クラスの美少女から悪口の手紙を渡されたので、添削して返したら毎日届くようになった
ある日、クラスの美少女から手紙を渡された。
「……これ」
「え、俺に?」
「他に誰がいるのよ。いいから受け取りなさいよ」
そう言って彼女は、俺の胸に白い封筒を押し付けた。
顔が赤かった。
そりゃもう、見事なまでに赤かった。
彼女とは同じクラスというだけで、特別親しい間柄ではない。まして、手紙を渡されるような関係でもない。
となれば、考えられる可能性は一つしかないだろう。
ラブレターである。
俺は人生で初めて、異性からラブレターを受け取ったのだ。
もっとも、その日の俺はまだ知らなかった。
人生で初めて受け取ったラブレターが、人生で最も自尊心を破壊する文書になるということを。
*
帰宅後、俺は自室で封筒を開けた。
中には便箋が二枚入っていた。
二枚。
昨今の若者は連絡事項すらスタンプ一つで済ませるというのに、手書きで二枚とは恐れ入る。
よほど俺への想いが強いのだろう。
そう思いながら読み始めた。
五分後。
俺はベッドに横たわっていた。
死体のように。
悪口だった。
最初から最後まで、一貫して俺への悪口だった。
二枚も使って。
そんなに嫌いか。
いや、嫌いなのは別にいい。人間には好き嫌いがあるし、俺だってパクチーは嫌いだ。
だが、わざわざ封筒に入れて本人へ手渡す必要があるだろうか。
パクチー農家に抗議文を送りつけるようなものだ。
俺は何をしたのだろう。
彼女の親でも殺したのか。
少なくとも俺の記憶にはない。
しばらく天井を眺めていたが、やがて起き上がって便箋を手に取った。
もう一度読んでみる。
ひどい内容だった。
ただ、改めて読み返すうちに、あることが気になった。
文章が下手なのだ。
いや、下手という表現では生ぬるい。
あまりにも稚拙だった。
比喩は陳腐。論旨は不明瞭。接続詞は機能していないし、主張と根拠の関係も怪しい。
何より、俺の人格を否定するために提示した具体例が、どう考えても人格否定の根拠になっていない。
これでは悪口になっていないではないか。
……いや、悪口にはなっているのだが。
文章として成立していない。
俺は将来、小説家になりたいと思っている。
そのために日々文章を研究し、小説投稿サイトにも作品を載せている。
ちなみに最新作のブックマークは二件だ。
うち一件は自分である。
作家としての実力はさておき、文章に対する向上心だけは人並み以上にあると自負している。
だからこそ、こんな文章を見過ごすことはできなかった。
俺は机の引き出しを開け、赤ペンを取り出す。
まずは冒頭。
出だしに勢いがない。これでは読者を引き込めない。
続いて二段落目。
同じ表現の繰り返し。語彙が貧弱である。
三段落目に至っては、もはや何を伝えたいのかすら分からない。
俺への憎悪は伝わってくる。
それだけは痛いほど伝わってくる。
しかし、文章とは感情をぶつければいいというものではない。
感情をいかに正確に伝えるかが重要なのだ。
気づけば、便箋は赤ペンで真っ赤になっていた。
俺は最後に総評を書き添える。
『全体的に表現が稚拙です。まずは主張と根拠の関係を整理しましょう。今後の成長に期待します。25点』
完成である。
我ながら丁寧な指導だと思う。
……。
…………。
いや、待て。
俺は何をしているんだ?
