第36話 自己満足
◇感情の変化◇
どれぐらい床を磨いただろうか?
俺は、ただひたすらに長い廊下を磨く作業に、1日目の朝ながらすでに音を上げてしまっていた。
これじゃまるで、ただの掃除員さんじゃないか。
そんな事を思っていたら、俺のスマホから通知音がした。
普段はマナーモードにしている俺だが、華音のお世話係になる上で、細かい連絡を手短に行うために、今日はたまたま通知をオンにしていた。
俺は仕事中ではあるが、周りを見渡し、スマホを確認することにした。
別にサボりたいわけじゃないぞ。
ただ気になったから見るだけだ。
そう誰も聞いていないのに、脳内で言い訳をしながら、スマホの画面を見た。
するとそこには、田嶋からのメールが入っていた。
俺はそれを開き確認すると、その内容は、衝撃のものだった。
"華音が連れ去られた。今すぐ助けに行け"
これを見た瞬間俺は、急いで本部を飛び出した。
まったく、初日からトラブルかよ。
幸い華音のGPS機能は切断されていなかったため、追跡は容易だ。
俺は田嶋から送られる情報を元に、出来る限りのスピードで走った。
俺は走りながら、何度も華音の無事を願った。
田嶋に注意事項を提示されていながら、その1つの危険から華音を守ることのできない俺の未熟さに泣き出したくなった。
だが足を止めてはならない。
俺自身の名誉やプライドのため?
いや、違う。
俺が足を止められない理由はただ1つ。
もう誰も、大切な人を失いたくないからだ。
俺は来田によって、怜奈と両親を殺された。
田嶋も同じく来田によって、涼子さんを殺された。
大切な人を失う苦しさを知っているからこそ、俺は華音の命も守りたい。
田嶋のため?
いや、これはただの俺の"自己満足"だ。
いいじゃないか、自己満足で。
もう俺にとって、会って2週間も経っていない田嶋も華音も、大切な人なのだから。
…おっと、回想に浸るのが長すぎた。
そろそろ華音を助けないとな。
俺はGPSが指す華音の居場所、町外れの廃工場にたどり着いた。
この中に華音がいる。
俺は流れる汗を拭い、荒ぶる気持ちを押さえつけながら、廃工場の扉を開いた。
廃工場の中は薄暗く、ポタポタと雨水が垂れる音も聞こえてきて、かなり不気味な印象だ。
俺は廃工場に足を踏み入れ、水溜りが所々にできている地面を、容赦なく踏みつけた。
一応犯人が出てきてもいいように、土田から潜入作戦決行日に貰った催涙スプレーを構える。
土田曰く、
『初心者の俺でも扱える武器はそう簡単に無いため、催涙スプレーが一番手頃で使いやすい』
とのこと。
まあ俺的にもいきなり本格的な物を渡されるより、一般的に購入できる物を使えるのなら、非常にありがたい。
まあ俺の"ポケットに隠し持っている物"は、普通じゃないんだけどな。
できれば使う機会がなければいいが。
そう思いながら俺は、さらに奥へと歩みを進める。
俺が慎重に歩いていると、背後からもの凄い殺気を、瞬間的に感じた。
俺はその殺気に圧倒されながらも、なんとか後ろに振り向く。
するとそこには、気絶した華音を片手に担いだ、茶髪のロングヘアーの男が立っていた。
俺はすぐにでも飛びかかろうとしそうになったが、なんとか抑え、冷静に現在の状況を分析することにした。
まず男の片手に武器はない。
反撃を受けることは無さそう。
男の雰囲気的にも、今すぐに俺を襲いかかる様な事も無さそうだ。
ならばまずは、会話から始めることにしよう。
そう思い俺は、口を開いた。
「お前が華音をさらった奴か?」
俺がひとまずそう問うと男は、
「見てわかるようなことを聞くな。時間の無駄だ」
と言われてしまった。
そりゃそうか。
逆に男が仮に、
『俺じゃないよ』
と言ったとして、俺はまずそれを信じないだろう。
落ち着こうとしたとはいえ、焦って変な質問をしてしまった。
…って!
何相手のペースに乗せられてんだ!
ええと…、何か現状を打破できる言葉はないか?
…クソッ、何ひとつ思いつかない。
たとえ思いついたとしても、男がどんな風に俺を罵ってくるか想像できてしまい、中々口に出せない。
どうすれば…ん?
ちょっと待てよ。
俺はいつの間にかあの男に、言葉で支配されてしまっている。
そして何を言っても、コイツにだけは勝てないという感情に襲われている。
これに似た人物。
俺ってそんな奴に1回、いや何度も会ったことがないか!?
その考えから導き出されるある仮説。
それはもしかすると間違いかもしれないが、もし正解であれば…。
俺は色々考えた後、思い切ってその男に、たどり着いた仮説の結論をぶつける事にした。
「なあ、お前もしかして土田か?」




