命の輝き ~帰れぬ世界で、誰かのために戦う~
僕には、何もなくなった。
僕のすべては、もはや友のためだけにあった。
魔王を討ち果たし、全身を青い血で染めた。
だが、僕には戻る力は、もう残されてはいなかった。
でも、もうそれでもいいと思えた。
「はは、これで終われる」
もう、力は入らなかった。
滅びた僕の母国、アーディン聖王国は、魔王によって滅びた。
僕が、他国への対応に行っている間に。
……見るも無残な地獄となった。
私怨の復讐は終わった。
ようやく眠れると思った矢先だった。
「じゃあ、死んじゃえばいいんじゃない?」
少女の目は心配そうで、でもどこか勝気だった。
そして――僕には初めての、奇妙な感覚でもあった。
異世界に転移した?
いったい、どれほどの魔力を持っていれば、こんなことができる?
意味が、わからなかった。
「は? 聞いてるの? 私は……」
彼女はいつも怒っていた。全身から不機嫌オーラが漂う。
なのに、僕を見つめる視線は、ただの苛立ちではなかった。
まったく、言葉が通じなかった。
国が違うだけでも言葉が違うのに、異世界ともなれば、それは当然だった。
「あんた、強いじゃない。ありがとう、助けてくれて」
あの日、報酬としてもらったパンの味は、今も忘れられない。
その小さな優しさだけが、今の僕のすべてだった。
「ごめんね。事故だったの……本当なの。謝るし、絶対何とかするから。
もう少しだけここに居てちょうだい」
やめてくれ。泣かしたかったわけじゃない。
左腕ぐらいなくても、困ったりはしない。
なんで、そんな悲しい顔をする?
どうして、苦しい表情をする?
僕が、弱いからか?
「……いいわ。私は残るから。
片腕になったあんたじゃ、無理よ」
キミは、覚悟を決めていた。
何度も僕の左腕を見て、悲しい顔をし続けていただけだったのに。
「あんたは逃げなさい、命令よ」
……どうして、言葉が通じない。
だけど、身振り手振りで分かる。
キミは逃げろと、僕に言っているのか?
逃げれるわけないじゃないか。
――言葉は通じず、世界も理解できない。
――それでもあのボロボロの僕を守ろうとしたのは、キミだけだったんだ。
不機嫌そうな顔の奥で、
ときどき、キミは僕の左袖を見ていた。
その視線が、痛かった。
……でも、僕には、戦いしかできないから。
亡き母国で、姫様に認められた《《勇者》》である僕には。
眼下に広がる、戦場。
数は……想像もつかない。
眼下一面、果てを知らない炎の帯が波打っていた。
その奥には、灯が増え、次々と合流していく。
あれが全て敵だと思うだけで、膝の奥がじくりと震えた。
数は、見える範囲だけでも1万以上。
増える敵や奥の敵を考えれば、10万に届くかもしれない。
夜明けと共に、戦争が始まるのは目に見えていた。
この時間が唯一の猶予だ。
それなのに、キミは、たった一人でこの軍勢に挑もうとする。
見た目、10代の少女。
小柄で小さいキミが、たった一人で。
戦場の恐怖も知らず、
捕まった少女がどうされるのか、キミは想像もしていないのだろう。
怒っているキミを残った右手で殴り、気絶させた。
「がっ……どう、して、ア、ルス」
手を伸ばしながら、倒れたキミを担いだ。
僕の左袖は、風になびくだけだった。
……軽い。軽すぎるぐらいだ。
どうして、こんな子が一人で殿を務めなくてはならない。
僕が、行く。
キミの立場が、悪くならないよう。
僕が、殿を務めよう。
たとえ、この身が滅びようとも。
この国を僕の国のような状況には決してさせない。
意識の失ったキミをそのキミの親友であるフィーさんに預けた。
彼女の名前はよくわかっていない。
キミが彼女に向って、フィーとよく言っていた。
だから、フィーさんと呼ばせてもらっている。
あとは、王冠を被っているから、フィーさんは王族なのかもしれない。
異世界すぎて、価値観が違うかもしれないが、
僕の価値観からすれば、キミは王族に仕える騎士や貴族の類だと想像は難くない。
「!! あなた、リアを返し……え」
キミを守るため、僕は命を賭ける。
死ぬつもりは毛頭ないが、難しい。
ここは死地だ。
死のにおいと、気配がこだまする。
……どうせ、元の世界には戻れない。
……姫様との約束は、もう果たせそうにない。
なら、この命はキミのためにある。
「あの、生きて、帰ってきなさい。
リアも、私もそう望みます。
あなたは、救われなければなりません」
何かを言っていても、言葉が分からない。
ギィードゥ? ドル? リア、フィー?
