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第1話

 ──狂っている。




 ……それは、確かだ。


 ……それでも、わからない。




 ──狂っているのは、この世界なのか。


 ──それとも、俺自身なのか。




 街中に貼られている、無数のポスター。


 真っ赤な、真っ赤な、醜悪なる、肉の塊。


 ぎょろりと見開いている、無機質な青い瞳。


 まるで俺たちを、見張っているかのように。


 自分たちの『糧食エサ』が、逃げ出さないように。




 ──狂っている。


 ──狂っている。


 ──狂っている。


 ──狂っている。




 この『磯神』の街か、俺自身かの、どちらかがきっと、狂ってしまっているんだ!




『……うう、ああ』




 突然、腕の中から、か細いうめき声が聞こえてきた。


 フード付きのコートにすっぽりと覆われた、小柄で華奢な肢体。


 十五、六歳くらいの年頃の、抜けるように白く、夜空の月の光そのままに蒼ざめた肌。


 同じく色素が抜けきった初雪のごとく長い髪の毛に縁取られた、日本人形を彷彿とさせる端整な小顔の中で鈍く煌めいている、鮮血みたいな真紅の瞳。


 ……それだけなら、天使や妖精と見紛うばかりの美少女であるが、よくよく見ると、




 ──何と、全身の至る所に、鱗や鰭みたいなものが生えており、瞳に至っては、猫や蜥蜴であるかのような、細長い縦虹彩であったのだ。




『……うあ、あああ、いあ、いあいあ、いあいあいあいあいあ』




 腕の中のうめき声が、どこか歌声のようでもある、さえずりへと変わっていく。




 ──あたかも、何万年もの間深き海の底に隠れ住んでいるとも言われる、旧時代の邪神たちに生み出された、『奉仕種族』の鳴き声であるかのように。




「……大丈夫だ、大丈夫だよ」


 怯え続ける少女を励ますようにして、強く抱き寄せながらささやきかける。


「この夜汽車は、あと少しで京都府内に入るだろう。この狂った磯神の地を離れれば、『あいつら』も追ってきたりはしないよ」


 そのように、自分に言い聞かせるかのように、つぶやいた、


 ──その刹那であった。




「……磯の、香り?」




 そ、そんな、馬鹿な!


 ここはすでに磯神湾を遠く離れた、京都との府境の内陸部なんだぞ⁉




 ……まさか。


 ……まさか。


 ……まさか。


 ……まさか。


 ……まさか。




『彼女』が、追いかけてきたんじゃ、ないだろうな?




 思わず胸中で、絶対にあり得ないはずの可能性を、思い浮かべて、身を震わせたところ、


 その瞬間、潮の匂いが、極限までに高まった。




「──探しましたよ、()()




 すぐ間近からささやきかけられる、涼やかな声音。


 思わず振り向けば、俺たち以外の乗客の姿がまったく見受けられない、がらんとした客車の通路の至近距離に、一人の十四、五歳ほどの少女がたたずんでいた。


 純白のワンピース型のセーラー服に包み込まれた、年の割には凹凸のはっきりとしたなまめかしい肢体に、黄金きん色の長いウエーブヘアに縁取られた、彫りの深い可憐なるかんばせ


 ──そして、あたかも夏の大空を思わせる、にこやかに煌めく青の瞳。


「……こんごう


 そう、『彼女』こそは、俺が『提督』を務めて()()、『磯神万博記念公園太陽の塔前鎮守府』の誇る、かつての大日本帝国海軍所属の高速戦艦『金剛』の()()()()()、その人であったのだ。


