カカシ行
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくん。どうだい取材は順調かな。
夏合宿に向けて、怖い話をストックしておこうとは、君も今回は妙なところで気合を入れているな。
いくら場がしらけるのを防ぐための「サクラ」とはいえ、君ほど精力的に動いている人はそうそういないよ。
話を知った上で、どのように語るかも難しいところだけどね。また集めた話をよく精査しなくては。
――うん? お前のほうの収穫はなかったのかって?
なかなか話を語ってくれる人が捕まんなくてね。あいにく、あれからひとつ新たに仕入れたばかりさ。
聞いておきたい? ならリクエストにおこたえして、ちょっぴり話をさせてもらおうか。
たまたま家に来ていたおじさんから聞いた話だ。
当時、おじさんと父が過ごしていた地元には、「遠目のカカシ」と呼ばれる存在がささやかれていたらしい。
カカシについては、あらためて語ることもないと思うけど、田畑などに突っ立たせて、作物を荒らす鳥たちよけに使う、人形の一種といったところか。
人間の怖さを知っている動物たちには効果てきめんであり、しばらくはその被害をおさえられるのだが、横着してそのまま使い続けるのはよくない。
タネがばれたら意味ないんだ。動物たちだって、バカじゃあない。
「こちらへ危害を加えてこない、ただのカカシですな」とバレたとたん、彼らは怖じることなく自分たちの仕事をやり遂げていってしまうわけだ。
これじゃあいけないと、風を受けて動く部分をカカシに取り付けたり、光り物をぶら下げることで変化があるように見せかけたりと、日々工夫が成されているわけだ。
しかし、カカシたちは基本的に何もできない。
役目を負わされたそのときから、お払い箱になるそのときまで、24時間あるいはそこに365日が足されて仕事をこなさねばならない。
そうなれば使命を果たすため、彼らもまたおそるべき力を身に着けることもあるのだとか……。
ことのおこりは、おじさんが久々のサイクリングから帰ってきたときのこと。
本格的なものじゃなく、家で普通に使っているママチャリを駆ってあちらこちらをめぐってくる程度のものらしいんだけどね。
そのおじさんが行きに通りかかった田園地帯。その道路すぐ脇にあるカカシが目に入った。
数日前の雨の影響か、やや傾いだ状態で立つそのカカシはかぶっていたであろう麦わら帽子を足元へ落としてしまっている。
あらわになった顔には、軍手のものらしき生地でたっぷりカバーがされているが、うずめてあっただろう差し目のひとつは、半端にえぐられてしまっている。
紛失はしていない。足の部分が微妙に生地へ引っかかり、落下を阻止していたのだとか。
相当ひどくやられたな……と、おじさんは思うも、そのままその場を後にする。
人様の作ったものだし、手を入れてやる義理もない。落ち度があるとしても、自分のあずかり知らないことだと、その日のサイクリングに興じていく。
数時間後。
ほどよく汗をかいたおじさんが、またこの道へ戻ってきたところ、気づいたことがある。
羽だ。それもこぞって黒いもの。
カラスのものだろうと見当がついたが、このあたりでカラスが漁りそうなものというと、なんだろうかとおじさんは思う。
ゴミ捨て場が近くにあるわけでもない。かといって、無造作に野菜くずを捨てるための穴が開いていて、溜めているわけでもない。
たまたま上空を通りかかったとて、路上からこんもり盛り上がるほどの量とは異常だ。
まるで好きこのんでここへ何匹もたむろし、あるいは互いに大暴れして、羽を散らしたようにおじさんには見えたのだけど……。
ふと、またがったままの自転車が勝手に動く。
タイヤを転がし、前方へ走り出したわけじゃない。前輪を大きく持ち上げる格好でウィリーを始めたんだ。
自分から意識してやるならともかく、こいつは不意打ち。馬が突然暴れ出したかのごとき動きに、気を緩めていたおじさんは、なすすべなく後方へ投げ出された。
背中をしたたかに打ち付け、それでもなんとか起き上がろうと身を起こすおじさんは、見た。
あの前輪を浮かせたママチャリが、のけぞりを続けながら、ついにはその場で宙返りしたかと思うと、地面へタイヤをつけずに空を飛んでいくんだ。
先に見た、あの目のほじくられたカカシへ向かって、一直線に。
そうしてぶつかっていった自転車は……消えてしまった。
代わりにカカシの頭が、ひと回り大きくなる。よくよく見れば、行きに見た時よりもずっと大きくなった頭部は、細々とした竿に通した身体とはだいぶ不釣り合いになっていたんだ。
そのうえ、おじさんは自分が動いていないのに、背中から尻にかけて勝手に地面を滑り出しているのに気付く。
例のカカシへ引きずられているのだと、すぐ分かったらしい。向かう先は自転車と同じ方向だったから。
手をついたまま這おうとしても、引力は想像以上に強い。
立って走らなくてはかなわないと、無理に起きようとしたら、足元の小石でもう一度派手に尻もちをついた。
そのぶん一緒に滑って、なおカカシへ近づいてしまう。
もう足先がカカシに触れるかという、直前まで迫っておじさんは気づいた。
カカシの両目はもうこぼれ落ちかけていることに。その外れた目の奥にあった、別のまなことくちばし。
カラスたちの顔がうずまっていることに。
いよいよカカシに触れてしまうかといった直前、その頭は弾けた。
ちぎれ飛んでしまったんだよ。そして中から出てきたのは、どのように収まっていたのか分からない、自分のママチャリ。
そのカゴ、サドル、フレーム……そこかしこに、カラスの頭の部分だけがいくつも張り付いていたのだとか。
おじさんはもう夢中で逃げ出し、それがママチャリとの永遠の別れとなったのだとか。