【後編】魔王は平和に暮らしたい
窓から柔らかい日差しが差し込む。ゆっくりと覚醒していくのが惜しくて、ふかふかのベッドの上でゴロリと寝返りを打った。
ずっと魔王城に籠っていたから運動不足だったのだろう。昨日は長時間図書館で過ごした後、尾行されていた男らを捕まえたところまでは良かった。その後、足元の悪い森の中を全力で走ってコカトリスの相手をして・・・途中でアーディンに代わって貰ったが。
町に戻った後は、昊天の光のメンバーに俺達の正体を明かしたり、今後について話し合っていたら深夜を回っていた。
―――今日はこのまま寝てようかな・・・
俺の思考を読んだように、包まっていた布団は無慈悲に剥ぎ取られた。
比較的温暖な魔王城と比べ、リーディアの町の朝は若干寒い。外気に体温が奪われ、完全に目が覚めてしまった。
「いつまで寝ているつもりですか」
―――そうだ。アスレイが居たんだった。
仕方なく欠伸しながら気怠い体に鞭を打って上半身を起こした。顔を上げると呆れた表情をしたアスレイの姿が視界に入る。
昨日は昊天の光のメンバーと話し合いをする為に、寝室とリビングが別になった大部屋を借りて三人一緒に泊まったんだっけ。それ自体は全く問題ないんだが・・・
「規則正しい生活。そして適度な運動。魔王と勇者のスキルを持っているとはいえ、基礎体力はルーク自身なのですよ」
―――あ。コレ、昨日からの俺へのダメ出しだわ。
確かに反省する点ではある。だが・・・
「子供を叱る母親みたい」
一連の流れを備え付けの椅子に腰かけて見ていたアーディンがポツリと呟いた。
―――ホントに思った事すぐ口に出しちゃうんだよねーこの子は!
今のこの状況でそんなこと言ったら火に油を注ぎかねない事態に、俺の内心は冷や汗状態だ。
「いや、夫を叱る妻?」
革紐の先に逆三角錐の透明な石が付いた首飾りを見ながらアーディンは続けた。指に紐をかけてプラプラさせているのは、ファリシアが持たせたお守りだろうか?彼女が持つ神聖な魔力を僅かに感じる。溺愛する息子を心配して持たせているのだろうが・・・
―――その周りは全く守られていないんだが!?
さっきの発言はジェイド一家に当て嵌められているのだろうかと、少し同情心が芽生えそうだ。
だが、今はそんなことはどうでも良い。さっさと起きてこの場から逃げ出すのが吉だ。
「それにしても、先代の勇者の名前が愛称だったとは驚きでした。私もまだまだ未熟者ですね・・・」
予想に反してアスレイは特に意に介していなかったようだ。
先代の勇者の名前はバルドーと子供の頃から教えられてきた。だからこそ、そこを疑う余地が俺達には無かった。
先の戦いで敵対したオルデウスとミラリスも彼らが魔王城に召集された時点で既に魔王が君臨していたようなので、元勇者だったという事実は知らないはずだ。
少しの可能性を秘めているのは、俺が昨日見つけた本の著者である魔導師ゼーレ。年齢的に生存している可能性は極めて低いが、彼に繋がる人物と接触できれば勇者ヴァルドルフの後世を知ることが出来るかもしれない。その為に、クリスが所属している魔導学術会のツテを使って支援を依頼したのだ。これで何も出てこないようなら、後世は移り住んだとされる王都に行くことも検討している。彼の家族と接することになるかもしれない可能性に躊躇いが無いわけではないが・・・。
「もし、王都へ行くことになっても私が対応しますのでルークは―――」
「いや、これは俺の問題だ。レイは俺が間違った方に進まないよう見ててくれ」
「・・・分かりました」
この話はここで終わったかと思ったが、アーディンが珍しく問いかけてきた。
「オレ思ったんですけど、人族って魔王に興味ないんですか?」
昨日は昊天の光のメンバーがいた上、アスレイに怒られて不貞腐れていたからか大人しかったが、アーディンも気にはなっていたようだ。
確かに勇者側が公表する、しないでは無く、第三者は調べようとしなかったのか・・・。
「それは勇者が魔王へ生まれ変わるという構図が世間に知れ渡ってしまうという話へ繋がってしまいますね」
こんな重大なことを知ったとすれば、公表に踏み切ろうとした者は居たはずだ。だがアスレイの言う通り、勇者と魔王の構図が知られてしまうという話にもなる。今まで公表されていないのは、別の問題があるのかまたは、知ろうとした者が本当にいなかったのかということになってきそうだ。。
第三者を幼少期から勇者を授かった頃の自分として考えてみると、魔王の名前というものに関心は無かった。魔王は魔王だと刷り込みのようなものがあったが、全ての人がそうであったとは到底思えない。特に歴史研究者であれば、調べないという選択肢を進んで選ぶのは違和感しかない。勇者側の人物から聞きださない限り確認の仕様がないのは理解しているが・・・
「接触できたとしても名前を聞きだせなかったとすると、勇者側に何かしら制限が掛かっていたことになるのか・・・?」
「それだと昨日の奴らにオレたちのことや先代の魔王について話してるじゃないですか」
―――歴代魔王との違い・・・
「呪いの発動の時期?」
「ルーク以外の勇者達は、暫く勇者のまま過ごしていたという仮説でいけば、否定できないでしょうね。・・・だとしても、やはり勇者ヴァルドルフの後世が分からない限り答え合わせは難しそうですね」
アスレイが言い終わらない内に盛大な腹の虫が部屋に響いた。
断っておくが俺じゃない。・・・となると、残りは一人だけか。
「ハラ減った~・・・」
アーディンがもう限界だといわんばかりに、俺が腰掛けたままのベッドに倒れこんできた。
周りがクセの強い年上だらけの中で天真爛漫に育ったものだ。素直な分、人族に対して許せない気持ちが人一倍強いようだが、そこは俺が強要する所じゃない。
「ねえ、主が先代の魔王と戦った時に呪いを受けたって話だけど、それは母さんの祈りでも解呪できなかったの?」
聖女であるファリシアは、回復以外にも蘇生、浄化、解呪といった神の祝福を扱える唯一無二の存在だ。魔族となってもそれは失われていない。
「ああ、一見なんとも無いものだったし、そもそも自分がそんなモノを付与されいてるなんて思ってもみなかったからな」
魔王討伐後、右上の額に小さな痣のようなものが出来ていたが、死に際になってそれが魔王に付与されたものだったと気づいた。そこから流れてくる膨大な量の魔力の塊ともいえるものに呑み込まれた俺は、体そのものが作り変えられ魔王へと進化を遂げたのだ。
「呪いは受け継がれて行く」
俺の前に現れた先代魔王の思念体の言葉は、魔王から勇者へ受け継がれて行くことを表していた。
万能ともいえる能力を持つ母親でも気づかない精巧な呪いの存在や事実に、アーディンは戸惑いを隠せないようだ。
「この話はしてなかったか・・・」
何処かしょげているようにも見えるアーディンの頭を撫でるのは久しぶりだ。母親譲りの柔らかい金色の髪は性格と似ていて素直で、彼が今よりもっと幼い頃によくこうした記憶がある。
「誰が悪いわけじゃない。何者かが作ったようなルール通りにしかならないことが問題なんだ」
「・・・オレは、今ここに存在してることが幸せで、だから理不尽に命を奪われた両親を生き返らせてくれた主には感謝してます」
俺が魔王にならなければ、アーディンが生まれることは無かった。言い換えれば、生まれた時から俺の運命に巻き込まれた内の一人でもある。
独断で蘇らせたジェイドとファリシアの間に彼が生まれたことで、俺は二人に許されたのだと思うことが出来た。そして、彼らの子供であるアーディンが幸せだと思っていてくれることが、俺にとって救いでしかない。
「主・・・おれ・・・」
「なんだ?」
「ハラ減り過ぎて、もうムリ・・・」
一ミリも動けないと言って布団の中に沈んだアーディンを見て、じわじわと笑いが込み上げてきた。吹き出してしまった後は堪えるつもりも無く、ひとしきり笑ってしまった。ずっと見守るように様子を見ていたアスレイも今は背を向けているが、声を殺して笑っているのは明白だ。
「そういや、昨日はまともに食ってなかったもんな」
「確か朝食付きでしたので食べに行きましょうか」
食べに行くと聞くや否や、アーディンはあっという間に寝室から飛び出し、リビングの先にある部屋の入口に行ってしまった。
「レイ、一つ聞いていいか?」
「なんでしょう?」
「魔王が元勇者だと分かってたら、俺は魔王ヴァルドルフを倒せてたと思うか?」
昨晩の話し合いの中で初代勇者以外、魔王が先代の勇者と同じ名前であることに気づいていただろうと思ったのと同時に、先代勇者の名前がバルドーでは無くヴァルドルフと教えられていたのならば、俺は躊躇いなく魔王を討てただろうかという疑問が湧いた。
「結果は同じでしょう。苦しむ人がいなくなることを望んでいた貴方ならば、何が最善かは分かっていたはずです」
「そっか・・・」
「気に病んでいるようですが、完全に魔王となってしまったならば、それはもう別人であると見なすべきです」
確かに、魔王への進化の条件が死ぬことであれば、そうなのかもしれない。勇者としての意識が途絶えたのならば、器は同じだとしても中身は別の人格と考えるべきなのか・・・
「・・・だからといって、今のルークが別人だとも、同じ道を辿るとも誰も思っていません」
「・・・・・・」
胸の中に何かストンと落ちるものを感じた。
「そっか」
今になって分かった。
俺を信じてくれている言葉が、ずっと欲しかったんだと―――
「主!アスレイさん!早く早く!」
なかなか寝室から出てこない俺達にアーディンが痺れを切らしたようだ。
「お腹を空かせたお子様がお待ちですよ」
「だな」
扉の前で待つ可愛い仲間の元へ俺とアスレイは急いだ。
「何でオレたちがやらなきゃならないんですか?」
朝食後、俺達はコカトリスと戦ったモルビスの森に来ている。
アーディンが不満がっているのは、俺達が周辺の調査をすることにしたからだ。
立て続けに高ランクの魔物が現れた影響なのか、リーディアの町を出る時に衛兵から止められそうになったが、アスレイに対応を任せた。俺はアーディンが何かを口走りそうになったら、全力で口を塞いででも止める役割を担っていたが、実行せずに済んで安堵している。
「初日は俺のせいだけど、二日連続でこの辺りには生息していないはずの高ランクの魔物が現れたことになるからな。他にも引き寄せられた魔物がいないとも限らねーし」
「クリスさんに依頼をお願いしている身ですからね」
続けざまに嫌なら帰りますよと、思わず俺がゾッとしてしまうアスレイの声色に対して、嫌だと全力で返してしまえるアーディンは称賛に値する。
「周辺に昨日のコカトリスのような警報級以上の魔物の反応はありませんね。ですが・・・」
昨日から引き続き、低ランクの魔物や動物たちもこの辺りには戻って来ていないようだ。森の中は依然として時折吹く風に草木の枝葉が擦れる音がするだけで、鳥の鳴き声すら聞こえない。
「どう思う?」
「まだ安心するのは時期尚早と見て間違いないでしょうね」
「それってオレたちがここにいるから戻ってこないってことはないですか?」
全ての魔物の頂点である魔王と、その右腕であるアスレイは地位だけではなく俺とも遜色ない実力の持ち主だ。お互い魔力は抑えているとはいえ、ただならぬ何かを本能で感じ取っているとなればお手上げだ。
「可能性で考えるなら低いでしょうね。敏感な野生動物であればその可能性は少なからずあるでしょうが、全ての魔物も含めるとなると我々の影響が全てだとはいえないでしょう」
