるかよ。無ェだろが。無ェもんをどうやって書き換えるよ。変えられねェから理なンだろうがよ」


 詳しくは知らんのだ。肩を窄めた鴉天狗は気まずげに嘴を擦った。


「まぁもう壊されて無いのだそうだ、その機械は。ただ設計図を持って逃げたのがおるらしくてな」

「それで残党狩りか」

「それだけではない」


 兵器も一緒に持ち出されたらしい。

 言葉は重い。

 その重味から、本当に存在していたのかも判らない機械よりも、此方の方がよほど重大らしいと悟る。


「核か」


 原子爆弾。真っ先に浮かぶ危険な兵器と言えばそれだ。

 しかし鴉は首を左右に振った。


「違うのか。じゃあ何だ」

「人間だ」


 意味がわからない。


「人間は兵器を持ち出した奴だろうが」

「兵器も人間なんだよ」

「兵器ならそいつは人間じゃあ無いだろう、化け物だ。化け物てのァ」


 俺らじゃねェのかよと妖樹は言った。


 人間というのは非力な生物だ。

 何も出来ぬから道具を使う。

 何をするにも道具が要る。


 少なくとも老爺の知っている人間というのはそういう生き物だった。

 だから人間が力を持ったなら、非力でなくなったのならば、それは最早人間とは呼べなくなる。此方側の生き物になる。老爺はそう認識している。


 あんたと連中の理屈は違うのだろう。言って鴉は尻を捲ると、地面に据わり直した。


「連中が重く見たのはな、血よ。混ざりっ気の無い血を持っていればそれが人間と、まぁそういう理屈らしい。それでどうやってかは知らんが、儂ら化け物の血が混ざっていない、純粋な人間ってのを造り出したそうだ。それでいて龍だの鬼だのと戦って勝てるだけの能力もつけたという。ただどんな能力だと訊かれても詳しくは知らされておらんのだが、なんでも随分頑丈ならしいね。戦闘を前提にして造られたのだから、そいつは兵器だろうさ」


 兵器が持ち込まれたのだから国としては見過ごせんよ。取り締まらなくちゃならん。


「だから、匿っとるのなら出してくれ」

「そう請われてもなァ」


 人間なんぞ匿っちゃいねェよ。

 巫山戯んでくれと鴉が言う。怒ったというよりは困っているといった様子だ。


「ジィさん、アンタさっき小屋は人に貸していると言うちょったじゃないか」

「人間に貸したとは一言も言ってねェだろうが間抜け。それに俺ァ先刻言っただろう、こんな観光地でもねェ山ン中に人間が来るかよ。人間なんぞ千年から見てねェよ」


 告げて煙管をくわえれば、本当だろうねと斜めに視られた。

 それを見返しもせず本当だよと返す。


 真実、老爺は人間を見かけてなどいない。


 だから、実のところここまで話に聴いても未だ疑っていた。

 人間ばかりがいる国だとか、世界を引っくり返そうとしたとか、そんな者共がこの街に潜んでいるだとか。

 出来の悪い寝物語くらいにしか聞こえない。


「手前ェこそ、適当な法螺噺で餓鬼らや俺を揶揄っていやしないだろうな」

「こんな噺が創れるなら、儂は警察なんぞ辞めて戯作者になっちょるよ」

「はン、売れねェよこんな面白くもねェ突飛なだけの噺なんざ」

「そうかね、噺なんてものはみんな突飛なもんだと思うがね」


 ぼやかれた言葉は無視した。実のところ老爺は戯本を読んだことが無い。そもそも文字を学んだことがない。なので物語の良し悪しなど判るわけも無い。

 まぁそれは良いよ、と、鴉天狗が仕切り直す。


「人間は見ていないと、それは分かった。しかし、それじゃあ小屋は誰に貸しちょるのかね。街の者かい」

「いいや、流れの奴だよ。半月かそこら前にふらっと此処に来てな、金も伝も無くても泊まれる場所は無いかと、舐めた事をぬかしやがる。汚ッたねェなりしてやがって、身体付きも痩けてて骨と皮しか無いような風体で、そんな見るから怪しい無宿人を泊めてくれる場所なんざねェだろう、今時は。野宿するしかねェよ。仕様がねェから、雨風凌ぐくらいしか役に立たねェ襤褸小屋だが、それで良けりゃあ好きに使えと貸してやった」

「人間ではないのかそいつは」

「違ェよ、手前ェと違ってな、俺は人間をよッく知ってんだ。ありゃあ人間ではなくて」


 ──にんぎょうだよ。


「にんぎょうだぁ?」


 間抜けな声が薄闇に響いた。

 そういえばとっくに陽が沈んでいる。


「間抜けな声出すンじゃねェよ莫迦野郎。別段珍しくもないだろう、三丁目の洋館にも一体住んでるじゃねェか」


 ビクスドール、とかいうのだったか。

 たしかあの洋館には元々人形師が住んでいたのだが、死後にあのドールだけが魂を持ってしまって、番犬よろしく屋敷に立て籠ってしまったのだ。


 家中にある人形を操って館に近づく者を追い払うものだから、窮して祓人なども呼ばれたが、どういう取り決めをされたものだか、結局今も洋館に引きこもっている。

 そんな経緯があるものだから、街の者達は関わることを厭って館には近寄りすらしない。


 確かに居るけども。と、薄闇の中で黒が身動ぐ。

 山頂には月明かりぐらいしか光源が無く、それさえ満月には足りなく頼りないものだから、黒い鴉はすっかり夜に飲み込まれてしまっていた。


 それでも辛うじて輪郭ぐらいは判別出来るが、老爺がこうなのだから、鳥目にはもう何が何やら判らないのではなかろうか。

 老爺はにわかにこの鴉天狗が心配になった。


「そんなことより、おい、手前ェはそろそろ帰らなくてもいいのか。逢魔時なんぞに来るからお前ェ、すっかり夜になっちまったぞ」

「まぁそうだがね、沈んじまったらもう今帰っても、もう少し居残っても大差はないよ。それにちょいと上空へ飛べば街明かりが見える。明かりの方へ降りていけば、昼間のように明るくなるから帰るのには困らんよ。儂の事よりジィさん、そいつは確かに人形なのかい」

