↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

クラスの美少女から悪口の手紙を渡されたので、添削して返したら毎日届くようになった

作者: マモ
掲載日:2026/10/23

ある日、クラスの美少女から手紙を渡された。


「……これ」


「え、俺に?」


「他に誰がいるのよ。いいから受け取りなさいよ」


そう言って彼女は、俺の胸に白い封筒を押し付けた。


顔が赤かった。


そりゃもう、見事なまでに赤かった。


彼女とは同じクラスというだけで、特別親しい間柄ではない。まして、手紙を渡されるような関係でもない。


となれば、考えられる可能性は一つしかないだろう。


ラブレターである。


俺は人生で初めて、異性からラブレターを受け取ったのだ。


もっとも、その日の俺はまだ知らなかった。


人生で初めて受け取ったラブレターが、人生で最も自尊心を破壊する文書になるということを。





*


帰宅後、俺は自室で封筒を開けた。


中には便箋が二枚入っていた。


二枚。


昨今の若者は連絡事項すらスタンプ一つで済ませるというのに、手書きで二枚とは恐れ入る。


よほど俺への想いが強いのだろう。


そう思いながら読み始めた。


五分後。


俺はベッドに横たわっていた。


死体のように。


悪口だった。


最初から最後まで、一貫して俺への悪口だった。


二枚も使って。


そんなに嫌いか。


いや、嫌いなのは別にいい。人間には好き嫌いがあるし、俺だってパクチーは嫌いだ。


だが、わざわざ封筒に入れて本人へ手渡す必要があるだろうか。


パクチー農家に抗議文を送りつけるようなものだ。


俺は何をしたのだろう。


彼女の親でも殺したのか。


少なくとも俺の記憶にはない。


しばらく天井を眺めていたが、やがて起き上がって便箋を手に取った。


もう一度読んでみる。


ひどい内容だった。


ただ、改めて読み返すうちに、あることが気になった。


文章が下手なのだ。


いや、下手という表現では生ぬるい。


あまりにも稚拙だった。


比喩は陳腐。論旨は不明瞭。接続詞は機能していないし、主張と根拠の関係も怪しい。


何より、俺の人格を否定するために提示した具体例が、どう考えても人格否定の根拠になっていない。


これでは悪口になっていないではないか。


……いや、悪口にはなっているのだが。


文章として成立していない。


俺は将来、小説家になりたいと思っている。


そのために日々文章を研究し、小説投稿サイトにも作品を載せている。


ちなみに最新作のブックマークは二件だ。


うち一件は自分である。


作家としての実力はさておき、文章に対する向上心だけは人並み以上にあると自負している。


だからこそ、こんな文章を見過ごすことはできなかった。


俺は机の引き出しを開け、赤ペンを取り出す。


まずは冒頭。


出だしに勢いがない。これでは読者を引き込めない。


続いて二段落目。


同じ表現の繰り返し。語彙が貧弱である。


三段落目に至っては、もはや何を伝えたいのかすら分からない。


俺への憎悪は伝わってくる。


それだけは痛いほど伝わってくる。


しかし、文章とは感情をぶつければいいというものではない。


感情をいかに正確に伝えるかが重要なのだ。


気づけば、便箋は赤ペンで真っ赤になっていた。


俺は最後に総評を書き添える。


『全体的に表現が稚拙です。まずは主張と根拠の関係を整理しましょう。今後の成長に期待します。25点』


完成である。


我ながら丁寧な指導だと思う。


……。


…………。


いや、待て。


俺は何をしているんだ?