「まあ、昨日会った人族が主たちの強さを全然分かってなかったくらいだしな・・・」
「他人を蔑む様な言葉は慎みなさい」
アーディンの人族に対する負の感情は何処までも変わらないようだ。
白か黒、好きか嫌いの両極端でグレーが無い。
両親を始め俺達を裏切ったという事実が彼の中では全てであり、人族を拒絶する理由なのだろう。
「アーディンは魔王城に住む者以外との交流は無かったからな・・・たくさんの人と接することで物の見方も変わってくると思うんだけどな」
「主、オレは弱い奴と関わるつもりなんてないですよ」
「そっか。まあ、別に強制するものでもねーし」
生きていれば望まなくても様々なものが変わっていく。それはいつまでも今までの暮らしが続くとも限らないということだ。否応でも様々な人たちと接することが必要となってくるだろう。
「もう少し人との関わり方を学ばせた方が良いのでは?」
「今のアーディンにそんなこと言っても余計に拒絶反応を強めるだけでしかねーよ。たぶん、切っ掛けが必要なんだよ」
昨日コカトリスと戦った場所を中心に周辺の反応を確認したが、脅威となるようなものは見つからなかった。
木々が密集する森から舗装された道へ戻り、道なりに歩いていると、アーディンが何かを見つけたのか突然走り出した。道の先には、巨大な岩山と少し開けた場所が見える。この辺りはクリスとレナに出会った場所だ。となると、アーディンが見つけた何かの予想はつく。
「これってダンジョンってやつですか?」
ワクワクする気持ちを抑えきれない声で、一番大きな岩山の割れ目に出来た空洞を覗き込んでいる。
「潜ってみるか?」
隣でアスレイが何かを言いかけたが、諦めに近い溜息が直ぐに聞こえた。俺とアーディンの二人を止めるのは無理だと判断したのだろう。
「大丈夫だって。このダンジョンは攻略済で宝箱も取りつくされてるし、潜ろうとする奴は殆どいないらしいからな」
目立つことは無いと断言した俺の顔を見たアスレイは、今度は深い溜息を吐いた。
ごつごつした岩肌の洞窟に似た薄暗いダンジョン内は、入口の狭さは微塵にも感じない広さがある。アーディンが剣を振り回したり、高く飛び跳ねても天井との距離は十分ありそうだ。
だが、ダンジョンに足を踏み入れた瞬間から違和感があった。
―――特殊な空間であることに違いはないが・・・
「魔素が濃い・・・?」
「ここへ潜る冒険者が殆どいないという話でしたので、もしかするととは思いましたが・・・」
俺達にとっては何でもないが、低級の魔物や耐性の低い人族にこの魔素の量は厳しいかもしれない。魔物にとって魔素は活動源になるが、多ければ良いというものでもない。薬と同じで体内に取り込める許容量を超えれば毒になる。それを物語っているように、壁際にいるスライムやゴブリン達の動きが悪い。
「どういうことですか?」
全くピンと来ない様子のアーディンの為に、アスレイが現状の懸念事項等について簡単に説明を始めた。
「ダンジョンは特殊な空間で魔物を生み出す瘴気の溜まり場でもあります。それと共に、魔法や魔物の活動源にもなる魔素が溜まりやすくなっています。冒険者達がこのダンジョン内に湧く魔物を倒すことで瘴気と魔素の両方が上手く循環していたようですが、現在はその循環に乱れが出来たことで魔素溜まりが出来てしまっているのだと思われます。そして、この状態になると懸念されるのは、魔物を生み出す瘴気にも影響を及ぼし、危険な魔物が生まれる可能性が出てくるということです」
温泉近くのモルビスの森で感じた上質な魔素と違って、此処に溜まっているのは、どちらかといえば瘴気に近いマイナスのものだ。魔素は環境によって良くも悪くも変化する。人族にとって瘴気は毒にしかならない。駆け出しの冒険者が腕試しでダンジョン内に入った途端デバフが掛かった状態になり、挙句には全く歯が立たないような魔物に襲われる事態になりかねないということだ。偶然とはいえ、俺達がここへ来たのは良かったのかもしれない。昊天の光の誰かにギルドへ報告して貰えれば調査隊が組まれるだろう。
「じゃあ、この先に強いヤツがいるかもってことですよね!」
「・・・まあ、そういう事ですね」
アーディンの興味は何処までも自分が楽しめるかが基準だ。昨日のコカトリスとの戦いは彼にとって物足りないものだったようで、強い魔物がいるかもしれないと知った今はテンション爆上がりというやつなのだろう。父親のジェイドは落ち着いたが、息子はしっかり遺伝子を受け継いでいるようだ。
「魔王城周辺の警備をしているオルデウスにもたまに同行していたようですが、ここまで影響を受けていたとは・・・」
戦闘馬鹿のオルデウスと一緒にいたことで、更に輪をかけてしまったということか・・・
そういえば、アーディンが普段何をしていたのか気にしていなかった。幼い頃は、剣術の稽古の相手をすることもあったが、成長してからは魔王城の周りにはいくらでも相手がいるので、ほぼノータッチだった。天使のように可愛かった子供が、戦闘馬鹿と同じ脳筋になってしまうまで放って置いたことが悔やまれる。
―――成長した今も可愛いと思うが・・・
「気持ちは分からなくもないですが、叔父のような目線で考えるのは、そろそろ止めた方が良いですよ」
「わ、分かってるって!つか、勝手に人の心を読むんじゃねーよ!」
「ルークが分かりやす過ぎるだけですよ」
立ち止まっていないで行きますよと、先を進むアスレイの後ろ姿は一切の口答えを許さないオーラが醸し出されている。
多少の不満はあるが、楽しそうなアーディンの為にダンジョンの奥へ向かって再び歩き出した。
「かなり奥まで来ましたね」
初級ダンジョンと聞いていたからもっと浅いと思っていたが、地下十層まで来てしまった。どのフロアも大した広さは無く単調な造りではあったが・・・。
ここまでの間、人族の冒険者とは出会わなかったが、魔素の影響で自我を失った魔物数匹が襲い掛かって来た。これらは全てアーディンが全て片付けてくれたお陰で俺とアスレイの出番はないままだ。
「恐らくここが最下層のようですが、今までとは桁違いの魔素が溜まっているようですね」
「やっと倒しがいのありそうなヤツが出てきそうってことですね!」
アスレイの心配をよそに全く緊張感が無いように見えるアーディンだが、ここまでの道中後ろから様子を見る限り、常に周囲の警戒はしているようだ。しかし、この先にいる何かは魔王城周辺でも感じたことのない気配を感じる。特殊な個体と見て間違いないだろう。
とその時、悲痛な叫び声が目的の場所から聞こえてきた。
死に際の恐怖で引き攣った声だ。
反射的に駆け出そうとしたが、向かい側から人影と足音が近づいて来た。
「アイツ等は・・・!」
全力で逃げるように走って来る男達の顔は見間違えるはずがない。
相手もこちらに気づいたようで、勢いそのままに食って掛かって来た。
「テメェ・・・!あの後、冒険者登録を抹消されちまったせいでこんな所に来るハメになったんだ!」
俺の胸ぐらを掴む男にアーディンが今にも殺してしまいそうな目つきに変わった。それに気づき軽く手を上げて制止させたが、この男の行動次第でどうなるかは俺にも分からない。
コイツは、昨日俺から金目の物を奪おうとして、逆にギルドへ突き出してやった剣豪の男だ。今までの問題行為を重く見たギルドが冒険者として二度と活動できないよう登録を抹消したのだろう。
「登録抹消が百歩譲って俺のせいだとして、攻略済のこのダンジョンに来る意味があるのか?」
「知るか!最奥の調査をして来りゃあ多額の報酬を貰えるって話を持ちかけられただけだ!」
今度は獰猛な鳴き声が聞こえて来たと同時に、地響きで足元が揺らいだ。
「おい!そんなヤツ相手にしてないで早く逃げねーと、アイツを囮にした意味ねえだろ!」
一緒に逃げてきた灰色の髪の男も昨日一緒にギルドへ引き渡した内の一人だ。額に深い赤色のバンダナを巻いているのが印象的ではあるが、それ以外はとりわけ特徴のない斥候役のシーフのようだ。
苦虫を噛み潰した顔で俺を睨んできたが、一刻も早くここから立ち去りたいとばかりに男の背中を押した。
「次会ったら覚えてろ!」
吐き捨てるようにそれだけ言い残すと、シーフの男と共に地上へ続く道を駆けて行ってしまったが、その足音も程なくすると聞こえなくなった。
「知り合いですか?」
「昨日俺から強奪しようとして返り討ちにしてやった奴らだよ。前から問題行動を起こしてたらしくて、ギルド側も重く見たんだろうな」
「それで登録抹消になった訳ですね」
逆恨みも甚だしいと、アーディンも流石にドン引きしているようだ。
「会話の中に不穏な言葉が含まれていましたが、ギルドに引き渡したのはあの二人だけですか?」
「・・・いや、四人だ。急ごう」
逃げたのが二人だけとなると、会話の中にあった囮という言葉通りだろう。助けてやる義理は無いが、無視した場合は後味の悪い結果になるのが目に見えている。
直線距離を秒単位で辿り着いた先は、開けた空間が拡がっていた。その場所では、さっきの男の仲間の一人が直立した巨体の魔物に握り潰されようとしていた。
十メートル近くの高さに男を掴み上げ、反対側の手には体格に見合った巨大な斧が握られている。牛の頭に人の体をした姿はミノタウロスに似ている。だが、大きさが規格外すぎるこの魔物は、ダンジョンに漂う異常な魔素の影響で生まれてきたのだろう。
すぐさまアスレイが氷魔法で魔物の足元を分厚い氷で固め、アーディンは男を掴み上げている太い腕を切りつけた。
「!」
浅い切り口からして頑丈そうなのが窺える。
魔物からしてみれば突然身動きが取れなくなり、更には切りつけられたことで怒りを露わにした。魔物があげた咆哮によって空気が震え身体にも響く。通常の人ならば意識を保つことも困難だろう。
大きな体を捻り足元の氷を割って抜け出すと同時に、反動で手にしていた男が振り落された。すかさず影を伸ばして受け止めたが、見た様子からして瀕死の重傷だ。体中のあちこちに抉れた傷があり、出血も酷い。何より顔面蒼白で意識が無い今の状態は一刻を争う。
「レイ!アーディン!少しだけ足止めしてくれ!」
回復系の魔法を使えないメンバーだと、アイテムに頼るしかない。空間収納から回復薬を取り出すと、男の体に振りかけた。回復薬は体内に摂取した方が回復は早いが、意識が無いこの状態では難しい。
時間経過と共に出血が徐々に抑えられてきたが、大量に血を失っていることに変わりはない。傷口が塞がってもこのままでは、体温が下がり続けこの男の命が危険だ。
「アーディン、悪い。時間がねえから横取りさせて貰うぞ」
ダンジョンの中であれば力を多少解放しても影響はないだろう。
手にした愛剣が吸収した俺の魔力を刀身に纏わせる。その魔力に反応したのか、アーディンと向き合っていた変異種の魔物は体を回転させ再び咆哮をあげた。
こちらへ向かって来る一歩が大きいことは勿論だが、素早さもあり距離を一気に詰めてきた。斧を振り上げ俺を目掛けて振り下ろしたが、それが届くことは無かった。代わりに地面に岩が落ちたような音と振動が後ろから届いた。
変異種の魔物に向かって踏み込んだ俺の剣が、隙の出来た胴体を切り落とし、その残骸が地面に残されている。
「急いでリーディアに戻るぞ」
二度と来ることは無いと思っていたギルドへ再び訪れることになった。
ギルド内は俺達を見るなり場の空気が変わったようだ。冒険者達の注目を集めているのは、俺と担いでいる男だ。傷口は塞がったとはいえ、引き裂かれた防具を見れば意識の無い男の身に何があったのか予想はつくだろう。
