少年と化物と人間の物語5
網膜が焼かれている。
視界の端に入るランプの灯りに、十六夜少年は眼を擦りたくなった。
天井に吊るされたそれはランプの形状をしてはいるが、火を入れて明かりをとる旧時代の調度品では無い。そんなのは今時骨董屋でもなかなか置いていないだろう。もっとずっと真っ直ぐ白いこの明かりはLED電球のそれである。十六夜らが産まれるより以前には蛍光灯が主流だったらしいが、最近では何処もLED照明を使用しているから見慣れた白さだ。
軍用品なのか武骨で装飾の無いそれは、古風な調度品ばかりで統一された室内では随分浮いている。
……まぁ、およそ似つかわしくないという点では、男らの構える最新式のアサルトライフルだって相当浮いているのだけれども。
そもそもインカム付きのヘルメットに都市迷彩の上下という出で立ちが、もうこの屋敷に似合っていない。十六夜らをこの部屋まで案内した男性だけが顔を露出していて、明るい下で視れば金髪碧眼のイケメンだったから、異国の映画俳優みたいなその顔立ちだけはこの屋敷に似合っているけれど、でも軍服のせいでやっぱり浮いている。
和装のジィさんだって洋館の中では不似合いだ。
そして恐らくソファに座らされた十六夜達だって釣り合ってはいないだろう。
みんな異物だ。
この部屋には異物しかいない。なまじ統一感のある内装なだけに、違和感は一際立っていてなんだか滑稽だった。
――そんなことを考えている場合じゃないだろ。
「さて、お立場は理解頂けましたかな」
背後からの声は、この部屋へ連れてこられたときにジィさんと対峙していた男性のものだ。テノールの音域だろうか、低く落ち着いた大人の男の声。腕をついたのか背凭れが僅かばかり軋む。
対面のソファに深く腰掛けたジィさんが、腕を袖に突っ込んで組んだままにこりともせずに応える。
「さて。餓鬼共の縄を解いてくれりゃァ理解るかもな」
十六夜らは脚の縄こそ解いてもらえたが、腕は拘束されたままだ。ぬいと玉緒は腕を前にして縛られているからまだ楽そうだが、先に捕まった十六夜だけは後ろで両腕の肘から先を重ねるようにして縛られているから結構辛い。
「それは出来かねる」
男の返答はにべもなかった。
「じゃあ理解らねェな」
「では、分かりやすいようにこの子の腕を折りましょうか」
ぽん、と両肩に手を置かれた。
「へ?」
見上げた先には微笑む口許とその上に乗る整えられた口髭。ぬいとはまた違う緑色だ。
……で、腕を、なに?
「そんな事をしてみろ、手前ェら屋敷ごと潰すぞ」
言われたことを理解する前に、ジィさんが初めて聴くような怖い声音でそう言ったので、視軸を顔ごと正面に戻した。
ぎくりと肩が震える。
ジィさんの包帯だらけの顔は怒っていなかった。少なくとも見慣れている不機嫌顔のように、眉間に深い皺を刻んでも眼を怒らせても口許を歪ませてもいない。
それどころか、無表情だ。でも――
怒っている。相当怒っている。それがどうしてかすごくよく分かる。その怒りが向いているのは別に十六夜という訳ではないのだけれど、何故か鳥肌がいっせいに立った。全身が硬直して動けない。
細められたジィさんの緑と白と黒の瞳が、LED電球の明かりを返して鋭く光っていて、まるでよく研がれた刃物のようだ。
それは男達の構える銃器よりも恐ろしかった。
「我々はただ、まずは話を聴いて戴きたいだけなのですよ」
だというのに、背後の声は苦笑を含んで柔らかい。竦んでいる様子は一切無くて、それが十六夜には信じられなかった。
ふん、とバカにしたようにジィさんが鼻を鳴らす。
「被り物して名乗りもせず銃口突き付けて、おまけに人質まで使いながら、よく言うぜ」
確かに失礼のオンパレードだ。
「不作法は先に謝罪しましたが……しかし、確かに少々礼を欠きすぎているかな」
肩を掴んでいた手が離れる。見上げれば男性がヘルメットを脱いだところで、所々に白髪の混ざる短く刈り上げられたモスグリーンの髪が白光の下に晒された。開いた瞳の色はライトブラウン。目尻や口元に刻まれた皺と左米神の裂くような傷痕が男の生きた歳月を想起させる。
