9 シナリオの崩壊
背後に立っていたのはイーヴァルだった。後を追って来ていたことに気付かなかった……。
庭の花々は、屋敷から漏れた灯りでほのかに照らされている。幻想的な夜の花園。いかにも、何かロマンチックなイベントが始まりそうな雰囲気。
(待って……この状況、この雰囲気……まさか! このシーンにいるべきはラナちゃんなのに!)
夜会ですべてのダンスを踊り切った後。ラナとイーヴァルは火照った体を夜風に当てるため、庭へ出る。
そこで二人は甘く語らい、互いの真実の愛を確認し、そして初めての口づけを交わす。
(わたくしがラナちゃんに変装したから!? シナリオが進んでしまった!?)
いや、ただシナリオが進んだというより、これは――……。
『ラナとサフィニアの立場が入れ替わってしまっている』と、認識する方が正しいのかもしれない。
ありえない事態に考えが及び、愕然としてしまった。
サフィニアの胸中をよそに、イーヴァルは手を取って跪いた。こちらを見上げる青い目は情熱的で艶っぽい輝きを宿している。
ひえっ……やめてやめて! 勝手にロマンチックシーンをおっ始めないで!
「ちょっ、あの、おやめください!」
「……まだ私のことを怒っているのか? 愛さない、などと告げたことを」
「いや、ええと、」
そんなことはどうでもよくって……!
狂っていくシナリオに焦って、上手く会話を繋げられなかったのだが、彼はサフィニアの態度を勝手に解釈して、気落ちした様子でため息をついた。
「どうして君にあんなことを言ってしまったのか……。お願いだ、サフィニア。もう一度チャンスをくれないか」
「は?」
「貴女を愛することを許してほしい」
イーヴァルはサフィニアの手の甲に、そっと口づけを落とした。
(おやめあそばせ――――――っ!!!! なんでわたくしが告られちゃってるの!!?? シナリオ死んだンゴ!!!!)
今、はっきりとシナリオが崩壊していることを理解した。少女漫画のヒーローがヒロインそっちのけで敵役に浮気するとか、激萎え展開すぎる。
というか、前世でも今世でも、殿方に告白なんかされたことないから、普通に照れ臭くて死にそうなんですが!?
いや、この胸のドキドキは緊張によるものよ! 断じて若干うっかりときめきかけたとか、そういうのではない!! 単純に免疫がないだけ!!!!
(ええい! 余計なことを考えるな、わたくし!!)
頭の中で、騒がしい自分を殴り、思考を戻す。
とにかく、ストーリーがおかしくなっているのは確かなようだ。ラナとサフィニアの立場が入れ替わっていることは確定。
(じゃあ、この先ラナちゃんはどうなってしまうの……?)
サフィニアは身を滅ぼして、修道院にぶち込まれる。もしかしてラナがそのルートに……?
推しの破滅――……。
最悪のラストを想像して、血の気が引いた。
推しの不祥事。推しの引退。推しの訃報。
無理、耐えられない。オタク終了のお知らせ。本当にありがとうございました……。
無理すぎる未来を想像した、その時。視界の端で何かが動いた気がした。
目を凝らしてみると、建物の影にラナの姿があった。
泥酔状態から復活して、探しに来たのかもしれない。動けるようになってよかった。
とにかく軌道修正しないと!
(ラナちゃん!! 今バトンタッチしますわ!!!!)
サフィニアは返事を待つイーヴァルを見据えて、きっぱりと言い放った。悪役令嬢らしく、強く、冷たく、容赦なく。
「許しません。わたくしは、あの日あなたが告げた命令を遵守します。愛し合わない、白い結婚を。というわけで、あなたのお相手はわたくしではありませんの。失礼」
「っ……」
握られていた手を振りほどき、イーヴァルには目もくれないで、庭の暗闇へと歩き去った。
と、見せかけて。隠れて様子をうかがう。
入れ替わるように、彼の前にラナが出てきた。
「ラナ……。いたのか……」
ラナは大きな瞳を揺らしながら、震える声をこぼした。
「イヴは、サフィニアさんのことが好きなのね」
「……あぁ」
「否定、してくれないんだ」
夜の庭が静けさに包まれる。居心地の悪い、気まずい空白。
ラナは縋るように、イーヴァルの胸元に飛び込んでまくし立てた。
「……でも、でもさ! わたしのことも、嫌い、ってわけじゃないんでしょう?」
「それはもちろん……」
「わたしが第一夫人で、わたしのこと一番に優先してくれるって約束は、守ってくれるよね?」
「あ、あぁ」
「じゃあ、いいわ! わたしが一番なら、イヴがサフィニアさんのことを好きでも、全然いい! わたしは全然、平気、だから」
ラナの声音は明るかった。けれど、その表情を見て息を呑んだ。
あの顔だ。闇を秘めた悪役令嬢の顔をしていた。壊れかけの、終盤のサフィニアの顔をして笑っている。
どう見ても平気とはいえない状況だ。
(まさか……闇落ち……? ヤンデレ化……?)
ここから入れる保険ってありますか?
ないかもしれないけれど、推しの破滅だけは阻止しないと……。
夜の花園のシーンを終えたら、もう物語は終焉へと向かっていく。