「ルークさん!どうされたのですか!?」
対応していた仕事をそっちのけで慌てて駆け寄ってきたのは、昨日拘束した男達の引き渡しを対応してくれた女性の職員だ。名前は確か、エリーだったと思う。
「冒険者登録を抹消されたみたいだけど、コイツの治療は頼めるのか?傷口は手持ちの回復薬で塞がったが、大量に出血していたから輸血と安静にできる場所が欲しいんだが」
「それは・・・いえ、分かりました。彼の治療はギルドで対応させていただきます」
一度断りかけたところを見ると、本来は対応外だったようだ。しかし、彼女は人命救助を優先させたのだろう。
「助かる。あと、上層部に至急報告したいことがあるんだが・・・」
「その話なら俺が聞こう」
エリーの後ろから責任者らしい男が近づいて来た。年齢的には初老に差し掛かったくらいの男性だ。ギルドの制服の上からでも引き締まった体をしているのが分かる。元冒険者といったところだろうか。
「ちょっと待ってください!ギルドカードも持っていないような者をギルド長が対応しなくても・・・!」
慌てた様子で更に奥から若い男性の職員が出てきた。
高ランクの冒険者や位の高い貴族でもない奴を、ギルド長自らが対応することに異議を唱えるのは当然と言っちゃ当然なんだろうが、早く手を打たなければならない今の状況を考えると、面倒なことこの上ない。
「彼等からのお話でしたら、僕からもお願いいたします」
遠巻きに様子を窺っているだけの冒険者達の群れから、最近何かとお世話になっている人物の声が聞こえ思わず安堵した表情を浮かべた。
「クリス!」
「クリスと知り合いか。じゃあ尚更、俺が対応しても問題ないな」
ギルド内では有力者にあたるクリスからの依頼となれば、若い男性職員は引き下がるしかなく、俺達は部屋の奥へ案内された。
ギルド長室に通された俺達は、来客用のソファーを勧められた。ギルド長を上座にして、俺とクリス、そしてアスレイとアーディンの組み合わせで腰を下ろすと、簡単に自己紹介をした。俺は昨日ギルド側に名前が割れてしまっているので、アスレイはイルと偽名を名乗ることで要らぬ疑惑を持たれる心配を回避させた。これについては、町へ戻る途中に決めていたことだ。その他にも予想される展開に対応できるよう既に打ち合わせ済みだ。クリスも察しが良く、アスレイの偽名については何も反応を見せなかった。
昨日、彼に依頼した件は、リーディアの町にある魔導学術会の支部へ報告し、ゼーレについての情報提供を呼び掛けて貰えることになったようだ。予定より早く終わった為、依頼票を見にギルドへ来ていたところ俺達が現れたということだった。
「俺はリーディアの冒険者ギルドを纏めるライゼンだ。この部屋には、ここでの会話が外に漏れないように遮断魔法を施している・・・が、話の内容を聞く前に確認したい。ザッツの怪我は君達が報告したいことと関係があるのかな?」
ザッツとはダンジョンで救護し、ここまで運んで来た男の名前だ。
ライゼンの質問に間髪入れず肯定を即答すると、隣に座るクリスから息を呑む音が聞こえた。
詳細については私から説明しますと、打ち合わせ通りアスレイがこれまでの経緯を交えて説明を始めた。
「私達は旅の途中で、リーディアには少し長めの休息も兼ねて立ち寄りました。その際、クリスさんが組んでいるパーティーの昊天の光の方々と知り合う機会がありまして、今日は皆さんから教えていただいた情報を基に周辺を散策していたところ、モルビスの森の近くにあるダンジョンを見つけました。ダンジョン未経験のこちらの彼が興味を示しまして、中を少し覘く程度にするはずでしたが足を踏み入れた瞬間、魔素の異常に気がつきました。ギルドに属さない我々が許可なく入るのは違反行為ではありますが、聞いていた初級冒険者用のダンジョンとは思えず、確認の為に奥へ進んだところザッツさんの仲間に出会いました。彼らは誰かから持ちかけられた高額報酬に釣られて来ていたようでしたが、太刀打ちできない魔物と遭遇し、ザッツさんを囮にして逃げて来たと話していました」
昨日俺が拘束したのは四人だが、最下層の広間にはザッツ以外の姿は無かった。シーフの男が「アイツを」と言っていたように、ダンジョンに潜ったのは三人でザッツだけが囮として犠牲になったのだろうと俺達は結論付けた。
アスレイが話し終えるまでじっと耳を傾けていたライゼンは、確認事項の優先順位を整理するように、長い沈黙の後ゆっくりと口を開いた。
「・・・気になることはいくつもあるが、その魔物はどうしたんだ?アイツらも一応Bランク冒険者だったんだ。それが太刀打ちできないとなると、こっちはほぼ詰みだ」
ザッツが重傷を負ったことは確認済だが、昨日までBランク冒険者だった彼らが太刀打ち出来ない魔物と遭遇したという箇所は鵜呑みに出来ずにいるようだ。面識がなく実力も知らない俺達からの話なら疑っても当然だろう。
「それなら俺が片づけた。これがその魔物の魔石だ」
テーブルの上にゴトリと置いた握り拳五個分は超えそうな大きさと重量のある魔石からは、どの程度の強さかおおよその予測はつく。魔石の大きさや秘められたエネルギーがそれを示すのだ。
「な・・・ッ、こんな魔石は俺が現役の時ですら見たことがねえぞ・・・!」
低級のスライムやゴブリンであれば、欠片ほどの大きさでしかない。
かなりの驚きようだっただけに、魔物についてもどうやら納得して貰えたようだ。一緒に見ていたクリスも驚いていたが、ライゼンが取り乱す姿の方が意外で珍しかったようだ。
「俺もたくさんの魔物を見てきたが、初めて見る種類だった。鑑定で確認した限り名前はダークタウロス。恐らくミノタウロスの変異種で間違いないと思う」
「なるほど・・・昨日のコカトリス討伐も君達という訳か」
折角クリスが伏せてくれていたのに、あっさり勘づかれてしまったようだ。
こちらとしては目立ちたくないだけなので、ここだけの話にして貰えれば問題ないが。
「隠しているようだが、力は本物のようだな・・・」
「へえ・・・オッサンは分かるんだ?」
ずっと黙っていたアーディンが不敵な笑みを浮かべながら、けれどどこか嬉しそうにも見える表情で口を開いた。
「ああ、君達がギルド内に入って来た時から感じていたよ。今も冷や汗が出てきそうなくらいだ。これでも現役時代はAランク冒険者だったからね」
最高ランクのSにはあと一歩届かなかったと呟いたライゼンの表情はどこか悲しげで、今も未練があることが窺える。
「相手の力量が分かるヤツは嫌いじゃないぜ」
「・・・舐めた口を聞かせてしまったことをお詫びします。先ほどの続きですが、魔素が大量に集まるあの場所では再び同等の魔物が出現する可能性が高いでしょう。そしてそれ以上に懸念されるのは、ダンジョンから魔物が溢れだしてしまうことです」
本来、ダンジョンから魔物が出ることは無い。しかし、それは前例がないというだけの話だ。ダンジョン内の様子を見た限り、魔素の濃度に耐え切れなくなった魔物達が外へ飛び出し、暴走してもおかしくない状況だった。
これまでの情報量に流石のギルド長のライゼンでも整理が追いつかないようだ。だが、管轄内での有事に対応するのはギルドの仕事だ。
「・・・まずは、最大の原因があると思われるダンジョンの調査を実施することが急務だと思います。攻略済で人気が無くなったのはここ数年の話です。魔素が急激に増えたとしか思えないこの事象には何かあるのかもしれません。そして最悪の事態に備えてダンジョンの外にもCランク以上の冒険者を多数待機させ、町にも戦える人員を残す必要があるかと」
昨日に引き続き、クリスもこれを消化させるのは困難かもしれないと思っていたが、最優先事項とその理由、そして対応策は完璧だ。これにはライゼンも納得せざるを得ない。
「だな・・・人選や召集は俺が対応する。ザッツ達に接触した人物も調べたいところだが、恐らく出てこないだろうな」
確かに、高額報酬を用意するくらいだ。そいつは何かを知っているんだろう。だが、依頼失敗とザッツがギルドに保護されたことも既に耳にしているはずだ。
「賢明な判断だと思います」
「関係のない君達には大変迷惑をかけてしまった。ギルドを代表して謝罪する――」
ライゼンが頭を下げたまま何か言い淀んでいることに気づいた俺とアスレイは目を合わせた。
「今後はギルドや王都の力で対処していかないとならないっていうのを承知の上であれば、今回の調査には俺達も同行するよ」
「!・・・力を当てにするようで大変申し訳ない。この辺りには普段、中級程度の魔物しか現れない為か、多くの冒険者達の実力が伸び悩んでいる。ギルドとしても長年の課題ではあったが、それを解決する糸口を見つけられずにいた私の責任だ」
「それなら尚の事、この件が片付いたら早急に対策を見つけることだな。魔王が蘇るまであと二十年だ。言っちゃ悪いが、今のままだと狂暴化した魔物に攻められて町が破壊されるのが目に見えるからな」
町が破壊されるということは、人の死者も出てくるということだ。
素行に問題があるBランクの冒険者もなかなか切れないようなギルドであれば、全体的な総合力はしれているだろう。
隣にいるクリスにも悪いが、俺が先代の魔王達のようにならない保証がない今は、強さを身につけて貰わなければ困る。それに今回のような事象がまた起こらないとも限らない。
「ギルドに所属している冒険者は、三十年前の魔王との戦いが終わった後に生まれた者ばかりだ。先の戦いの際、私も生まれてはいたが、まだ職業を授かっていない子供だった。・・・だが、こんな言い訳が通用するはずも無い。この件が片付き次第、まずは王都へ掛け合ってみることにするよ」
「そりゃ良い心意気だな」
少々手厳しいことを言ってしまったが、ギルド長が先頭に立って本気で変わろうとしなければこの町の存続にも関わってくるだろう。
ライゼンの目つきが変わった気がするが、いきなり熱血指導へ向かわないことを密かに祈った。
その後は、準備期間として三日後ギルド前に集合することを取り決めて話は終わった。
言わずもがな、アーディンは不満だったようだ。俺がダンジョン最下層で魔物を横取りしたことについての抗議は無かったが、調査への同行には難色を見せた。しかし、拒否した場合は強制的に魔王城へ連れて帰られることを天秤にかけた結果、同行することにしたようだ。
生まれてからずっと魔王城周辺しか知らなかったアーディンにとって外の世界は新鮮なんだろう。少しでも気分転換という名のご機嫌取りに秘境の温泉へ連れて行ったり、リーディアの街中を観光して過ごした。思いの外、興味が無いかと心配していた温泉は到着するなり、目を輝かせて飛び込んだ後は泳ぎ回って楽しんでいたし、同じ島国ならではの海産物だが、獲れる魚介類が異なるせいか食事も堪能したようだ。
そうこうしている間に調査当日となり、朝早くからギルド前の広場にはダンジョンの調査隊と待機組そして、町の防衛組で召集された冒険者達が集まっていた。
およそ五十人強いる中で調査隊に組まれたのは、ギルド内で高ランクの昊天の光の他、二パーティーと俺達三人の合計十五人という少人数のメンバー構成だ。昊天の光以外のメンバーとは初対面となる為、ギルドには所属していないが、ダンジョン異変の発見者として調査隊に同行することになった経緯も踏まえてギルド長のライゼンから紹介をして貰った。時折視線を感じるのは、ザッツ達を締め上げてギルドに突き出した現場を目撃していた冒険者が何人かいるようだ。
―――ある程度の実力者くらいで見られてるのか・・・?
