ピンクでキイロでギンイロで。〜ミドリさんと私のつづき〜
「…えっ?」
自動販売機でお茶を買ったらミネラルウォーターが出てきた。
(ちゃんと押したよね……)
以前にも同じようなことがあって、それ以来、同じ商品が複数入った自販機では、買いたいものが並ぶ中の真ん中のボタンを押すようにしてる。なのになぜか、お茶のボタンを押したら水が出てきた。そもそもお茶と水の並びは隣り合ってもいない。
(水でもいいけど、味付きが飲みたいな~)
荷物は重くなるけど、あとで飲んで消費すればいいやと、もう一度同じ(であろう)ボタンを押す。
ガコン、と音がして、今度はちゃんとお茶が出てきた。500ml×2本のペットボトルをリュックの両サイドポケットに押し込んで、バイト先である書店へ向かう途中にある公園内の散歩を再開する。微妙に重いなー。なんて思いながら周囲を眺めながらテクテクと歩いていると、ベンチに座る人が視界に入り、
「あ……」
認識と同時に心臓がはねた。
その人はビッグサイズのコットンパンツとTシャツの上にジャケットを纏い、初夏の爽やかで暖かな日差しを浴びて、気持ちよさそうに目を細めている。
「…刈安さん……?」
間違えるはずもないが、声をかけていいものか悩んだ結果、少し疑問形になってしまった。
「…あー、鈴子ちゃん」
瞳の調光が上手くいかなかったのか、幾度か強めの瞬きをしてから私の名前を呼んだ。
「こんにちは、お疲れ様です。日光浴ですか?」
「んー? 光合成」
瞼を細め、口角を上げてニコォと笑う。
(可愛いなぁ。猫みたい)
私は刈安さんのことが好きだ。
いつもなにかしらの糸口を探しては会話しようと模索している。仕事中は難しいけど、狭い休憩室に二人きりという状況もなくはない。
素直じゃない私は、嬉しさと恥ずかしさと戸惑いを気取られぬよう、冷静を装う。
「あ、そうだ。良ければ、お水いりませんか?」
光合成といえば、日光と二酸化炭素と水、という中学生の知識が思い浮かんで提案してみる。
「えー、うれしい。いいの?」
「はい」
片方のサイドポケットからペットボトルを取り出して渡すと、
「ん。冷たい」
受け取った刈安さんは目を丸くした。なんだか驚いたタヌキのようだ。
「さっき買ったばかりなので」
「え、いいの?」
「はい」
「ありがとう。ねぇ。時間大丈夫なら座らない? 今日シフト、遅番でしょ?」
隣の空いたスペースをポンポン叩く刈安さんの言葉に甘えて、
「ありがとうございます」
リュックをおろして隣に座り、お茶のペットボトルを取り出した。
「え、2本買ったの?」
気付いた刈安さんが笑う。
「お茶のボタン押したら、お水が出てきたんです」
「えー? 鈴子ちゃんが間違えて押したんじゃないの~?」
「同じボタン押したらこっちが出てきましたもん」
「ほんとかなぁ」
「ほんとですぅ」
刈安さんはおかしそうに笑う。こういうやりとりも本当に好き。
二人並んでキャップを開け、ペットボトルを傾ける。
刈安さんが私を名前で呼ぶのは、特別な感情があるからではなく、バイト先に同じ苗字の人があと三人いるから。だからバイト先の人は皆、同じ苗字四人(私含む)のことを苗字ではなく名前で呼ぶ。
だから、特別な意味なんてない。なのに、刈安さんに名前で呼ばれると、私の心臓はドキドキと反応してしまう。
もっと近付きたいのに、ある一定の距離まで進むと見えない壁にぶつかってしまう。こないだ勇気を出して告白した、と思っていたのは私だけだったようで、進展どころか社員とバイトという関係性は未だ変わらない。
血気盛んではないタイプの私だけど、モヤモヤしたまま可能性を消滅させたくなくて、良い機会だと意を決してみることにした。
「刈安さん」
「ん?」
「こないだ指切りしてくれた約束、覚えてますか?」
「うん。来年からも桜、見たいんでしょ?」
緑色の髪をつまみ、ヒラヒラさせながら刈安さんは微笑む。
「…意味、伝わってました…?」
「んー?……うん。俺のこと、好きでいてくれてるんだよね?」
「う…はい……」
ストレートな物言いに、ドキリと心臓がはねた。そういえば、ちゃんと好きって言ってない。
「すごい嬉しいよ。ありがとう」
「嬉しいだけですか……?」