「みんな、心配していましたよ? さあ、帰りましょう、わたくしたちの鎮守府へ♡」


 そう言って、至極当然にようにして、右手を差し出す少女。


 けれども俺は、それをすげなく払いのけた。


「な、何が、心配だ! 今更騙されないぞ、この『化物』が!」


 誰もが認めるであろう、『絶世の美少女』に対して、すぐ目と鼻の先で面罵するものの、


 むしろその笑顔が、微塵も動じることが無かったのが、この上も無く恐ろしかった。




 ──そうだ、俺は今腕の中にいる異形の少女よりも、自分の忠実なる部下のほうを心底恐れて、ついに逃げ出してしまったのだ。




「……化物とは、今更何を? わたくしたちがかつて轟沈した軍艦の化身であることは、とうにご承知ではありませんか?」


「とぼけるんじゃない、俺はもうすっかり、『目覚めて』いるんだ!」


「はて、目覚める、とは?」




「あの、2025年に開催が予定されている、次の磯神博覧会の『シンボルマーク』だよ! あれを見た途端俺の認識は、()()()()()()んだ! これまで化物と思っていた『海底の魔女(ヘクセンナハト)』たちこそ、普通に美しい女の子たちであり、凜々しく麗しい娘たちとばかり思っていた、おまえたち軍艦擬人化少女のほうこそが、あのシンボルマークそっくりな、紅い肉塊に青い瞳がいくつも生えている、『化物』だったんだ!」




 とうとう堪忍袋の緒が切れて、大日本第三帝国の提督としては、『けして言ってはならぬこと』を、口走ってしまう俺。


 ──それでも変わらぬ笑顔のままで、ぼそっとつぶやく、目の前の少女。




「……やれやれ、万博準備委員会の皆様ときたら、随分と余計な真似をしでかされたこと。せっかくこちらが艦隊運営に支障を来さないように、提督に深く暗示をかけていたのに、台無しではありませんか」




「──やっぱり、現実を視覚的に錯誤するように、精神操作か何かをしていたんだな⁉ どうして自分の司令官である、俺のことをたばかるような真似をしたんだ⁉」


「それは当然、提督の健やかなる精神状態──俗に言う『SAN値』を、お守りするためですよ」


「……何だと?」


「ほら、ご覧になってください」


 そう言うやいきなり、右手の人差し指と中指の爪だけを伸ばすや、こちらに止めるいとまも与えずに、己の左腕の手首を切り裂く、金髪碧眼の美少女。


 盛大に噴き出す、真っ赤な血潮。


「──ちょっ、金剛⁉」


「……ふふ、お慌てになる必要は、ございませんわ」


 そう言って、これ見よがしに傷口を、こちらへと見せつけるや、


「──うげっ⁉」


 いまだ年端もいかない少女のか細い手首が、まさに街中に貼られているポスターの中の化物同様に、真っ赤なでこぼこ状に盛り上がるとともに、多数の青い瞳が生え出したのであった。


 ……き、気色わりぃ〜。


 完全に腰が引けてしまう、他称『提督』の青年。


 だが、しかし──


「……え?」




 ──ほんの数秒後、目玉と紅い肉塊が再び消え去った後には、もはや傷跡一つ無い、すべらかな珠の肌しか無かったのであった。




「何だ、一体、何が起こったんだ……」


 驚愕に打ち震える俺であったが、ここで初めて金剛が、心底あきれ果てた表情となる。




「提督こそ、何をおっしゃっているのですか? 夕べわたくしたちが入浴しているところを、盗み見していたくせに」




 ──ッ。


「……えっ、気がついていたの? そんな素振りは一切見せずに、ずっと入浴し続けていたじゃないか?」


「女の勘というものを、甘く見ないでいただきたいですわ。──それに提督になら、いくら見られたって構いませんものね♡」


「あ、いや、あれはですねえ、別に『のぞき』をやっていたわけでは、無いのでして……」




「うふふふふ、わかっておりますわ。疑問に思われたのでしょう? わたくしたち軍艦擬人化少女が、出撃した際にかなりの損害を被ろうとも、たった一晩で完全に修復してしまうことを」




 ──うっ。


「そして提督は、ご覧になったのですね? ──たった今、わたくしが実演して見せたのと、同じ光景を」


「……そうだ」


 ここに来て、これ以上隠し通すのも無理だと理解して、正直にすべて話すことにした。


「まさか、気づかれているとは思わずに、一部始終を見てしまい、──そして、逃げ出したんだ」


「まあ、そのお気持ちもわかりますけど、まさか今夜のうちに、そちらの『検体サンプル』までつれて逃げられるとは、完全に予想外でしたわ」




「──お、おまえたちが全員、あんな化物であるとわかって、人間である俺がたった一人で、一緒にいられるものか!」




 ………………………あ。


 つい口をついて出てしまった、激情の発露。




 まずいと思った時には、もはや取り返しがつかなかった。

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