10 旦那様突き落としイベント
夜会を終えたら、もう物語も終盤。最後のイベントが来てしまう。サフィニアが修道院送りになるきっかけの事件が、すぐそこに。
『旦那様突き落とし事件』という山場が――。
いよいよ心を壊したサフィニアは、イーヴァルをも憎むようになり、『愛されないなら殺してしまえ……!』と階段から突き落とす。
イーヴァルは頭を打ち付け血を流し、死んでしまったかと思われたが、その時――。ラナが聖女の力を使って助けるのだ。
この事件によって、ついにサフィニアには婚約破棄が突きつけられる。本当は投獄されてもおかしくないサフィニアだったが、ラナの憐れみによって、この事件は内々で終わることになった。
が、その後、裏で動いていた側仕えによって、サフィニアは遠くの修道院に隔離されるのだ。
(わたくしとラナちゃんの立場が入れ替わってるなら、彼女が事件を起こしてしまうかも……)
原作漫画では、イーヴァルのことを心から愛するラナだが……今の不安定な様子を見ると、いつ何をしてもおかしくないように思える。キラキラした瞳は、今やどす黒く濁っているし、笑顔も引きつっていて痛々しい。
そんなラナのことを、マーティン家の人々は遠巻きにしている。使用人も、侍女たちも、あの側仕えも。彼に至っては、もはやすっかりサフィニアの味方で、『ふん、何が聖女だ。町娘風情が』なんて吐き捨てている。アンチやめて……。
最近ではイーヴァルすらも、独特な絡み方をするラナに、若干引いている始末。
ラナの味方は、屋敷に誰一人としていない状況だ。……敵役のはずのわたくしを除いて。
そんな超絶不利な中、ラナは屋敷に押し入って住み始めてしまった。『婚約者なのだから、いいでしょう?』と強引に。これではまるで、原作序盤のサフィニアだ。
それ以来、ラナはさらにイーヴァルに付きまとうようになっている。もはや屋敷内ストーカー。そんな、屋敷内ストーカーと化した推しのことをストーキングしている、わたくし。
(見張ってないと、いつ事件イベントシーンに突入するか、わかったもんじゃないわ……)
この一ヶ月、気が休まる時がない。今となっては、推しをキャーキャー言いながら見守っていた頃が懐かしい。今ではハラハラしながら隠密みたいに見張っている。
(わたくしの推しストーキング技術がこういう風に役立ってしまうなんて……。……あっ!)
そうこうしているうちに、ラナが侍女長と揉めはじめた。スカートの長さを注意されているみたいだ。
最近、何かと侍女たちとの小競り合いが起きているのだが、今日は侍女長との喧嘩らしい。
「ラナ様、何度申し上げたらいいのでしょう。短いスカートをお召しになるのはおやめください。はしたない」
「長いスカートの方がバサバサしてて、はしたないと思うけど。短い方が可愛いに決まってるわ。お年寄りには、わからないかもしれないけどね」
「年寄りですって……!」
侍女長が声を荒らげたところに、ちょうど部屋から出てきたイーヴァルが加わった。ラナは頬を膨らませて、イーヴァルの腕に抱きついた。
「イヴ! イヴは短いスカートの方が好きよね? 前に『元気な君に似合ってる』って言ってくれたもんね」
「それは……君が街暮らしをしていた頃だから。今は貴族家の一員として屋敷にいるのだから、マナーはわきまえた方がいい」
「……っ! あなたまでそんな意地悪言うの……?」
ラナは目に涙を溜めて、イーヴァルから距離を取り、わなわなと体を震わせた。
(バカバカおバカ! 刺激しちゃダメ――ッ!)
ここは吹き抜けの玄関ホールに面した廊下。そこそこ高さのある二階。イーヴァルの背後には階段。
事件イベント要素役満! まずい!!