「確かだよ」


 見た目は人間にそっくりだったが。


 半月前を思い返す。


 肌寒い冬のような日だった。だのにそいつは、襤褸い着流しを一枚着ただけの風体で、痩躯を風に嬲らせるままにして立っていた。


 草臥れた草鞋を履いていて、どれほど歩いたのやら、踝まで土色に染まっていたのを覚えている。手入れなどする気もないのだろう好き放題に跳ねた髪は灰色だったが、元は黒いのかもしれない。


 とにかく汚れていた。老爺がしばらく絶句したほど汚なかった。

 血走った眼はけれど──。


 至極、愉しそうだった。


 ──あんたその樹の化け物かい。

 笑みを含んだ声が耳に甦る。


「妖樹ならば腕を一本やるから助けてくれと頼まれたんだ。冗談ぬかせ手前の腕ェ差し出す莫迦が何処に居るよと罵ったら、ちゃんとやるよと言って、反対の腕使って、自分の腕を根元から引きちぎりやがった」

「な、なにィ」


 真っ赤な鮮血が吹き出して、ぼとぼとと地面を染めた。

 ぱきりと骨の外れる音がした。

 びちびちと繊維や血管や神経などが千切られる音までもが耳に甦って、老爺は鼻の上に皺を作る。


「そんなもんいらねェと言ったらば、そうかいと返して腕をこう、千切った根元にくっつけた。そしたらあっという間に元通りくっついてやがった。人間にそんな芸当が出来るかよ」

「出来んのか」

「出来ねェよ莫迦か」


 そんなものは人間ではない。

 人間以外であってもそんなことが出来る種族などそういない。

 痛みを感じている素振りもなかった。

 外した腕が元通りに戻ったのだから──。


「人形だよ、ありゃァ」


 それも酷く壊れている。

 何せあの人形は終始笑っていたのだ。

 自身の腕を引きちぎるその最中にもニタニタと笑っていたし、腕が厭なら目玉をやろうかと、言いながらも笑っていた。


 きっと笑い顔しか無いのだろう。

 だからやっぱり、アレは人形なのだ。


 壊れた人形ならば後は朽ちるのを待つばかりだろうに、魂を持ってしまったものだから、生きざるをえなくなって、さ迷っているのだろう。

 物に魂が宿った場合は、木屑になったって消えられない。

 魂というエネルギーが磨耗しきるまで生かされ続けることになるのだから、まったく難儀なことだ。


「その人形はひとりだったか」


 何の関係があるのか鴉が問う。


「一体だけだがそれがどうした」

「そうか……それならやっぱり人間では無いのか」


 肩を落としたらしい鴉天狗に、どういうことだと老爺が訊ねる。

 情報によれば人間は必ず二人以上で固まって行動しちょるらしいのだよと、天狗は答えた。


「分隊程度の人数で纏まって移動しちょるのだろうというのが上の見方でな」

「分隊ってのァ何人だよ」

「八から十二だ」

「そんなにいるのか」


 てっきり一人か二人程度の数だと思っていた老爺は目を剥いた。そんな数で移動をして露見しないものなのだろうか。

 否、露見はしているのだ。

 だから人間が街に来ていると、こうして騒ぎになっているのだから。


「もう少し多いかもしれん。だのになかなか尻尾を掴ません。軍属の連中らしい。優秀なんだな」

「獲物を褒めるのかよ」

「舐めてかかるよりいいだろうよ」


 クァクァと三度奇妙な声で笑うと、鴉天狗は膨れ上がった。

 風を叩く音がする。

 翼を広げたのだ。


「思いのほか長居をしてしまった、儂はそろそろ戻るとするよ。仕事を抜けてきたからね、部下の頭に血が昇る頃合いだわ」

「そうかよ、頭ぶつけねェように気ィ付けろよ鳥目」

「なぁに言われるまでもないさ。おおそうだ、もし数日中に倅を見かけることがあったら、深く首を突っ込み過ぎんよう言っておいてくれんか。アレは人間の事になると、熱くなりすぎるきらいがあってなぁ」

「手前ェで言えよ、親子だろうが」

「忙しいもんで会えるか分からんのだよ。それに倅は飛びまわっているのが趣味のような子だから。よくこの辺りを飛んでいると聞くから、頼むよ。じゃあねジィさん」


 黒が跳んだ。

 翼が一際強く空気を叩く。


 ぐんと持ち上がった体躯は、何度か様子を見るように羽ばたくと、枯木の横を通過して街の方へ矢のように滑空していってしまった。


 あっという間に木立の向こうへ消えた鴉天狗を見送っていた老爺は、はっと我に返り、ようやく彼方へ声を張り上げた。


「おい、こら、一方的に言い捨てていくとはどういう了見だ莫迦鴉、俺の知った事じゃねェぞ手前ェの息子だろうが、手前ェで面倒みやがれってンだ此畜生め」


 返事はない。とうに姿は見えないのだからこれは当たり前の事である。

 渋面をつくった老爺は、なおもしばらく夜空へ向けて罵ったが、やがて諦めたらしく膝で頬杖をついた。

 短く一度舌を打つ。


「どいつもこいつも、好き勝手喋って勝手に帰ェりやがってよ……」


 礼儀知らずどもめ。文句は苦々しく薄闇に溶けた。



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