全く理解できそうにない。
だが、そのカーテシーと呼ばれるスカートを広げて一礼する姿は流麗で、覚悟の秘めた目が印象的だった。
「待て、なんで一人で行こうとする!?
どうして、一人で背負い込もうとする!?
……俺には、背負えないからか?」
右目に大きな古傷のある金の鎧の男が、僕の前に立った。
一度、決闘まがいのことをして、ガルとよく言っていたから、
ガルと勝手に呼んでいる。
右目の古傷を、勲章とでもいうように指さし笑っていたことを強く覚えている。
必死な表情で両手を広げて、これ以上行くなと言っているのだろう。
「王国には、君を受け入れる準備がある。
俺が、ガルバディア将軍としてとりなせば、陛下は動いてくれる!
皇国なんかに仕える理由はないはずだ!
皇国の奴隷たちのように、君を使い捨てるような真似は決してしない!
こんな死地に、君が赴く理由はない!!」
首を横に振って叫んでいる。
分かっている。
ずっと、突っかかってきていても、
ガルは優しいやつだ。
手を無視して肩を叩き、通り過ぎた。
「ありがとう、お元気で」
するりと刀を抜いた。
きらめいた銀色の刀身を高らかと掲げる。
「っ……バカだよ、君は!!」
もう追ってはこない。
軍勢の足音が強く響く。
一斉に駆ける音、重厚な蹄の音が駆け抜ける。
逃げてくれた。
もう、憂いはない。
ほとんど同じだ、いつもと同じ。
違うとするなら、相手が人間ってこと、それと……。
姫様のためじゃなく、キミのために戦うってことぐらいだ。
「言葉は通じないだろうが、礼儀だからな、名乗らせてもらおう。
僕は、帝国騎士団、第四師団、師団長。勇者アルス!
参る!!」
刀身を横溜めに構え、駆ける。
一斉の矢を斬りはらい、前に付き進む。
狙うは、叫ぶ奴。
指揮をしているモノだ。
何時間、経った?
さすがに、息が切れる。
……もう、キミは逃げきれたのだろうか?
血のりがこびりついた刃を払う。いくらか鈍ったが、まだ光る刀身に余裕はもうない。
もとより、刀は消耗品ではあった。
ぐっと力を込めて、袈裟懸けに切り落とすのに、強い抵抗が生まれている。
「隊列を崩すな! 囲め!!」
襲う兵をいなし、弾き飛ばして、声を上げた指揮官の首を刎ねた。
振り下ろされる刃を受けることはできず、なんとかよけ続けてはいるが、かすり傷でも血を失う。
当たるわけにはいかなかった。
「斉射!!」
一斉の火炎魔法、数は10。
できる限り、避け、無理なら刃で切り裂く。
足の感覚が薄れてきた。
だが、まだ膝を折るわけにもいかない。
地面にある人の残骸に足を取られぬよう、念入りに地面を踏みしめる。
「ここから先には、行かせぬ!
ここを通りたくば、僕を倒していくがいい!!」
僕の後ろを進もうとする兵を優先して斬り捨てる。
逃げるキミを追わせるわけにはいかない。
「囲め、十重二十重に囲んで攻撃を加えるのだ!」
「駄目です!いくら囲んでも、力づくに突破されていきます!」
「まだ半数近く居る! 数万以上もの大軍がいるのだぞ!
ましてや、王国のガルバディア将軍が相手ならまだしも、
それを何故たった一人の無名の兵に、我が軍が壊滅する!?
