第39話 トラウマ
◇少女の恐怖◇
「謎の人物、そいつに心当たりは無いのか?」
気になった俺は、震える華音の手を握り、そう尋ねてみた。
すると華音は、その手を握り返し、震える声こそ直らなかったが、俺の問に答えてくれた。
「分からないです。知らないわけではないんでしょうけど、思い出そうとすると、いつも苦しくなるんです。多分私の本能が、その人物を思い出すことを拒絶してるんだと思います」
拒絶か。
正直分からなくもない。
俺自身、大切な人の命を失う経験をした。
もしかすると、それがトラウマになっていたかもしれない。
だが、俺が華音のように心を塞がなかったのは、土田の存在があったからだ。
そう考えると華音は、心の支えが当時はなかったと考えられる。
つまり、これらから考えられる1つの仮説が1つある。
「華音の母親殺害と、関係がありそうだな」
俺がそう呟くと、華音は何も言わず、静かに頷いた。
肯定と受け取っていいだろう。
とすれば、来田正成と関係性がある人物の可能性が高いから、おのずと人物は限られてくるだろう。
来田と関わりが深い警察やヤクザの可能性もあるし、濱島団の連中の可能性も捨てきれない。
ただ、この人物が分かれば、来田正成の真相に一歩近づけるかもしれない。
俺にとっても、華音にとっても、おそらく必要なことだろう。
であれば、これを調査しないではないだろう。
そう思った俺は、華音にさらに疑問をぶつけてみる。
「その人物はやっぱり来田関係だよな。何か、どこの奴らが怪しいとかはあるか?」
「それも分からないです。私が若い頃の記憶だし、事件当時のこともあまり覚えていない。だけど、恐怖心だけは、私をつかんで離してくれないんです。」
まあしょうがないか。
何も情報を得られないのはきついが、仕方のないことだ。
「なるほどな。だとすれば、この手の話は田嶋に直接聞く方が良さそうだな」
「はい、そうした方がいいと思います」
俺が提案をすると、華音は頷きながらそう答えた。
正直、田嶋も事件のことは探られたくはないと思うが、今回ばかりは仕方がない。
華音がこれからも過去を引っ張らないために。
「それじゃあ、落ち着き次第、明日にでも聞きに行くか。あまり気負いすぎるなよ」
そう言いながら俺は、部屋のドアノブに手をかけ、部屋から出ようとした。
しかし、華音の、
「ちょっと待って!」
という声に、呼び止められてしまった。
「どうした?」
俺はその声に少し戸惑ったが、何か伝えたいことがあるのだと思い、振り返って華音の顔を見た。
その華音の顔は、頬が赤くなっていた。
その顔を見た瞬間、俺はある程度言われる内容を察した。
「牧野さん、私の胸、見てませんよね?」
華音の口から放たれた言葉は、俺の予感を見事に射抜いてみせた。
まあ疑われるのもしょうがないか。
だが、これからも関わりなあるであろう娘に、嫌な印象を持たれるのは避けたい。
だから俺は、できる限り焦りのない声で、
「ああ、別に見てないぞ」
と言った。
我ながら紳士的な対応かつ、誤解を招かない返答ができたと思う。
しかし、華音の返答は、俺の想像のはるか斜めをいく言葉だった。
「いや、絶対に見ましたよね!私のパジャマちょっと脱げかけてますし!」
「いや知らねえよ!寝てる間に脱げたんだろ!」
華音の言葉に、つい反射で強く返してしまう。
すると華音は、涙目になりながら、
「うぅ〜…。私、小柄な体格がコンプレックスなのに、見られちゃった〜!」
と訴えてきた。
「いや、コンプレックスなんて知らねえよ!それに、三十路手前の男が、高校生に手を出すわけがねえだろ!」
俺は、たまらず反論する。
それから華音は、あれこれ理由をつけて、俺を変態と決めつけてきて、俺の弁明タイムが幕を開けた。
誤解を解くのに1時間以上はかかったが、華音の表情が、少し明るくなったように見えたため、少し安堵し、部屋を後にした。
 




