菜々美の努力 その1
高校1年生の夏休みも終わり、あっという間に9月も下旬になった。悠真と菜々美が互いにファーストネームで呼び合うようになってから一か月くらいが経過した。
インターハイも終わって3年生たちも引退し、陸上部も変わっていくが、菜々美の日々に大きな変化はない。悠真との関係も進展がない。ただ……。
来月の26日は、悠真の誕生日だ。菜々美は悠真と仲良くなれてきたので、悠真に誕生日プレゼントを渡したいけれど……。
前回は「お礼」という口実があったけれど、今回はどうするか?
悩んだ菜々美は、女子バスケ部の親友に相談した。
「ねぇ、まだ付き合ってもない人に、誕生日にプレゼントを渡すのって、どう思う? 告白みたいな感じだから、もし『重い』って思われたら、嫌われちゃうかもしれない……」
もちろん好きな相手が悠真だということは秘密だ。
もっとも秘密にしたところで、周囲には菜々美が悠真を好きだってことは、ばればれだった。もちろん悠真が菜々美に好意をもっていることも周囲にうすうす感づかれている。岡目八目ってやつだ。
互いに好きあっていることを知らないのは、悠真と菜々美くらいなものだろう。周囲があえて知らないふりをしてくれているのは「配慮」だ。
だから、相談された親友は、応援する気持ちもこめて、
「重いとか軽いとか、そんなの考えるだけ無駄だよ! プレゼントしたいって思ったんでしょ? だったらプレゼントしなよ。なにもしないで後悔するより、行動して後悔したほうが、ぜったいスッキリするって!」
その言葉に背中を押され、菜々美はプレゼントを渡すことを決意した。なにをプレゼントするか、あれこれ悩んだ挙句、スカイブルーのスポーツタオルにした。
これなら高価でないから、プレゼントしても重たいと思われないだろう。タオルは練習でも使うから、役にも立つと思う。
むしろ練習のたびに使ってもらって、そのたびに菜々美のことを意識してもらえたら、うれしい。そんな妄想をいだいて、菜々美の顔が思わず「えへへ」とゆるむ。
菜々美は期待と不安を胸にスポーツタオルをラッピング。手書きのメッセージもタオルにそえて、バックにしまう。
いよいよ悠真の誕生日だ。
菜々美はプレゼントをバックに忍ばせ、登校した。
みんなの目の前で悠真に誕生日プレゼントを渡すのは、さすがに恥ずい。だから、悠真が一人になるシチュエーションをねらう。
ねらい目は練習後の下校のタイミングだ。このときなら悠真と同じ方向に帰るチームメイトもクラスメイトもいないので、悠真は1人になる。
菜々美は午後練のあと、急いで着替えをすませ、トイレの鏡の前で髪を整えた。そして、決戦の場、校門の近くで悠真を待つ。
来た!
悠真は昇降口を出て、スマホをいじりながら校門へ向かって歩いてくる。1人だ。
菜々美の心臓が激しく鼓動する。「よし!」と自分に気合いを入れ、悠真に声をかけようと、悠真に近づこうとした、その瞬間。
「佐倉っ!」
「おーい、悠真!」
同学年男子のチームメイトたちが昇降口を出て、悠真に駆け寄ってきた。
「今日、誕生日だろ! みんなでカラオケ行こうぜ!」
「マジか!? 行く行く!」
悠真は心から嬉しそうにそのグループに加わってしまった。菜々美はと言うと、思わず物陰に身を隠した。悠真たちは、わいわいがやがやと菜々美の視界から消えていく。
菜々美は結局、悠真に誕生日プレゼントを渡せないまま、帰宅した。バックを床に放り投げながら、ベッドに飛びこみ全身をあずける。
「あー、わたしの意気地なし! 渡せなかったじゃん」
もっとも後日、菜々美はあきらめることなく、再チャレンジ。チャンスを見つけて、正門のところで悠真にプレゼントを渡す。
「あ、あの、悠真くん……、遅くなったけど、誕生日おめでとう」
菜々美が最大の勇気をふるって悠真にプレゼントを差し出すと、
「え? マジ! ありがとう!」