女子から悪口の手紙をもらって、添削している。
意味が分からない。
だが、ここまで来たら途中で投げ出すのも無責任というものだろう。
俺は便箋を封筒に戻した。
とりあえず、明日返してやろう。
俺への悪口は、もっと文章が上達してからにしてもらいたい。
*
翌朝、俺は彼女に添削済みの手紙を返却した。
「……なに、これ」
「昨日の手紙。添削しておいた」
「……添削?」
「正直、かなりひどかった」
「…………」
彼女の顔がみるみる赤くなる。
「な、なんで添削なんかしてるのよ!」
「いや、あまりにも文章が稚拙だったから」
「そんなこと聞いてない!」
どうやら、お気に召さなかったらしい。
まあ、無理もない。
いきなり自分の文章を添削されれば、誰だって腹が立つだろう。
「別に、あんたに文章を評価してもらいたかったわけじゃないんだから!」
「じゃあ、なんで俺に渡したんだ?」
「そ、それは……!」
彼女は口をぱくぱくと動かした。
「……あんたが嫌いだからよ!」
「それは読めば分かる」
「もういい!」
彼女は手紙をひったくり、そのまま教室を出ていった。
どうやら嫌われてしまったらしい。
いや、元から嫌われていたか。
失うものがないというのは、こういうとき便利である。
*
翌朝。
俺の机の上に白い封筒が置かれていた。
嫌な予感がした。
差出人の名前はない。しかし、見覚えのある封筒だった。
昨日も見た。
というか、昨日の夜、俺の自尊心を著しく損なった物体と同じものである。
まさかと思いながら中身を取り出す。
悪口だった。
またしても悪口だった。
二日連続である。
通常、手紙というものは受け取ると嬉しいものだと思う。
まして、差出人がクラスでも有数の美少女となれば、その喜びもひとしおだろう。
しかし、俺の場合は事情が異なる。
なぜなら、届くたびに人格を否定されるからだ。
もはや郵便テロである。
「……読んだ?」
顔を上げると、彼女が立っていた。
昨日と同じく、どこか落ち着かない様子である。
「ああ」
「……どうだった?」
「昨日よりは良くなってるな」
「……っ!」
彼女の表情が、ぱっと明るくなった。
しかし、俺が次の言葉を口にした瞬間、その笑顔は消えた。
「ただ、まだまだ改善の余地はある」
「……は?」
「特に後半が惜しい。せっかく具体例を挙げているのに、結論へのつながりが弱い」
「…………」
「あと、昨日指摘した接続詞の使い方は改善されていた。そこは評価できる」
俺は鞄から赤ペンを取り出した。
「少し待ってろ。今、添削する」
「……別に、頼んでないんだけど」
「昨日の指摘を直してきたんだろ?」
「そ、それはそうだけど!」
「だったら確認しないと意味がないだろ」
彼女は何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わなかった。
代わりに、俺の向かいの席に腰を下ろした。
どうやら待つつもりらしい。
俺は赤ペンを走らせた。
文章全体の構成は、昨日と比べて格段に良くなっている。
少なくとも、書き手が何を伝えたいのかは理解できるようになった。
俺が嫌いなのだ。
非常によく伝わってくる。
しかし、まだ問題は多い。
「……四十八点」
「えっ」
「昨日が二十五点だから、二十三点も上がったぞ」
「……そう」
彼女は小さく呟いた。
そして、俺の手元にある便箋を覗き込む。
「……どこが悪いの?」
「まず、この部分だな」
俺は赤ペンで囲った箇所を指差した。
「ここ、前後の文脈がつながってないだろ?」
「……そう?」
「ああ。あと同じ言葉を繰り返しすぎだ。もっと表現を工夫した方がいい」
「ふうん……」
彼女は真剣な表情で説明を聞いていた。
少し意外だった。
昨日はあれほど怒っていたのに、今日は随分と素直である。
文章を書くことに興味でも湧いたのだろうか。
「……ねえ」
「ん?」
「昨日より、良くなってるんだよね?」
「ああ。確実にな」
「……そっか」
彼女は便箋を受け取ると、大切そうに封筒へしまった。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……じゃあ、また明日」
「え?」
聞き返すより早く、彼女は自分の席へ戻っていった。
また明日。
何がまた明日なのだろう。
俺は嫌な予感を覚えた。
そして、その予感は見事に的中した。
翌日も手紙が届いた。
その翌日も。
さらに翌日も。
俺は毎朝、女子から悪口を送りつけられる男になってしまった。