「ルークさん!」
集団の輪から抜け出したクリスが小走りで近づいて来た。
「本来ならリーディアの者達だけで対応しなければならないところをご同行いただきありがとうございます」
「それについてはギルド長にも言った通り問題ねーよ。今後はクリス達にもっと実力をつけて貰わなきゃ困るけどな」
「勿論心得ています」
「クリスさんの魔法理論や魔法陣の構成においては特筆すべきところはありませんでした。あとは、一朝一夕でどうにかなるものではありませんが、お伝えした訓練で魔力量の向上に努めれば高ランクの魔物へのダメージも上がるはずです。クリスさんは話をしていても常に全体的に物事が見えているようですし、戦闘中の立ち回りなど順当に経験を積んで行けば実力は大きく伸びるでしょう」
ダンジョンの調査が決まった後、クリスからの要望を受けたアスレイは彼の魔法を見てアドバイスをしていたようだ。
王立図書館へ案内して貰った時、アスレイを尊敬しているように語っていたクリスからすれば、このお褒めの言葉は相当嬉しかったようで照れている姿が可愛らしい。
「驚いたな。レイからのお墨付きを貰えるなんてレアだぜ」
「それはとても自信に繋がりますね。日々精進します!」
ペコリと頭を下げると、クリスは高揚した面持ちのまま集団の中にいる昊天の光のメンバーの元へ再び合流しに行った。ゲイルとレナもこちらに気づいて手を振ってくる。クリスと会話をした後も昊天の光以外の冒険者達からは遠巻きに見られているが、下手に絡んでこられるよりかは断然マシだろう。そんなことが起きたとしたらアーディンが黙っていないはずだ。ギルド長であるライゼンですら見下していたのだから、何を口走るか分かりかねない・・・。
ギスギスした状態でダンジョンを少人数で潜るとか地獄絵図でしかない。そんな面倒事にならないよう祈るばかりだ。
―――なんか祈ってばかりな気がするな・・・
予定時刻より早く、ダンジョン入口がある巨大な岩山の前に辿り着いた。
リーディアの町からここまでの道中に何匹か魔物と遭遇したが、冒険者達が問題なく処理してくれたお陰で俺達の出る幕は無かった。
ワイバーンやコカトリスの件から数日経って魔物は少し戻って来たようだが、普通の動物たちに至ってはまだ気配を感じない。アーディンが言っていたように俺達を警戒しているのだろうか・・・?ライゼンは最初からこちらの力に勘付いていたようだし、ダンジョンの外は異常なしと見ても問題ないかもしれない。
「それじゃあ、ダンジョンに入る前の最終確認をしたいと思う」
調査隊の指揮を執るのは、実力的に昊天の光と並ぶ紅蓮の隼という、こちらも年齢層が若いパーティーのリーダーだ。ギルド前に集合した際、軽い挨拶がてら名前を聞いたはずだがアーディンの言動が気になって上の空になっていた。
―――確か、ヴァンだったか?
燃えるような赤色の短髪に防具は胸当てだけの軽装備な剣士だ。背中に下げた大型の剣から見て、攻撃力に特化したタイプなのだろう。敏捷性を下げない為に防具は必要最低限にしているのかもしれないが、実力よりも上回る相手に出会ってしまうと脆い。ダンジョン内に俺が倒したダークタウロスのような魔物が生まれていなければ問題ないが・・・
「冒険者の駆け出しの頃に誰もが潜っていたダンジョンとはいえ、魔素溜まりで高ランクの魔物が出現したとの情報もある。今回は平和に暮らしているオレ達の町に対しても、不安要素となっている異常な魔素の発生原因を見つけることが目的の調査だ。大切な町の為にも必ず成果をあげようぜ!」
士気を上げて、それぞれの役割などを再確認し、問題ないと判断した調査隊は出発したようだ。その後に続くよう俺達もダンジョン内に足を踏み入れた。
魔道具のランタンを手にした紅蓮の隼を先頭に地下へ続く階段を下りて行く。三日前にも感じたように初級者ダンジョンにしては相変わらず魔素が濃い。冒険者達は魔素の対策として聖水を使ったようだが、入口付近はまだ良いとして最下層へ近づくにつれ効き目があるのか怪しい。僅かばかりの浄化作用や邪気を払うくらいの効果しかない聖水では、冒険者達にはこの先、身体的に大きな負担が掛かってくるはずだ。
あの日はダークタウロスを倒した後すぐに町へ戻ったが、ここまで危なっかしい連中しかいないことを知っていれば、アスレイに調べておいて貰っても良かっただろうかという思いが湧いてくる。
―――いや、俺達が深入りする必要は別に無いんだよな・・・
あれこれ考えていた俺に気づいたアスレイが声を掛けてきた。
「貴方が困っている人を見過ごせない性格なのは分かっていますし、今回は我々の協力者でもあるクリスさんがいるので同行しますが、立場上これ以上は人族側に干渉するのは終わりにしてくださいね」
「分かってるよ・・・付き合って貰って悪いな、二人とも」
アスレイは慣れているが、アーディンは今も気が乗らないようだ。ダンジョンの外で待機していても良いと伝えてはいるが、それはもっと嫌なようで渋々ついて来ている様子が前面に出ている。
「同行することを選択した以上、好き嫌いは言っていられませんよ」
「分かってますよ・・・」
アスレイに窘められて憮然とするアーディンに気を取られていた間に集団から少し離れてしまったようだ。しかし、何やら先頭が立ち止まっているのか、直ぐに追いついた。冒険者達がきょろきょろと周りを見渡しているが、遅れていた俺達を待っていた訳でもなさそうだ。
「魔物と全然遭遇しないよな・・・」
ダンジョンの中を進んでいれば、例え聖水を使用していても全く遭遇しない訳では無い。確率がやや下がるだけだ。
だが、十階層ある内の四分の一を進んだというのに、まだ一度も魔物と遭遇しないことを不審に感じ始めたようだ。
―――シーフのような暗闇でも目が利くスキル持ちはいないのか。
薄暗いダンジョンに潜る際、冒険者達が使用しているランタンだけでも問題はない。だが、暗視スキルでもない限り、周囲を詳細に確認するのは難しいようだ。
冒険者達からやや離れた場所に魔物はいる。だが、そこに居るのは異常な魔素のせいで動けなくなった低級の魔物ばかりのようではあるが。
隣に居るアスレイならダンジョン内全体を照らすことなど造作もないだろうが、それが彼らの為にはならないことを分かっているのだろう。
「アイツらこの魔素の濃度に気づいてンのかよ?」
アーディンが怪訝な顔でポツリと呟いた。考えていたことが口に出てしまったようだ。
聖水の力で魔素を中和させているせいか、体感的に鈍くなっているのかもしれない。しかし、下層に近づくにつれてその濃度は何倍にも上がる。もう少し進めば自我を失った魔物達と遭遇する頃だ。事前に魔素の異常の他、魔物についても周知済ではあるが、余りにも警戒心が低いように見える。これが高ランクの魔物と遭遇する機会が無かったツケなのかもしれないが・・・
理由は分からないが先へ進もうというヴァンの呼びかけに警戒を見せる者もいたが、周りに流されるように全員下層へ続く道を歩み始めた。
「カレン大丈夫か!?」
紅蓮の隼に所属している回復職の少女が倒れ、リーダーのヴァンが駆け寄った。攻撃を受けた訳では無いが、今にも意識を失いそうな状態だ。
最下層へ近づいてくる頃には予想通り自我を失った魔物との戦闘が続き、格下の相手とはいえ数が多く、冒険者達は軒並みかなりの体力を消耗している。そこに異常な魔素の影響で身体にも負荷がかかり、体力の少ない回復職の少女が限界に来たようだ。
「いずれ出てくると思ったが、お前らはもうアウトだな。死にたくなけりゃ今すぐ引き返せ。ここから先は俺達が見て来てやるよ」
あまりの惨状に我慢の限界だ。見る限り引き返す力が残っているのかも怪しい冒険者が他にもいる。
「ギルドに属してない素性も分からねー奴に任せられるかよ!」
いち早く反応を見せたのは、ここまで指揮を執っていたヴァンだ。彼はまだ体力が残っているようだが、回復職の仲間が欠けた今、これ以上の戦闘は難しいだろう。回復があることを前提にしたような戦い方だからだ。それ故に回復職の少女の消耗が激しい。
「それに、ここまでの間は見ているだけで、何もしてねーお前のいうことなんか聞けるかよ!」
「・・・リーディアの町ひいては、この国に関係のない俺が何故手を貸す必要がある?ギルドの管轄地で異常があれば所属する冒険者が対応するのが筋だろ?ダンジョンに入る前はご立派な演説をしていた割に、お前は報奨金の為に仲間を殺す気か?」
静かに問いただしたが、言葉の中に棘があるのは抑えきれない怒りからだ。
子供相手に大人げないだろうが、命を粗末にするような奴に配慮も何も必要ないだろう。
「なんだと!?誰がそんなこと―――」
「だったら何故もっと安全に配慮しなかった?序盤で魔物と遭遇しないと気づいていながら、策も無く進んだのは誰だ?あの時、不安な顔をした仲間を無視して、急に現れた魔物への対応はどうだった?ギリギリで戦っておきながら倒れた仲間もいるっていうのに、引き返さない選択が何故できるんだ!」
最後は思わず口調が強くなってしまったが、まあ良い。
ダンジョン内での失態の数々を並べただけでも指揮を執る者としては失格のレベルだ。強引さは時に必要ではある。だが、自分の考えだけが全ての奴がリーダーでは、自分だけでなく周りも危険に晒すだけでしかない。
「うるせえ!偉そうに!」
今にも殴り掛かってきそうなヴァンを盾役のパーティーメンバーが押さえつけてくれている。彼がどのように感じているかは知らないが、ここでの揉め事は避けたいという思いの表れだろう。
「ヴァン落ち着いてください!ここはルークさんの言う通りです!今の我々のレベルではこれ以上進むのは危険です!」
「クリス、てめえもコイツと知り合いだかなんだか知らねーが、何を企んでいやがる!?」
「僕は―――!」
「別について来れるなら何も言わねえけど、それに気づけないようなら無理だと思うぞ?」
ヴァンの背後に赤く光る影が現れたが、頭に血が上っているとはいえ気配察知も出来ないようでは、この先に待っているのは死だ。
「即死しなかったのはクリスに礼を言うんだな」
意識があるのか怪しい状態のヴァンに対してそれだけを告げると、手にしていた愛剣を再び空間へ収納した。
ヴァンを襲ったのは通常よりも大きいイビルスネークだ。攻撃は単調で噛みつきや巻き付きといったものだが、魔素の影響なのか大きさと皮膚の硬さが増していた。
