第4章:泥と汗と、奇妙な隣人たち
「うそでしょ…これ、いつのサーバーよ?」
サーバーラックは、ホコリと蜘蛛の巣にまみれ、異臭を放っていた。まるで、化石発掘現場だ。私のスマホのライトを頼りに、恐る恐る手を伸ばす。ケーブルはガチガチに固まっていて、どれが何に繋がっているのか、まるで判別不能。これは、もはやシステムではなく、文明の遺跡だ。
昼間だというのに薄暗い部屋で、私はひたすらケーブルと格闘した。テスターで導通を調べ、ポートを一つずつ確認する。都会のオフィスでは、誰もが「情シスは魔法使い」とでも思っているのだろう。ボタン一つで全てが解決するとでも? 現実は、泥と汗と、そして時々、絶望的なエラーコードの連続だ。
その日の夕方、源さんが戻ってきた。手には、焚き火で焼いたらしい魚と、おにぎり「ごはんだ」とだけ言い、私の隣に座り込んだ。無言で魚をちぎり、私に差し出す。
「あの…電気は?」
私の問いに、源さんは「電気?」と首を傾げた。
「ああ、太陽が沈んだら、明かりは消えるもんだ」
彼は、そう言ってニヤリと笑った。
マジか。電気がない? ということは、私のモバイルバッテリーも、いつかは尽きるということ…? いや、これはサバイバルじゃない。文明崩壊後の世界だ。
夜は、満点の星空が広がっていた。都会では、ビルの灯りに隠れて、こんな星空を見ることはない。最初は感動したけれど、すぐに孤独感が襲ってきた。スマホを見ても、誰もいない。私の唯一の繋がりだったデジタルの世界は、遠く、手の届かない場所にある。
翌日、合宿所の利用者たちがやってきた。総勢5名。彼らもまた、デジタルに溺れた人々だ。
「え、マジでWi-Fiないんすか?」
「YouTube見れないなんて、ありえないんですけど…」
彼らの不満の声が、古民家に響き渡る。まるで、断薬を求めるジャンキーだ。
その中に、ひときわ目を引く女性がいた。佐倉アカリ(24歳)。ファッション誌から飛び出してきたかのような、おしゃれな服装。長い髪は美しく巻かれ、爪は完璧に手入れされている。しかし、その手には、まるで命綱のようにスマホが握られていた。
アカリは、有名インフルエンサーだという。フォロワーは数百万。そんな彼女が、なぜデジタルデトックス合宿に? 疑問は尽きないが、彼女の顔には、スマホ依存症特有の疲労感がにじみ出ていた。
アカリは、スマホが使えないことに絶望し、初日からヒステリーを起こしていた。「誰か充電器持ってないの!?」「圏外とかありえない!」その声が、私の耳にキンキン響く。私は、イライラしながらも、なんとかネットワークの構築を進める。
しかし、私のスキルだけではどうにもならない事態が頻発する。古いサーバーはすぐに熱暴走し、勝手に電源が落ちる。配線は複雑すぎて、何度もショートを起こしかける。私は、泥だらけになりながら、時には虫と格闘しながら、悪戦苦闘を続けた。
そんなある日のこと。サーバーがまたもやフリーズした。私は思わず、目の前のキーボードを叩きつけた。その瞬間、静かだった源さんが、私の隣にスッと座った。
「システムとやらは、木を育てるのと一緒だ」
彼の言葉に、私は思わず顔を上げた。
「焦っても、良い実は実らん。ゆっくり、土を耕し、水をやり、見守ってやるもんだ」
彼は、まるで禅問答のように、静かに語りかけた。
その言葉が、私の凍りついたデジタル脳に、じんわりと染み込んできた。この場所には、私の知らない「システム」があるのかもしれない。それは、自然のリズムであり、人の営みなのかもしれない。私は、初めて、この原始の環境に、少しだけ心を開き始めた。
しかし、そんな穏やかな時間も束の間だった。合宿所全体を揺るがす、まさかの「アナログ危機」が、すぐそこまで迫っていたのだ。それは、私のデジタルスキルだけでは、到底解決できない、根源的な問題だった…。