9.黒幕
人妖総合研究所に到着すると、避難所で入手した元一般人の人妖の肉片を解析してもらった。結果が出るまで、そう時間は掛からなかった。
「提出してもらったものだが、オリジナルの化元体とは異なる物質が検出された」
会議室の机に、蒼葉が報告書の束を置いて離れた。入れ替わるように、千路がそれを手に取る。
華陽と帝都が、脇から資料を覗き見たが、よくわからないデータの羅列が目に飛び込むだけだった。華陽は視線を逸らし、帝都は頭を傾げた。
「概ね、働きはオリジナルと同じだが、紛い物のほうは励化線に無反応だった」
蒼葉が、まるで原稿を読んでいるかのように淡々と告げた。その隣で、紅葉が華陽たちを監視するように睨みながら、腕を組む。
「それって、まずくないか?」
茂水が声を上げた。すぐに帝都が反応する。
「まずいって?」
「励化線を無視して効能を発揮するってことは、蔵王山の封印石を戻したところで、意味がないってことだろ?」
「ええ……そんな超やばい奴に、普通の化元体が進化しちまったのかよ」
「化元体が、自然変化した? 本気でそう思っているのか?」
蒼葉が鼻で笑った。
帝都が顔を顰め、口を開く。
「だったら、何だって言うんだよ。誰かが改造して作り出したってことか?」
途端、会議室が静まり返った。予想外の反応に、冗談のつもりで言った本人が戸惑う。
蒼葉は、呆れたように溜息を零した。
「サンプルをさらに調べてみることにする。ご苦労だった。早いところ研究所から消えてくれ」
蒼葉と紅葉が、逃げるように会議室から出て行った。扉が乱暴に閉められる。
再び静かになったところで、千路が腕時計に目を落としながら口を開いた。
「一四○○に出発する。食事を摂っていない者は、それまで済ませておくように」
一時間の休憩時間が与えられた。華陽は軽食を摂り終え、十分前には研究棟の外に出た。次第に揃ってくるものの、茂水だけが姿を見せない。
千路に頼まれ、華陽は研究棟に戻った。七階を中心に回っていると、レストルームで行き倒れている人影を発見した。見ると、案の定探していた人物だった。
「茂水さん。集合時間ですが……大丈夫ですか?」
鼻を、アルコールの匂いがくすぐる。顔を見ると、天狗のように真っ赤に染まっていた。
「華陽ちゃんかー? 千路いるかー?」
茂水が手を軽くバタバタとさせた。
「千路さんは外です。集合時間になりますので、早く行きましょう」
「それなんだがー、俺、会議があるからここに残るって伝えてお――」
瞬間、茂水が胃の内容物を吐き出した。華陽はあたふたするも、すぐにトイレへと飛んで行く。
未使用のトイレットペーパーを持って戻ると、仙川がいた。彼はすぐに事情を察し、掃除を手伝い始めた。
「茂水がごめんね」
「いえ」
華陽はそう言い、茂水を見た。胸元が上下しているのが見えた。
仙川も、息があるのを確認すると、安堵しながら口を開いた。
「茂水さ……昔は医者じゃなくて医学者を目指していたんだよね」
「え? そうなんですか?」
「うん。大学二年までは」
「二年生のとき、何かあったんですか?」
「お前に研究者は向いていないって、先生に言われちゃったみたいで。それで、医者に転向することにしたらしい」
「まぁ、確かに。茂水さん、研究者ってイメージ、あまりないですもんね」
華陽が苦笑した。仙川も笑う。
「それから、俺は研究者の道を。あいつは医者の道を歩むことになった。メールで連絡を取り合うくらいで、実際に会って話すことはしばらくなかったんだ。二年前かな。久々に顔を出したら、今みたいに泥酔してて。そのときに、こう言ってたんだ」
――医者になって俺ができたことは何だ? 救えたものは何だ? 何もねえ! ただ奪うばかりだった! 思い上がってたんだ!