イビルスネークは当初、壁の穴からヴァンの首元に向かって牙を剥け襲い掛かってきた。いち早く気付いたクリスが土魔法でヴァンとの間に壁を作ったが、強度が弱く一瞬で破壊されてしまったのだ。しかし、それが致命傷を避ける要因となったが、転倒したヴァンは巻き付きの攻撃に遭ってしまった。仲間達が助け出そうと武器で攻撃を与えていたが、大きなダメージとはならなかった。最後は見かねた俺が切り落として助けたが、様子を見る限り、長く締め付けられていた間に圧迫されて内臓が損傷してしまっているかもしれない。
「ゲイル、助かるか分からねーけど、コレ使ってやれ」
空間収納に残っていた最後の回復薬をゲイルに渡した。
回復職でまだ動けるレナがヴァンの治療に当たっているものの、魔力が限界に近いようだ。
「俺たちが弱いばかりにすまねぇ・・・」
「気にするな」
「ルーク達がここまでの間、口を出したり戦闘に加わらなかったのは俺達の為にならねーし、間違った行動にも気づかせる為だったんだよな?この調査だって、本当なら俺達だけでやらなきゃならないって分かってたのに、どこかで甘えてた・・・」
ここまでの道のりの指揮を執っていたヴァンを叱責したが、何も意見を言わなかった自分たちにも非があったと反省しているようだ。
不甲斐なさに悔し涙を滲ませているゲイルに慰めの言葉は掛けられないが、この先も冒険者を続けるのであれば、これを機に危機管理や自分自身の立ち回り方などをもう一度見つめ直して欲しいとは思う。
「調査に同行したのは俺がやりたくてやっているだけだ。それより早く回復薬を持って行ってやれよ。レナまで倒れそうだ」
「分かった!この礼は必ずするからな!」
ゲイルがレナの元へ駆けて行くタイミングを見計らっていたように、アスレイが隣に並んだ。
「ルーク、どうしますか?彼等が引き返すとしても魔物と戦う戦力は殆ど残っていないでしょう」
そうだな―――と考え、思いついたのは一つだけだ。
ずっと傍観者のように冒険者達を見ているアーディンに声を掛け呼び寄せた。
「ダンジョンの外まで冒険者達に同行してやってくれ」
予想通り引き攣った顔を見せたが、拒否する言葉は出てこなかった。アスレイから窘められた効果が早速あったようだ。
「・・・魔物を狩れば良いんですよね?けど、自分の身の危険くらいは守って貰いたいですけど」
「それで十分だ」
アーディンが居れば取りこぼし程度の魔物を相手にするくらいだ。まだ動ける冒険者達も自分や仲間を守るくらいは出来るだろう。
気のない返事をしたアーディンが面識のあるゲイルとレナの元に向かうのを黙って見届けた。
「ダンジョンの外までオレが同行することになった」
腕を組んだ仏頂面のアーディンに声を掛けられたゲイルとレナは、予想外とばかりに困惑した表情を見せた。
「え・・・良いのか・・・?」
「無理してない・・・?」
コカトリス戦の後、ルーク達から衝撃の事実を伝えられた際、アーディンが人族に対して嫌悪感を持っているのも、またそれが仕方が無いことなのも二人は理解していた。その彼が自分たちの為に同行する。つまり、護衛すると申し出てきたのだ。
「主からの命令だ」
「いや・・・命令でも絶対嫌がりそうなのにな・・・」
「うんうん。絶対やらない!とか言って・・・」
二人のアーディンへの評価は我儘な子供そのものだということに流石の本人も気付いたようだ。
「オレだって我儘が言える状況と命令の区別くらい出来るっつーの!」
我儘を言っている自覚はあったんだと、内心では思ったもののゲイルとレナは口にしなかった。
「まあ、普通に話してると忘れちまうけど、ルークは一番強いし偉いんだよな・・・」
「アス・・・じゃなかった。イルさんももちろん実力者だもんね・・・」
自分たちが束になってもイビルスネークに捕まったヴァンを助けだすことが出来ずにいた中、ルークは豆腐でも切るように斬り落としてしまった。それを目の当たりにした調査隊のメンバーはもう誰もルークを訝しげに見ることは無くなっている。
「実質ナンバー1とナンバー2だ。この世界であの人らに勝てるヤツなんていねーよ。オレの我儘が許されるのは父さんと母さんのお陰。主は基本的に個人の考えや行動を否定したりしねーし、二十年間傍で見て来たけど、あんなに怒る姿は初めて見た。お前らを見捨てる気はないってことだ」
淡々と述べているが、二人を尊敬していることや自慢が言葉の端々から窺える。何より語っているアーディンの表情が誇らしげで彼等を慕っていることが丸わかりだ。特に主と呼ぶだけあってルークへの忠誠心の強さが表れている。
「ん?ちょっと待て。アーディンって二十歳なのか?」
「・・・それがどうしたんだよ?」
突然の質問にたじろぎつつも仏頂面を崩さないまま相手の真意を確かめようとしたが、これは無駄に終わることを早々に知ることとなる。
「うそ・・・もっと年下だと思ってた・・・」
幼い顔つきで、レナよりやや背が高い体格のアーディンは、言動からも成人したばかりの年齢にしか見えない。
魔王城の中には、アーディンより年下の者はいない。寧ろ、何十歳も年上の者ばかりだ。そんな魔王城以外で、しかも毛嫌いしている人族の同年代がどのように過ごしているのか、アーディンが知るはずも無いことだ。
「なーんだ、タメだったのかよー!」
「なんだよ急にくっつくな!」
「良いじゃない!ダンジョンの外まで同行してくれるんでしょ?仲良く行きましょうよ!」
「ハァ!?」
ゲイルから肩を組まれ、レナからは両手を握られて今度はアーディンが困惑する番だ。魔王城の人たちともこんな触れ合いは今までに無かったことだ。
「離せ!いいか?オレは主の命令でお前らに同行するだけだ!」
「うんうん。だから頼りにしてる!」
「しっかり礼もするからよろしく頼むぜ、アーディン!」
「・・・ッ!言ったな!?だったら町へ着いたらホタテのバター醤油焼き食わせろよ!」
ここでアーディンが突き付けた条件にゲイルとレナの二人だけではなく、声量から他の冒険者達にも聞こえていたようで、一瞬彼らの思考が止まってしまった。
「は・・・?」
「え・・・?」
「な、なんだよ?」
魔王城の近海で獲れる貝の中にホタテは無い。
先日ルークと訪れた料理屋で食べたバターと醤油だけで焼いたシンプルな味付けのホタテ貝がいたく気に入り、謝礼の内容として挙げただけだった。
「そんなんで良けりゃいくらでも奢るっつーの!」
「アハハッ。ルーク達が可愛がるのも納得だわ・・・!」
アーディンにお金や物の価値がどのくらいかという概念が一切無い。
ホタテのバター醤油焼きは庶民の子供のお小遣いでも買える値段だ。
腹を抱えて笑うゲイルとレナの他にも、笑いを必死に堪えている冒険者達の姿がアーディンの目にも入った。
「クソっ!とっとと行くぞ!はぐれたら助けてやらねーからな!」
顔を真っ赤にして来た道を引き返して行ったアーディンの姿を見送ると、安堵した声が隣から聞こえた。
「心配でしたが、杞憂だったようですね」
「だから言っただろ?アーディンには切っ掛けが必要なんだって」
「そうですね。純粋故に実直で不器用さも持っている。昔の誰かさん達とよく似ています」
勇者ルーク達と様々な場所へ旅をしていた頃を思い出す。要らぬ言動から行く先々で誤解を解いたり、巻き込まれたり苦労が絶えなかったが、今となっては―――
「良い思い出ではありませんけどね。全く」
「謝ってただろ・・・あっちは問題なさそうだし、先へ行こうぜ」
この先の階段を下りれば最下層に着く。前回来た時よりも異様な感じがするだけに、正直あの冒険者達を行かせるには危険すぎる気がしていた。
予想通り、階段を下り終えた先で、それはいよいよ顕著になった。
「自然現象とするには不自然ですね。かといって、人為的に出来るものでも無いでしょう」
「じゃあ、やっぱ面倒くせーが調べるしか無さそうだな・・・」
「その前に大掃除をする必要があるみたいですが」
「まあ、俺とレイが相手するんだから楽勝だろ」
前回ダークタウロスを倒した開けた場所には、頭に鋭い牙を持つ巨大な芋虫もといサンドワームに埋め尽くされていた。
虫嫌いのファリシアがこれを見たら卒倒しそうだ。勇者時代に旅をしていた頃、出くわす度に叫んでいたのが懐かしい。確か生息地は砂漠のはずだったが、既にイレギュラーだらけのダンジョンに出現したところで不思議はない。
知能を持たない虫系の魔物は俺達を見つけるなり襲い掛かって来た。
「風よ―――」
かまいたちを起こしたアスレイの風魔法は、無数の刃となりサンドワームの胴体を次々と輪切りに切断していく。
「心配した覚えはありませんが。それと、侮るような発言はアーディンに示しがつきませんよ?」
「そりゃあ申し訳ございません!」
愛剣を取り出し魔力を循環させると、こちらに向かって来ていたサンドワームの塊を薙ぎ払った。
衝撃は岩肌の壁にまで届き、地面というよりダンジョン全体が大きく揺れているようだ。
ダンジョン内の天井や壁は破壊不可能ではあるが、クッションのように衝撃を吸収してくれる訳でもないようだ。
「何をやっているのですか!アーディン達がまだダンジョン内にいるのですから力加減に気を付けてください!」
―――ごもっともで・・・
勇者スキルの一つで、剣に魔力を張り巡らせて薙ぎ払う中範囲の攻撃だが、先日のコカトリス戦でも実は使おうとしていた。あの時はコカトリスからの毒ブレスを霧散させるつもりでいたのだが、アスレイがタイミング良く結界を張ってくれたお陰で使わずに済んだのだ。もしこれを使っていたら、森林大量破壊を引き起こしていただろう。
―――使わなくて良かった・・・
「引きこもり過ぎてて力の加減がだな・・・っ」
お陰でサンドワームの大半を殲滅することが出来たが、力加減に自信が持てなくなり、残りは一体ずつ切り倒していくことにした。
その頃、アーディンを先頭に調査隊のメンバーはダンジョン出口に向かって進んでいた。
「レナ!後ろに下がれ・・・え?」
右斜め前方から黒い影が飛び出してきたことに気づいたゲイルは、すぐさまレナの前に出たが、構えた剣に衝撃が届くことは無かった。その前に地面へ斬り伏せられたのだ。
影の正体は、シルバーウルフ。攻撃手段は噛みつきや引っ掻きといったものだが、敏捷性が高くこちらの攻撃が通りにくいことがリーディアの冒険者達の間では常識だ。しかし、それをいとも簡単にアーディンは倒してしまった。
ゲイルは腰に下げた鞘に剣を収めながら礼を言ったが、今にも噛みつかれそうな勢いで罵声が飛んできた。
「なにチンタラしてンだ!さっきから全然働いてねーだろ!」
「いやいやいや、アーディンが早過ぎるんだって!今だってちゃんと構えてただろ?」