悠真は満面の笑みで喜んでくれた。誕生日の当日にプレゼントするという特別感はなかったけれど、菜々美は幸せだった。
それから数日後、クールダウンで軽くランニングする悠真は、スカイブルーのタオルを首にかけていた。
菜々美がプレゼントしたタオルだ。隣を走る菜々美はうれしそうだ。知らず顔がゆるんでいる。
菜々美のデレ顔に気づいた悠真は
「どうしたの? なんか楽しそうじゃん」
息を整えながら、けげんそうに言う。
菜々美は焦って、
「え、あ、いや……今日のランニングが、なんかすごく気持ちよくて、楽しいなって……」
「だよな。走るって、マジで楽しいよな」
菜々美は話をそらすため、さりげなく悠真に質問した。
「悠真くんは、走ってて楽しいと感じるのって、どんなとき?」
「んー、トップスピードに乗った瞬間かな。全力でロケットスタートして空気を突き破っていくような感覚とかさ、なんか悩みも吹き飛ばしてくれて、自分だけの世界に入っていくみたいな」
「あ、自分だけの世界に入るって、なんか分かる気がする。わたしも呼吸のリズムと足のリズムがピタッとはまる瞬間があって、それが気持ちよくて、生きてるって感じがするんだけど、ふだん無理しちゃってるところとか、汗と一緒に流れていくみたいな」
「リズムって、なんか菜々美らしいな。なら、おれはタイムかな。おれがどれだけ努力できたか、正直な数字で教えてくれるからさ」
「あー、悠真くんて、努力すごいもんね。ふだんの練習もそうだけど、いろんなことを知っているから、よく勉強しているんだなって。わたしも悠真くんが教えてくれるから、悠真くんと一緒に走るようになってからさ、タイムも縮んだんだと思う」
「そう言ってくれるのはうれしいけど、でも、菜々美だって努力してんじゃん。たぶん菜々美の努力の成果だと思うぜ」
「努力家の悠真くんにそう言ってもらえると、なんか自信が出てくる。ありがとう」
二人のまわりには、和やかで穏やかな時間が流れていた。こうした日々の積み重ねが互いの理解を深めていく。
菜々美の悠真が好きという気持ちは、悠真のことを知れば知るほど深まっていく。
悠真の誕生日のあとには、クリスマスがやってくる。プレゼントはどうするか?
クリスマスは「恋人イベント」なので、さすがの菜々美も悠真にプレゼントを渡すのは気が引けてしまう。つきあってもいないのだから。でも……、
(悠真くんと彼氏彼女だったら、プレゼントを贈りあったりとか、ロマンティックなデートとかできたのになぁ。あー、なんか、もう、悠真くんとつきあいたいよ)
だったら、いっそのこと勇気を出して悠真に告白しようかとも思うが、
(でもでも、もし悠真くんに告白して断られたら、今の心地よい関係もくずれちゃうよね。そんなのはイヤだ。どうしよう?)
悩みながらも、菜々美は、練習の前後に悠真と一緒にランニングできる楽しみに、心をときめかせる日々をすごしていた。ただ、時間だけがムダにすぎていく気がするなとも感じていた。
そうこうしているうちにクリスマスも終わり、冬休みも終わり、3学期になった。
(悠真くんともっと仲良くなりたいけれど、どうしたらいいんだろう? ……告白)
「一緒に走ろうぜ、菜々美」
悠真くんはいつもわたしだけ誘ってくれる。もしかして、悠真くんもわたしのことが好き?
まさかね。
悠真くんはだれにでもやさしいし、いつもわたしだけ誘ってくれるんだから、わたしが好きだったら、好きって言ってくれるはずだし……。
あー、悠真くんにとってわたしは、友だちとして好きってやつかもしれない。
悠真くんは、中学のクラブのときも、後輩の面倒見がよくて、後輩たちに慕われていたよね。タイムの縮まない後輩がいたら、熱心にコツとか教えてあげていたし。
今だって、わたしは悠真くんと一緒に走りながら、悠真くんから「走りのコツ」をいろいろ教えてもらっているし、わたしって悠真くんにとって「かわいい生徒」?