*
一週間が経過した。
人間の適応能力とは恐ろしいものである。
初日はあれほど落ち込んだ悪口の手紙も、今ではすっかり日常の一部となっていた。
朝、登校する。
机の上に封筒がある。
読む。
傷つく。
添削する。
返す。
実に規則正しい生活である。
おかげで、最近は朝の時間を有効活用できている。
精神衛生上は最悪だが。
もっとも、彼女の文章は日に日に上達していた。
最初は感情を羅列するだけだった文章が、今ではそれなりに筋の通った批判文になっている。
特に具体例の扱いがうまくなった。
俺への不満を述べる際にも、きちんと根拠を提示するようになったのである。
その結果、以前よりも悪口が刺さるようになった。
教育の成果が、これほど嬉しくないことも珍しい。
「……今日のは?」
いつものように彼女が尋ねてくる。
「七十二点」
「……また七十点台?」
「ああ」
「昨日も七十点台だったじゃない」
「そうだな」
「全然上がってない……」
彼女は不満そうに唇を尖らせた。
「いや、文章の上達なんてそんなもんだぞ。毎日点数が上がるわけじゃない」
「……でも」
「それに、最初と比べたら見違えるほど良くなってる」
「……ほんと?」
「ああ。正直、ここまで成長するとは思ってなかった」
彼女は一瞬、目を見開いた。
それから慌てたように顔を背ける。
「べ、別に! あんたに褒められたくて書いてるわけじゃないから!」
「知ってる」
「……っ!」
「俺が嫌いなんだもんな」
「…………」
何故か彼女は、ものすごく不満そうな顔をした。
おかしい。
本人の主張を尊重しただけなのだが。
「……ばか」
「おい、口頭での悪口は採点対象外だぞ」
「採点してほしくて言ったんじゃないわよ!」
そう言って彼女は立ち去ってしまった。
最近、彼女はよく怒る。
もっとも、俺への悪口を毎日書いているくらいなのだから、元から怒りっぽい性格なのだろう。
大変だな。
俺が。
*
それからさらに数日が過ぎた。
ある朝、彼女は珍しく直接手紙を渡してきた。
「……はい」
「おう」
受け取った封筒は、いつもより少し厚かった。
嫌な予感がする。
まさか、悪口の文字数が増えたのだろうか。
長文を書けるようになったのは喜ばしいが、俺の精神にも限界というものがある。
封筒を開けて便箋を取り出す。
読み進める。
……なるほど。
今日の文章は、なかなか興味深い。
「……どう?」
彼女が不安そうに尋ねてくる。
「ちょっと待て」
「……うん」
俺はもう一度、冒頭から読み返した。
構成に問題はない。
語彙も豊富だ。
文章の流れも自然で、以前のような不必要な繰り返しもほとんど見られない。
ただ、一つ気になることがあった。
「……お前さ」
「な、何?」
「最近、俺のことをよく見てるんだな」
「…………え?」
「いや、文章に書いてあることが妙に細かいから」
彼女の顔がみるみる赤くなった。
「べ、別に! たまたま目に入っただけだから!」
「そうなのか?」
「そうよ!」
「でも、ここ三日間の俺の行動がほぼ正確に記録されてるぞ」
「…………」
「これだけ観察してくれるなら、俺が自分で日記をつける必要もないな」
「な、何それ……!」
彼女は俯いてしまった。
どうやら、少し恥ずかしかったらしい。
まあ、確かに他人の行動をここまで観察していると知られるのは、あまり気分の良いものではないだろう。
俺としては、別に気にしないのだが。
「……それで、何点?」
彼女が小さな声で尋ねる。
「ああ、そうだったな」
俺はもう一度便箋に目を落とした。
「八十六点」
「……!」
「かなり良いぞ。特に中盤の描写が上手い。実際に見たことを書いてるから、説得力がある」
「……そう」
「この調子なら、百点も夢じゃないな」
「……百点」
彼女はその言葉を小さく繰り返した。
そして、おずおずと尋ねてきた。
「……ねえ」
「ん?」
「もし、百点取れたら……」
「取れたら?」
「…………」
彼女はしばらく口ごもっていた。
やがて、意を決したように顔を上げる。
「……何か、ご褒美とか、ある?」
ご褒美。
なるほど。
確かに、努力に対する報酬は重要だ。
人間は目標があった方が成長しやすい。
特に文章の勉強は成果が見えにくいため、こうした仕組みを取り入れるのも悪くないだろう。
「そうだな……」
俺は少し考えた。
「百点取れたら、花丸をつけてやるよ」
「……花丸?」
「ああ。小学校の先生とかがつけるやつ」
「……それだけ?」
「不満か?」