「私はソニア共和国陸軍第三特殊部隊隊長のアーデルベルト少佐だ。偽名なので姓は無い。特殊部隊に入隊した者は名を棄てる決まりがあるものでね、御容赦願うよ」
アーデルベルト。耳馴れない異国の名前だ。
「……この街の主だ。名は無い」
受けてジィさんも名乗った。相手はジィさんの素性を知っている様子だったから、これは儀礼的な返答なのだろう。互いに名乗るという行為は、それだけで双方の精神的な距離や高低を縮める効果がある。つまり歩み寄ろうとして来た相手に対して、ジィさんも譲歩したという事だ。
人質をとっておいて歩み寄るも何も無いというのに。
とりあえず話くらいは聞いてやるという意思表示だろうか。
アーデルベルトは言う。
「率直に話すならば、我らは貴方を探していたのですよ、主殿」
「捜す? おいおい、俺ァ普段ひとところを動きやしないンだぜ。捜すも何も無いだろうよ。用事があるてェならとっとと山まで来りゃァよかったじゃねェか」
確かにそれはそうだ。ジィさんの呆れたような言葉を聴いて十六夜は頷く。ジィさんはいつだって禿げ山の頂上の、枯れ木の根本で煙管をふかしているか寝ているかしかしていない。ヌシとはそういう存在だからだ。昔は違ったらしいと聞くが、昨今の主は余程の事が無い限り住み処を動かないものなのだと、学校の授業で習った。
確かに、とアーデルベルトが笑う。
「"老樹街の主"を探していたのならば、こうも時間はかからなかっただろう。だが、この街の主と、我らの探していた者が同一であると辿り着いたのは、そして確信を持つに至ったのは、恥ずかしながらほんの数日前だったのだよ」
……?
不可解なその言い回しに十六夜らは首を傾げた。
「おじさんたちはジィさんを探してたんじゃないの?」
玉緒が問う。
「結果的には、彼を探していた事になるね」
口を挟むなと怒られるかという予想に反して、柔和にアーデルベルトは応えた。
だけどよく解らない。
ジィさんの方を見れば、険しい顔でアーデルベルトを睨み付け押し黙っている。
「もっと巨大な樹を想像していましたし、まさか、貴方ほどの方が、こんな小さな街の主に就任しているとは夢にも思いませんでしたよ」
――ねぇ、世界樹ユグドラシルさん。
アーデルベルトが言って、ぴんと張り詰めた空白が室内に充ちた。
十六夜はきょとんと眼を瞬く。
世界樹って、
週に三度ある神話の授業で習った。
いや、そもそもこのリオネに生きる物達ならば、幼い頃から読み聞かせられる聖書によってよく識っている固有名詞だ。
惑星リオネを支える杭。誰もまだ到ったことが無いという伝説の樹。
世界樹ユグドラシル。
「……え?」
眼を瞬く。ジィさんは苦々しげに顔を顰めている。
「ジィさん…………世界樹なの?」
細い問いはぬいの声だ。見れば普段は感情の起伏に乏しい顔が、唖然とジィさんを向いている。
ジィさんは答えなかった。
「何が目的だ」
鋭い眼光がアーデルベルトを射抜く。
「ただお知恵を拝借願いたいだけですよ、ユグドラシル殿」
「ソイツは俺の名前じゃねェよ。そりゃァ俺の元になった、別の世界にある世界樹の名前だ。言ったろィ、俺に名前はねェ」
「そうでしたか。これは失敬」
どういう事なの。
別の世界って、なんでジィさんそんな事を知っているの。
本当に、ジィさんは世界樹だったの。
混乱するばかりで言葉が出ない。
ジィさんの視線は十六夜達へは向けられずに、ただアーデルベルトを睨み続けている。
まるで十六夜達が見えていないようだ。
なんだかひどく悲しくなった。
「創世より存在する貴方は、過去から現在まで、地上の総てを識ると聞き及んでおります」
アーデルベルトが朗と言う。先程までとは違う、改まった敬意有る物言いだ。
それを聞きながらジィさんの貌が妙な具合に歪む。
「貴方の知恵に頼る他、最早我らには術がない」
「御託はいいから用向きを言いやがれ」
聞くだけ聴いてやるよとジィさんが投げ遣りに言って、アーデルベルトが微笑んだ。
「慈悲に感謝します」
「そんなんじゃねェよ莫迦野郎」
――まァ、憐れには思うがな。
吐息だけの独り言だったが、断片的ながらも耳に届いて十六夜は訝しんだ。
あわれって、何が?
