10.儀式
華陽たちの乗った車は、法定速度を遥かに超過した速度で西側に向かっていた。
伊東がハンドルを器用に切り、助手席で千路が常にルームミラーとバックミラー、さらに周囲へと監視の目を光らせていた。
その後ろに華陽と天見が座り、心配そうに外の景色を見ていた。その背後で、
「なぁ。このハゲてるおっさん何者?」
帝都が隣に座る人物を気味悪そうに眺めて訊ねた。助手席から即答が返ってきた。
「オンライン会議で何度か見ている顔のはずだが、覚えていないか? 田村団長だ」
帝都の顔色は途端に真っ青になった。ガチガチに緊張しながら、隣の人物のほうを振り向き、ロボットのように頭を下げる。
「あ、あの、団長様、始めまして、桜木帝都です」
「千路から度々話は聞いているが、本当に話通りのやんちゃ坊主だな」
その顔に笑みはない。帝都は震え上がりながら正面に向き直った。
田村は、帝都のことなど気にも留めず、千路に対してこう伝えた。
「つい先ほど団長室が襲撃されたようだ。虫の人妖二体が乗り込んできたと聞いている。うちカマキリのほうは逃がしたが、クモは捕えた」
「一体逃がしましたか」
千路が少し残念そうに呟いた。
帝都は、前方と団長を交互に見やり、口を開いた。
「団長室も攻撃されてんなら、そろそろ手を打たないと滅茶苦茶にならないか? 敵はわかってるんだろ?」
「その通りだ」
団長が即答した。さらに続ける。
「だから今、こうして蔵王に向かっている」
話を聞いていた華陽が、目を見開いた。
「ということは、もう『封印の儀式』をやるんですか?」
「そうだ」
助手席から返事が来る。華陽は眉を顰めた。
「でも、確か儀式には一族の生き残りの方が必要なんじゃ……」
「染谷もこちらに向かってる」
今度は田村が答えた。
「連絡は取れてるんですね」
天見が安堵したように言う。
「ってことは、やっと元の世界に戻るんだな」
帝都が窓の外の曇り空を苦々しい目で見上げ、続けた。
「邪魔が入らなければ」
蔵王山中の雰囲気のある古い一軒家の周辺には、すでに多くの車が停車していた。
「団長は中に残っていてください」
千路はそう言い、天見と帝都、伊東にも車内で待機するよう指示した。
華陽は車を降り、千路についていった。
家の前で、団員たちと思われる集団が『儀式』の準備を進めていた。その集団の中に、周囲と雰囲気の異なる人物がいた。ボロボロの衣服を纏った、細見の儚げな男性。彼が例の生き残りだろう。
田村の許可も下り、『儀式』が始まった。染谷を先頭に獣道を進む。急カーブや勾配を、染谷は難なく上っていった。背後を歩く団員のほうが、足元に不安げだった。
坂道が終わると、そこには華陽と同じぐらいの高さの石造りの祠があった。何もない洞が、こちらを覗き込むように佇んでいる。
団員の一人が、小さな石片をそこに置いた。
染谷が左腕を石の上に伸ばした。近くの団員に何か耳打ちする。団員は、ナイフを取り出し、染谷に渡した。
染谷はそれを受け取ると、自らの右手首に刃先を宛てた。
刃が静かにスライドされた。赤い線が浮かび、血が滲み出る。
染谷は表情を歪ませながら、手先を石に傾けた。赤い滴が、ぽつりぽつりと石の上に零れ落ちた。血の触れた箇所が、赤から緑に変わり、やがて赤橙色に戻っていった。
染谷は一向にその場を離れようとはせず、血液はさらに石に滴り続けた。
最中、後方が何やら騒がしくなり始めた。華陽は、千路とほぼ同時に背後を振り向いた。
胴体を真っ二つに割かれて倒れる団員の姿が見えた。赤い飛沫が飛び散り、何体もの人影が坂道を転がり落ちていく。
刀を握る袈裟を纏った赤い顔の異形。その隣に立つ、脱力した雰囲気の見慣れた白衣の男。
千路の言葉を待つより先に、華陽は妖化し飛び出した。天狗に向かって金棒をまっすぐに振り下ろす。頭部を捉える直前で、刀に防がれた。天狗がにんまりと微笑を浮かべる。
華陽は着地と同時に、次の攻撃に入ろうと金棒を構えた。しかし、天狗は華陽の頭上を飛び越え、坂の上のほうへと向かった。
華陽もすかさず後を追おうとしたが、行く手を阻まれた。
「申し訳ないが、華陽ちゃんを通すわけにはいかない」
茂水が堂々と言う。華陽は金棒の先を突きつけながら、距離を縮めていく。茂水が動じる様子はない。
「どいてください。茂水さんを殺したくはありません」
それでも茂水は頑なに動こうとしない。千路の一件があったから、華陽が手に掛けることはないと見くびっているのか。華陽は一瞬そう思ったが、明らかに違うとわかった。
茂水の目には、死ぬ覚悟が顕在していた。
華陽は金棒を握る力を強めた。
「何故そこまでして、おかしなことを続けようとするんですか?」
「前にも言ったが、偉大な研究成果を残すためだ。必ず人類を救うことになる」
「そのためなら、ここで無惨に殺される人がいても仕方がないんですか?」
「……ああ」
茂水の口角が下がった。唇を噛み締め、眉間に皺が浮かぶ。
「渡会さんや彩名ちゃん、他の団員の人や市民の皆さんが犠牲になってきたのは仕方がなかったんですか?」
茂水の視線が、周囲に転がる死体を一巡した。先程まで灯っていたはずの覚悟が、途端に色褪せる。