「べ、別に!」
彼女は慌てて首を振った。
「……花丸、ね」
「嫌なら別のものにするけど」
「い、いい! それでいいから!」
随分と食いつきがいい。
花丸一つでここまで喜んでもらえるとは思わなかった。
安上がりな女である。
いや、女性に対して安上がりという表現は失礼か。
訂正しよう。
経済的な女である。
「……絶対だからね」
「ああ」
「百点取れたら、ちゃんと花丸つけてよ」
「分かったよ」
そう答えると、彼女は満足そうに頷いた。
そして、大事そうに封筒を胸に抱えて去っていった。
俺はその背中を見送りながら、少しだけ笑った。
なんだかんだ、最近はこの時間が楽しい。
最初はただの嫌がらせだと思っていた手紙も、今では彼女の成長を確認する貴重な機会になっている。
それに、あいつは意外と努力家だ。
俺なら、嫌いな人間のために毎日文章を書こうとは思わない。
そう考えると、彼女の執念には頭が下がる。
まあ、俺が嫌われていることには変わりないのだが。
*
その日の昼休み。
俺はいつものように教室で昼食を取っていた。
彼女は自分の席に一人で座り、何やら熱心に机に向かっていた。
普段の彼女は、明るくて面倒見がよく、クラスでも人気がある。
少なくとも、俺以外の人間に対しては。
どうして俺だけ毎日悪口を送りつけられるのだろう。
前世で彼女の国でも滅ぼしたのかもしれない。
そんなことを考えていると、隣の席の男子が声をかけてきた。
「なあ、お前さ」
「ん?」
「最近、あいつと仲良くない?」
「誰?」
男子が彼女の方を顎で示した。
「ああ」
「毎朝なんか話してるじゃん」
「まあな」
「何話してんの?」
「文章の添削」
「……は?」
「文章の添削」
「いや、聞こえてるけど」
男子は怪訝そうな顔をした。
無理もない。
普通、高校生の男女が毎朝文章の添削をすることなどないだろう。
しかし、世の中には様々な人間関係がある。
友人、恋人、家族。
そして、悪口の作者と編集者。
多様性の時代である。
「……お前ら、付き合ってんの?」
「は?」
思わず声が出た。
何を言っているのだろう。
俺と彼女が付き合う?
あり得ない。
彼女が俺をどれほど嫌っているのか、この男は知らないのだ。
「いやいや、ないない」
「でも、結構楽しそうじゃん」
「まあ、楽しくはあるけど」
「ほら」
「文章の添削がな」
「…………」
男子はしばらく俺を見つめていた。
それから深いため息をつく。
「……お前って、ほんと変わってるよな」
失礼な奴である。
俺ほど常識的な人間も珍しいと思うのだが。
「それより、俺の最新作の感想を聞いてくれよ」
「あー、悪い。俺、次の授業の準備あるから」
男子は逃げるように席を立った。
どうやら忙しいらしい。
仕方がない。
俺はスマートフォンを取り出して、自分の投稿作品を確認した。
新しい感想はゼロ件。
ブックマークも増えていない。
世間というものは、なかなか厳しい。
ふと、教室の向こうに目を向ける。
彼女はまだ一人で机に向かっていた。
よく見ると、その手元には、今朝返したばかりの白い封筒があった。
どうやら、添削を読み返しているらしい。
彼女は便箋を机に広げ、時折、赤い文字を指でなぞっていた。
そして何かに気づいたように小さく頷くと、もう一度最初から読み始めた。
随分と熱心なことだ。
俺は少しだけ嬉しくなった。
自分の書いたものを、あんなに真剣に読んでもらえるというのは、悪い気分ではない。
たとえそれが、自分への悪口の添削だったとしても。
……いや。
冷静に考えると、やっぱりおかしいな。
俺たちの関係。
*
事件が起きたのは、それから三日後だった。
その日、俺はいつもより少し遅れて教室に入った。
昨晩、執筆中の小説がなかなか進まず、気づけば深夜二時を回っていたのである。
おかげで眠い。
ちなみに、苦労して書き上げた三千字は、今朝読み返して全て消した。
創作活動とは、時として自分自身を殺す作業である。
できれば殺した分だけ原稿が増えてほしいものだが、現実はそう甘くない。
そんなことを考えながら教室の扉を開けた俺は、妙な光景を目にした。
俺の席の周りに、人だかりができていた。
中心にいるのは、彼女だった。
そして、クラスメイトの手には見覚えのある白い封筒が握られている。
嫌な予感がした。
最近、この封筒に対して嫌な予感しか抱いていない気がする。
どうやら、俺が登校する前に置かれていた手紙を、誰かが見つけてしまったらしい。