「我らが知りたい事は只ひとつです」
アーデルベルトが言う。ジィさんの独白は彼には届かなかったらしい。あるいは聞こえていたのかもしれないが、本題を進めることを優先したようだ。
いたって真剣な貌と声と眼差しとで、彼は問うた。
「人間の殺し方を教えていただきたい」
その問いかけに、十六夜らは息を呑んだ。人間、とはつまりあの、十六夜を助けてくれたおじさんの事だ。人間の国に居た唯一の人間のことだ。
ジィさんがこの質問に答えてしまえば、あのおじさんは殺されてしまう。
固唾を飲んで見詰めていれば、驚きの表情で大きく見開かれていたジィさんの双眸がゆるゆると時間をかけて胡乱気に細められた。
「あァン?」
「人間の殺し方を知りたいのです」
アーデルベルトが言葉を重ねる。そうすればジィさんの貌が今度は顰められて、顰めきったところで包帯の巻かれた禿頭をがりがりと掻いた。
「あー……」
どこか困惑しているような声を出す。
「それは、真面目に訊いてンだよな……?」
「えぇ、勿論です」
「だよなァ……」
どうしたのだろうか。
やっぱり殺し方だなんて答えたくないのかな。
そう十六夜は解釈してみるけれど、それにしては様子がおかしい。
「一応参考までに訊くがな、手前ェらの言う人間てェのはどういうのの事だ」
急にそんなことを言う。
なんだろう。
十六夜には、なんだか自分達とジィさんとの間に、ハッキリとした温度差があるような気がした。
それはアーデルベルトも気づいたらしく、眉間へ皺を寄せると周囲の者らと目配せし、それから少しだけ熟考する様子を見せて、漸く口を開いた。
「我々の知る唯一の人間は、アリアンという名の男です」
アリアン。口中で繰り返す。それが、あのおじさんの名前。
なんだ、全然短くて覚えやすい名前じゃないか。
「特徴といえば知能の低さと、嗜虐性の強さ、そして脆弱な肉体と、適応能力の高さでしょうか」
「……どうにもよく理解らねェんだが」
言いながらソファの上で胡座をかく。
「人間なら簡単に死ぬだろう。頚をはねても血が抜けても内蔵が潰れても舌が切れても炎で焼いても水に沈めても空から落としても呼吸が出来なくッても、人間は死ぬぞ。そういうのァ手前ェら軍属の十八番だろうがよ。それをなんだって俺に訊く? 手前ェらは一体どんな斬新な殺し方がしてェてンだ?」
ざわり、と空気が粟立った。
実際はアーデルベルトや武器を構える物達はみじろいだにすぎず、また彼らは一言も言葉など発さなかったのだけれど、それでも彼らの動揺や驚愕は、空気をざわりと粟立たせるに十分なものだった。
「……人間は、それらの方法で死にますか」
「当たり前だろうが」
――当たり前なんだ。
そう十六夜は感心した。
だって、純血の人間に関する情報はあまりにも少ない。
――じゃあ人間って、すごく弱い生き物なんだ。
そう思って、それからふと気がつく。
――あれ、でもじゃあ、あのおじさんもか弱いの?