「んー」
追及する私に刈安さんは少し困ったように笑いかけて、
「だって俺、樹だからさ。きっと色々迷惑かけたり、鈴子ちゃんが思ってるのと違ったりすると思うんだよね」
そして、申し訳なさそうに言った。
でも、それは断るための口実なんかじゃないと思う。そんな言い訳で誤魔化すような人じゃない。だから好きになったんだし。
「じゃあ…そういうの、全部大丈夫ってなったら、どう思ってくれますか?」
もう意地のようになって聞いてしまった質問に、
「好きだよ」
刈安さんが即答した。その唐突な返答の意味をすぐに理解できず、
「えっ?」
うっかり聞き返してしまう。
「え? もう一回聞きたい?」
たまに見せるいたずらっ子のような笑顔で、刈安さんが私の顔を覗き込んだ。
「えっ。もう一回、言ってくれるんですか……?」
「えー? 言わなーい」
足を上げ、ベンチの背もたれに身体を預ける刈安さんは、どこか楽し気だ。
「だからすげー嬉しかったんだけど、気付かなかった?」
「そう、ですね……普段通りだなって、思ってました」
「でしょ? 俺そういうの隠すの巧いんだ」
「そうですか」
いつも見ているのに、その態度に気付かなかった自分が悔しい。
「あともう一個、気付かなかった?」
刈安さんは改めて私の顔を覗き込んだ。
「何に、ですか?」
「指切りしたときの、俺の、触り心地」
言われて、その時のことを思い返す。
二人きりの休憩室。
何気ない質問から始まった会話の中で、刈安さんが自分は桜の樹だと教えてくれた。春夏秋冬で髪の色が変わるのは、樹が季節ごとに姿を変える自然現象なのだと。
「この先も毎年、お花見できたら嬉しいです」
もうどうしようもなく好きで。でも異性として見て貰えているかわからず、控えめに言った私に彼は嬉しそうな笑みを向け、そして小さく言った。
「うん」
机の上に置かれた私の手、小指を絡め取って、約束の指切りをしてくれた――。
一週間ほど前のことだけど、嬉しくて何度も思い出して脚色がないように反芻していたから、はっきりと記憶が蘇る。
「……仕事で紙たくさん触るから、乾燥しちゃってるのかな、って……」
控えめに言った私に刈安さんは唇を尖らせて少し困った顔をして。でもどこか楽しそうに口角を上げて、私の手を掬い取った。いわゆる恋人繋ぎの形で、私の手を緩く握る。
「?!」驚きのあまり固まる私に、
「どう?」首をかしげて問いかける。
「どっ……!」(どうって、ドキドキするっ!)
「手の温度とか、質感とか…わかる?」
優しい低さの甘い声が、手の感覚を意識するよう導く。
大きくてゴツゴツしたその手に、柔らかさはない。滑らかなのに少しザラザラして、体温は……感じられない。冷え性の人とも違うその温度は、胸の奥をざわめき立たせる。
手を見つめていた私の視線は、自然と刈安さんの顔に移る。私の顔を見た刈安さんはまた困ったように微笑み、
「そろそろ行かないとだけど、もうちょっとだけいい?」
握っていた手をパッと離して、水が半分に減ったペットボトルをジャケットのポケットに入れると、ベンチから立ち上がった。
「こっち」
促され、抱えたリュックにペットボトルを入れて立ち上がり、刈安さんのあとを追う。
少し歩いて、刈安さんは一本の大きな木の前で立ち止まった。
「このヒト、俺と同じ桜なんだけどさ、怒られないから、触ってみて」
言われて、両手に抱えたリュックを背負い直し、その樹の幹に手を当てる。
ざわめいていた胸の奥が、より強く騒ぐ。
「……どう?」
その問いに、答えることができない。
だってこの感触……さっき、触れた。
「ね? 俺は生きてるけど、鈴子ちゃんとは違う。この樹と一緒の、人間とは違う、生き物なんだよ。だから」
「それでも」
刈安さんの言葉を、私は遮った。どんどん熱が消えていくその声音を、黙って聞いているなんて耐えられなかった。
「それでもこうして、会って、話して、触れて、同じ時間を生きてます」
自分の口から出る言葉は、もうほとんど涙声だ。でも。
「人間だから好きになったんじゃないです。刈安さんだから、好きになったんです」
それは、桜の樹だから、と伝えられたときからずっと考えていたこと。それを云えないまま遠ざけられるのは嫌だった。だって……