「……これ、あんたが書いたの?」
女子の一人が尋ねる。
「……そう、だけど」
「なんでこんなこと書くの?」
「それは……」
「ひどすぎない? 本人に直接渡すつもりだったんでしょ?」
「…………」
彼女は俯いた。
普段は気が強く、言いたいことをはっきり言う彼女が、珍しく何も言えなくなっている。
まあ、無理もない。
他人への悪口を本人に送りつけようとしていたところを、第三者に発見されたのである。
しかも、内容については俺もまだ確認していない。
つまり、今日の手紙は未添削の新作だ。
俺の知らないところで、俺の悪口が先行公開されている。
著作権的にも、精神衛生的にもよろしくない。
「いくら嫌いだからって、やりすぎじゃない?」
「普通にいじめじゃん」
「本人が知ったら傷つくでしょ」
女子たちの言葉に、彼女はますます俯いた。
そこで、俺は声をかけた。
「おい」
何人かが振り返った。
「あ……」
彼女が俺を見た。
その顔は、ひどく青ざめていた。
まあ、俺に悪口を書いていることが知られたのだから、当然の反応だろう。
安心してほしい。
既に二週間ほど前から知っている。
「それ、俺宛ての手紙なんだけど」
「あんた……」
「悪いけど、返してくれないか」
女子は困惑した様子で便箋を見下ろした。
「でも、これ……」
「俺の悪口だろ?」
「知ってるの?」
「まあな」
「じゃあ、なんで……」
「俺が書かせてるから」
教室が静まり返った。
彼女が顔を上げた。
「……え?」
「文章の練習だよ。俺がこいつに頼んで、毎日書いてもらってる」
女子たちは互いに顔を見合わせた。
「……どういうこと?」
「俺、小説家志望なんだよ。だから、文章の勉強をしててさ」
「それは知ってるけど……」
「他人を批判する文章って、案外難しいんだよ。具体例を挙げて、論理的に構成して、読み手を納得させなきゃいけない」
「…………」
「それで、こいつに俺の悪口を書いてもらって、俺が添削してる」
女子の一人が眉をひそめた。
「……じゃあ、あんたが頼んだってこと?」
「ああ」
嘘だった。
最初の一通については、完全に向こうの自主制作である。
だが、二通目以降は俺も添削していたし、最近では毎朝楽しみにしていた。
共同制作と言っても、あながち間違いではないだろう。
少なくとも、著作権の持分くらいは主張できるはずだ。
「……でも、なんで自分の悪口なんか書かせるの?」
「他人を題材にすると問題になるからな」
「は?」
「俺なら本人の了承が取れるだろ」
「……いや、まあ、そうだけど」
「それに、俺は自分の欠点をある程度把握してるから、文章の内容が事実に基づいてるか判断できる」
「…………」
「教材としては悪くないんだよ」
誰も何も言わなかった。
どうやら、理解してもらえたらしい。
いや、理解を放棄された可能性もある。
どちらにせよ、問題はない。
「……じゃあ、あんたが原因ってこと?」
女子の一人が尋ねる。
「そうなるな」
「……何それ。意味分かんない」
「俺も、もう少しまともな教材を選ぶべきだったとは思ってる」
これは本心だった。
冷静に考えれば、自分への悪口を教材にする必要はまったくない。
もっと他に選択肢があったはずだ。
新聞の社説とか。
文学賞の選評とか。
少なくとも、毎朝人格を否定される必要はなかった。
「……だから、こいつを責めるのは違うだろ」
俺は続けた。
「頼んだのは俺だし、添削してるのも俺だ。文句があるなら俺に言ってくれ」
女子たちは困惑した様子だったが、やがて一人がため息をついた。
「……もういいよ。あんたたち、変すぎ」
失礼な話である。
俺はともかく、彼女は普通の女子高生だろうに。
……いや。
普通の女子高生は、嫌いな男子に毎日悪口の手紙を書いたりしないか。
まあ、細かいことはいい。
ひとまず、騒ぎは収まった。
俺は女子から便箋を受け取り、彼女に向き直った。
「ほら」
「…………」
「次からは、机の上じゃなくて直接渡してくれ。勝手に読まれると面倒だから」
彼女は便箋を見つめたまま、動かなかった。
「……なんで」
「ん?」
「……なんで、あんなこと言ったの?」
「何が?」
「……自分が書かせてるって」
ああ、そのことか。
「いや、実際、俺も添削してるからな」
「でも、最初は私が勝手に……」
「そうだな」
「……じゃあ、なんで」
俺は少し考えた。
確かに、厳密に言えば俺が書かせたわけではない。
しかし、そこまで細かく説明する必要があるだろうか。
