第54話 夜の居酒屋
◇夜の出会い◇
街灯に照らされた夜道を歩く最中、俺は何故か怜奈と初めてであった日のことを思いだしていた。
考えないようしていたはずなのに、不思議と頭から離れなくなっている。
ここまで脳の奥にこびりついてくるのは、もしかすると怜奈との出会いは、俺にとっては1番2番を争う人生のターニングポイントだったからなのかもしれない…。
ー約6年前ー
今から約6年前、俺は社畜街道まっしぐらの生活を送っていた。
ただ業務をこなし、必要に応じサービス残業をし、深夜帰りは当たり前。
そんなつまらない日々を当たり前と錯覚し、諦めていたある日、彼女と出会った。
俺が深夜にいつも通りパソコンとにらめっこしていると、その女性に話しかけられた。
「君、もう定時すぎてるよね。もしかして残業?」
「ああ。だがもうすぐ片付くから問題ないよ」
俺は寝不足であったため、彼女をうっとおしく思いながら、無愛想に言葉を返した。
すると彼女は不機嫌そうな顔を俺に向け、さらに俺に言葉を投げかけてきた。
「何が問題ないよ。あなたが何日も連続で残業をしてること、みんな知ってるんだからね!」
「…だからなんだと言うんだ?俺たち社会人は与えられた指示を的確にこなさなければならない。できなければ切り捨てられるだけ。お前だってそうだろう?」
俺はパソコンとにらめっこしながら、彼女にまたも無愛想な言葉を浴びせる。
こういう態度を続けていれば勝手に帰ってくれるだろう。
…そんな浅はかな考えだったが、彼女には全くもって効果なしだった。
「何が指示よ。ただ与えられた仕事をこなすだけなら機械大差ないでしょ。…いや、心があるのにそんな考えに至っているあなたは機械以下かもね」
「なんだと…?」
俺はキーボードから手を離し、腕を組む彼女を睨みつけた。
普段ならばこんな罵倒なら軽く流せるのだが、残業続きの俺にそんな余裕はなかった。
「俺が機械以下?ふざけるなっ!」
ただただ怒りを彼女にぶつけた。
「俺だってやりたくてやってる訳じゃない!どれもこれも全て来田社長のせいだろ!?」
来田社長、本名は来田正成。
日本のIT企業の始祖にして、一代で会社を日本一の企業に導き、近年は別事業に進出し、またも大成功を収めたという表の顔を持つ男だ。
だが実際の会社の裏は地獄だった。
「サービス残業当たり前、上下関係は激しく、上司に嫌われた俺は捌き切るのも困難な量の仕事を押し付けられる。退職しようとしてもペナルティという名の"違約金"の存在をちらつかせて外堀を囲む。そんなところに入った以上、逃げ場なんてないだろ…!」
俺は全てを吐き出した後、力なく地面に膝をついた。
後になって後悔が押し寄せてくる。
こんなこと一般社員に言ったって何もないのに何を言ってるんだか…。
そんなことを思っている俺に、彼女は静かに口を開いた。
「じゃあそんな現状に諦めた君に1つ問う。何故君は今、"泣いているの"?」
泣いている…?
俺は目元に指を近づけると、生ぬるい水滴の感触がした。
その時俺は初めて気づいた。
「ああ…。俺は…、死ぬほどつらい現実に目を逸らしたくて泣いているのか…」
実感すると切なくなってくる。
入った当初は使命感に燃えていたのに、その熱は生ぬるい涙に姿を変えてしまったのだから。
「悪いな、つまらない話を聞かせてしまって」
俺は涙を拭いながら口を開いた。
「別にいいよ。…でも、本当に君が申し訳なくて仕方がないのであれば、今から私と飲みにでも行かない?」
「ぶふっ…」
彼女の陽気な提案に、俺は思わず吹き出してしまった。
元気づける目的とはいえ、急にそんな事言うか?
「ちょっとぉ!何がおかしいの!?」
彼女は頬を膨らませながら俺に詰め寄ってくる。
気を使ってくれていたのに、悪いことをしたな?
まあ考えても無駄か…。
「いや、なんでもない。行こうか、居酒屋…」
今日は、彼女の優しさを素直に受け取ることにしよう…