女子から悪口の手紙をもらって、添削している。


意味が分からない。


だが、ここまで来たら途中で投げ出すのも無責任というものだろう。


俺は便箋を封筒に戻した。


とりあえず、明日返してやろう。


俺への悪口は、もっと文章が上達してからにしてもらいたい。





*


翌朝、俺は彼女に添削済みの手紙を返却した。


「……なに、これ」


「昨日の手紙。添削しておいた」


「……添削?」


「正直、かなりひどかった」


「…………」


彼女の顔がみるみる赤くなる。


「な、なんで添削なんかしてるのよ!」


「いや、あまりにも文章が稚拙だったから」


「そんなこと聞いてない!」


どうやら、お気に召さなかったらしい。


まあ、無理もない。


いきなり自分の文章を添削されれば、誰だって腹が立つだろう。


「別に、あんたに文章を評価してもらいたかったわけじゃないんだから!」


「じゃあ、なんで俺に渡したんだ?」


「そ、それは……!」


彼女は口をぱくぱくと動かした。


「……あんたが嫌いだからよ!」


「それは読めば分かる」


「もういい!」


彼女は手紙をひったくり、そのまま教室を出ていった。


どうやら嫌われてしまったらしい。


いや、元から嫌われていたか。


失うものがないというのは、こういうとき便利である。





*


翌朝。


俺の机の上に白い封筒が置かれていた。


嫌な予感がした。


差出人の名前はない。しかし、見覚えのある封筒だった。


昨日も見た。


というか、昨日の夜、俺の自尊心を著しく損なった物体と同じものである。


まさかと思いながら中身を取り出す。


悪口だった。


またしても悪口だった。


二日連続である。


通常、手紙というものは受け取ると嬉しいものだと思う。


まして、差出人がクラスでも有数の美少女となれば、その喜びもひとしおだろう。


しかし、俺の場合は事情が異なる。


なぜなら、届くたびに人格を否定されるからだ。


もはや郵便テロである。


「……読んだ?」


顔を上げると、彼女が立っていた。


昨日と同じく、どこか落ち着かない様子である。


「ああ」


「……どうだった?」


「昨日よりは良くなってるな」


「……っ!」


彼女の表情が、ぱっと明るくなった。


しかし、俺が次の言葉を口にした瞬間、その笑顔は消えた。


「ただ、まだまだ改善の余地はある」


「……は?」


「特に後半が惜しい。せっかく具体例を挙げているのに、結論へのつながりが弱い」


「…………」


「あと、昨日指摘した接続詞の使い方は改善されていた。そこは評価できる」


俺は鞄から赤ペンを取り出した。


「少し待ってろ。今、添削する」


「……別に、頼んでないんだけど」


「昨日の指摘を直してきたんだろ?」


「そ、それはそうだけど!」


「だったら確認しないと意味がないだろ」


彼女は何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わなかった。


代わりに、俺の向かいの席に腰を下ろした。


どうやら待つつもりらしい。


俺は赤ペンを走らせた。


文章全体の構成は、昨日と比べて格段に良くなっている。


少なくとも、書き手が何を伝えたいのかは理解できるようになった。


俺が嫌いなのだ。


非常によく伝わってくる。


しかし、まだ問題は多い。


「……四十八点」


「えっ」


「昨日が二十五点だから、二十三点も上がったぞ」


「……そう」


彼女は小さく呟いた。


そして、俺の手元にある便箋を覗き込む。


「……どこが悪いの?」


「まず、この部分だな」


俺は赤ペンで囲った箇所を指差した。


「ここ、前後の文脈がつながってないだろ?」


「……そう?」


「ああ。あと同じ言葉を繰り返しすぎだ。もっと表現を工夫した方がいい」


「ふうん……」


彼女は真剣な表情で説明を聞いていた。


少し意外だった。


昨日はあれほど怒っていたのに、今日は随分と素直である。


文章を書くことに興味でも湧いたのだろうか。


「……ねえ」


「ん?」


「昨日より、良くなってるんだよね?」


「ああ。確実にな」


「……そっか」


彼女は便箋を受け取ると、大切そうに封筒へしまった。


そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……じゃあ、また明日」


「え?」


聞き返すより早く、彼女は自分の席へ戻っていった。


また明日。


何がまた明日なのだろう。


俺は嫌な予感を覚えた。


そして、その予感は見事に的中した。


翌日も手紙が届いた。


その翌日も。


さらに翌日も。


俺は毎朝、女子から悪口を送りつけられる男になってしまった。





*


一週間が経過した。


人間の適応能力とは恐ろしいものである。


初日はあれほど落ち込んだ悪口の手紙も、今ではすっかり日常の一部となっていた。


朝、登校する。


机の上に封筒がある。


読む。


傷つく。


添削する。


返す。


実に規則正しい生活である。


おかげで、最近は朝の時間を有効活用できている。


精神衛生上は最悪だが。


もっとも、彼女の文章は日に日に上達していた。


最初は感情を羅列するだけだった文章が、今ではそれなりに筋の通った批判文になっている。


特に具体例の扱いがうまくなった。


俺への不満を述べる際にも、きちんと根拠を提示するようになったのである。


その結果、以前よりも悪口が刺さるようになった。


教育の成果が、これほど嬉しくないことも珍しい。


「……今日のは?」


いつものように彼女が尋ねてくる。


「七十二点」


「……また七十点台?」


「ああ」


「昨日も七十点台だったじゃない」


「そうだな」


「全然上がってない……」


彼女は不満そうに唇を尖らせた。


「いや、文章の上達なんてそんなもんだぞ。毎日点数が上がるわけじゃない」