違和感に顔を顰めた。
「死なないのです」
硬い声音が耳を打って、十六夜は振り仰いだ。
「あン?」
「貴方が仰られたどの方法でも、死にませんでした」
痩けた頬が色を無くしている。
「我らは凡百手段を講じてアレを殺そうとしました。けれど、死ななかったのです」
「はァ?」
ジィさんはふざけてんのかと文句でも言うような調子で疑問符を返したが、アーデルベルトの表情は至って真剣そのものだった。
むしろ、瞳には畏怖が滲んでいる。それはジィさんへ対する感情ではない。
それを見て、何事か悪態を吐きかけていた口を三度ほど開閉してから閉じると、ジィさんは背凭れへ深く背中を埋めた。
口を開く。
「……死なねェのか」
「はい、死にません」
「そうかい」
溜め息を吐いた。
「……人間は、死ぬのですか。簡単に」
「死ぬなァ。時々しぶてェ気もしたが、それでもやっぱり死んだ。どいつもこいつも、そりゃァもうあっけなく死にやがった。……まァ、人間じゃなくッても死ぬけどな。死なねェ奴なんぞいねェだろう。俺だっていつかは死ぬよ。みィんなそうだろゥ」
死ぬ。
……あんまり考えたことがない。
十六夜はまだ誰の死も経験したことがない。ただ漠然と、死ぬのは嫌だなぁと思っている。なんとなく怖いとは思っている。
でも、それだけだ。
それだけだけど、死が恐ろしいものだとは知っているから、悲しい事だとも知っているから、誰にも死んでほしく無い。あのおじさんが死ぬのも、ジィさんやぬいや玉緒や父親や母親や他の友人知人の誰が死ぬのとも同じくらいに、嫌だ。
でもいつかみんな、十六夜にだって、必ず死が訪れるということも知っている。
「けれどアレは死なないのです」
狼狽した様子でアーデルベルトが言った。
「だったら」
ジィさんはそこまで言ったが、そこで言葉を途切らせて、一度口を閉じると、視線をテーブルへ落とした。
短く浅く溜め息を吐いてから続ける。
「……だったら、そいつは人間じゃねェ」
――俺達とおんなじ、
「バケモノだ」
化け物。
十六夜は口中で繰り返す。
あのおじさんも自分達と同じものなんだ。
人間じゃ、ないんだ。
けど……確かにあのおじさんは、人間よりも化け物の方が似合っている。そんな気がした。
「……アレは、人間では無いと言うのですか」
そう言ったのはアーデルベルトだった。それは困惑しているというよりも、怒りを孕んだ硬い声音だ。
「不死性てェのは化け物の領分だよ」
対するジィさんの口調はむしろ軽い。
「しかし我々は……国は、人間としてのDNA情報しか持たない生物としてアレを造ったのです。それが人間でない筈が」
「待て」
遮ってジィさんは身を起こした。
「造った? 造っただと? そいつは一体どういう事だ」
「……そのままの意味です。アレに両親は存在しません。卵子も精子も使用せずに、ゼロから製造されました。資料は全て走り書きのメモに至るまで焼却処分したので、詳しくは説明できませんが」
両親、いないんだ。
あの金髪のひとは偶然一体だけ生まれたって言っていたから、兄弟なんていうものもいないんだろう。
……家族、いないんだ。
だとすればあのおじさんは、ひとりなのか。
それはなんだか悲しい事のように思えた。
くつり、聞こえた音に前を向く。
肩を震わせたジィさんが喉の奥で笑っていた。でも、眉根は寄せられ眉間に皺を刻んでいて、笑っているのに、なんだか哀しそうな顔に見える。
「人工の命に不死の肉体、それに殺戮思考……か。ますます立派に化け物じゃねェか、アイツ。一体何処が人間だってんだか、笑っちまうぜ」
「……アレは、人間ではないのですね」
アーデルベルトが静かに問う。
「あァ、違う。ありゃア化け物だ。手前ェらの国で造ったのは生粋の人間なんぞじゃねェ。生粋の化け物だ」
――この世界で一番化け物らしい化け物だよ。
答えに、アーデルベルトは押し黙ってしまった。その顔は心中を写してなんとも複雑そうである。それはそうだろう。何せ今までずっと、彼らの国はあのおじさんを純血の人間として祭り上げていたのだから。……それで、戦争までしてしまったのだから。
しんと室内は静まり返ってしまって、十六夜は気まずく視線を巡らせた。同じように周囲を窺うぬいと目が合う。反対を向けば、話題についていく事を放棄したらしい玉緒が、暇を持て余した様子で膝を抱えている。隊員達は武器を構えたままで、その表情はヘルメットに隠され見えない。
最後に十六夜は扉の前に佇立する金髪の隊員へ視軸を向け――ぎくり、と身体を強張らせた。
彼は俯いて肩を震わせていた。その表情は手のひらに被われていて窺い知れない。
――泣いてる?