ゲイルの反論に納得できず、更に何かを口走ろうとした瞬間、突き上げるような大きな揺れが襲った。
「レナ大丈夫か!?」
「う、うん平気・・・ありがとう」
バランスを崩して倒れそうになったレナをゲイルが受け止めた。
直ぐに収まったものの、一行は突然の激しい揺れに動揺が走っている。
普段から感じたことのない揺れに、ダンジョンの異変がもたらす現象かと冒険者達の間で囁かれているが、原因が何かを察知したアーディンだけは体を硬直させていた。
「何だよ・・・偉そうなアイツの仲間でも怖いものはあるんだな」
途中で意識を取り戻したものの、まだ自力では歩けないヴァンがアーディンの様子に気づいた。
アイツというのは勿論ルークのことだ。
皮肉を言ったつもりだったようだが、振り返ったアーディンからは誰も見たことのない形相で睨まれることになる。
「お前、いい加減にしろよ・・・今の揺れは主が戦ってる証拠なんだよ!」
「まさか・・・」
「最下層には主が力を使わなきゃならないモノがいた訳で、それを感じ取れないお前は何なんだ!」
今ここにいる全員が気圧されるアーディンもまた、彼らからすれば力の差は圧倒的ではあるが、ルークやアスレイに比べれば足元にも及ばない。思わず硬直してしまうほどのルークの力を感じるというのに、散々な目に遭いながらも反省の色が無いヴァンに感情が爆発してしまったようだ。命令で無ければ今すぐにでも放棄してしまいたいところだが、それは出来ない。
「ッ―――」
無理矢理感情を抑え込むように黙ると、再び出口に向かって歩き出した。
まだこの時は、彼らがルークの力を感じないのではなく、力量差があり過ぎてそれを感じ取れないことをアーディンは理解できずにいた。
最下層の広場には、サンドワームの死骸がそこかしこに積み上がっていたが、程なくして地面に吸収されていった。
命が尽きて放置されると、時間経過と共に魔物はダンジョンに吸収されてしまうのだ。
何もない地面が現れ、辺りに魔物の気配は無くなったが、漂う魔素に変化はない。魔素が一番濃い場所を探そうにも辺り一面が異常値過ぎる。
「この階層の何処かに原因があると思われるのですが・・・」
周りを見渡しても剥き出しの岩肌の壁に囲まれた空洞が広がっているだけだ。原因となるものが目に見えるモノなのか、違うのかさえ分からない中で探し出すのは困難を極める。だが、見つけなければリーディアの町の冒険者達では手に負えない魔物が湧き続けてしまう。その先に最悪な結末が待ち受けていないと断言できないのであれば、首を突っ込んでしまった手前、不安材料は摘み取っておきたい。
何も手はないのかと諦めかけた時、奇妙な気配を感じた。
同じように気配を感じたアスレイの元へ駆け寄り、互いに背を預けて周りを警戒する。
「流石、今代の魔王というところか」
聞いたことのないしわがれた声が何処からともなく聞こえてきた。
口ぶりやこの場にいるということを考慮すると、恐らくこの異常現象を発生させた張本人だと考えても良いだろう。そして、俺が魔王と知っているとなると、偶発的だったとしてもここへ来ることは何かの縁があったのか・・・
「フォッフォ。ワシを捜していたのじゃろう?」
突如地面に魔法陣が浮かび上がり、その中央に人影が現れた。
真っ白な髪と髭を蓄え、身に纏ったローブも白で統一された小柄な老人がこちらを見据えている。
転移魔法だ。失われた古代魔法の一つとされているが、目の当たりにする日が来るとは思ってもみなかった。
―――驚いて忘れるところだったが、俺はこのじーさんらしき人物を捜してた覚えはないが・・・
「魔導師ゼーレ・・・?」
隣からアスレイがポツリと呟く声が聞こえた。
まさかと思ったが、相手から否定する言葉は無い。
「信じられんようなら鑑定で確認してみると良い」
こちらの考えが見透かされているようだ。
アスレイ以外にも存在することが面白くないが信用しきれない以上、相手が勧めてくれる好意に甘えさせて貰おう。
「・・・!」
正直、八割近くはそんなはずはないと思っていた。
俺が鑑定したタイミングで何かを仕掛けて来るのではと考えていたが、言葉通りだった。
「まさか・・・」
俺達が捜していた魔導師ゼーレで間違いないようだが、不可解なのは種族だ。
「種族が不明とはどういうことだ?」
前例が無く、聞いたことも無い。一般的に知られている人族や魔族といったもの以外にも種族は存在する。彼等は同種族以外との関わりを持つことを拒絶している為、生きているうちに出会う確率が限りなくゼロに近いだけだ。だが―――
「フォッフォ・・・そのままの意味じゃよ」
「ルーク!」
ゼーレが手にしていた金色の杖に握り拳にも満たない程の小さな白い光が浮かび上がり、静かに放たれた。
大きさに見合わないものを感じ、避けることでダンジョンに悪影響を与えかねないと判断した俺は、影を使って障壁を作り防ごうとした。だが、いとも簡単に貫通した光の玉によって体を大きく後ろに吹き飛ばされてしまった。
アスレイが咄嗟に魔法防御力を底上げするバフをかけてくれたお陰で軽症で済んだようだ。しかし、魔王固有スキルにある自然治癒力:極だけではすぐに追いつけないだけのダメージはある。
「鑑定で見たステータス通りかよ・・・スゲー威力だな」
危険度が高いステータス表示に油断はしていなかった。
これは、最高のスキルを持つ魔王の力に胡坐をかいていたと、大いに反省すべき点かもしれない。
「なぁに、お主らに挨拶へ来たワシの自己紹介代わりじゃよ。その為に誘導させて貰ったんじゃが、お主らもワシに聞きたいことがあるんじゃないのか?」
「誘導・・・?」
この場所へ俺達が来ることは仕組まれていたということなのか。だが、俺がリーディアの町に来たのは五日前だ。ほんの気晴らしの旅で計画なんて無かった。そしてゼーレ本人または、近しい人物への接触を考えたのはその翌日だ。この時には既にゼーレの掌の上だったというのか・・・?
「だったら丁度いい。魔王討伐の際、勇者ヴァルドルフと一緒に戦ったアンタは知っていたのか?彼が魔王に生まれ変わる呪いを受けていたことを」
「ほう?」
「・・・否定しないんだな。つまり俺が倒した魔王は元勇者ヴァルドルフで間違いないんだな?」
確認したいことは他にもある。
ヴァルドルフがいつ魔王へ進化したのか。しかし、ゼーレの表情は俺達の前に現れた時から変わらないままだ。何を考えているのか全く読めない。
「話の横から失礼します。貴方が我々の捜していた魔導師ゼーレで間違いないのでしょう。ですが、今の貴方は文献に載っている魔導師ゼーレとは異なる者―――人族では無いとの認識でよろしいのでしょうか?」
「確かに、あれはちと情報が古いかもしれんのう」
俺達も人族から魔族になったのだから特別驚きはしないが、いつも冷静で何事にも動じないアスレイの体が離れていても震えているのが分かる。
「そう怖がらなくても良い。さっきも言った通り今日は挨拶に来ただけじゃからのう・・・代理ではあるが。しかし、何十年も魔王城に引き籠っていた割に先代の魔王の正体に辿り着くのがちと遅すぎるな。賢者の称号を手にしていながら視点が狭くなっているようではいかんなぁ・・・それとも―――」
「邪推は止めて頂きたいですね」
「フォッフォ」
「ヴァルドルフはどのタイミングで魔王になったんだ?俺も先代までの魔王と同じ道を辿るのは間違いないのか?」
これだけは何としても確認したかったが、思うような答えは聞き出せなかった。
「それはワシには分からんが、あの方がここに来て初めて条件の一つがクリアされたと申されておったのは確かじゃ」
「あの方ということはやはり、貴方よりも上の存在がいるようですね。先程も、挨拶に来たのは代理だと言われていましたし・・・。答えて下さるとは思いませんが、あなた方は我々にとってどういう存在なのでしょう?」
奇妙な笑い方をするだけで、やはり答える気はないようだ。条件というのも、ゼーレの口ぶりからして聞いたところで答えは無いはずだ。
「フォッフォ。ワシの意思はあの方のもの。生有る者は生かされているだけの存在。願望、欲望を抱くなど愚者の極みだというのに、ワシと同じ血を引き継ぐ者が嘆かわしいことじゃ」
「クリス!?」
突然ゼーレの足元に倒れ込むような形でクリスが姿を現した。
彼はアーディン達と一緒にダンジョンを引き返す集団の中にいたはずだ。俺たちはそれを見送ってからここへ来たのだから間違いない。だが、転移魔法が使えるゼーレには造作も無いことなのか?それに、血を引き継ぐ者とは・・・
「ルークさん、アスレイさん申し訳ありません・・・!」
周りの状況を確認していち早く理解したクリスは、その場で頭を下げた。そのまま動かなくなってしまったクリスの表情が見えない。
「よく分かんねえけど、謝らなくていいから早くそこから離れろクリス!」
こちらの呼びかけにクリスはぎこちなく頭を横に振った。その意味が理解できない俺達を嘲笑う声が聞こえてくる。
「此奴にお主らを誘導するよう頼んだのじゃよ」
「いや、流石に無理があンだろ。そもそも俺がこの国へ来たのは気まぐれだ。クリスと出会ったのだって―――」
「ルークさんがリーディアの町付近に現れたことをゼーレ様から伝えられ、僕は貴方と接触を図る為に仲間も巻き込みました」
初めて会ったあの日、クリス達は確か討伐依頼が終わりリーディアの町へ戻る途中、鳥や動物だけでなく魔物の群れが何処かに向かって逃げて行く姿を見かけ、周辺を調べていたという話は聞いた。手分けして周囲を巡回していたクリスの元にゼーレが現れ、ワイバーンに彼らを襲わせるよう仕向けたようだ。
「・・・俺が助けないって選択肢は無かったのか?」
あの時は悲鳴が聞こえ、辿った先に倒れていたゲイルを見つけた。知り合う前の俺が助けに行かないという選択肢もあったはずなのに、賭けたとでもいうのか?
「その選択肢はありませんでした。ルークさんの正義感の強さは有名ですから・・・あとは、先代魔王やゼーレ様の存在を意識させ、このダンジョンのことはザッツ達に調べさせてから調査の名目でルークさん達にも協力を願おうと思っていました」
先代魔王やゼーレの意識付けまでは順当だったようだが、ザッツ達と同じタイミングで俺達がダンジョンに潜ってしまったのは予定外だったようだ。
王立図書館でジャンルの違う魔導解析の著書が歴史書の中に紛れていたことや、ザッツ達に高額報酬の依頼をしたのもクリスがやった事だったというわけか。だが、ゼーレにここまで従う必要があるのか?