「だって、俺が書かせてるってことにした方が話が早いだろ」
「…………」
「それに、あいつらが怒ってたのは、お前が俺にひどいことをしてると思ったからだし」
「……うん」
「だったら、俺が望んでやってるって説明すれば済む話じゃん」
彼女は何も言わなかった。
ただ、じっと俺を見つめていた。
その目が、少し潤んでいるように見えた。
……まずい。
クラスメイトに責められたことが、相当堪えているらしい。
「……まあ、気にすんなよ」
俺は便箋を差し出した。
「俺は別に、お前のこと嫌いじゃないし」
「…………っ」
彼女の顔が、一瞬で真っ赤になった。
……しまった。
嫌いな相手から、嫌いじゃないと言われるのも困るのかもしれない。
「……むしろ、結構好きだぞ」
「……え?」
「お前の文章」
「…………」
「毎日ちゃんと書いてくるし、教えたことも直してくれるからな。正直、感心してる」
彼女は俯いた。
そして、小さな声で呟いた。
「……ばか」
「おい、今日の悪口はまだ採点してないぞ」
「……ほんと、ばか」
どうやら、相当嫌われているらしい。
しかし、不思議と悪い気分ではなかった。
*
その日の夜。
俺は自室でパソコンに向かっていた。
しかし、どうにも執筆が進まない。
気づけば、今日の出来事を思い返していた。
彼女は、かなり落ち込んでいたな。
まあ、無理もない。
自分の書いた文章を勝手に読まれたうえ、クラスメイトから責められたのだ。
俺だったら、しばらく立ち直れないと思う。
そう考えると、今日の対応は間違っていなかったはずだ。
……たぶん。
少なくとも、彼女が悪者になる必要はなかった。
俺の文章指導に付き合ってくれていたのだから。
それにしても。
俺は机の上に置かれた赤ペンを見つめた。
明日も手紙は届くのだろうか。
今日のことで嫌になって、やめてしまうかもしれない。
まあ、仕方がない。
そもそも俺は毎日悪口を送りつけられていたのだ。
普通なら、解放されたことを喜ぶべきだろう。
それなのに。
「……なんか、寂しいな」
思わず呟いた。
……いや、待て。
俺は今、悪口が届かなくなることを寂しがったのか。
ついにそこまで来てしまったらしい。
文章の勉強とは、恐ろしいものである。
もっとも、俺が寂しいのは悪口そのものではない。
毎朝、彼女と話す時間がなくなることだ。
彼女は俺を嫌っている。
それは、これまでの手紙から疑いようもない。
だが、俺はどうなのだろう。
少なくとも、嫌いではない。
むしろ、毎日顔を合わせるのが楽しみだった。
文章が上達すれば嬉しかったし、褒めると妙に嬉しそうな顔をするのも、見ていて悪い気分ではなかった。
何より、今日あいつが責められているのを見たとき、放っておくという選択肢は最初から頭になかった。
……ああ。
なるほど。
そういうことか。
俺はどうやら、あいつのことが好きらしい。
「……参ったな」
好きな女子から毎朝悪口の手紙が届く。
なかなか将来性のない恋愛である。
しかも、相手は俺のことを心底嫌っている。
普通に考えれば、脈などあるはずもない。
恋愛小説なら、編集者に設定の見直しを要求されるところだろう。
それでも、不思議と後悔はなかった。
たとえ彼女が俺を嫌っていても、あの時間が楽しかったことに変わりはない。
できれば、明日も手紙が届いてほしい。
悪口でも構わない。
いや、できれば悪口以外の方がありがたいが。
とにかく、彼女とまた話がしたかった。
俺は机の上の赤ペンを引き出しにしまい、パソコンに向き直った。
結局、その夜も小説はほとんど進まなかった。
*
翌朝。
俺の机の上に、白い封筒はなかった。
まあ、そうだろう。
昨日あんなことがあったばかりなのだ。
彼女が手紙をやめてしまったとしても、不思議ではない。
俺は椅子に座り、何となく赤ペンを取り出した。
特に使う予定はない。
ただ、いつもの癖である。
しばらくすると、聞き慣れた声がした。
「……おはよう」
顔を上げる。
彼女が立っていた。
「おう、おはよう」
「……あの」
彼女は両手で白い封筒を握りしめていた。
「……今日の分」
「お、書いてきたのか」
「……うん」
俺が受け取ろうとすると、彼女は少しだけ手を引っ込めた。
「……どうした?」
「……ちゃんと読んでね」
「ああ」
「……最後まで」
「もちろん」
彼女は大きく息を吸った。
そして、覚悟を決めたように封筒を差し出した。
「……はい」
俺は受け取った。
彼女は逃げるように自分の席へ戻っていった。
……なんだ?
