1 この政略結婚は悲劇の始まり、のはず
「――では、問題なければ書類にサインを」
応接間にて。
向かいに座る縁談相手、『イーヴァル・マーティン』が事務的に告げる。
金髪碧眼の若き領主家ご当主様。位は伯爵。容姿も財力も申し分ない。
周囲が羨むような良い婚約に思えるが、この書類へのサインが、悪役令嬢『サフィニア・ガルシア』の悲劇の始まり。
(イーヴァル様との婚約によって、わたくしは破滅への道を歩み出す)
サフィニアは知っている。この後の展開を。自分の人生の行く末を。
(だってわたくしにとっては追体験でしかないから)
目を伏せたまま、口の端に笑みを浮かべてサインを入れた。これで婚約は成立。とびきりの悲劇が始まるわ。
(この後、あなたは別の女性の名前を口にするのでしょう? さぁ、言ってごらんなさい)
書類を受け取ったイーヴァルは無表情に確認だけすると、口を開いた。
「先に伝えておくが、私は第二夫人として『聖女ラナ・トール嬢』に婚姻の申し入れをするつもりだ。名義上は貴女が第一夫人の位だが、私は聖女を優先する」
イーヴァルは鋭い目でこちらを見下し、きっぱりと宣告した。
「私は君を愛さないし、君からの愛もいらない。この縁組は白い結婚とさせていただく」
応接間は静まり返り、控えている侍女たちはあまりの気まずさに、皆うつむいた。
原作漫画のサフィニアは、このシーンで思い切り憤慨し、取り乱す。の、だが。今ここにいるサフィニアは違う。
「はい!!!! よろこんで――っ!!!!」
おっと、いけない。居酒屋店員みたいな勢いで返事をしてしまったわ。つい興が乗ってしまって。失礼失礼。
思わぬ返事に、イーヴァルは整った顔をポカンと呆けさせていた。
(あら、あなたそんな情けない顔もできたのね)
漫画では『何事にも動じないクールで冷徹な美男子』という設定の男だが、キャラを壊してしまってごめんあそばせ。
ごほんと咳ばらいをして、改めて微笑を作って返事をしておく。
「承知しました。イーヴァル様と聖女様のご成婚をお祈りいたします。幸あらんことを」
呆気に取られて口ごもっているイーヴァルより先に、老年の侍女長がそっと声をかけてきた。
「サフィニア様……。どうかお気を落とされませんよう……」
「わたくしは全然まったく大丈夫ですわ! むしろ喜ばしいことです! だって推し――いえ、聖女様とお近づきになれるのですもの! こんな幸せ他にありましょうか! 一夫多妻万歳! 旦那様、絶対に聖女様を落としてくださいませね!!」
侍女長のセリフを食うように、早口で一息に言い切ると、また応接間は静寂に包まれた。
うっかりうっかり。オタク特有の早口が出てしまったわ。今世の自分は貴族令嬢なのだから、優雅に喋らないと。引かれてしまうわね。
――そう、わたくし、サフィニア・ガルシアは、聖女推しのキモオタ……いえ、オタク乙女であり、転生者である。
この世界は前世の少女漫画『聖女ラナと伯爵様』の世界なのだった。
『聖女ラナと伯爵様』は、ある日突然、聖女の力に目覚めた町娘のラナが、若き領主のイーヴァル伯爵に見初められ、結婚するという物語だ。
天真爛漫なラナが、堅物なイーヴァルを絆していく過程が面白いラブコメである。
主人公、ラナのビジュアルがドチャクソ好みど真ん中の美少女だったので、愛読していた漫画だ。ストーリーはシンプルだが、イーヴァルを振り回すラナがものすごく可愛い。前世で大好きな漫画であった。
そんな作品内で、サフィニアは二人の恋路を邪魔する悪役令嬢キャラ。つまり、一番近くでネチネチと推しを観賞できる立場である。最高。
黒髪赤目に、赤く塗られた唇。意地悪そうな釣り目に、ゴテゴテの宝石。いかにも敵っぽい見た目が、対照的なラナの可憐さを引き立てている。なくてはならない敵役だ。
作中では、イーヴァルをはじめとして、皆に慕われ愛されるラナに嫉妬し、サフィニアは悪事を働いた末に修道院送りになる。そうして心を病んで、独り惨めにこの世を去る。
と、同時に物語も終了する。
悲しいことに、『聖女ラナと伯爵様』は一巻で打ち切られた漫画である。
それゆえ、内容はかなり駆け足だった。が、作画が美麗だったこともあり、一部のコアなファンに愛された作品でもあった。
そんな、大好きだった作品の世界に転生するだなんて。神に感謝。ああ、早く推しに会いたい。ノンフィクションの推し、控えめに言ってやばすぎて滅。同じ空気を吸えるとか正気でいられる自信がないデュフフコポォ。
ニチャア……と気持ち悪い笑みを浮かべそうになるのを、グッとこらえて唇を噛む。
その表情が、侍女たちの目には『悔しい気持ちを堪えて気丈に振舞っている』と映ったのか、同情の顔を向けられた。
「サフィニア様……」
侍女長に肩を支えられそうになったが、慌てて弁明しておく。
「本当にわたくしは大丈夫ですから、ご心配なく! そもそもイーヴァル様とは政略結婚ですし、愛を求める方が図々しいというものですしね」
ガルシア家は歴史深い名家だが、近年は財政難が続いている。一方のマーティン家は、財力は申し分ないが、新興貴族で家が浅いことに引け目を感じている。
そんな双方の問題を解決するべく結ばれた政略結婚が、今回の件である。
(はなから愛なんてない縁談だし、わたくしの愛は推しのものだし。何一つ問題ないわ)
涼しい顔をしてお茶を一口飲み下す。すると侍女長が、もう堪えきれないといった切なげな面持ちで膝をつき、手を握ってきた。
「サフィニア様……なんと健気な……。私たちは貴女様をお支えしますから、何でもおっしゃってくださいね。それにしても、イーヴァル様もお人が悪い……どうして婚約当日に第二夫人のお話などするのですか」
侍女たちは皆、『そうだそうだ、ノンデリめ』という白い目をイーヴァルに向けている。
(あれ? 侍女たちって、確か漫画内では全員サフィニアの敵になるはずなんだけど)
侍女たちはラナとイーヴァルの仲を応援し、サフィニアと敵対する。はずだが?
なんだか流れをおかしくしてしまったな。
本来ならば、憤慨して取り乱してしまったサフィニアが白い目で見られて、ばつが悪くなる――というシーンなのだけれど。
サフィニアではなく、イーヴァルが気まずそうにしている。
「高慢なガルシア家令嬢と聞いていたが、思いのほか聞き分けはいいようだな。では、くれぐれも、第二夫人と揉めることのないように」
彼は動揺を滲ませた面持ちで、逃げるように席を立った。
(まぁ、おダサい捨て台詞。こんなセリフ漫画にはなかったわ。やっぱり、現実世界になると少しシナリオが違ってくるみたいね)
まぁ、そんなものか。と、この時はさして気にしていなかった。
けれど、この小さなずれが重なり、後に大きな変化に繋がっていくとは思ってもみなかった。