「クリス、お前は一体・・・」
「ワシの血縁者じゃよ」
「!?」
「子供や孫に恵まれたものの、魔力が弱い者ばかりでな・・・縁戚ではあったが此奴は幼少期から頭が良く、群を抜いて魔力も高かった。ワシの手足となって貰うつもりが成長と共に魔力が弱まりよって、もう使い物にならんと思っておったが、此処まではまずまずかのう・・・じゃが―――」
これ以上は使い道が無いと、自己紹介代わりに俺に放ったあの光の玉をクリスに向けた。その光景を見た俺は考えるよりも先に影を使ってクリスを取り込んだ。
「ぐッ・・・!」
クリスへ命中する前に間に合ったが、俺の体の一部でもある影に掠ったようだ。
まるで体内に直接攻撃を受けたような衝撃が走り、地面に膝をついた。
さっきはアスレイが一時的に魔法防御力を底上してくれたが、今は効果が切れてしまっている。
―――掠っただけでもこれってことは、さっきの貫通は最悪命の危険があったってことか・・・
「ルーク!」
アスレイが叫んだ直後、クリスが居た場所で爆発が起こった。
光の玉が地面に触れた途端、弾け飛ぶのが見えた。
後ろにいる俺に一瞬気を取られたものの爆風から守る為、アスレイが瞬時に結界を張ってくれたお陰で影響を受けずに済んだようだ。
「助かった・・・」
「そんなことより・・・!」
「俺は大丈夫、問題ない」
本来、影に対しての攻撃は物理も魔法も受け付けない。だが、あの光の玉は、俺の知らない属性で構成されている可能性が出てくる。
引き寄せた影から現れたクリスを確認したが、意識が無いようだ。
このスキルのデメリットは、取り込んだ対象の意識を奪ってしまうという不可抗力がある。使い方を間違えない限り命まで奪うことは無いのだが・・・
「フォッフォ。そんなモノでも助けるとは・・・ふむ、やはり先代までとは異なるようじゃのう。それ故、観察されたいお気持ちが湧いたのやもしれぬ」
一人何かに納得しているようだが、残念ながらこちらは意識の無いクリスを庇ったまま渡り合える自信はない。
「しかし、何処までそれを守り抜けるのか試すくらいはあの方もお許し下さるはず―――!?」
光の玉では無く、赤黒い禍々しいエネルギーがゼーレの杖に集まり始めた時、大きな地響きと共に壁や天井の一部が崩れ落ちてきた。
俺がサンドワームだけでなく、壁にまで攻撃を与えてしまった時以上の激しい揺れだ。
「ふむ、魔素を溜め込み過ぎた弊害かのう?」
魔素を水に例えるなら、ダンジョンの中は密封した箱の中に水を急激に流し込んで溜めているような状態といって良い。箱の中の水が許容量を超え、更には亀裂ができた時、それがどうなるかは考えなくても明白なことだ。
元々初心者向けのダンジョンだったこの場所は魔素が薄く、膨大な量を溜めるには無理があったのかもしれない。俺達が発見した時点で既に弊害は起きていた。そして、ここに来てダンジョンが維持する力を失い崩壊が始まったと考えて良さそうだ。恐らくそれを更に加速させたのは、俺がサンドワーム相手に使った中範囲の攻撃と、ゼーレがクリスに向けて放った魔法だろう。どちらもダンジョン内に大きな衝撃を与え、亀裂を生むには十分だったはずだ。
「残念じゃが、崩れる前にワシは退散するとしようかのう」
「アンタの目的は何だったんだ・・・!?」
「言ったじゃろ。ただの挨拶じゃよ」
「ルーク、ここはもう危険です!」
次々と天井部分が崩れ落ちて砂埃が舞い上がり、視界が遮られていく。
ゼーレと今戦うにはリスクしかないが、ただ挨拶しに来たというにはクリスを利用する必要があったのか謎だ。それに、こちらの情報は筒抜けなのにゼーレ達については何も分からないままだ。
「クソ・・・っ」
これ以上ここにいては崩壊に巻き込まれてしまう。意識が戻らないクリスがいる以上、俺達も早く離れなければならない。
落盤の轟音がとどろく中、ゼーレの声が微かに聞こえた。
「次の条件がクリアされれば、再び会う事があるかもしれんのう」
地上までの道のりは、落盤に巻き込まれないようひたすら走り続けた。残念ながら崩壊に巻き込まれていく魔物達の姿も目にしたが、助けることは出来なかった。
「主!アスレイさん!」
「クリス!」
俺達の姿を確認するなり、ダンジョンの入口から一番近い岩山の前で待機していたアーディンとゲイル、そしてレナの三人が駆け寄ってきた。他の冒険者達は少し離れた木陰で待機しているが、彼らは対応に困っているのか遠巻きにこちらの様子を窺っているようだ。
三人には無事を伝える為にヒラヒラと手を振ったが、ゼーレの魔法でボロボロになった俺の服を見てアーディンが驚愕した表情を見せた。
ゲイルとレナも突然いなくなったクリスを心配していたようだ。
「魔素の異常に関してはもう大丈夫だ。ただクリスがな・・・」
意識が戻らないままのクリスに何度も呼びかけるが、やはり反応が無い。
「ダンジョンの外に出たらクリスの姿が無くて心配してたんだ・・・最下層でとんでもないことがあったって分かるだけに、どう言葉にして良いのか・・・」
最下層直前で引き返す前にも見せたゲイルの神妙な面持ちは、彼の誠実さを表しているのが良く分かる。隣にいるいつも陽気なレナも今は黙ったままだ。
「ダンジョンの中でも言っただろ。この調査に同行したのは俺がやりたかっただけだ。だから気にしなくて良いんだよ」
それでもまだゲイルの中では素直に受け取ることが出来ないのか、黙って俯いてしまった。少しでも心が軽くなってくれることを願いながら彼の頭を撫でた。
「・・・ねえ、クリスはどうしてたの?なぜ気を失ってるの―――」
遠慮がちに尋ねてきたレナの目がみるみるうちに信じられないものを見るようなものに変わった。
俺達を見ていたのかと思ったが、視線の先はそれよりも後ろ―――
少し前にも聞いた低い地鳴りの音が聞こえた瞬間、大きな影が俺達に覆い被さる。直後、けたたましい轟音が鳴り響き、辺り一面は砂埃が舞い上がった。
周囲は視界が悪くなるほど曇っているが、俺達の周りは綺麗な空気のままだ。物理的なものはスキルの影を使って防いだが、同時にアスレイが結界を張ってくれたお陰で砂埃を吸い込まずに済んだようだ。
振り返ると、さっきまで立っていた場所には岩山を形成していた残骸の山が出来ている。ダンジョン崩壊と共にその入口があった岩山自体が崩れ落ちてしまったみたいだ。他にも点在しているとはいえ、一番大きな岩山が崩れた後は、なんだか物寂しさを感じる。
「い・・・生きてる?―――って、ぅえええー!!!?」
「ああ、咄嗟とはいえ断りも無く女性に触れてしまったことをお詫びいたします」
俺にとっては当たり前すぎて忘れてしまうのだが、どこぞの貴族か王族でも通じそうな程にアスレイの顔は整っている。そんな奴に緊急とはいえ、お姫様抱っこされてるんだからレナも素っ頓狂な声で驚くわな・・・。勇者時代に旅をしていた頃にも似たような光景を幾度となく見てきたのを思い出した。
「たた、たすけてくださり・・・あ、ありがとう、ござっました・・・」
真っ赤になって今にも湯気が出てきそうなレナに向かって微笑を浮かべるアスレイを、後ろから蹴り飛ばしてやりたい気持ちが無性に湧いてくる。
―――人族の年齢でいえば五十前のオッサンだが、やっぱ見た目なのか?
「つか、アーディン・・・俺もおろして貰って良いか・・・?」
小柄な見た目に反して腕力のあるアーディンに軽々と担がれたゲイルは居心地が悪そうだ。
―――あれは母親譲りだな。
しかし、この短時間に人族嫌いのアーディンが成長したことを目の当たりにするのは感慨深い。そう思っているのはアスレイも同じようだ。
「ルーク、クリスはどう?」
平らな地面にクリスを仰向けに寝かせたが、一向に目が覚める気配が無い。俺のスキルの影響で気を失ったとしても、少しの衝撃で簡単に目が覚めるはずだがその兆候もない。
この不自然な状態にアスレイに視線を向けると同じことを考えていたようだ。
「クリスは町へ連れて帰るが、レナ達は先に戻って調査の完了とダンジョンの崩壊を報告して来て欲しい」
「詳細についてはこちらで追って説明に向かいます。調査に参加した冒険者の方々もかなり消耗しているはずですので、体力の回復を優先してください」
俺達の言葉にゲイルとレナは顔を見合わせた。
「クリスは俺たちの仲間だ」
「報告は他の人に任せて私たちも残るわ」
二人の意思は固そうだ。これ以上何かを言っても聞かないだろう。
「分かった」
ゲイルとレナが他の冒険者達の元へ向かい事情を説明しているようだが、ダンジョン崩壊という前代未聞の出来事に説得が難航しているようだ。まだ何が起きるとも限らない現状に納得させるのは難しいかもしれない。金銭がらみの不満が出てきた場合、俺達の成果報酬にするつもりは無いことは二人に伝えておいた。
この間に、目が覚めないクリスについて考えられる可能性を話しあったが、これだといえるものは何も出てこなかった。
「ルークの影に取り込まれた影響で、クリスさんの魔力循環に異常が現れていないか念の為、確認してみましょう」
クリスの頭部近くに跪き、額に手を添えると指先からごく微量の魔力を流し始めた。滞りなくアスレイの魔力が流れるのであれば、クリスの魔力循環に問題はないということだ。
集中を乱さないように見守っていたが、程なくしてアスレイの魔力が消えた。
「どうだった?」
「問題はありませんでしたが・・・」
クリスの魔力を辿っている途中で黒い靄のようなものが見えたらしい。だが、それが何かまでは分からなかったようだ。
「ギルドに任せてもな・・・」
きっと原因不明で奇跡的に目が覚めるのを待つことになるだろう。そうなると、パーティーメンバーであるゲイルとレナの活動にも影響が出てくる。
「な、なんだこれ!?」
突然アーディンが驚いた声をあげた。
振り返ると、アーディンの胸元辺りに光が帯びている。
「アーディン、首飾りだ!」
「え、首飾りがなんで・・・?」
服の下から取り出した首飾りについた石が白く発光している。ファリシアの神聖な魔力が込められたそれは、何かに反応を示しているのだろうが、それが何か―――
「ルーク、クリスさんが・・・!」
首飾りとは正反対にクリスの体から黒い靄が溢れだした。アスレイがクリスの魔力を辿った時に見えたものが表面化したのだと思われる。最初は薄い煤のようなものが漂う感じだったが、次第に粘着質な黒い塊へと変化していく。
「なんだこれは・・・」
「瘴気の塊・・・?」
アスレイの口から認めたくなかった答えが漏れた。
魔王の俺以外にも瘴気を吐き出す――しかも、人族がいるとは思えない。クリスの体から溢れ出しているのは紛れも無く瘴気そのものだが、僅かに違うものを感じる。
「ぅう・・・っ」
クリスから呻き声が聞こえる。この現象は彼の意思とは無関係なはずだ。
「瘴気に違いありませんが、僅かにクリスさんの魔力を感じます。恐らく彼の魔力を媒介にして瘴気を作り出しているのかもしれません」
その仮説が正しければ、クリスの魔力が限界を迎えた時、それは死を意味する。
魔力が底を尽きると魔法を発動できなくなるが、限界を超えて発動させることは不可能ではない。魔力の代わりに使うのは自身の生命だ。しかし、これは最後の切り札でしかない。死に直結する可能性が高いからだ。