「……でも」


「それに、最初と比べたら見違えるほど良くなってる」


「……ほんと?」


「ああ。正直、ここまで成長するとは思ってなかった」


彼女は一瞬、目を見開いた。


それから慌てたように顔を背ける。


「べ、別に! あんたに褒められたくて書いてるわけじゃないから!」


「知ってる」


「……っ!」


「俺が嫌いなんだもんな」


「…………」


何故か彼女は、ものすごく不満そうな顔をした。


おかしい。


本人の主張を尊重しただけなのだが。


「……ばか」


「おい、口頭での悪口は採点対象外だぞ」


「採点してほしくて言ったんじゃないわよ!」


そう言って彼女は立ち去ってしまった。


最近、彼女はよく怒る。


もっとも、俺への悪口を毎日書いているくらいなのだから、元から怒りっぽい性格なのだろう。


大変だな。


俺が。


*


それからさらに数日が過ぎた。


ある朝、彼女は珍しく直接手紙を渡してきた。


「……はい」


「おう」


受け取った封筒は、いつもより少し厚かった。


嫌な予感がする。


まさか、悪口の文字数が増えたのだろうか。


長文を書けるようになったのは喜ばしいが、俺の精神にも限界というものがある。


封筒を開けて便箋を取り出す。


読み進める。


……なるほど。


今日の文章は、なかなか興味深い。


「……どう?」


彼女が不安そうに尋ねてくる。


「ちょっと待て」


「……うん」


俺はもう一度、冒頭から読み返した。


構成に問題はない。


語彙も豊富だ。


文章の流れも自然で、以前のような不必要な繰り返しもほとんど見られない。


ただ、一つ気になることがあった。


「……お前さ」


「な、何?」


「最近、俺のことをよく見てるんだな」


「…………え?」


「いや、文章に書いてあることが妙に細かいから」


彼女の顔がみるみる赤くなった。


「べ、別に! たまたま目に入っただけだから!」


「そうなのか?」


「そうよ!」


「でも、ここ三日間の俺の行動がほぼ正確に記録されてるぞ」


「…………」


「これだけ観察してくれるなら、俺が自分で日記をつける必要もないな」


「な、何それ……!」


彼女は俯いてしまった。


どうやら、少し恥ずかしかったらしい。


まあ、確かに他人の行動をここまで観察していると知られるのは、あまり気分の良いものではないだろう。


俺としては、別に気にしないのだが。


「……それで、何点?」


彼女が小さな声で尋ねる。


「ああ、そうだったな」


俺はもう一度便箋に目を落とした。


「八十六点」


「……!」


「かなり良いぞ。特に中盤の描写が上手い。実際に見たことを書いてるから、説得力がある」


「……そう」


「この調子なら、百点も夢じゃないな」


「……百点」


彼女はその言葉を小さく繰り返した。


そして、おずおずと尋ねてきた。


「……ねえ」


「ん?」


「もし、百点取れたら……」


「取れたら?」


「…………」


彼女はしばらく口ごもっていた。


やがて、意を決したように顔を上げる。


「……何か、ご褒美とか、ある?」


ご褒美。


なるほど。


確かに、努力に対する報酬は重要だ。


人間は目標があった方が成長しやすい。


特に文章の勉強は成果が見えにくいため、こうした仕組みを取り入れるのも悪くないだろう。


「そうだな……」


俺は少し考えた。


「百点取れたら、花丸をつけてやるよ」


「……花丸?」


「ああ。小学校の先生とかがつけるやつ」


「……それだけ?」


「不満か?」


「べ、別に!」


彼女は慌てて首を振った。


「……花丸、ね」


「嫌なら別のものにするけど」


「い、いい! それでいいから!」


随分と食いつきがいい。


花丸一つでここまで喜んでもらえるとは思わなかった。


安上がりな女である。


いや、女性に対して安上がりという表現は失礼か。


訂正しよう。


経済的な女である。


「……絶対だからね」


「ああ」


「百点取れたら、ちゃんと花丸つけてよ」


「分かったよ」


そう答えると、彼女は満足そうに頷いた。


そして、大事そうに封筒を胸に抱えて去っていった。


俺はその背中を見送りながら、少しだけ笑った。


なんだかんだ、最近はこの時間が楽しい。


最初はただの嫌がらせだと思っていた手紙も、今では彼女の成長を確認する貴重な機会になっている。


それに、あいつは意外と努力家だ。


俺なら、嫌いな人間のために毎日文章を書こうとは思わない。


そう考えると、彼女の執念には頭が下がる。


まあ、俺が嫌われていることには変わりないのだが。





*


その日の昼休み。


俺はいつものように教室で昼食を取っていた。


彼女は自分の席に一人で座り、何やら熱心に机に向かっていた。


普段の彼女は、明るくて面倒見がよく、クラスでも人気がある。


少なくとも、俺以外の人間に対しては。


どうして俺だけ毎日悪口を送りつけられるのだろう。


前世で彼女の国でも滅ぼしたのかもしれない。


そんなことを考えていると、隣の席の男子が声をかけてきた。


「なあ、お前さ」


「ん?」


「最近、あいつと仲良くない?」


「誰?」


男子が彼女の方を顎で示した。


「ああ」


「毎朝なんか話してるじゃん」


「まあな」


「何話してんの?」


「文章の添削」


「……は?」


「文章の添削」


「いや、聞こえてるけど」


男子は怪訝そうな顔をした。


無理もない。


普通、高校生の男女が毎朝文章の添削をすることなどないだろう。


しかし、世の中には様々な人間関係がある。


友人、恋人、家族。


そして、悪口の作者と編集者。


多様性の時代である。


「……お前ら、付き合ってんの?」


「は?」


思わず声が出た。


何を言っているのだろう。


俺と彼女が付き合う?