今日は随分と緊張していたな。
昨日の一件が、まだ尾を引いているのだろうか。
俺は封筒を開けた。
中には、一枚の便箋。
いつもより、少し短い。
しかし、読み進めるうちに、俺はあることに気づいた。
これは、悪口ではなかった。
書かれていたのは、俺の良いところだった。
文章に真剣なところ。
他人の努力をきちんと見ているところ。
自分の考えを曲げないところ。
そして、昨日のこと。
彼女がどれほど嬉しかったのかが、丁寧な言葉で綴られていた。
なるほど。
悪口の反対だから、善口とでも言うべきだろうか。
聞いたことのない言葉だが、まあいい。
俺は読み進めた。
驚くほど、よく書けていた。
文章構成は完璧。
具体例の提示も適切で、結論までの流れに無理がない。
何より、彼女の気持ちが真っ直ぐに伝わってくる。
そして、最後の一文。
『私は、あなたのことが好きです。私と付き合ってください』
「…………」
俺は思わず、教室の向こうに目を向けた。
彼女がこちらを見ていた。
目が合うと、真っ赤な顔で俯いてしまった。
……そうか。
そうだったのか。
どうやら、俺は随分と長い間、とんでもない勘違いをしていたらしい。
それにしても。
好きな相手に悪口の手紙を送りつけるという発想は、いくら何でもどうかと思う。
まあ、それを毎日添削していた俺が言えた義理ではないが。
俺は赤ペンを手に取った。
誤字脱字なし。
主張は明確。
具体例も十分。
そして何より、俺がこれまで読んだどんな恋愛小説よりも、心に響く文章だった。
文句なしの百点である。
俺は便箋に、大きな花丸を描いた。
そして立ち上がり、彼女の席へ向かった。
「おい」
「……な、なに?」
俺は便箋を差し出した。
「百点。約束の花丸だ」
「……っ!」
彼女は目を見開いた。
そして、おそるおそる尋ねた。
「……それって、告白も?」
「ああ」
俺は頷いた。
「俺も好きだよ。付き合おう」
「…………!」
彼女の顔が、一瞬で真っ赤になった。
「……ほんと?」
「嘘ついてどうするんだよ」
「……うん!」
彼女は嬉しそうに笑った。
今まで見た中で、一番可愛い笑顔だった。
「ところで、一つ聞いていいか?」
「……なに?」
「なんで最初は悪口だったんだ?」
「…………」
彼女は目を逸らした。
「……好きって書くのが恥ずかしかったから」
「それで悪口?」
「だ、だって! 素直になれない女の子って可愛いでしょ!?」
「まあ、そういうのもあるな」
「でしょ!? だから、ツンデレっぽいラブレターを書こうと思って……」
「結果、悪口の手紙になったと」
「……うん」
なるほど。
理解した。
いや、理解はできないが、事情は分かった。
どうやら俺の彼女は、恋愛というものを根本的に勘違いしているらしい。
「……お前、恋愛小説の才能はないな」
「うるさい!」
そう言って彼女は、いつものように頬を膨らませた。
だが、今度はすぐに笑った。
俺もつられて笑った。
まさか、毎日俺の悪口を書いていた女の子と付き合うことになるとは。
人生、何が起こるか分からないものである。
もっとも、彼女が最初から素直に告白してくれていれば、こんな回り道をする必要もなかったのだろう。
……いや、それは俺も同じか。
あのとき、赤ペンを取り出していなければ、今こうして彼女と笑い合うこともなかったのだから。
そう考えると、あの悪口も案外悪いものではなかったのかもしれない。
何しろ、人生で初めて受け取ったラブレターは悪口だったが、人生で初めて花丸をつけた手紙は、正真正銘のラブレターだったのだから。
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