96.イシワラ・タンジ舞う
96.
イシワラ・タンジ舞う
イシワラは倒れた。
まだ、かすかに意識がある。
そして、イシワラは思い出していた。幼い日のころを。
西軍の少将のイシワラは、幼少期は病弱であったあの日のころを。
冬になると、風邪をひき熱を上げる。また、麻疹を患い種痘を何度か受けていた。
体力も同年代と比較して、劣り気味だ。
だが、負けず嫌いな性格なのだ。そんな自分を良しとしなかった。
「俺は大将になる。軍隊に入って将軍になってやる」と言い張っていた。
まず、彼は、食事から改善していった。
学校から帰宅すると祖母が甘いものを用意してくれていたが、そのせいか、学校を往復するだけでスタミナ切れを起こしていた。
まず、それを止め、筋骨を作るため豆乳や当時としては珍しい牛乳を飲み、また、食事も肉食に変えて行った。
やがて、肉体は見違えり、体力は同年代では優れたものとなっていた。
士官学校に入り、一般的な武術を身に付けて行ったが、補助科目として、空手なる珍しいものを見た。
なんと、この武術は、強烈な当身をくらわし、場合によっては当身だけで相手を制している。
普通、武術に於いて当身とは、大半が“仮当て”なのである。
当てて気をそらし、投げるなどの技に繋ぐものであるが、剣で斬るかの如く、当身で相手を制している。
イシワラは歓喜した。
「これだ、俺の求めていた武術とは」
そして、イシワラは見よう見まねで、自宅に巻き藁を立て、それに向かって正拳突きと前蹴りを日課としていた。
それを一年続けていると、拳頭が肥大しただけでなく、手は変色し、手の甲は分厚く腫れたようになり、冬になると紫色に染まった。
足の裏は巨大なタコが出来ており、これまた拳のタコと同じで、時間が経つと皮がめくれる。
この時、上手くめくれてくれないと、水が溜まったりし、歩行に影響を与えるので、適度の大きさになると、ハサミで切るなど管理が必要と分かった。
そんな空手狂のイシワラに、昇段審査のチャンスが舞い込んできた。
軍が管理している武徳会が、空手の審査を行うというのだ。
初段から始まり、五段に達すると範士の資格受験が出来る。この範士になると国から恩給年金が出るのだ。
そして、イシワラは学生で唯一の初段合格者となった。
それからのイシワラは、邁進した。
夢は五段合格し範士となること。
士官学校を卒業し軍人となってからも、巻き藁は欠かさず、突いた。蹴った。
武徳会の稽古日には、必ず参加した。
そして、初段合格から二十年の時が流れた。
五段審査の受験日が来たのだ。
いつも通りの稽古のすべてを発表するべく、審査会場で舞った。
形審査では、クルルンファとスーパーリンペイを。
組手審査では、武徳会の方針で剣道の面を付けての防具組手だ。
イシワラは、当時として珍しく、一発合格だった。
「次は範士を目指す!」
しかし、彼のもとに、武徳会から連絡があった。
【翌年、武徳会初の六段審査を行うので、受験されたし】
なんと、武徳会初だと!
つまり、これに受かれば、俺の実力は武徳会で一番ということか?
そして、審査の日には、全国から、初めての六段審査に大勢が集まった。
形審査は、スーパーリンペイだけだ。
中には、形が終わると、後ろを向いていた者がいたぐらい、会場は緊張に覆われていた。
異様な空気が流れていた。
六段を受けるものばかりなのだ。
五段合格者ということだ!
しかし、この異様な空気の中、漏らすものがいたぐらいだ。
糞尿を漏らすというと、異様に感じるが、戦国の武将は、イクサでは漏らすものだったようだ。
有名なところでは、徳川家康が三方ヶ原で脱糞したことで知られているが、これは事実ではないとも言われている。
だが、戦国の世、脱糞など、珍しくもなく平常運転なのだ。
それと同じく、極度の緊張感で漏らすなど、これまた武術としては平常運転なのだ。
さて、武徳会初の六段審査は、三人が合格した。
イシワラは、その一人となった。
その後は、軍の仕事が忙しくなり、あの南部戦線に参加した。
その時、時田に出会った。
「実は、もっと強くなりたいのでは、ございませんか」と。
「この強さがあれば、貴方の理想の世界が作れるやもしれませんね。私達は、そのお手伝いをすることが可能です」
だが、俺たちだけ、強くても勝てなかったのだ。
西部の味方をしたのは、中部の一部だけだった。
東部も北部も南部も敵となり、数で負けたのだ。
イシワラは、そんなことを思い出しながら、深い眠りについたのだった。
「ハヤト、頭をつぶしておかないとゾンビになるよ」
「いや、ビリー。良い。このままで。このままで良い」
次回の空手家は、最終決戦の前に、ちょっと!
最終回まで、あと少しです!
緑茶を飲めば空手が冴える!
ブクマを、すればご利益がある?