「衝撃だった。僕は父親が研究者をやってたから、何となくこの道を選んだけど、あいつは違う。命を救うことに執念を持っている。あいつほど医者にふさわしい人間はいないと思ってるよ」
華陽は改めて茂水を見る。いつも気怠い雰囲気で、よく酒に溺れる。その白衣を着た猫背が背負っていたものの存在を知らなかった。
「付き合わせちゃってごめんね。後はこっちで片づけておくよ」
仙川が告げる。華陽は言葉に甘えることにした。
「すみませんが、お願いします」
「大丈夫。あ、茂水がここに残ることは、僕のほうからもお願いしたい。班長さんによろしく」
華陽は頷き、外で待っている班員たちに合流した。
*
翌朝、目を覚ますと同じ部屋に茂水がいた。昨晩遅くに、化元体と一緒に運ばれてきたらしい。その代わりといってか、千路の姿が消えている。
「あら、華陽ちゃんおはよう」
先に起きていた天見が気づいた。
「おはようございます」
「班長知らない? いつの間にかいなくなってるんだけど。何か荷物もないみたいだし」
そこに、
「天見さん、聞いてないんですか?」
トイレからちょうど戻ってきた伊東が、話に交じってきた。
「班長なら今日から東京入りですよ」
「えぇ? 明日からじゃなかったっけ? あたしの聞き間違い?」
「いや、確か今日からだ」
ちゃっかり起きていた茂水が、横になりながら言った。話で騒がしくなったからか、残る帝都と渡会も目を覚ます。
「お前ら、千路がいつから消えるか聞いてないか?」
「ん? 今日だろ?」
帝都が眠そうな声で答える。一方の渡会は、
「班長が消えるって、何の話ですか?」
きょとんとした顔で訊ねた。
「聞いてないのか? 染谷の生き残りと合流するために、東京に行くって」
「……初耳です」
沈黙が生まれた。そして、
「どういうことだよ、千路ィ!」
帝都が、その場にいない人間に苛立ちの悲鳴をぶつけた。
翌々日に何事もなかったような顔をして帰ってきた当事者は、当然(帝都に)詰められることになった。
「予定が二転三転したせいだ。申し訳ない」
どこか他人事のようだった。千路はさらに続ける。
「連絡が二点ある。まず、染谷との合流は失敗した。染谷自体は無事だ」
全員を見渡し、次の連絡に移る。
「二つ目だが――花押先生が亡くなった」
「……え?」
天見が声を漏らした。
「収容所の奥の部屋で亡くなっていたそうだ。連絡は以上、〇八三〇に駐車場集合」
ミーティングが終わり、集合時間まで準備と束の間の休憩に入った。
化元体錠剤を飲みながら窓を開けると、外で渡会がランニングをしていた。最近、朝食の時間を早く切り上げ、走っている姿をよく見かける。
「彼、大丈夫かな」
いつの間にか同じ光景を見ていた天見が、呟くように言った。
「渡会さんが、何か?」
「いや……何となく気になって。無理しているわけじゃないならいいんだけどね」
天見がその場を離れる。華陽は次の錠剤を口に入れ、オレンジジュースで流し込むと、必死にトレーニングを重ねる渡会の姿を見ていた。
――無理をしている。
その言葉で思い出したのは、何故か千路を救って拠点に帰ったあの日、礼を告げる渡会の姿だった。
集合時間の八時半を回っても、集合場所に一人だけ一向に現れない者がいた。
「帝都、どこに行ったんでしょう?」
渡会が首を傾げる。
「遅れるっていっても、今までせいぜい五分ぐらいだったわよね?」
天見も違和感を口にした。駐車場も一か所しかないため、場所に迷っているということはないだろう。
千路も帝都に電話を掛けるが、繋がらなかった。
「着信拒否か?」
千路が呟く。
「いや、流石にないと思います。ちょっと探してきます」
渡会がその場を去った。
三十分経っても帝都は現れず、さらに屋内を探しても見つからなかったため、周辺地域も含めた大捜索が始まった。というのも、真っ先に上がった可能性が、突然の暴走だった。
「近隣拠点にも確認してみたが、周辺に青い竜のような暴走人妖がいるという情報はなかった。そもそも、暴走人妖自体見かけないようだ」
現状入っている情報について、千路が共有する。
「空は探しましたか?」
「残念ながら見つからなかった」
そうなると、本格的にどこにいるのかわからない。
帝都の失踪から二時間が経とうとしていた。