驚いて凝視した。
――違う。
「ふ、っく、くく……」
手のひらから零れた吐息が静まった室内で奇妙に響く。
「くは、あははははッ」
――笑っている。
彼は、堪えきれないという様子で腹を抱え、身体をくの字に折り笑い始めた。
「バルテル!!」
鋭い叱責に、彼は哄笑を収めたが、それでも笑みの残る口許に拳を当ててアーデルベルトを見た。
「失礼、隊長。いやぁでも、可笑しいじゃないですか。こんなの笑うなと言う方が酷ですよ」
そう言ってまたくつくつと笑う。何がそんなに可笑しいのか十六夜にはまったく分からない。
それはアーデルベルトらも同感だったらしい。
「……何が、可笑しいと?」
「何もかもですよ。だって今の俺ら、言っちゃなんだが相当間抜けだぜ」
「…………」
数秒の沈黙を挟んでから、アーデルベルトはなんだか疲労感漂う溜め息を吐き出した。
「確かに、間抜けだな。人間だと思い込んで担ぎ上げた化け物を旗印に、化け物を滅ぼして人間の世界を作ろうとしていたのだから、相当な間抜け具合だ」
言ってから頭を左右に振る。
「いや、それを言うなればそもそも初めから我々は愚かしかったのだったな。混ざり者である自身の出地や血統を否定し嫌悪して、人間と云う都合の良い幻想にすがって閉じ籠った、その時点で既に愚かだったのだ。ありのままの自分を受け入れやっていかねばならなかったのに、その努力を放棄し逃避した我らには、あの国には、これが似合いの顛末か……」
――嗚呼、あの国には、結局人間なんて唯の一人も居なかったのだな。
その囁くような言葉に十六夜の胸はちくりと痛む。
人間なんて――
この世界には、存在しないのかもしれない。
「そんな事はもうどうだっていい話じゃないですか」
朗と放たれた言葉に、はっと驚き顔を上げる。
バルテルの蒼い瞳が、真っ直ぐアーデルベルトを視ていた。
「不本意ながら、自分もバルテル中尉の言う通りかと存じます」
声に振り返る。発言をしたのは、窓のそばに立ち銃口を向ける隊員の一人のようだった。
「我々の任務はアリアンの殺害と同存在の隠蔽です。標的の種族や存在の定義が、今更任務に何の関係がありましょうか」
「ヴェンデルベルト曹長……そうだな」
そうだった。と、頷いたアーデルベルトの顔にはもう動揺は見られない。十六夜らがこの部屋へ連れて来られたときのような迷い無い眼だ。
すると今度は、はぁあ、と無視しがたく深い溜め息が聴こえて、室内の者達は、そして十六夜は、前を向いた。
ジィさんだ。
「徹頭徹尾、殺すことに変わりは無ェ訳か」
誰を、なんて今更訊かなくても分かる。
「えぇ、それが我々の任務であり、責務です」
「解せねェなァ」
喧嘩でも売るように語尾を強めてジィさんは言う。
「なんだッてあの野郎を殺す事にそう拘るよ、えェ? あいつ、アリアンか? アリアンが、世界征服とやらをしくじったからかィ」
「……そうですね。侵略行為に成功していたならば、我々は今こうしてはいなかったでしょうし、よって彼も、我らに連れ出され殺されることは無かったでしょうから、そうだ、と肯定して差し支え無いでしょう」
「含む言い様だなオイ。つまりそいつァ手前ェらの言い分は違うてェこったろゥが。だったらぐだぐだぬかさねェで、その言い分の方を主張しやがれ莫迦野郎。俺が訊いてンなァそっちなんだからよ」
ジィさんの言葉に、数秒沈黙が落ちた。そう長い沈黙では無い。
アーデルベルトの唇から溜め息がこぼれ出る。
「我々第三特殊部隊は、逆賊なのです」
予想外の告白に、十六夜は眼を瞠ってしまった。
ジィさんは何も言わない。
告白は続く。
「発端は私だがね。母国が侵略の準備を進める最中……というより、その初期から、私は情報を知りうる限り、全て外部協力者へ流していたのだよ」
「ど、どうして……?」
思わず出た質問に、十六夜は口を挟んでしまった事に後悔したけれど、アーデルベルトは少年をみおろして微笑んだ。
何か、ずっと昔になくしてしまった宝物を懐かしむような、そんな寂しげな優しい微笑。
「息子がね、居たのだよ」
「え……」
「ソニア共和国の隣国に、息子夫婦が居を構えていたのさ。侵略が実現すれば早い段階で戦禍に巻き込む事になっただろう。私には、それが堪え難く恐ろしかった。……母国よりも、身内を選んだ臆病者なのだよ、私は」
「そんな……」
十六夜は言葉に出来ずに、ただ頭を左右に振った。
逆賊なんて。臆病者だなんて。そんなの、おかしい。
