古森華と柳沢蓮の出会い その1
古森華と柳沢蓮との出会いは、実に劇的だった。
平日の朝、通勤ラッシュの満員電車。人々は皆、無言でスマホを眺めるか、ただじっと耐えるかしている。そんな中、突如として静寂が破られた。
「痴漢です!」
甲高い悲鳴が、車内の空気を震わせた。声の主は通勤中の若い女性。彼女は目の前に立つ巨漢のビジネスマンを睨みつけている。
くたびれたビジネススーツを着たブサイクな男、柳沢蓮は、両手をつり革にあげたまま、辟易した表情で女性と対峙していた。
「この人がわたしのお尻をしつこく触ってきたんです!」
「何を申されますか。わたくしは何もしておりませぬ」
乗客たちはざわつき、疑いの目を向ける。くたびれた装いで、ブサイクなうえに、この古風な物言い。怪しまれるのも無理はない。
「誰か警察に通報してください!」
その時、鋭く響く声が場を制した。
「待ちな!」
パンツスーツをかっちり着こなし、背筋を伸ばした美麗な女性、古森華が、柳沢と女性の間に割って入る。
「あたしが見てた限りじゃ、そいつは両手をあげ、つり革を持ってた。あんたの尻なんて触りようがなかったと思うがな」
「は? あなた、何を言っているんですか? あなたはずっと見ていたわけじゃないでしょ? わたしは間違いなく、この人にお尻をしつこく触られたんです!」
若い女性は怒鳴り散らすが、古森は冷静なままだった。
「だったら、警察を呼んで、そいつを逮捕させればいい」
「だから、さっきから、そう言って……」
「で、あんたのスカートを鑑識にかけてもらう。その男があんたの尻を触ったっていうんなら、そいつの皮脂があんたのスカートから検出されるだろう。だが、検出されなければ、あんたは嘘をついているってことだ。虚偽の告訴は即刑務所行きだが、あんたはそういうことを知ってんのか?」
古森の論理的かつ容赦ない言葉に、女性は言葉を失い、ただ彼女を睨みつけることしかできない。古森は余裕の笑みを向けた。
まもなく電車は駅で止まり、扉が開いた。女性は飛び降り、人波の中に走り去っていった。
「なんだよ、冤罪かよ」
「人騒がせな」
乗客たちの間でそんな声が聞こえる。
「…困ったもんだな」
古森はつぶやくと、つり革を持ち直した。すると、隣から柳沢が話しかけてきた。
「このたびは危ないところを救っていただき、かたじけのうございます」
柳沢は古森に深々と頭を下げる。
古森は、変な話し方をするやつだなと思いながら、
「あ、ああ、いいってことさ。気にしないでくれ」
(あたしは「性」を犯罪に使う人間を許せないだけなのだから。)
「わが名は柳沢蓮と申します。十菱商事に勤務する者です。あなた様は何者であられますか?」
十菱商事と言えば、だれもが知る超一流の大手総合商社だが、このときの古森の記憶には残らなかった。
「何者って、まあ、しがない小売業者さ」
「ぜひお名前をお聞かせ願えますまいか?」
「名乗るほどのもんじゃないが、古森だ。――なあ、もういいだろ。この話は終わりだ」
「かしこまりました。この柳沢、古森様に受けた御恩、一生、忘れませぬ」
柳沢はそう言うと、次の駅で降車していった。




