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短い恋物語

3人のシャペロン

作者: 森野 苺

シュリンガム男爵には、亡くなった夫人との間に四人の娘がいた。



男爵は、跡取りの男子を産むことなく、この世を去った妻を恨んではいなかった。



むしろ、気立ての良い娘達を残してくれたことに感謝していていた。



男爵は、娘達をそれぞれ深く愛していたが、一番のお気に入りは、長女のマーガレットだった。



マーガレットは、顔立ちこそ父親似の妹達より一歩譲るといった具合だったが、亡き妻の面影を残す娘を男爵は大層可愛がり、持ち前の知性を磨かせるべく、自ら熱心な教育を施した。



マーガレット自身も存分の知識欲を満たすことで、父親の期待に応えた。



やがて結婚適齢期を迎えたマーガレットに求婚する男性がいなかったのは、5フィート8インチ(約172センチ)の長身のせいでも、父親の財産から予想されるよりも4分の3少ない持参金のせいでもなかった。



未婚の紳士は、シュリンガム男爵令嬢を前にすると、自分の教養は1時間も持たないと理解するやいなや、マーガレットに求婚する気など失せてしまうのだった。



マーガレットは、誰からも求婚されないことに多少プライドは傷ついたものの、悲嘆しなかった。



妹達はマーガレットに落ち込む暇を与えないほどに騒々しかったし、元々楽観的だった性格も手伝って、30歳を迎える頃にはすっかり開き直っていた。



近頃では、妹達のシャペロン(若い未婚女性の付き添い役)も務めているので、オールドミスになったことに疑いようはない。



自分自身のことに関しては、贅沢しなければ、食べていけるのだから、一生独身でも全く問題ないとマーガレットは結論づけた。



31歳になったマーガレットの関心は、もっぱら妹達の結婚についてだった。



白髪の増えた男爵が、公園で散歩している親子連れを羨ましそうに眺めていたことをマーガレットは知っていた。



父親に孫を抱かせてやりたいと思っていたが、その前に妹達を結婚させなくてはならない。



美人で快活な妹達には、それぞれ意中の男性がいるようだが、婚約したという報告は受けていない。



相手の紳士を夕食に招待して、思い切って心中を聞いてみようかとも考えたが、あまり露骨なのは良くないような気がした。



結局、マーガレットは、妹達と付き合いのある男性達をいっぺんに招くことにした。



マーガレットの行動は迅速なもので、ダンスパーティの日取りを決めて招待状を送るのに二日も必要としなかった。



男爵の屋敷には、3組の男女がどんなに激しく踊っても袖すら触れない程度の大きさのダンスホールがあるし、最高の料理は、フランス人シェフのミッシェルに任せておけばいい。



マーガレットのピアノ演奏でロマンチックなムードを演出する自信もあった。



ダンスパーティは成功を収めた。



招待客は皆、口を揃えて、マーガレットのピアノ演奏の腕とシェフの料理の腕を褒めた。



マーガレットとしても、妹達の相手の口から、すぐにでも結婚を申し込みたいという意志を聞くことができて満足だった。



ダンスパーティの翌朝、上機嫌のマーガレットは、庭でウェディングドレスの雑誌を読んでいた。



浮かれていたマーガレットの口から即興の歌がこぼれた。



「月曜日は、エミリア。火曜日は、メイジー。水曜日は、アナベラ。木曜日は、エミリアに戻る。金曜日は、メイジー。土曜日は、アナベラ。」



透き通った歌声は、屋敷の門まで届いた。



鉄格子の前で馬から下りた紳士は、何事だろうと思いながら、屋敷の敷地に足を踏み入れた。



しばらくして、手入れの行き届いた芝生に座って読書するマーガレットを見つけた紳士は、でたらめな歌を口ずさむ様子を愉快そうに眺めた。



「どうして、木曜日に戻るのでしょうか。」



突然話しかけられたせいで、驚いて雑誌を取り落としたマーガレットは、当惑したように長身の紳士を見上げた。



紳士は、マーガレットと同じ位の年だろう。



薄い青の瞳は、茶目っ気たっぷりに輝いていた。



マーガレットは、ハンサムな男性に話しかけられて、緊張していた頃の自分を思い出した。



美しい男性が自分に惹かれるわけはないのに、無用なときめきを繰り返していた。



もう昔のマーガレットではない。



マーガレットは、余裕たっぷりに微笑むと、再び歌い始めた。



「月曜日は、エミリア。火曜日は、メイジー。水曜日は、アナベラ。木曜日は、エミリアの婚約パーティ。金曜日は、メイジーの婚約パーティ。土曜日は、アナベラの婚約パーティ。」



