悠真の努力
高校に入学し、陸上部に入ってからまもなく、悠真は菜々美とよく目があうようになった。菜々美は悠真と目があうたびに、さっとそらすこともあれば、ほほえんでくれることもある。
当時の悠真にとってはナゾ行動だが、そのせいで菜々美のことが気になってきた。
(そういえば高橋さんが誕生日にくれたクッキー、おいしかったな。お菓子作りが好きなのかな。ていうか、高橋さんて、どんな人なんだろう? 話してみたいな)
悠真は菜々美とクラスが同じだけど、仲良しでもない女子にクラスでいきなり話しかけるなんて、悠真にはハードルが高すぎる。
(話しかけるなら、部活の準備とか、片づけのときがいいかな。用具倉庫で会うことも多いし。あ、せっかくだから、ウォーミングアップやクールダウンにさそってみようかな)
というわけで悠真は、練習前、用具倉庫から道具をグラウンドに運ぶとき、ちょうど菜々美と並んだので、
「高橋さん、もしよかったら、一緒に走らない?」
ウォーミングアップにさそってみると、菜々美は一瞬どぎまぎして見えたが、すぐに笑顔で、
「いいよ」
即答だった。
悠真と菜々美は、それぞれ道具を所定の位置に置くと、並んでジョギングを始めた。
「高橋さん、おれにプレゼントしてくれたクッキーのこと覚えてる?」
悠真は正面を向いて走りながら言った。
「う、うん、覚えているよ」
菜々美も正面を向いたまま走りながら答える。少し照れくさそうに見える。
「あれ、すごくおいしかったよ」
「そう、なんだ。ありがとう!」
菜々美はうれしそうに笑顔でかえす。が、会話が続かない。しばしの沈黙……。
悠真は誘った手前、なにか話さなくちゃと思うが話題を思いつかない。困った。
そんな悠真を察してか、菜々美が話題を切り出した。
「佐倉くんてさ、中学のときに比べて、すごく速くなってるよね?」
「あー、うん。すごくってほどじゃないけど、そのために練習しているから、成果が出てる気はするかな?」
「いいなあ、わたしも練習、がんばっているつもりなんだけど、なかなか速くなれなくて」
「そうなんだ。どういう練習しているの?」
菜々美は部活の練習でやっているメニューを話した。基本的なメニューをひととおりこなしている。
「ちゃんと基本をおさえているから、問題ないかな」
言って悠真は不意に止まった。菜々美もあわせて止まる。
「高橋さん、ちょっとだけでいいから、全速力で走ってみてくれる?」
「あ、うん、いいけど……」
菜々美は5メートルほど全力で走り、また走って戻ってきた。
「もしかしたら軸がぶれているのかなぁ」
悠真は少し考えてから、菜々美に走るときに意識してほしい点をいくつか伝えた。
菜々美は、言われたとおりに走ってみる。さっきより足取りが軽く走れるようになった気がした。
「なんか走りやすくなった気がするんだけど、気のせいかな?」
「気のせいじゃないよ。前よりフォームがよくなってたから」
「そうなんだ。やっぱりフォームって大事なんだね」
「もちろんだよ」
言って悠真は、よいフォームを体に覚えこませるため、ふだんの走りで気をつけたほうがよいところをアドバイスする。にしても、多い……。
「ごめん、佐倉くん――」
菜々美は悠真のえんえんと続くアドバイスをさえぎるように言った。
「――ここで聞いただけじゃ覚えられそうにないから、またあとで教えてもらってもいいかな? メモするから。めんどうをかけて、ごめんだけど……」
「もちろん、いいぜ。……あ、だったら、これから毎日、ウォーミングアップとか、クールダウンのときだけでも、一緒に走らない? 走りながら教えるからさ。そのほうがわかりやすいと思うし。どう?」
「え、いいの? ありがとう!」
菜々美が大喜びしていたのは、悠真にとって意外だった。そして、うれしくもあった。
その日から悠真は、ウォーミングアップやクールダウンのとき、菜々美に「走りのコツ」を少しずつ教えることになる。
「それにしても、佐倉くんて、走ることに詳しいよね。やっぱり勉強とかしているの?」
「まあ、勉強ってほどじゃないけど、動画や雑誌とかで情報を集めたりしてるかな。で、役立ちそうなやつは、練習で試してみたりとか」
「そうなんだ。すごいね。やっぱり佐倉くんも、インターハイを目指しているの?」
「うん、まあ……。ただ、おれの場合、トップを目指したいとかじゃなくて、大好きな走りをきわめた証としてインターハイに行きたいっていう感じかな。あとインターハイで活躍したら、大学推薦もゲットできるじゃん。一石二鳥かなって」