そのとき、千路に一通のメールが届いた。帝都の番号からだった。本文には、地図が添付されていた。仙台市内の医療系大学の敷地内だった。
千路が詳しいルートを調べる間、渡会が帝都に電話を掛ける。繋がった。
「もしもし? 帝都? 地図届いた、あの場所にいるの?」
『来るな!』
帝都の声だった。
「帝都? どういう状況?」
『俺には構わなくていいから、来ないでくれ!』
通話が切れた。渡会が千路の顔を見る。
「班長。罠かもしれません。それでも、帝都を助けに行きたいです」
「ああ――私も気になることがある」
千路は地図を睨んだまま答えた。
班員たちは、車で地図の場所に向かった。伊東がアクセルを思い切り踏み、猛スピードで飛ばしていく。
目的地に到着した。駐車場には、一台のミニバンが停車していた。
千路が最初に降り、他の班員たちも続いた。伊東だけが車に残る。
渡会が、帝都に電話を掛けるも、呼び出し音が続くだけだった。
千路が様子を探るように中に入ろうとした。そのとき、上から何かが落ちてきた。
反射的に華陽が妖化し、金棒で弾いた。カランと音を立てて、銀色の平べったいような形状の何かが、コンクリート上に落下した。
「――扇?」
目視した華陽が告げる。千路が唾を飲み、表情を強張らせた。その背後で、
「天狗か? 帝都はどこにいる?」
渡会が叫んだ。返事はない。
「班長。中に急ぎましょう」
渡会が提案すると、千路は静かに深呼吸し、ドアを開いた。
中は静かだった。通路は人感センサーで照明が点いたのが見える。全員が入ると、華陽も最後に中に入ろうとした。
首元に刀が宛がわれた。その場に立ち止まる。
背中から感じる人妖の気配は、これまで出会った人妖の中でもトップクラスに恐怖を掻き立てるものだった。華陽はそっと振り向いた。
赤い仮面をつけた袈裟姿の人妖。先程、渡会が叫んでいた妖怪の名前を思い出した。
華陽は唾を飲み、静かに口を開いた。
「千路さんと渡会さん――先程、先頭にいたサングラスの人と、あなたに呼び掛けていた人とは、面識があるんですか?」
返事はない。華陽は眉を顰める。
「帝都くんを攫った理由は何ですか?」
またもや無言が返ってくる。華陽はそれでも続けた。
「私たちを呼び出した理由は?」
天狗が笑った。刀が首から離れる。
直後、華陽の右肩に激痛が走った。見ると、右腕が切り落とされていた。悲鳴を上げそうになったところで、口を塞がれる。
真っ先に、暴走の恐怖が過った。頭の中で心臓が鼓動しているように、直接的に視界が脈打つ。
まもなく、中から千路たちが戻ってきた――しかし様子がおかしい。妖化したコウモリが天見と伊東を連れて飛び出し、その後にワシが帝都を掴んで現れる。遅れて、カマキリとハチの融合した人妖が追いかけてきた。
――又日といた人妖の中に、カマキリとハチを足したようなものはいたか?
かつて千路からされた質問を思い出した。封印石を取った人物たちに関係のある人妖という話だった。ということは――。
千路たちは華陽の状況に気づき、その場に留まった。中で激しい戦闘があったのか、妖化した二人は特に深い傷を負っていた。
「お久しぶりです。妖化を解いてもらえませんか? 対話ができないので」
天狗が再び、華陽の喉元に刀を突きつけた。
千路と渡会が、人の姿に戻った。渡会が、帝都を庇うように前に出る。
「帝都なら渡さない」
「ちょっとよく聞こえませんでした。もう一度言っていただけませんか? まぁこちらとしては、何度言い直していただいても構いませんがね、切り落とすところはいくらでもあるので」
天狗が、刀を華陽の左腕の上に振り上げる。
クラクションが高らかになった。横から、車が突進してくる。
天狗が怯んだ一瞬の隙を突き、華陽は逃げ出した。
「乗って!」
中から伊東が叫んだ。
天見が最初に華陽を車内に押し込む。その後に、渡会が帝都を押し込んだ。
逃がすまいと、カマキリの人妖が後を追う。すかさず千路が妖化し、間に入った。
「先に行って!」
渡会が叫び、妖化して千路に加勢する。
伊東はハンドルを切り、Uターンした。
車内で、天見が救急用箱からガーゼを巻き取り、華陽の腕を止血した。
「天見さん、すみません」
「大丈夫? 気分悪くない?」