あり得ない。


彼女が俺をどれほど嫌っているのか、この男は知らないのだ。


「いやいや、ないない」


「でも、結構楽しそうじゃん」


「まあ、楽しくはあるけど」


「ほら」


「文章の添削がな」


「…………」


男子はしばらく俺を見つめていた。


それから深いため息をつく。


「……お前って、ほんと変わってるよな」


失礼な奴である。


俺ほど常識的な人間も珍しいと思うのだが。


「それより、俺の最新作の感想を聞いてくれよ」


「あー、悪い。俺、次の授業の準備あるから」


男子は逃げるように席を立った。


どうやら忙しいらしい。


仕方がない。


俺はスマートフォンを取り出して、自分の投稿作品を確認した。


新しい感想はゼロ件。


ブックマークも増えていない。


世間というものは、なかなか厳しい。


ふと、教室の向こうに目を向ける。


彼女はまだ一人で机に向かっていた。


よく見ると、その手元には、今朝返したばかりの白い封筒があった。


どうやら、添削を読み返しているらしい。


彼女は便箋を机に広げ、時折、赤い文字を指でなぞっていた。


そして何かに気づいたように小さく頷くと、もう一度最初から読み始めた。


随分と熱心なことだ。


俺は少しだけ嬉しくなった。


自分の書いたものを、あんなに真剣に読んでもらえるというのは、悪い気分ではない。


たとえそれが、自分への悪口の添削だったとしても。


……いや。


冷静に考えると、やっぱりおかしいな。


俺たちの関係。


*


事件が起きたのは、それから三日後だった。


その日、俺はいつもより少し遅れて教室に入った。


昨晩、執筆中の小説がなかなか進まず、気づけば深夜二時を回っていたのである。


おかげで眠い。


ちなみに、苦労して書き上げた三千字は、今朝読み返して全て消した。


創作活動とは、時として自分自身を殺す作業である。


できれば殺した分だけ原稿が増えてほしいものだが、現実はそう甘くない。


そんなことを考えながら教室の扉を開けた俺は、妙な光景を目にした。


俺の席の周りに、人だかりができていた。


中心にいるのは、彼女だった。


そして、クラスメイトの手には見覚えのある白い封筒が握られている。


嫌な予感がした。


最近、この封筒に対して嫌な予感しか抱いていない気がする。


どうやら、俺が登校する前に置かれていた手紙を、誰かが見つけてしまったらしい。


「……これ、あんたが書いたの?」


女子の一人が尋ねる。


「……そう、だけど」


「なんでこんなこと書くの?」


「それは……」


「ひどすぎない? 本人に直接渡すつもりだったんでしょ?」


「…………」


彼女は俯いた。


普段は気が強く、言いたいことをはっきり言う彼女が、珍しく何も言えなくなっている。


まあ、無理もない。


他人への悪口を本人に送りつけようとしていたところを、第三者に発見されたのである。


しかも、内容については俺もまだ確認していない。


つまり、今日の手紙は未添削の新作だ。


俺の知らないところで、俺の悪口が先行公開されている。


著作権的にも、精神衛生的にもよろしくない。


「いくら嫌いだからって、やりすぎじゃない?」


「普通にいじめじゃん」


「本人が知ったら傷つくでしょ」


女子たちの言葉に、彼女はますます俯いた。


そこで、俺は声をかけた。


「おい」


何人かが振り返った。


「あ……」


彼女が俺を見た。


その顔は、ひどく青ざめていた。


まあ、俺に悪口を書いていることが知られたのだから、当然の反応だろう。


安心してほしい。


既に二週間ほど前から知っている。


「それ、俺宛ての手紙なんだけど」


「あんた……」


「悪いけど、返してくれないか」


女子は困惑した様子で便箋を見下ろした。


「でも、これ……」


「俺の悪口だろ?」


「知ってるの?」


「まあな」


「じゃあ、なんで……」


「俺が書かせてるから」


教室が静まり返った。


