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作者: ろむ

朝方まで起きること。

それは彼の日課だった。

毎日毎日、夜明けまで起きて朝を見る。

彼の名前は「碧」。

碧、という名はとても綺麗なイメージのある色。

だが、碧は自分の名を、自分のことを、綺麗ではないという。

そう言い始めた頃からだろうか、碧が朝まで起きるようになったのは。

碧は茜色が好きだという。

そう、朝焼けは茜色。

一度だけ、なぜその色が好きなのか、と聞いたことがある。

その時に碧は

「僕と反対で綺麗だから。」

と、答えた。

私は、綺麗なものになろうと思った。

碧は綺麗だ。

それでも碧が自分のことを綺麗じゃないと言うのなら、

碧と一緒に綺麗になりたいと思った。

その日から、週末の夜は朝まで起きるようになった。

どうしても碧のような人になりたかった。

碧と少しでも同じ時間を過ごしたかった。


私が朝まで起きている日が増えた。

毎朝、碧と一緒に同じ空を見上げる。

黒が薄くなり、赤がやってくる。

ぴんく、紫、オレンジ。

中にはまだ黒い部分もある、朝の空。

この空を碧と見ることができていることが、

私の最近の小さな幸せ。

…そしてやがて、真っ赤に染まった空が青く変わってゆく。

寝る時間の合図だ。

碧が部屋の隅のベッドに座り、手招きをする。

私はそれに答えるようににこりと微笑み、隣に座る。

「碧。」

そう呟くと、碧が私の方を向く。

碧にはしっかり私の声が聞こえてる。

それだけでとても安心する。

私たちはちゃんと同じ世界にいるんだと思えるから。

だけど、碧は話してくれない。

その優しい声を聞かせてくれない。

ねぇ、碧。

「どうして…。」

頬に温かいものが流れた。

泣いてるんだ、私。

碧はびっくりしたような顔をしてこっちを見つめていた。


空が全て青くなる頃。

涙が乾いた私は、静かに碧を見つめる。

一定のリズムを刻む時計が沈黙を際立たせ、

気まずい空気が流れる。

それに耐えられなくなったのか、碧が口を開く。

が、はっとしたように口を閉じ、悲しそうな顔をする。

「…ごめん、碧。」

悲しいのはこっちだ、と心の中で呟き、すっと立ち上がる。

こんなことを考えてしまう自分が嫌い。

碧の反対で、すごく汚いから。


私は涙を見せないよう、下を向きながら碧の前を通り過ぎる。

と、碧が私の方へ手を伸ばす。

けれどもその手は、何者にも触れることなく空を切る。

また碧を悲しませてしまった。

更に溢れようとしてくる涙をぐっとこらえて部屋を出た。

碧は、追ってこなかった。


リビングの窓から指し込む光。

また今日が始まる。

本当は、あのまま寝るつもりだった。

朝まで起きたら眠いから。

だけど今日は眠くならない。

…やっちゃったな。

碧に嫌われたくないのに。

もう、一緒に朝を見れなくなっちゃうのかな。

そう思うと、止まったはずの涙が自然と溢れてくる。

ああ、私、好きなんだな、碧のこと。

「っ…。」

もっと早く気付ければよかったな。

そうすれば碧を失うことだって…。

「…あ。」

何をしに来たのか、碧が開いたリビングの扉から顔を覗かせ、

悲しそうな、子犬のような顔でこっちを見つめていた。

私はそんな碧に負い目を感じ、ふい、とそっぽを向く。

そしてさりげなく「1人分」の朝食の準備を始めた。


いつもはパンで済ませている朝食だが、

今日のように時間のある日はお米を食べる。

今日は目玉焼きを作る。

油を引いたフライパンに卵を片手で割って入れ、蓋をする。

焼けるまでの時間、冷凍してあったお米を電子レンジに入れて解凍していく。

と、フライパンの蓋を少し開け、焼け具合を確認する。