華陽はまっすぐ目を見据えながら、再度口を開いた。
「子供のときから、たくさんの人を救いたいと思ってたんですよね? だから医者になったんじゃ――」
「これしか残されてなかった!」
茂水が泣き叫ぶように吐き捨てた。歯をきつく噛み締め、肩を震わせる。視線は再度、惑うように団員の死体を往来すると、足元の地面に定まった。
口で浅い呼吸を何度か繰り返し、怒りの表情が収まる。茂水は静かに切り出した。
「妖化暴走が始まる前から、死んでく人を何人も何人も見てきた。嫌というほどに。二十年前に救えなかった命が、今もまだ救えるに至ってない。待ってるだけじゃ、永遠に医療は進歩しない。皆が救われるようになるには、別の力に縋るしかなかった」
茂水の顔が上がる。感情を殺したような黒い瞳が、華陽の目を見返した。
「これは、『死の病』に侵される未来の命を救うためなんだ。頼む。邪魔をしないでくれ」
「できません」
華陽はきっぱりと断った。
茂水は目を見開き、何か言いた気に口を開閉させる。
「たとえ茂水さんたちが何かすごいことを成し遂げるとしても、今回のことは許されないと思ってます」
もし許してしまえば、何でもありになってしまう。正義を宣えば虐殺すら正当化されかねない。
華陽はさらに続けた。
「それに……本当に、未来の命を救うためなんですか? 茂水さん以外の医師だって、同様に救えなかった患者さんだって見てきたはずで、それでも前を向こうとしています。こんなおかしな発想にはなりません」
「じゃあ、俺は何のために戦ってるというんだ?」
「救えない命があることの苦しみから、茂水さん自身が救われるためじゃないですか?」
茂水は、噛みつくよう口を開いた。しかし、言葉は出てこなかった。見開いた目が、完全な虚空を捉える。
華陽は、金棒を構えたまま、ゆっくり前進した。一歩、一歩と前に出る。
茂水の視界には、彼女の姿は入っていないようだった。そのまま何事もなく、脇を通り過ぎる。
坂の上で、染谷を守るように囲う団員たちを切り倒していく天狗の姿が見えた。染谷の前で立ち塞がるコウモリの姿も見える。
華陽は急いで坂の上に跳んだ。天狗の頭上から攻撃する。
頭を捉える直前で、刀に防がれた。染谷を睨んでいた天狗の目が、華陽に移る。
華陽は着地し、武器を構え直した。
背後から、別の気配を感じた。重低音の羽音が聞こえてくる。見なくても、敵の姿はわかった。
正面の天狗は、染谷に注意を払いながらも華陽を捕捉していた。次の一手がいつ飛んできてもおかしくない。故に、背後からの敵に対応することはできなかった。
自然と首をすくめ、肩が丸まる。
最中、脇から青い細長い影が現れた。背後の敵に向かって迷わず、突進する。羽音が止み、人妖が地面に落ちる音がした。
天狗の視線が、一瞬、墜落したカマキリと組み合う青い人妖に移る。
「帝都くん!」
華陽は振り向き、不意打ちにひっくり返ったカマキリの腹部を目掛けて金棒を振るい下ろした。
体液が散り、胸部が潰れた。顎から茶黒いドロドロしたものが飛び出る。カマキリは小さく震えながら、身構えようとしていた。
帝都が尾先を尖らせ、とどめを刺そうとする。
直前で弾かれた。カマキリを庇うように、金属扇が広げられていた。天狗が険しい眼差しで睨む。
帝都は体勢を立て直そうとしたが、その間に天狗が弱ったカマキリを抱え、空へと逃亡した。
帝都は妖化したまま、後を追おうとする。
「桜木」
妖化から直った千路が呼び止めた。竜はぴたりと止まり、不満そうな視線を返す。
「虫のほうは、あの状況では回復は厳しい。それに、天狗の相手をするのは無謀だ」
おとなしく聞き入れることにしたのか、帝都は妖化を解いた。
敵がいなくなり、『儀式』が再開された。一部の団員を残し、華陽たちは祠の近くから染谷家前に下った。
ちょうど車が一台、新たにやってきた。
「出ろ、八つ足」
中から強引に連れ出されたのは、仙川だった。両手には手錠が掛けられている。団員たちに引かれながら、一軒家の隣に構えるテントの下で、パイプ椅子に腰掛けた。
まもなく、茂水も連行されてやってきた。先に座る仙川の姿を見るや、表情を凍らせた。
隣に、パイプ椅子が雑に設置された。
「茂水。座れ」
千路が低い声で命令する。
茂水は呆然としながら、仙川と向かい合う形で腰を下ろした。
他の団員を引き連れ、田村がやってくる。反抗的な目を向ける仙川と、きまり悪そうに俯く茂水を交互に見回し、近くの椅子を引っ張って座った。
「さて。お前たちの全貌を吐いてもらおうか?」
仙川は少しも動じなかった。茂水も、顔こそ上げたが応じる様子はない。
「そうか」
田村は残念そうに溜息を吐いた。
次の瞬間、千路が仙川のこめかみに銃を突きつけた。
「茂水。吐け」
これまで、抵抗の意思を見せていた仙川の表情が崩れる。正面に座る仲間に、何か訴えるような視線を向けた。
「わかった、話す!」
茂水が答えた。しかし、銃は離れない。茂水は唾を飲み、さらに続けた。
「俺たちの目的は、人妖以外にも適用できる人工造双血球細胞を作ることだ」