彼女が顔を上げた。


「……え?」


「文章の練習だよ。俺がこいつに頼んで、毎日書いてもらってる」


女子たちは互いに顔を見合わせた。


「……どういうこと?」


「俺、小説家志望なんだよ。だから、文章の勉強をしててさ」


「それは知ってるけど……」


「他人を批判する文章って、案外難しいんだよ。具体例を挙げて、論理的に構成して、読み手を納得させなきゃいけない」


「…………」


「それで、こいつに俺の悪口を書いてもらって、俺が添削してる」


女子の一人が眉をひそめた。


「……じゃあ、あんたが頼んだってこと?」


「ああ」


嘘だった。


最初の一通については、完全に向こうの自主制作である。


だが、二通目以降は俺も添削していたし、最近では毎朝楽しみにしていた。


共同制作と言っても、あながち間違いではないだろう。


少なくとも、著作権の持分くらいは主張できるはずだ。


「……でも、なんで自分の悪口なんか書かせるの?」


「他人を題材にすると問題になるからな」


「は?」


「俺なら本人の了承が取れるだろ」


「……いや、まあ、そうだけど」


「それに、俺は自分の欠点をある程度把握してるから、文章の内容が事実に基づいてるか判断できる」


「…………」


「教材としては悪くないんだよ」


誰も何も言わなかった。


どうやら、理解してもらえたらしい。


いや、理解を放棄された可能性もある。


どちらにせよ、問題はない。


「……じゃあ、あんたが原因ってこと?」


女子の一人が尋ねる。


「そうなるな」


「……何それ。意味分かんない」


「俺も、もう少しまともな教材を選ぶべきだったとは思ってる」


これは本心だった。


冷静に考えれば、自分への悪口を教材にする必要はまったくない。


もっと他に選択肢があったはずだ。


新聞の社説とか。


文学賞の選評とか。


少なくとも、毎朝人格を否定される必要はなかった。


「……だから、こいつを責めるのは違うだろ」


俺は続けた。


「頼んだのは俺だし、添削してるのも俺だ。文句があるなら俺に言ってくれ」


女子たちは困惑した様子だったが、やがて一人がため息をついた。


「……もういいよ。あんたたち、変すぎ」


失礼な話である。


俺はともかく、彼女は普通の女子高生だろうに。


……いや。


普通の女子高生は、嫌いな男子に毎日悪口の手紙を書いたりしないか。


まあ、細かいことはいい。


ひとまず、騒ぎは収まった。


俺は女子から便箋を受け取り、彼女に向き直った。


「ほら」


「…………」


「次からは、机の上じゃなくて直接渡してくれ。勝手に読まれると面倒だから」


彼女は便箋を見つめたまま、動かなかった。


「……なんで」


「ん?」


「……なんで、あんなこと言ったの?」


「何が?」


「……自分が書かせてるって」


ああ、そのことか。


「いや、実際、俺も添削してるからな」


「でも、最初は私が勝手に……」


「そうだな」


「……じゃあ、なんで」


俺は少し考えた。


確かに、厳密に言えば俺が書かせたわけではない。


しかし、そこまで細かく説明する必要があるだろうか。


「だって、俺が書かせてるってことにした方が話が早いだろ」


「…………」


「それに、あいつらが怒ってたのは、お前が俺にひどいことをしてると思ったからだし」


「……うん」


「だったら、俺が望んでやってるって説明すれば済む話じゃん」


彼女は何も言わなかった。


ただ、じっと俺を見つめていた。


その目が、少し潤んでいるように見えた。


……まずい。


クラスメイトに責められたことが、相当堪えているらしい。


「……まあ、気にすんなよ」


俺は便箋を差し出した。


「俺は別に、お前のこと嫌いじゃないし」


「…………っ」


彼女の顔が、一瞬で真っ赤になった。


……しまった。


嫌いな相手から、嫌いじゃないと言われるのも困るのかもしれない。


「……むしろ、結構好きだぞ」