「はい……今のところは、特に何もありません」
暴走の前駆現象もない。そう気づくと、途端にパニックもだいぶ和らいできた。
「何で来たんだよ」
帝都がぽつりと零す。
「助けたかったから」
華陽が即答した。
「俺には構うなって伝えたはずだ――直兄に」
「その渡会くんと班長が行くって決めた」
「はぁ?」
帝都が叫ぶ。
駐車場を出ようとしたそのとき、車体にカマキリが張りついた。重さで天板がぼこりと音を立てる。
しかし、コウモリが突進しカマキリを突き落とした。路上で二体が取っ組み合う姿が見えた。
そこに天狗が近づき、刀を振り下ろす。
ワシがコウモリを庇った。刀が胴体に突き刺さる。
「直兄!」
帝都が叫んだ。窓ガラスを何度も叩く。
ワシが地面に落ちた。そこに天狗が刃先を向け、振り下ろした。
「直兄ィ!」
人妖たちの姿が、だんだん遠くなっていく。
拠点に到着すると、華陽たちは医務室に運ばれた。
特に、怪我の酷かった華陽は、すぐに処置が行われた。先端恐怖症に配慮している場合ではなく、点滴による化元体投与が行われる。
茂水は、何があったのかは訊かなかった。
手当が終わっても、茂水は華陽の傍から離れず、異変がないか目を光らせていた。
そんな中、医務室に千路が帰ってきた。背中には、ぐったりとしている渡会が担がれていた。看病をしていた茂水と、ベッドで横になっていた二人が振り向く。
「直兄! 生きてるのか?」
帝都が訊ねた。千路は無言で振り向き、やがて茂水に向き直った。
茂水が渡会の脈を取る。その表情が次第に曇っていった。その反応が、帝都の問いへの答えだった。
帝都は呆然としながら、再び布団に落ちていった。
医務室が通夜のように静まり返った。
弱々しい溜息が、静寂を終わらせた。帝都が口を開く。
「いつか、仲間の誰かが死ぬかもしれない。その可能性は考えてたけど、どこか他人事だった。だって、千路班はみんな強いから」
声はいったん途切れた。震える吐息が挟まれる。
「よりにもよって、直兄かよ」
消え入るような声とともに、帝都が布団に潜り込んだ。
「最悪だ」
くぐもった声で締められた。
千路が、渡会を空のベッドの上に寝かせ、その隣に腰掛けた。
「三橋。調子はどうだ?」
「はい。若干、切られたところがムズムズするぐらいです」
「そうか。よかった」
それから帝都を見た。何も声を掛けようとはしなかった。再び華陽に視線を戻す。
「腕はいつぐらいに戻る?」
おそらく、茂水に対する質問だった。本人も気づいているらしく、華陽のない腕を見ながら答えた。
「化元体も大量にぶち込んだ。本人の意思もあれば、三日もあれば戻るはずだ。とはいえ、あまり無茶はさせるなよ」
茂水の視線が、静かに眠る渡会を捉える。
千路の代わりに、華陽が答えた。
「大丈夫です。必要であれば、使ってください」
「今日はいったん大丈夫だ」
千路はそう言い残し、医務室を出ようとした。
「直兄は、ずっとあんたのことを尊敬していた」
布団の中から、声が聞こえた。千路がドアに伸ばしていた手を引っ込め、足を止める。
帝都は布団を少しどけ、顔を覗かせた。
「サブリーダとして役に立ちたい――そう思って頑張り続けた。でも、最近になって、本当に役立っているのか不安に思うようになった」
千路が身体ごと振り向いた。その目は、帝都ではなくその奥で眠る渡会の亡骸を捉えていた。
帝都は続けた。
「自分は華陽には及ばない。人妖としての戦闘力も、実行力も、華陽のほうが勝っていて、班長が信用するのもわかる。悔しいけど認めなきゃいけない。だから、もっと頑張んなきゃ――あんたが血を吐いて戻ってきた日の晩、直兄が話したことだ。最近、見てておかしかっただろ? いや、あんたのことだから気づいてなかったか」
再び帝都が、静かに布団に潜り込む。
「馬鹿だよ。あんたも、直兄も」
千路が背中を向け、そろそろとドアを開いた。そのまま静かに医務室を出て行く。
華陽は帝都のほうを向いた。
「帝都くん。千路さんは渡会さんのこと、誰よりも信頼してた――」
「知ってたよ、俺は! けど……ああ……俺さえいなかったら……」
布団が震え出す。微かに啜り泣く音が聞こえた。