「……鈴子ちゃんって、変わってるよね」
そう言ってうつむいた顔は、いまにも泣き出しそうだったから。
「……仕方ないじゃないですか。好きになっちゃったんですから。ずっと近くにいたいって、思ったんですもん」
「でも俺、寿命60年くらいだよ?」
「充分です。人間だって、いつ寿命が尽きるかわかりません」それに。私は続ける。「私、これから色々勉強してお世話できるようになって、長生きしてもらえるように頑張ります」
「子孫も残せないよ?」
「刈安さんがいてくれれば、それでいいです」
「突然樹の姿に戻っちゃうかも」
「そしたら毎日、庭に会いに行きます」
「俺、庭に埋まってんの?」
「公園でもどこでも、周りの人に変な目で見られても、会いに行きます。だから……」
目からこぼれそうな涙をこらえるのに、言葉が詰まる。
刈安さんはそんな私を、なにも言わずに見つめていた。
「……だから。違う生き物だなんて、言わないでください」
ザァッ……と強い風が吹く。その風は桜の葉をざわめかせ、刈安さんの緑の髪を横に凪いだ。
長い前髪に隠れた瞳は、なおも私を捉えている。
ふと、刈安さんが口元に笑みを浮かべ、うつむいた。その一瞬あとに足を踏み出し、
「……!」
私を引き寄せ、抱き締めた。
「……ありがとう」
耳元で聞こえるその声は、震えていた。
頬に当たる肩もまた、ゴツゴツと硬く温度を感じない。広く厚い胸板も、背中に回された腕からも。それでも私の心臓はドキドキと強く跳ねる。
服に隠れた身体、その背中にそっと手を回す。想像以上に細く、硬いその身体からは、とても力強い生命力を感じた。
「……好きです……」
「うん。俺も……好きだよ」
しばらく抱き締めあって、ゆっくりと身体を離す。
「……半分くらいリュックだった」
刈安さんは私が背負っているリュックをポンポンと叩き、いつものように冗談を言って笑う。
「刈安さんは半分くらいお洋服でした」
「俺、嵩が張る服、好きなんだよね」
「似合ってるのでいいと思います」
「ありがとう」
照れ笑いを浮かべるや、ん、と小さく言って腕時計を見やった。
「そろそろ行こうか。遅刻しちゃう」
「はい」
刈安さんが、ん、と左手を差し伸べる。その手にふわりと指を乗せて。緩やかに手を繋いで、職場へ向かう。
その手はやっぱりあの樹と同じ触り心地だけど、さっきより暖かい気がする。
「近く着いたら離しちゃうけど」
「はい」
職場恋愛は禁止されていないけど、冷やかされそうで照れくさい。
「……こんな手でもいいの?」
「大きくて、頼りがいありますけど……」
「そういう意味じゃなかったけど……まぁいっか」
「刈安さんだったら、なんでもいいです」
そっと、繋いだ手に力をこめる。やっと繋がった縁を手折ってしまわぬよう、そっと。
「毎年、綺麗な花が咲いて、長生きできるように、私、勉強頑張りますね」
「そりゃ頼もしいわ。期待してます」
「…ホントにそう思ってます?」
「えー、ひどぉい。めっちゃ本気だよ」
刈安さんの笑顔に、私も自然と笑みが浮かぶ。
「あ、見えてきちゃった」
視線の先には、二人が働いている書店の看板。
「今日は帰りも歩き?」
「はい」
「じゃあ家の近くまで送っていくよ。店閉める時、一緒に出よう」
「えっ、ありがとうございます」
一瞬、部屋片付いてたっけ? って焦るけど、きっとそういうことじゃない。
刈安さんは握った手を少し名残惜しそうに離して、ジャケットのポケットに入れた。
「ちょこっと先に行くね」
「はい。また、あとで」
「うん、気を付けて」
店まであと50メートルのところで、刈安さんは小走りに従業者入口へ向かった。緑色の髪が風に揺れ、光を反射してキラキラときらめく。それは新緑の季節に見ることができる、木漏れ日のよう。
私は嬉しさと、少しの不安を抱きながら、休憩時間に桜の生態について詳しく書いてある図鑑を探そうと決めて、刈安さんと同じ経路をたどった。
燦々と明るい陽射しのなかを一陣の風が吹き抜ける、気持ちの良い初夏の午後だった。
end
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