「……え?」


「お前の文章」


「…………」


「毎日ちゃんと書いてくるし、教えたことも直してくれるからな。正直、感心してる」


彼女は俯いた。


そして、小さな声で呟いた。


「……ばか」


「おい、今日の悪口はまだ採点してないぞ」


「……ほんと、ばか」


どうやら、相当嫌われているらしい。


しかし、不思議と悪い気分ではなかった。





*


その日の夜。


俺は自室でパソコンに向かっていた。


しかし、どうにも執筆が進まない。


気づけば、今日の出来事を思い返していた。


彼女は、かなり落ち込んでいたな。


まあ、無理もない。


自分の書いた文章を勝手に読まれたうえ、クラスメイトから責められたのだ。


俺だったら、しばらく立ち直れないと思う。


そう考えると、今日の対応は間違っていなかったはずだ。


……たぶん。


少なくとも、彼女が悪者になる必要はなかった。


俺の文章指導に付き合ってくれていたのだから。


それにしても。


俺は机の上に置かれた赤ペンを見つめた。


明日も手紙は届くのだろうか。


今日のことで嫌になって、やめてしまうかもしれない。


まあ、仕方がない。


そもそも俺は毎日悪口を送りつけられていたのだ。


普通なら、解放されたことを喜ぶべきだろう。


それなのに。


「……なんか、寂しいな」


思わず呟いた。


……いや、待て。


俺は今、悪口が届かなくなることを寂しがったのか。


ついにそこまで来てしまったらしい。


文章の勉強とは、恐ろしいものである。


もっとも、俺が寂しいのは悪口そのものではない。


毎朝、彼女と話す時間がなくなることだ。


彼女は俺を嫌っている。


それは、これまでの手紙から疑いようもない。


だが、俺はどうなのだろう。


少なくとも、嫌いではない。


むしろ、毎日顔を合わせるのが楽しみだった。


文章が上達すれば嬉しかったし、褒めると妙に嬉しそうな顔をするのも、見ていて悪い気分ではなかった。


何より、今日あいつが責められているのを見たとき、放っておくという選択肢は最初から頭になかった。


……ああ。


なるほど。


そういうことか。


俺はどうやら、あいつのことが好きらしい。


「……参ったな」


好きな女子から毎朝悪口の手紙が届く。


なかなか将来性のない恋愛である。


しかも、相手は俺のことを心底嫌っている。


普通に考えれば、脈などあるはずもない。


恋愛小説なら、編集者に設定の見直しを要求されるところだろう。


それでも、不思議と後悔はなかった。


たとえ彼女が俺を嫌っていても、あの時間が楽しかったことに変わりはない。


できれば、明日も手紙が届いてほしい。


悪口でも構わない。


いや、できれば悪口以外の方がありがたいが。


とにかく、彼女とまた話がしたかった。


俺は机の上の赤ペンを引き出しにしまい、パソコンに向き直った。


結局、その夜も小説はほとんど進まなかった。






*


翌朝。


俺の机の上に、白い封筒はなかった。


まあ、そうだろう。


昨日あんなことがあったばかりなのだ。


彼女が手紙をやめてしまったとしても、不思議ではない。


俺は椅子に座り、何となく赤ペンを取り出した。


特に使う予定はない。


ただ、いつもの癖である。


しばらくすると、聞き慣れた声がした。


「……おはよう」


顔を上げる。


彼女が立っていた。


「おう、おはよう」


「……あの」


彼女は両手で白い封筒を握りしめていた。


「……今日の分」


「お、書いてきたのか」


「……うん」


俺が受け取ろうとすると、彼女は少しだけ手を引っ込めた。


「……どうした?」


「……ちゃんと読んでね」


「ああ」


「……最後まで」


「もちろん」


彼女は大きく息を吸った。


そして、覚悟を決めたように封筒を差し出した。


「……はい」


俺は受け取った。


彼女は逃げるように自分の席へ戻っていった。


……なんだ?