わたし、ピクニックで悠真くんにふがいないところを見せたから、たぶん悠真くんはわたしのことを放っておけないと思ってくれているのかもな。それはそれでうれしいけど……。
とまあ、なんだかんだと悩んだ菜々美は、女子バスケ部の親友に、悠真のことが好きだと白状したうえで、告白をどうしたらよいか、相談した。
親友の答えはシンプルだった。
「悠真くんも菜々美のことが好きだって。気になるなら思い切って告っちゃいなよ。絶対にうまくいくから」
「うん、でも、悠真くんに嫌われたくないし……」
「は? 好きって言われて嫌う男子なんているわけないじゃん。菜々美もうじうじ悩んじゃって、恋する乙女かよって。もう、菜々美らしくないよ。いつまでも告白しなければ、いつまでも恋人になれないんだよ。それでいいの?」
「それはイヤだ」
「だったら、告白しかないじゃん」
「うん、そうだね……。わたし、悠真くんに告白する!」
「よし、がんばれ!」
まもなく迎えるバレンタインは告白のチャンスだ。菜々美はこの日に悠真に告白しようと心に決めた。
菜々美が自宅のキッチンでチョコを手作りしていると、菜々美の母が通りかかり、
「あら? 悠真くんにあげるの?」
菜々美は顔を真っ赤にして、恥ずかしさで答えられない。
「がんばってね」
母はやさしくほほえみかけた。
「……うん、ありがとう!」
そうして迎えるバレンタインデー当日。
(いよいよバレンタイン、今日は悠真くんに告白するんだ。がんばれ、わたし!)
練習後、菜々美は、クールダウンのランニングで悠真と一緒に走りながら、
「あのね、悠真くん」
「ん?」
「今日の帰りさ、実は渡したいものがあってさ……」
「もしかしてチョコ!?」
「あ、うん……」
「マジか!? 超うれしいんだけど!」
満面の笑みに大喜びする悠真に、菜々美は少し戸惑いながら
「それでね、帰り、校門のところで渡したいんだけど、いいかな?」
「もちろん! あー、マジ楽しみ!」
そんな悠真を見て、菜々美は告白が成功すると思い、心で思わず「よし!」とガッツポーズした。
今回は約束したし、誕生日みたいに邪魔が入ったりしないだろう。
菜々美は更衣室で着替え、前髪を軽く整えてから、校門のところで悠真を待った。いよいよだ。菜々美の心臓は、どきどきをとおりこし、ばくばくしている。
まもなく悠真が姿を現す。菜々美を見つけ、笑顔で駆け寄ってきた。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、大丈夫」
言ってカバンからキレイにラッピングしたチョコを取り出したとき、遠巻きに男子チームメイトたちがこちらを見ているのに気づいた。
ニヤニヤしている男子もいれば、興味津々に観察している男子もいる。
(え? なんで?)
菜々美は急速に勇気がしぼんでいくのを感じた。
実は悠真が男子更衣室で着替えていたとき、チームメイトが悠真の顔がいつになくデレているのに気づき、
「悠真、なにニヤケけてんだよ?」
「まさか、チョコか?」
言われて悠真は、うれしさのあまり「そうなんだ。菜々美がくれるって」とバカ正直に話していたのだった。
そうとわかれば、年頃の高校生男子がおとなしくしているわけはない。菜々美が悠真にチョコを渡す瞬間を見ようと、遠くから悠真についてきた。そういうわけだった。
そうとは知らない菜々美は、大事な告白を見世物にされるなんて耐えられない。
とりあえず男子たちには気づかないふりをして、平静を装いながら、
「悠真くん、いつも一緒に走ってくれて、ありがとう」
菜々美は笑顔でチョコの包みを差し出し、悠真も笑顔でチョコを受け取った。
「こちらこそ、ありがとな!」
「じゃあ、悠真くん、また明日ね」
菜々美は笑顔で手をふり、去っていく。
「お、おう……」
悠真はちょっと拍子抜けしたという感じだった。それでもうれしいことには変わりない。
その場から遠ざかる菜々美は、背後で男子たちが悠真を囲んでわいわいがやがや盛り上がっているのを感じ取っていた。しかし、振り向くことなく、そのまま帰宅する。
(もう、大事なときに、なんで、こうなるのよ!)
菜々美が「ただいま」と玄関を入ると、母が「どうだった?」と聞いてくる。
「うん、渡せたよ。渡せたけど……」
「ん? ダメだったの?」
「……いろいろあって、好きって言えなかった……」
言って菜々美は大きくため息をついた。
「そっか。まあ、チャンスはいくらでもあるんだから、あせらなくても大丈夫よ」
母は菜々美にやさしく微笑みかけた。
菜々美はワンチャン3月14日になったら、悠真から「お礼」と称してプレゼントをもらえるかもな、そのときに告ろうかなって思ったりもしたが、なにごともなく14日も経過した。