廊下の陰から慌てて飛び出して、ラナとイーヴァルの間に割り込んだ。
「あらあらあら! 皆様おそろいで! どうしたのかしら?」
「サフィニアか」
「ちょうどよかったです。サフィニア様からも叱ってやってくださいな。ラナ様のスカートの長さを」
「っ! サフィニアさんも一緒になって、わたしに意地悪言うつもり!? 酷いわ、みんなして寄ってたかって……!」
ぽろぽろと涙を零し始めたラナの肩に手を添えて、どうにか落ち着かせようと、サフィニアは優しく声をかけた。なだめるだけなのに、さながら爆弾解除みたいなヒヤヒヤ感を覚えつつ。
「街ではこの長さが普通なのよね。知ってるわよ。あなたがこういう元気な格好を好むことも。よく似合ってるしね。でもロングスカートも素敵だから、食わず嫌いをせずに履いてみたらどう? エレガントな雰囲気の推し――じゃなかった、ラナ様もきっと素敵よ」
「…………わかりました……」
ラナは不服そうではあるが、一応素直に返事をした。
イーヴァルと侍女長も、サフィニアに論調を合わせてきた。
「サフィニアの言う通りだ。ラナ、君は彼女から色々と学んだ方がいい。今後のためにも」
「えぇ、本当に。サフィニア様を師として、ご勉強くださいませね」
「……はい……」
再度ラナが返事をしたところで、サフィニアはパンと手を叩いた。
「さて。これで揉め事はおしまい。はい解散!」
散れ散れ! 早く爆弾の前から散れ!! と冷や汗をかきながら念じると、ほどなくして皆歩いて行った。侍女長は廊下の奥へ。イーヴァルは自室の方へ。
イーヴァルが階段から遠ざかったのを確認して、ふぅ、と胸をなでおろした。これで一旦、事件イベントは回避した。
やれやれ、とサフィニアも歩きだす。が、その時――。
ドンッ、と、背中に衝撃が走った。
「へっ……?」
ちょうど、階段の前を通ろうとしていた時だった。勢いよく背中を押されて、体が宙を舞った。
……っべ~~~。こっちに来たか。
すぐに、何が起きたのかを理解した。いよいよこの展開が来てしまったらしい。
彼女はやっぱり、やってしまったみたいだ。
(でも、被害者がわたくしでよかったわ――……)
スローモーションになった視界がぐるぐる回り、サフィニアの体は階段を転がり落ちていった。ドタドタと、それはもうすごい音を立てながら。
「サフィニア!?」
イーヴァルが飛んできて、階段を駆け下りた。倒れ込んだサフィニアを抱き起こす。
彼は上階に立つラナを見上げて声を張り上げた。
「ラナ!? まさか君が……!?」
騒ぎを聞きつけた使用人たちも駆けつけて、階段周辺にイベント舞台ができあがった。物語最後の山場が始まってしまった――……。
皆の視線を受けて、ラナは震えた声をこぼした。
「……ち、違……わたし……わたしは……ただ……っ」
イーヴァルの腕の中で、痛む体を動かして階上のラナを見る。彼女は涙目で震えていた。
自分でも動揺している様子だ。魔が差して、うっかりやっちまったのよね? わかる、わかるわ。恋敵をぶっ殺してやりたいって思う気持ち、乙女なら誰しもが持ってる感情よね。うんうん。仕方ないわ。うんうんうん。
体が動かせないので、心の中で高速で頷いた。もうここまできたら、推し全肯定でいかせてもらいますわ。妄信ファンは、推しのためならいくらでも狂えるの。
怒りに顔を赤くした側仕えが、ラナに歩み寄ろうとしていた。その前に、渾身の大声を出した。
「お騒がせして失礼!!!! うっかりスカートの裾を踏んずけて落下しました!! 事の真相は以上です!! 自爆ですわ――――!!!!」
何人たりとも、口を挟ませないぞ。という圧を込めて、一息で言い切った。
「「「え……?」」」
ラナ、イーヴァルをはじめとして、この場にいる皆が『え……』と呟き、呆けた顔をした。
一瞬、玄関ホールに沈黙が流れたが、イーヴァルが最初に空気を動かした。
「そう、か……」
「ふん、どうだか。真実はどうあれ、まずは治療をして差し上げなさい。ラナ様、聖女のお力を」
続いて側仕えが鼻を鳴らし、ラナへと命じた。
「あ……は、はい」
ラナはトタトタと階段を下りてきて、サフィニアに向かって治癒の魔法を使った。美しい光に包まれ、体の痛みがスゥと引いていく。
あぁ、推しに救われた命(物理)。圧倒的感謝。奪われそうになった命でもあるけれど……そこはもう忘れましょう。オタクは都合の良い生き物なので。記憶補正は得意よ。
身を起こそうとしたら、イーヴァルに抱き上げられてしまった。
「んなっ……!? ちょっと!」
「まだ動くな。私が部屋まで送る」
いわゆるお姫様抱っこの体勢で、部屋まで連れていかれた。