悲しみは時間が解決していく。その言葉は半分事実で、半分嘘だ。心の奥深くに刻まれた後悔は、色褪せることはあっても、完全に消え失せることはない。その悲しみを割り切るには、決意が必要だ。
渡会の内部葬が終わった後に、帝都がこう告げた。
「いつまでも引きずってられないな。直兄に心配掛けちゃうから」
その目は、静かに光を取り戻していた。かつて目的としていた人物の背中を、しっかりと受け継いでいるように見えた。
華陽はほっと息を吐き、回復していた右手で胸を撫で下ろした。
翌日、千路が茂水にこう依頼した。
「人妖総合研究所に行きたい」
その手に握られていたのは、以前帝都が攫われた場所で手に入れたデータ資料だった。
到着すると、今回は蒼葉ではなく、左沢のもとを訪ねた。以前と同じ時間帯だったからか、休憩室にいた。
「こういう話は落合先生に伺ったほうが、より専門的な話が聞けると思いますが」
左沢が資料を睨みながら、ティーカップに手を伸ばす。
「そこまで込み入った話を聞いても、我々には理解できないと思います」
千路が答えた。さらに続ける。
「それに、物質そのもの以外の話も聞きたかったので」
「……そうですか。よくわかりませんが」
左沢がティーカップに口をつけた。直後、激しくむせ返った。
「何ですか、この味」
「すみません、お口に合いませんでしたか?」
千路が心配するように訊ねる。
「いくらなんでも甘すぎませんか?」
「失礼しました。甘いものがお好きだと思いまして」
「否定はしませんが、程度はありますよ」
左沢は口直しのプリンを挟み、資料を睨んだ。しばらく眺めた後、口を開く。
「以前発見された化元体の紛い物とは別物ですね」
「人工化元体とも違いますか?」
「……無論です。具体的にどう違うかは、これだけではわかりませんが」
資料を机に置く。
「それで、別の話というのは?」
左沢が睨むように目で促すと、千路はやや前傾姿勢になった。
「今回の人妖暴走事件、おそらく新たな化元体を作ることが目的だったと思っています。ただ、作ることで何を達成したいのかがわからない」
話を聞きながら、左沢はティーカップに手を伸ばしたが、思い出したように引っ込めた。
そこに、帝都が恐る恐る口を挟んだ。
「それって、全人類を妖化できるようにして、暴動を起こすとかじゃなくて?」
「弱いですね」
左沢が一蹴する。さらに続けた。
「クーデターの類なら、ここまで大々的かつ煩わしいことをしなくても、他によい方法があるでしょうに」
「逆にじゃあ、何が残ってるんだよ?」
帝都が、千路と左沢の顔を見比べた。
二人とも腕を組み、難しい表情を浮かべるだけだった。重苦しい空気に、帝都が辟易とする。
そのとき、携帯の着信音が高らかに鳴った。茂水が小さく悲鳴を上げ、スマホを胸ポケットから取り出す。
「仙川? どうした。ああ、もうそんな時間か。ありがと」
通話を切った茂水が、その場の全員に向き直る。
「飯の時間だ。一階の会議室に来いだとよ」
茂水の言葉を聞くや否や、左沢はソファの上で寝そべり始めた。その様子を見るや、議論を諦めた千路が真っ先に部屋を出て行く。天見は急いでティーカップの中身を空にした。
茂水の後に帝都、華陽と続いた。
最中、扉の近くにあったゴミ箱に、帝都が足をぶつけた。衝撃で、中身が幾分か飛び出す。帝都は面倒そうに、散らかったゴミを片づけた。華陽も手伝いに入った。マジックで大きく「左沢」と書かれたプリンの蓋を拾い上げ、ゴミ箱に入れる。そして、最後のゴミに手を伸ばした。
「ん?」
薬の包装シートだった。よく見ると、「フルニトラゼパム」と書いてある。
華陽は、部屋のほうを振り向いた。ソファの上で、左沢が静かに眠っていた。
昼食後、化元体を飲みに華陽はレストルームに向かった。ソファでは、まだ左沢がぐっすりと眠っていた。
天見から預かった小銭を自販機に入れ、苦行を共にする飲み物を選ぶ。
部屋の扉が開いた。足音を殺しながら入ってきたのは、千路だった。
「忘れ物ですか?」
華陽が訊くと、千路は無言で口の前に人差し指を立てた。華陽はよくわからないまま、目をぱちくりとさせる。千路はそのまま左沢に近づき、全身をまさぐった。華陽は不審な目でそれを見ていたが、自販機に向き直りオレンジジュースを選んだ。