紳士は、腕を組むと、さも感心したように手を叩いた。



「素晴らしい。おめでたい出来事は続くものですね。あなたの婚約パーティは、日曜日ですか。」



「私は婚約したことはありません。それに安息日がなければ、神も私達も疲れてしまいますわ。」



マーガレットは、朗らかな調子で答えた。



30歳の誕生日を迎えてから、この台詞を言うことはさほど苦痛ではなくなった。



気ままな人生を謳歌している女性を気取って言えばいいのだ。



紳士は、口元に手を当てると、ふうむと呟いた。



筋張った指にはめられた指輪が光った。



マーガレットは、慌てて立ちあがってお辞儀をした。



「ご無礼をお詫びします・・・ヘイワード伯爵。」



ヘイワード伯爵の顔に極上の笑みが浮かんだ。



「あなたには驚かされてばかりだ、ミス・シュリンガム。なぜ、私の正体がお分かりになられたのですか。」



「指輪です。ワールド紙に掲載されている伯爵の連載をいつも拝見しています。大学時代に教授との賭けに勝って手に入れた指輪について、先週書かれていたはずです。」



「僕の記事はほとんど経済についてだけど、いつも読んで頂いているのですか。」



「ええ。4週間前の記事で伯爵がご指摘されていた南方貿易が国内経済に与える影響について父と3時間も討論しまいましたわ。父は全面的に反対だったのですけど、私は伯爵のご意見に賛成でした。結局、お互い納得できないままでした。」



我に返ったマーガレットは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。



きっと、伯爵は呆れているだろう。



マーガレットは、伯爵の顔を見ることができなかった。



父親を呼びに行こうとした時、手を強く握られた。



熱い唇が指先に触れたので、マーガレットはぎくりとした。



「シャペロンの同席なしで、あなたと語り合ってしまいましたね。」



伯爵は、甘い声で囁いた。



「私がシェペロンですわ。」



マーガレットは、伯爵の手から自分の指をそっと抜き取った。



伯爵は、意味が分かりかねるといった顔つきで、マーガレットを眺めた。



マーガレットは、早口で説明した。



「ええと、つまり、いつも妹達のシャペロンを務めているという意味です。私自身は、もう30を過ぎていますので、シャペロンは必要ありませんわ。」



「僕は、まだ35歳です。」



「はあ。」



伯爵に真剣な目で見つめられたマーガレットは、間抜けた声を出すことしかできなかった。



伯爵はさっとお辞儀をして、男爵に会うこともなく、去っていった。



マーガレットの心臓は、早鐘のように打った。



一週間は飛ぶように過ぎて、日曜日になった。



マーガレットは、聖書を開いていたが、一行を読むことができなかった。



エミリアもメイジーもアナベラも婚約を済ませた。



マーガレットは、居間のソファーに腰掛けていた。居間は3つの部屋に通じており、それぞれの部屋の扉は少しだけ開いていた。



3人の妹は3つの部屋でめいめいの婚約者と愛を語り合っていて、マーガレットは、未婚の男女を監視するシャペロンの役どころだった。



全ては思惑通りに進んだというのに、マーガレットの気分は晴れなかった。



3人の妹の結婚式についてあれこれ想像していても、気がつくと、ヘイワード伯爵のことを考えていた。



薄い青の瞳を思い出すと、心臓がぎゅうと掴まれたように痛んだ。



あれだけハンサムな伯爵が35にもなって独身だとは考え難い。



今更、誰かに恋をするなんて、考えてもみなかった。



一目ぼれ、その上、叶わない恋なんて、現実主義者の自分には似合わない。



目頭が熱くなって、涙がこみ上げてきた。



涙がこぼれおちた瞬間、廊下から通じる4つ目の扉が開いた。



「なぜ、泣いているのですか。」



伯爵は、マーガレットの心を揺さぶるためだけに存在するかのような優しい声でたずねた。



「妹達の婚約が決まって、嬉しいからです。」



マーガレットは、涙を拭いて微笑もうとしたが上手くいかなかった。



伯爵は、マーガレットの隣に腰を下ろすと、震える肩を抱いた。



マーガレットが飛び上がるように立ち上がると、伯爵はひざまづいて、いつかのように熱い唇を押しあてた。



薄い青の瞳は情熱を帯びて、マーガレットを見上げた。



「我慢しようと思いましたができませんでした。神にもあなたにも安息を与えられそうもない。ミス・シュリンガム、いや、マーガレット。僕は、あなたに恋をしました。あなたの声が毎日聞きたい。あなたの顔を毎日見たい。どうか、僕と結婚してください。」




マーガレットは、驚きのあまり、口もきけなかった。



「僕は学問ばかりしてきたので、女性を本気で愛したことはありませんでした。結婚などしなくてもいい。一目ぼれなんて、あり得ないと思っていました。しかし、それはあなたに会うまでの思い込みに過ぎなかった。」



マーガレットは、泣きながら笑った。



愛しい伯爵は、自分によく似ていた。



まるで喜劇だ。



「私もあなたを愛しています。きっとこれからもっと好きになりますわ。」



マーガレットと伯爵が手を取り合った時、エミリアとメイジーとアナベラが3つの扉から居間に入ってきた。



「月曜日に結婚します。」



エミリアが言った。



「私は火曜日に結婚します。」



メイジーが言った。



「私だって、水曜日に結婚するのよ。」



アナベラが負けじと声を張り上げた。



「「「お姉様のシャペロンが目を光らせていることを忘れないでくださいませ。」」」

行間が狭い気がしたので、直しました。

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