今日は随分と緊張していたな。


昨日の一件が、まだ尾を引いているのだろうか。


俺は封筒を開けた。


中には、一枚の便箋。


いつもより、少し短い。


しかし、読み進めるうちに、俺はあることに気づいた。


これは、悪口ではなかった。


書かれていたのは、俺の良いところだった。


文章に真剣なところ。


他人の努力をきちんと見ているところ。


自分の考えを曲げないところ。


そして、昨日のこと。


彼女がどれほど嬉しかったのかが、丁寧な言葉で綴られていた。


なるほど。


悪口の反対だから、善口とでも言うべきだろうか。


聞いたことのない言葉だが、まあいい。


俺は読み進めた。


驚くほど、よく書けていた。


文章構成は完璧。


具体例の提示も適切で、結論までの流れに無理がない。


何より、彼女の気持ちが真っ直ぐに伝わってくる。


そして、最後の一文。


『私は、あなたのことが好きです。私と付き合ってください』


「…………」


俺は思わず、教室の向こうに目を向けた。


彼女がこちらを見ていた。


目が合うと、真っ赤な顔で俯いてしまった。


……そうか。


そうだったのか。


どうやら、俺は随分と長い間、とんでもない勘違いをしていたらしい。


それにしても。


好きな相手に悪口の手紙を送りつけるという発想は、いくら何でもどうかと思う。


まあ、それを毎日添削していた俺が言えた義理ではないが。


俺は赤ペンを手に取った。


誤字脱字なし。


主張は明確。


具体例も十分。


そして何より、俺がこれまで読んだどんな恋愛小説よりも、心に響く文章だった。


文句なしの百点である。


俺は便箋に、大きな花丸を描いた。


そして立ち上がり、彼女の席へ向かった。


「おい」


「……な、なに?」


俺は便箋を差し出した。


「百点。約束の花丸だ」


「……っ!」


彼女は目を見開いた。


そして、おそるおそる尋ねた。


「……それって、告白も?」


「ああ」


俺は頷いた。


「俺も好きだよ。付き合おう」


「…………!」


彼女の顔が、一瞬で真っ赤になった。


「……ほんと?」


「嘘ついてどうするんだよ」


「……うん!」


彼女は嬉しそうに笑った。


今まで見た中で、一番可愛い笑顔だった。


「ところで、一つ聞いていいか?」


「……なに?」


「なんで最初は悪口だったんだ?」


「…………」


彼女は目を逸らした。


「……好きって書くのが恥ずかしかったから」


「それで悪口?」


「だ、だって! 素直になれない女の子って可愛いでしょ!?」


「まあ、そういうのもあるな」


「でしょ!? だから、ツンデレっぽいラブレターを書こうと思って……」


「結果、悪口の手紙になったと」


「……うん」


なるほど。


理解した。


いや、理解はできないが、事情は分かった。


どうやら俺の彼女は、恋愛というものを根本的に勘違いしているらしい。


「……お前、恋愛小説の才能はないな」


「うるさい!」


そう言って彼女は、いつものように頬を膨らませた。


だが、今度はすぐに笑った。


俺もつられて笑った。


まさか、毎日俺の悪口を書いていた女の子と付き合うことになるとは。


人生、何が起こるか分からないものである。


もっとも、彼女が最初から素直に告白してくれていれば、こんな回り道をする必要もなかったのだろう。


……いや、それは俺も同じか。


あのとき、赤ペンを取り出していなければ、今こうして彼女と笑い合うこともなかったのだから。


そう考えると、あの悪口も案外悪いものではなかったのかもしれない。


何しろ、人生で初めて受け取ったラブレターは悪口だったが、人生で初めて花丸をつけた手紙は、正真正銘のラブレターだったのだから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
設定が良いですね! 面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。