どうして、進撃を止めることすらままならぬ!!」
見つけた。指揮官と参謀だ。
明らかな言い争い、そして、豪華な服装。
金をあしらう軍服に向かい、一直線に斬り進む。
だが、足が思ったより重い。
鉛のような重さで、走りだせない。
「な…まさか?」
「狙いは、士気か。
これだけの鬼神。十分に成功されている。
皇国の戦闘奴隷か? だが、それにしては首輪がない……。
皇国の切り札と見ていいな。
このままでは、我が軍は見るも無残に惨敗するのでしょう」
「なら、俺が行こう」
斉射される矢や魔法が多い。
足が重い今では、余裕をもった回避は難しい密度。
軍馬のような突撃も、馬の脚を裂き、乗った兵士ごと逆袈裟に斬り捨てる。
血で濡れた柄が滑りやすく、斬る抵抗が大きい。
……握力が弱くなったか。
切り返した瞬間、刀身が悲鳴をあげて砕けた。
「姫様から頂いた……刃が……」
反射的に顔をひねった瞬間、頬に鋭い衝撃が走る。
矢か? いや、槍だ。
「俺はフィディオン魔国、ドール将軍だ。
貴君との一騎打ちを申し込む」
絢爛な金の鎧。先ほどの指揮官だ。
槍の石突を地面に強くたたく。
挑発?
いや、これは一騎打ちだ。
その証拠に、敵の槍だけが、戦場の喧騒と切り離されたように静かだった。
見守るように兵士たちが囲っている。
「……参る!」
言葉いらない。
折れた刀の代わりに地面に落ちた剣を拾い、
刃を振る。……この剣は、重心が刃先にあるな。
重さで切るしかない、か。
相手の手から伸びるように扱う槍は、予備動作が少なく見づらいが、それだけだった。
鋭い直線的な動きを剣でいなし、返す刃で首を跳ね飛ばした。
衝突の際に、右腕が強い悲鳴を上げた。
斬鉄と魔物の皮膚では、こうも負荷が違うのか……。
恐れて離れていく兵士を尻目に、僕は刃を天に掲げた。
勝利だ。
「……我らが撤退すれば、おそらく彼は引くでしょう。
もし、引かなければ……我らは全滅でしょうな。
いかが成されます?」
「……貴君は敗北主義者だな。
以降の指揮は我ら奴隷奪還隊が取ろう」
数拍の後、タァーンと金属音が響き渡った。
音の先では、胸に風穴の開いた参謀らしき男の姿。
あれは、南蛮の……火縄銃の類か?
「前進せよ! 勝利は目前である!」
号令と同時に、兵士たちが怯えた目で、僕に向かう。
……誘導されている。
恐怖での支配、か。胸糞悪い。
「『奴隷奪還隊』は、これよりこの戦場を督戦する!
逃げる者は我らの魔法と魔銃にて焼かれ、切り裂かれ、轢き潰されると知れ!」
一斉に襲い来る兵。
指揮も統率もへったくれもないが、
死の恐怖のしみ込んだ、死兵は手ごわかった。
息が乱れ、視界が明滅する中で、この一斉攻撃はかなり辛い。
無数の矢や魔法、鉄の玉が味方を巻き込んで飛び込む。
……避けきることもできなかった。
……腕が重く、斬り捨てることすらできない。
敵の兵や死体を盾にしても、目に見えて傷ついた。
「くっ!? バケモノめ!
この血塗られた皇国の犬が!!」
「これで、最後だ」
最後の指揮官を切り捨てた。
すでに敵は壊走している。
――足が重い。まるで鉄を背負ったようだ。
服が重く感じる。血みどろだ。
ふらりと揺れる視界の中、誰一人立っていないことを確認できた。
一色の振袖が映える黒い髪。
血の色に沈む視界の奥で、
白い袖だけが、やけに鮮やかだった。
途切れかけた意識の中で、見えたのは幻覚だったのかもしれない。
「アルス、やっぱりあなたは最強の勇者ね。
ありがとう、私の愛しい婚約者様……。
私がピンチの時、助けにきてね?
――絶対だよ?」
ああ、姫様、申し訳、ございま、せ……。
「バカ、バーカ。
どうして、だよ。
……帰って来いよ。生きて、また勝負しよう。
なんで、最後まで、俺より先に行くんだよ……。
名前ぐらい、憶えて、話せるように、なってくれよ」
血だまりの戦場の中、アルスは満ち足りた顔で眠っていた。
ガルは、そっと座り込み泣き崩れた。