「そっか……。よし、わたしもがんばろう。では、佐倉先生、お願いします」
菜々美がいたずらっぽく笑っていうと、悠真も笑顔で応じながら、
「じゃあ、今日は――」
そんなこんなで、菜々美は悠真からなにか教えてもらうと、それをしっかり実践していた。そもそも好きな人が教えてくれたことだから、おざなりになんかしない。忠実にこなす。
そのせいか、菜々美の走りは日に日に向上していった。
そんな菜々美を見て悠真は思う。
(高橋さんて、練習にひたむきで、努力家なんだな。おれも負けてらんないな……つうか、なんか高橋さんと一緒に走り出してから、おれも調子がよくなった気がする)
なにかを人を教えると、教えるほうも上達するものだが、悠真は菜々美に走り方を教えるようになってから、みずからの成長スピードも加速したように感じていた。
(もしかして高橋さんって、おれにとって相性のいい女子なのかも。これって、まさか運命の出会い? おれ、もしかして高橋さんのことが好きかも)
それで悠真は、いつの日か「高橋さん」ではなく、「菜々美」って呼びたいなと思い、一人でいるときに「菜々美」と言って練習することもあった。恋する男子高校生らしい、ういういしいエピソードだ。
そんな練習が実を結びときは、突然にやってきた。
ある練習がハードだった日、疲れと暑さで頭もぼんやりしていたせいか……。
「菜々美、無理すんなよ。ペース落とそうぜ」
と、つい口がすべってファーストネームで呼んでしまい、それがキッカケで菜々美から、
「……わたしもね、佐倉くんのこと、悠真くんって、呼んでいいかな?」
と言われ、互いに「菜々美」「悠真くん」とファーストネームで呼びあうようになったのは、まさにケガの功名だった。
こうして悠真は、菜々美との親密さを日に日に増していった。
そして、悠真の誕生日、から数日後。悠真はついに恋に落ちてしまう。菜々美から誕生日プレゼントをもらったのだ。しかも、メッセージカードまでついていた。菜々美のかわいらしい字でメッセージが書いてある。
「悠真くん、誕生日おめでとう!
練習でたくさん汗をかくから、このタオル、使ってくれると嬉しいな。
いつも一緒に走ってくれてありがとう。
これからも、隣で走るのを楽しみにしています。
菜々美」
(おれのために、ここまでしてくれる女子って、菜々美しかいないよ。マジ感動。おれ、菜々美に彼女になってほしい! 菜々美の彼氏になりたい)
悠真の恋心はピークに向かっていくが、その一方で冷静な悠真は思う。
(菜々美は速くなりたいと願って、おれを頼ってきているのに、おれは恋愛感情なんてもちこんで、菜々美の信頼をうらぎってもいいのか? ダメだろ)
だから、悠真は自重した。
(おれは菜々美が好きだというのなら、菜々美のためになることをしてあげるべきだ。菜々美は今、速くなりたいって、頑張っている。だったら、菜々美のスキルアップのために、おれは全力をつくすべきじゃないか。それが菜々美を好きってことだろ?)
悠真はこれまで以上に、熱心に菜々美を教えた。菜々美もそれに熱心に応えた。それを見て悠真は感動する。だから、さらに熱心に教える。――まさに好きな者どうし、プラスのスパイラルができていた。
そして、むかえる2月14日のバレンタイン。
悠真は菜々美からチョコをもらえると聞いたとき、天にも舞い上がりそうなうれしさだった。
(もしかして菜々美は、おれに告白してくれるのかな? だったら、すげぇ、うれしい)
しかし、悠真にチョコをくれた菜々美の口から出た言葉は、悠真が期待したものとは違っていた。
「悠真くん、いつも一緒に走ってくれて、ありがとう」
ただ菜々美から、感謝されただけだった。
(だよな。おれって女子からモテたことないし、浮かれてんなって話だよな)
でも、だからといって、悠真が失恋くらいで落ち込むことはなかった。
(おれの菜々美が好きって気持ちはマジだから、菜々美のために頑張るよ。菜々美、おまえがレギュラーとれるよう、おれ、がんばるからな。2年になったら、一緒にレギュラーになって勝利をつかもうぜ)
これだから、悠真は気づけなかった。
菜々美が3月14日のホワイトデーに期待していたことを。「悠真くんから、なにかアクションがあるかな」と淡い期待をいだいていたことを。