ガタンと音が鳴り、ファンシーなラベルのジュースが出てくる。華陽は化元体を一気に五錠ずつ口に含み、ジュースで無理矢理流し入れた。渋い表情を作りながらも、すべて化元体を飲み終えたところで部屋のほうを向く。
千路の手の中に、鍵があった。左沢の部屋のものだろうか。
千路は再び足音を忍ばせながら、部屋を出て行った。
「千路さん」
華陽がすかさず後に続き、廊下に出たところで呼び掛けた。
「いったい何を……」
千路は、華陽の質問に答えず、スマホを取り出した。天見充てに繋げると、こう告げた。
「桜木を連れて、棟の前に待機している車に乗ってくれ。茂水はひとまず、放っておいて大丈夫だ」
それから通話を切り、華陽に向き直った。
「ついてこい」
六階の数ある部屋から、左沢のネームプレートを見つけ、千路は鍵を開けた。
書籍や資料の量は花押の部屋と大差ないが、そのすべてが棚や机の上に整頓されていた。
千路は奥に進み、事務机の引き出しを覗いた。中からクリアファイルに挟まれた書類を取り出した。机の上に置き、攫われた帝都のいた場所にあった資料と並べられる。その様子を、華陽が覗き込む。
二つの円盤の間に、小さな三角形の物体が挟まれたような形状の物質の図が横並びした。華陽は息を飲んだ。
「まったく。睡眠薬を盛るなら、もっと思い切った量にしてください。フルニト二ミリ程度じゃ、常飲している人間には効きませんよ」
突然、背後から声がした。振り向くと、左沢が眠そうな顔で部屋の入口に立っていた。
千路がすぐに、机の上に並べていた二つの資料を掲げた。
「これはどういうことだ? 天狗」
「テン……グ?」
華陽が驚いたように反対側を見る。
白衣の男は笑っていた。
「勘のいいコウモリだ。あのとき殺れなかったのが惜しいですね」
そう言い、二人のほうに近づく。
「あのときって……まさか、帝都くんを誘拐したのは、千路さんを誘き寄せるためだったってことですか?」
「ああ、そういう認識になるんですね、なるほど」
左沢はメガネを軽く持ち上げた。
「それは別の目的です。その男を葬ろうとしたのは、化元体下剤を仕込んだときですね」
華陽の脳裏に、大量に吐血する千路の姿が蘇る。
「いや、待ってください。仕込んだって、どこに――」
質問を最後まで言う前にはっとした。
千路だけが口にするもの。人妖肉の入ったタンブラーだ。しかし、そうなると別の疑問が生じる。左沢たちが千路の私物に下剤を仕込んだタイミングだ。そんな時間はなかったはずである。
ちょうどそこで、部屋の扉が開く音が聞こえてきた。振り向くと、そこにいたのは茂水だった。
「お前たち、こんなところで何してるんだ?」
茂水はそう訊くや否や、千路の掲げる二つの資料を捉える。目が大きく見開かれた。
「それは、一体――」
「演技をしても無駄だ、茂水。お前がそちら側なのは、二回目の染谷合流計画の時点で目星がついていた」
「――ああ、そういうことか」
茂水の口調が変わった。やがて、その口元に笑みが浮かぶ。
「班員にわざとズラした日程を知らせてたのは」
「ってことは、まさか、茂水さんが化元体下剤を……」
華陽が絶句する。
「そんな目で見られると胸が痛いが、嘘を吐くのはもっと気が引けるんでな……否定はしないよ」
「何故、こんなことを――」
華陽が失意の眼差しを向ける。その隣では、すでに完全に敵と見做した目で千路が睨んでいた。
茂水は、腰につけていた両手を胸の前で組んだ。
「理解はしてもらえないだろうが、俺たちがやろうとしているのは、人類史上最も偉大な研究成果を残すことだ」
直後。千路と左沢が同時に妖化した。天狗が高速で刀を抜き、切り掛かる。その刃先がコウモリの腹部を掠ったが、致命傷までは至らなかった。
コウモリは足で華陽を掴み、窓ガラスを割って外に飛び出した。
「待て、畜生!」
茂水が割れた窓から外を覗き込む。空には何も飛んでいなかった。下を見ると、待機していた車に乗り込む千路と華陽の姿があった。
「ずらかりやがった」
茂水が悔しそうに吐き捨てる。左沢は窓を一瞥すると、ソファに腰掛けた。
「仙川さんと落合先生の弟さんが団長室に行っているはずです、ヘマしていなければ大丈夫でしょう」
「そう――ですね」
茂水は不安そうに、走り去っていく地上の車を見下ろしていた。