半熟派なため、丁寧に作業を進めていく。

まだ焼けるには時間がある。

私は、キッチンからこっそり、ソファに座っている碧を見る。

碧は口をきゅっと閉じ、どこか寂しそうに壁を見つめている。

ふと、碧が私の視線に気付いたかのように後ろを振り向く。

一瞬だけ目が合う。

反射的にしゃがんでしまう。

ばくばくと早く鳴っている心臓の鼓動を抑えつつ、

気を紛らわすためにフライパンを覗き込む。

「あっ…。」

目玉焼きの黄身が薄いピンク色になってしまっていた。

急いでお皿に移し替え、

傍にあった塩と胡椒を振りかける。

そして、そっと黄身を割ったが、いつものようにとろけることはなかった。

半熟以外は好きじゃないのだ。

けれども、捨てるのは気が引けたため、最後まで食べることにする。

心なしかいつもより箸の進みが速く、あっという間に食べ終わってしまう。

思った以上に早く食べ終わってしまったため、いつもは置いておくだけの食器もしっかり洗い、

乾燥機に入れた。


碧はまだソファにいた。

私は碧の横に腰かけようとするが、さっきの出来事があったため、少し迷う。

碧がこちらを振り向く。

目が合うと碧は少し微笑んで、自分の隣をぽんぽんと叩く。

戸惑いながらも碧の横に座ると、碧は優しく笑う。

さっき困らせたはずなのに、碧は私に笑いかけてくれる。

嬉しい、けれどもなんだか申し訳なくなるから。

「ごめん、碧。さっきはごめんね。」

そう、碧の優しく綺麗な目を見つめて言った。

表面上だけの謝罪と思われるのは嫌だった。

碧は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔に戻る。

「また、一緒に朝を見てくれる…?」

碧の優しい顔に安心して、言うはずじゃなかったことまで口走る。

碧は笑顔のままこくりと頷いた。

まだ声は聞かせてくれなかった。


ふと目が覚める。

時計の針はとっくに15時を過ぎていて、眠ってしまっていたことに気が付く。

私は、少し辺りを見渡す。

が、碧の姿が見当たらない。

他の部屋だろうか、それとも出ていったのだろうか。

どっちだとしても、私には関係がない。

碧の自由だ。

けれども、碧と一緒にいたい自分がいる。

だからこうして立ち上がり、リビングを出る。

誰もいないかのような廊下を、音ひとつ立てずに歩く。

なんとなく、いつも碧と朝を見る寝室へ向かってみる。

寝室の扉はきちんと閉まっていた。

私はドアノブを掴み、ぐっと扉を開ける。

開いた部屋の中はとても静かだった。

朝と同じ、時計の進む音だけが響いている。

きょろきょろと部屋を見渡す。

完全に閉まっていない白いカーテン。

小さめの机とおしゃれなテーブルライト。

部屋の隅に置いてある白いベッド。

そこから微かに聞こえる寝息。

碧だ。

読んでいる途中に寝てしまったのか、碧のすぐ横には一冊の本が置いてある。

その本をそっと手に取り、近くにあった机に置く。

そして私は碧の寝顔をそっと見つめる。

碧の寝顔を見るのは久しぶりで、つい見入ってしまいそうになる。

いつもは大人っぽい碧の寝顔はとても可愛らしく、

どうしても起こす気になれなかった私は、静かに部屋をあとにした。


リビングのソファに戻り、私は考える。

碧がいないと毎日がつまらないな、と。

今だって、同じ家の中にいるはずなのに、とても寂しい。

少し離れているだけなのに。

碧はきっとどこかに行くことはない。

ずっと、私のそばに居てくれるはず。

…だけど、私は?

優しい碧に頼りっぱなし。

それに、碧のことをなにも知らない。

碧はどこでご飯を食べているのか。

碧はなんで私の家にいるのか。

碧は…碧は、誰だっけ?