だって家族を守っただけじゃないか。
間違ってなんかいないじゃないか。
そう想いを込めて頭を左右に振ったのだけれど、アーデルベルトは一度また微笑みかけると、笑みを消してジィさんへ向き直ってしまった。
「私の裏切りはまず右腕であるバルテルへ知られ……最終的に皆の知るところになり、しかし皆もこれに加担する道を選びました」
感情を殺した声で淡々と事実を並べて行く。
「そして母国の敗戦後、我らは母国の保有していた軍事資料と機密の全てを抹消する事にしたのです。……他国の手に委ねるには、あまりに危険すぎる技術が幾つかあった為です。必ずまた戦禍を起こす火種になるだろう兵器が……。後の世に禍根を残さない事は、戦争を始めてしまった我々の責務です。だから」
――アレも殺さなくてはなりません。
強い決意に彩られた確とした口調でアーデルベルトは言う。
「アレは他者を狂わせる。諍いへと駆り立てる。滅びへ歩ませる。殺すことしか教えられなかったアレは、人の形をした狂気そのものだ。存在が公になれば、いずれ何処かの国を戦争に走らせるやもしれない。存在を秘匿しても、野に放てばアレは大勢の命を奪うだろう。……それしか知らないんだ、彼は」
――殺すことしか。
「だからそうなる前に、我々はアレを殺さねばならないのです」
――違う。
違う。そんな筈がない。そう十六夜は叫びたかった。
あのおじさんが殺すことしか知らないなんて、そんなのは間違いだ。
だって、崖から落ちた自分を助けてくれた。食べ物や飲み物をくれた。怪我を心配してくれた。たくさん話をした。十六夜の話を興味深そうに聴いてくれた。
子供よりも子供みたいな顔で笑うひとだった。
本当に殺すことしか知らないのならば、十六夜は出会った時に殺されている筈ではないか。
そう主張したいのに、思考はぐるぐると廻るばかりで言葉になってくれなかった。
歯を食いしばる。
何も言えない自分が歯痒くて、悔しい。
「……成る程な」
ジィさんの頷く声に、はっとなって顔を上げた。
「ちなみにご参考までに聴かせていただきてェんだが、アリアンはそういった事情を知ってンのかィ」
「いいえ、アレにはソニア共和国再建の為の逃亡だと教えていました。もっとも……この屋敷へ潜伏することを決めた頃に、アレを殺すという我々の目的は露呈してしまいましたが。それが無ければもっと早くに貴方を訪ねることが出来たでしょう。アレを取り抑えようとして、隊の半数以上が酷い傷を負い、暫くはろくに活動することが出来ませんでしたからね」
……もしかして、それで警察の捜索も難航したんだろうか。
動きの無い相手を見つけるのは難しい。
「……長話はこれくらいにしましょう」
語尾にカチャリと金属音が被さる。それが何か確かめる前に、背後から突然首を締め上げられた。
「!?」
声が出ない。呼吸はなんとか出来るけれど、アーデルベルトの太い腕は、少年の非力な体を凄まじい力でソファへ押さえつけている。
右米神へ硬い物が押し付けられた。
「私の質問に答えていただきたい」
「いただきてェてな態度じゃねェだろそりゃァ」
「選択の余地は無いのだよ。貴方にも、我々にも」
すぐ後ろで聞こえるアーデルベルトの声は凪ぎのように穏やかで、それがかえって彼の覚悟を浮き彫りにしているようだ。
単なる脅しではない。彼は、きっとトリガーを引くのを躊躇わない。
静かな迫力にジィさんの顔が苦く歪んだ。
「なに、全智なる世界樹殿なれば難しい問いではありますまい」
地上の全てを知ると云う世界樹であれば知らない事など無い筈だ。
「どうか速やかに偽り無くお答え下さい。――通常の手段で死なぬ者は、如何なる手段を用いれば殺すこと叶いますか」
アーデルベルトがジィさんに真迫する。けれど歪められた口は開かない。沈黙ばかりが蓄積されてゆく空間で、十六夜は呼吸すらも忘れていた。
――死ぬのかな俺。
そんな言葉が浮かんだ。思考はじわじわと脳髄を犯してゆき、やがて唐突に、切実な恐怖へと転換した。
「ひ、ぅ」
引き攣った悲鳴が喉に絡まる。ジィさんと眼が合って、ジィさんは……
目蓋を閉じた。
え、と驚いている間に再び目蓋が上げられる。その時にはもうジィさんの顔は顰められていなかった。
何かを棄て何かを選んだ、覚悟とかいうものの滲む瞳。
「――――」
ジィさんが渇れた唇を開いた、まさにそのタイミングを見計らったかのように、
轟音と振動が屋敷を襲った。