だが今、クリスの意思とは関係なく、この法則通りに事が進もうとしている。
「ど、どうなってるんだよコレ!?」
タイミング悪くゲイルが戻って来てしまったようだ。かなりの動揺が声からも感じるが、この状況を見て狼狽えるなという方が難しい。
レナがまだ他の冒険者達といるところを見ると、異変を感じたゲイルだけが戻って来てしまったようだ。
「ゲイル、それ以上近づくのは危険だ!」
魔素と違って瘴気は少量でも人族にとっては毒でしかない。
顔色が青白くなっていくクリスをこれ以上放置するわけにはいかない。
「主、これどうしたらいいの・・・!?」
「アーディン、首飾りをクリスへ近づけてくれ!」
俺の勘が正しければ、ファリシアの魔力がこめられた首飾りの浄化作用でクリスを瘴気から解放させることが出来るはずだ。アスレイと交代するようにクリスへ首飾りを近づけると、一段と強く発光した瞬間、石が砕け散った。
予想通り、クリスから放出されていた瘴気は切り離されたようだが、空中で粘々と蠢いている塊は分裂し形を形成していく。次第にそれは三匹の狼に似た黒い魔物へと変化を遂げた。
「・・・なに?」
強い光に目が眩んだアーディンの反応が遅れた。その隙をつくように瘴気から生まれた魔物の群れがアーディンに向かって飛び掛かると同時に、俺は障壁を展開し魔物を弾いた。
「アーディン!」
だが、弾いたのは二匹だけだ。残りの一匹は障壁が消えるタイミングを見計らっていたかのようにアーディンに襲いかかる。
「――っ!!」
アーディン自身も防御が間に合わないと悟ったが、獣の牙が彼に届くことは無かった。代わりに聞こえたのは金属音だ。
「ゲイル!?」
アーディンとクリスの前に剣を構えたゲイルが立ち塞がっている。しかし、ゲイルよりもやや大きい個体の魔物に刃を咥えられ、今にも刀身が折れそうだ。
「バカ野郎!!」
アーディンが飛び出すのと同時にゲイルが振り飛ばされた。剣ごとゲイルを振り払った直後の魔物の体勢は隙だらけだ。両手の剣で魔物の胴体を切り裂いていく。反撃を与えない速さだ。空中で体を一回転させて魔物との位置を反転させたところで、さっき俺の障壁で弾かれた残りの二匹がアーディンに向かって飛び掛かって来た。体中裂傷だらけになった魔物の胴体を蹴り飛ばし、二匹の魔物からは難なく身を躱した。
目が眩んで反応が遅れたこと以外に押されている様子が無いアーディンに魔物を任せることにして、アスレイにはクリスを頼んだ。俺は倒れたままのゲイルを安全な場所へ移動させる為、戦闘中のフィールドに少しお邪魔させて貰う。
「アーディン、そいつらの相手よろしく」
俺はゲイルを連れて行ってくると告げると、任せてくださいと頼もしい了承の答えが返ってきた。
急いでこの場を離れると、それが合図のように後方から激しくぶつかり合う音が聞こえてきたが、俺は振り返ることなくレナ達の元へゲイルを運んだ。
地面に寝かせた際、痛むのか顔を歪めた。さっき地面に強く打ちつけられ時に、打撲の他にも何か所か骨が折れているのかもしれない。
「レナ、ゲイルの回復を頼む。回復薬の持ち合わせが無くなっちまってな・・・」
「うん、任せて!」
色々と聞きたいことだらけだろうが、レナも優先順位が分かっているのだろう。
他の冒険者達もただ見ているだけで、自分たちは何も出来ないことが分かったのか気まずそうに目を逸らした。
「ゲイルの回復が終わったら悪いが町へ戻ってくれ。俺達もここを片付けたらすぐに戻るから」
「クリスは・・・?」
「大丈夫。体内に何かを仕込まれていたようだが、切り離すことは出来た。魔力をかなり消耗してしまったみたいだが、回復すればきっと目が覚めるはずだ」
クリスの体から湧き出した黒い靄が魔物に変化する一連を見ていたレナは納得してくれたようだ。また、それを聞いて安心したのか今にも泣きだしてしまいそうな涙腺を堪えてゲイルに回復魔法を唱えた。
俺自身は特にやることは無いが、ゼーレが他にも置き土産を残しているかもしれない。
―――あとはこんな・・・
「後処理かな?」
瞬時に愛剣を召喚し、体を半回転させて後ろにあったモノを斬り払った。
アーディンの滅多斬りと蹴りを喰らっても生きていた狼型の魔物が背後から飛び掛かって来たが、流石に息絶えたのか気配が完全に消えた。
「!」
ダンジョン以外の場所で魔物を倒した場合、死体はその場に残るのが通常だ。そこから素材になるものを剥ぎ取り、残りは焼却するのだが、今倒した魔物は跡形も無く消えてしまった。まるでダンジョン内で戦った時のようだ。
―――クリスの魔力を媒介に生まれた個体だからか・・・?
折角気晴らしの旅に来たというのに、魔王城に籠っていた時よりも分からないことが増えてしまった。しかし、確実に今までの歴史に登場しなかった何かが動き出しているのは確かだろう。
―――切り上げ決定だな。
全ての後処理が終わったらリーディアの町ともお別れになるのを少し惜しんだ。
ギルドへの報告も終わり、ダンジョン崩壊という異例の結末を迎えたが、あとは国が動くだろう。巻き込まれない為にも早々にリーディアの町から出る必要がある。
ゼーレのことについては、詳細が分からない以上、混乱を招く恐れがあるとして伏せることにした。その他の理由としても、彼等が興味を持っているのは魔王である俺のようだったからだ。
ただ、クリスについては心配が無いわけではない。
「三人ともどうしたんだ?」
朝食を軽く済ませてから俺達は人知れず魔王城へ帰るつもりだったが、宿泊していた宿の玄関扉を開けると昊天の光のメンバーが立っていた。
本来帰る予定だった昨日は、回復したザッツや調査で一緒に行動した冒険者達が一斉に押し寄せてきた。
感謝の言葉や弟子にしてくれと申し出てくる奴もいたが、それは丁重に断った。その為、一日遅くなってしまったのだが、三人とは今朝まで飲み明かしたばかりだ。
「帰る奴を見送るのは当然だろ?」
「あたし達のこと、そんな薄情だと思ってたの?」
ゲイルもレナも心外だと、ご立腹されてしまったようだ。
「悪い悪い」
「ルークさん達にはこれ以上にない程お世話になったのですから、見送りくらいはさせてください」
「クリスさん、お身体は大丈夫ですか?」
「はい。アスレイさんの処置が良かったお陰で魔力の回復も早かったですし、今朝まで飲んでましたけど全く問題ありません」
確かに一番飲んでたよなと、ゲイルのツッコミで一同が笑いに包まれた。
クリスはゲイルとレナに自分が姿を消している間に何が起きていたのか、そして自らが行ったことを全て二人に伝えた。巻き込んでしまった申し訳なさと、更に危険に巻き込んでしまうことを恐れてパーティーからの脱退を申し入れたが、二人はそれを許さなかった。仲間を守るのも仲間の務めだと言って、必死に説得するクリスを一蹴したのだ。
「そういえば、ルーク達はどうやって帰るの?」
「確かに、船の時間はまだですし・・・」
「こっからじゃ遠すぎてどれだけ掛かるのか予想もできねーな」
実は初日に俺が連れて来て貰ったワイバーンにゲイル達が襲われたことは今も話していない。旅を続けるなら人族と同じように船を使うことも考えていたが、帰りは彼に頑張って貰うつもりだ。
「オレが運ぶ役だけど?」
アーディンの両親や魔族であること以外、詳細を知らないゲイル達は怪訝な表情を見せた。
「アーディンが見かけによらず怪力なのはこの間分かったけどよ、運ぶ役っていっても海を越えるんだぜ?」
「そうそう。海を飛び越えるなんて無理にもほどが―――」
「飛ぶけど?」
余計に混乱させてしまった彼等を納得させるには、実際に見て貰った方が早い。正体を知られてしまっているのだから隠す必要も無いだろう。
俺達は港とは逆方向の人気のないモルビスの森の奥へ移動した。何も生えていない開けた場所を見つけ、広さ的に問題がないことを確認する。
「この辺りにまた魔物が寄り付かなくなるかもしれねーけど、勘弁してくれ」
「あまり近寄ると危険ですので、この辺にいた方が良いですよ」
俺とアスレイの説明に更に訳が分からないといった様子の昊天の光のメンバーをよそに、一人皆と距離を取ったアーディンは服を脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょっとアーディン何で脱いでんの!?」
「そりゃあ破れるからだろ?あと、アスレイさんが言った通りそこから動くなよ」
足元は見え辛いから踏み潰す可能性があると付け足した。
レナはアーディンに背を向けてしまったが、ゲイルとクリスは目にしていた光景を凝視しながら固まってしまった。地面の影が大きくなっていくことを不審に思ったのか、レナもぎこちなく振り返ったが、最初に目にしたものが何か分からなかったようだ。
「ぎ・・・ギャァああぁ!!!」
耳をつんざくような悲鳴を上げたレナは腰を抜かしてしまったようだ。
見上げた先にあったものがドラゴンであれば、これが普通の反応だろう。しかし・・・
―――意地悪が過ぎたか?
初日に遭遇したワイバーンよりも遥かに大きい個体のドラゴンは、正真正銘アーディンが変身した姿だ。絶滅したといわれる竜族の血を引く母親のファリシアは変身出来ないが、隔世遺伝で姿を変える能力が発現したのは、彼がまだ幼少期の頃だ。当時は戻り方が分からないなど大騒ぎだったが、今では力のコントロールも余裕で出来るようになった。
アスレイが魔王城からここまでの移動手段にしたのもアーディンというわけだ。
アーディンが変身する姿を初めから見ていたゲイルとクリスは漸く徐々に受け入れることが出来てきたようだが、レナの方はまだ時間が掛かりそうだ。
「やはり意地悪が過ぎたようですね」
申し訳ございませんと、謝罪の言葉を口にしてからアスレイはレナの手を取った。
「あのドラゴンはアーディンのもう一つの姿です。人の姿の時と同じように意思疎通が出来ますので、怖がる必要はありませんよ」
「そ、それならそうと最初に教えてて欲しかったですー!!」
アーディンが高度を上げて羽ばたくと、あっという間に遠ざかってしまい、昊天の光のメンバーだけでなくモルビスの森も見えなくなってしまった。今はもう海の上だ。
予想外に仲良くなってしまった彼等との別れを湿っぽいものにしたくなかった。だからあれはアレで良かったはずだ。
「彼等も二度と会えなくなるつもりは無いのでしょうね」
「・・・そうだな」
見送りの際、別れの言葉は無かった。
また再び会うことがあるのなら、その時も変わらない自分でありたい。
「あの・・・しんみりしてるところ悪いんですが、魔王城に帰ったら母さんのカミナリが百パーセント落ちますけど・・・お守りが壊れたの絶対バレてますし・・・」
聖女の称号を持つファリシアが人々を癒してきた数は計り知れない。だが、一緒に旅をしてきたからこそ知っていることもある。
女神のような顔をして笑顔を振りまいていたのは表の顔だということを。
「・・・レイ、あと二、三泊どこかに寄らないか?」
「妙案ですが、覚悟を決めましょう・・・」
アスレイにさえ容赦なく怒れるのはファリシアくらいだろう。
成人を超えているとはいえ、子供を思う母親は強い。
息子に持たせたお守りが砕け散るほどの危険に巻き込んだ制裁が待っていることを、俺達は怯えながら帰路についた。