「っ違う…。」

碧は碧だ。

それ以外の何者でもない、

優しくて、気が使えて、私の、大好きな人。

そうだ。

私は碧のことを誰よりも知ってる。

だって小さい頃からずっと、一緒にいるから。

「…よし。」

きっと、私にできることはある。

ご飯なら私にも作れるもの。

碧はオムライスが好きなはず。

今日の夜はオムライスを作ろう。

今私にできる、唯一のことだから。


けれどもその日、何時になっても碧が起きてくることはなかった。

私は碧を起こさない方がいいと思い、オムライスにラップだけしてソファで眠った。


ばっと飛び起きる。

外はまだ暗く、月明かりがリビングを照らしている。

嫌な夢を見た。

碧のお葬式の夢だった。

高校の時のみんながいた。

やけにリアルな夢だったせいか、額には微かに汗が滲んでいる。

なんだか嫌な予感がした。

掛けていた布団を蹴飛ばし、リビングを出る。

そして、碧がいるはずの寝室へ走る。

ばん、と大きな音を立てて扉を開けるが、そこに碧はいない。

寝室は碧がいないこと以外昼間のままだった。

寂しさからか、目にじわりと涙が浮かんだが、気にせずに部屋を出る。

小部屋、洗面所、お風呂場、トイレ。

普段は使わない押し入れも、中身を全て引っ張りだし、隅々まで探す。

もう一度リビングに戻って部屋の全てを確認したり、

カーテンの裏や小さな隙間まで丁寧に探した。

それなのに、いなかった。

どこにもいない。

力が抜けて、その場にぺたんと座り込む。

約束したのに。

一緒に朝を見ようって。

「うぅ…ひっぐ…ぐすっ…ぅ…。」

思わず泣き出してしまう。

「ぅ…ぁあ"あ"っ…。」

「ひっ…ぐ…あぉ…碧……!」

自分でも何を言っているかわからないような嗚咽を漏らし、

ただ碧だけを呼び続けた。


泣き止んだ頃。

空はすっかり明るくなり、外からは鳥の鳴き声が聞こえている。

私は泣いて腫れた目を擦り、ゆっくりと立ち上がる。

少しふらふらしながら寝室に向かって歩き出す。

さっき色々散らかしたせいか、廊下にはところどころ物が落ちている。

それを避けながら寝室へ向かう。

寝室に着いた私は、やはり碧がいない、と蹲るが、涙はでなかった。

ふと顔をあげると、窓が目に映る。

またゆっくり立ち上がり、そっと近付いてみる。

窓ガラスに手を付き、外を見つめる。

朝以外はしっかり見てこなかったためか、その空に感動した。

青だった。

澄んだ青色。

まるで、私が目指した碧のような…、そんな気がした。

碧はそっちにいるのかな、と訳のわからないことを考える。

少し、空ではなく、窓ガラスに目が行く。

その窓ガラスには、寂しそうに笑う私の顔。

それがなんだか嫌で、窓をばっと開け、

「ねぇ、碧。そっちにいるの?」

と、空いっぱいの青色に話しかける。

もちろん返事が返ってくることはなかった。


碧がいなくなって1週間。

悲しい、寂しい。

そんな感情ばかりのつまらない日々を、機械のように過ごしている。

家事をする気力なんてなく、食器も洗濯物もそのまま。

唯一綺麗なままの寝室の、碧が最期にいた白いベッドの上で、

ただぼーっとしている。

たくさん寝て、お腹が空いたらご飯を食べて。

ずっとそんな生活をしていたが、食べるものがなくなったため、

久しぶりに外へ出ることにする。

部屋着から軽装に着替え、スニーカーを履いて玄関の重い扉を開く。

1週間ずっと電気も点けず薄暗い部屋で生活していたため、

外はとても眩しく感じた。

けれども、夏は毎年扇風機のみで過ごしているおかげか、

そこまで暑さは感じなかった。

向かったのは近くのスーパー。

歩いて10分もかからないところにあるのだ。


スーパーに着いた私は、カゴを手に取り中へ入る。

適当に歩いて、カップ麺などをカゴに入れる。

「…あ。これ、碧が好きって言ってた…。」

何となく入ったお菓子コーナーで、無意識にチョコレートを手に取ってしまう。

「……。」

なんだか寂しい気持ちになってしまった私は、そっとチョコレートを棚に戻した。


スーパーの帰り道、下を向いて歩いていた私の視界に、

何か白いものが映り込む。

顔をあげてみると、そこには小さな白猫がいた。

ずっと下を向いていたため気付かなかったが、私の左側には塀があり、

そこから飛び降りてきたんだとわかった。

私は、まだ私の前に座っている白猫を、両手でゆっくり抱き上げ、

じっと見つめてみる。

綺麗な瞳だった。

真ん丸で、こころなしかきらきらしているように見えた。

その白猫は、足が着かないからか、じたばたし出し、

にゃー、と鳴いた。

「あ…、ごめんね。」

と子猫に向けて苦笑いをし、塀の上に戻す。

そしてまたゆっくりと家に向かって歩き出す。

昼間なのにとても静かな道だった。

その静けさの中に、私の足音と、なにか、もうひとつの足音が聞こえる。

もうひとつの足音は、私を追っているようで、離れることはない。

と、その足音が速くなる。

少し不安になり、ばっと後ろを振り向いた私の目には碧が映る。

「え……。」

ぶわっと涙が溢れ出す。

「あおっ…!」

持っていたレジ袋を投げ出し、碧に抱きつく。

そんな私の頭を碧は優しく撫でる。

「うぅー…、あお、どこ、行ってたの?」

「ごめんね。いっぱい心配かけたよね。」

「うん…ばかぁ…。」

「ごめん。寂しい思いさせたね。」

「………うん。」

久しぶりに聞いた碧の声はとても優しかった。

「あのね、『茜』。」

「…うん。」

「会ってすぐだけど、僕はもうここにはいられないんだ。」

「……え。」

「…ほら。」

差し出された碧の右手を見ると、半透明になっていた。

「あと5分、持つかわからない。」

私は静かに碧の言葉を聞く。

「もしかしたらいますぐ消えるかもしれない。」

「だからさ、これだけは覚えてて。」

「うん…。」

「いい?忘れないでね、『茜』。」

「っん…。」

「僕が好きなのは、茜色なんかじゃないんだよ。」

「……!」

「僕が好きなのは、『茜』…、君だから。」

「………え?」

その瞬間、光が碧の体を包む。

「最期…だね。」

そう言って微笑む碧は半透明だった。

私は、今すぐにも消えそうな碧を引き留めようと手を伸ばすが、すり抜けてしまう。

「……ばいばい。」

「あ………。」

ついに碧は消えてしまった。

そして、碧がいた場所には、さっきの白猫が1匹座っていた。

あの不思議な出来事から1年が経った。

あのときの白猫は家まで付いてきたため飼うことにした。

今では青い目の綺麗な白猫になり、空を見るパートナーになった。

そのパートナーにはゆかりと名付けた。

青と赤を混ぜた色だから。

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