嫌いだ。
最初に答えを言ってしまおう。
先ほど自分が名乗った「イェレ」という名前は、偽名である。
偽名を名乗っている理由は、この極東の国ヤマトは、トゥルプ国、またはムーダンフォアとしか貿易を行っていないからである。
ヤマトにいる外国人と言えば、その2か国の者しか許されない。
だから自分は、トゥルプ国の男の名前を名乗っただけだ。
「イリヤっち~!どうだった?初妓楼はさぁ?」
「······ワン」
「天竺牡丹」を出たところで、イェレ、もといイリヤは黄金の髪に、2本の角を持つ男に肩を抱かれた。男はへらへらとした軽薄そうな笑みを浮かべる、赤いムーダンフォアの民族衣装を着ている。
人間の外見としては18歳かそこらに見えるだろうが―――ワンは、2000歳にもなる妖である。
「面白いっしょ!オイラは隣国だからよく来るんだけどさぁ、こんな文化の国なかなかないと思うよぉ?」
「············」
イリヤは、ある意味”同種”である彼の言葉には賛同するが、口には出さない。
彼に誘われ、自分は出身国を偽ってまで、こんな極東の島国まで来たのである。
―――朝雲とは言葉が通じていないというより、元々イリヤの性格として、べらべら話す方ではないのだ。
(······確かに、たかが娼婦を···ここまで格式高く扱う国は···珍しい。今までの時代でもなくはないが···神専門となると···特に···)
高級娼婦を職業にしている国もあったが、それも100年は昔の話である。
イリヤは、大通りを歩く神々を見る。川の神や、鳥の神―――神々しさに、”吐き気”がする。
「何?折角だから、美味しく頂かなかったの?」
「·········気色悪い、小娘だった」
「へ?不器量な子だったの?こんな大店なのに?そいつぁ災難だったねー!じゃあ他の店で仕切り直しする?」
「······違う」
「じゃあ何?」
「··················欲が、ない」
「欲?」
―――イリヤは、「花魁道中」という摩訶不思議な行いを見て、朝雲を見つけた。
そして、大変興味を頂いた。
(あんな娘、見たことがない)
容姿としては、一応は整っているのだろう。鼻は低いが、それは東洋人故の問題だ。
長い黒髪に、ほんわかとした雰囲気をまとう少女。桃色の小さな花飾りを揺らし、気品すら感じる仕草。
しかし――――人間の「欲」がわかる、イリヤから見て、大変彼女は奇異に見えた。
(長年修行を積んだ僧ですら···最後にまだ···生きていたいと望む、欲があった···。だが···彼女は···何もない···)
朝雲には、「無」しかない。
この神原は、欲の塊のような場所だとイリヤは思う。
女達は、故郷に帰りたい望郷、本当ならば好いた人間と添い遂げたかったという無念、こんな所で神になど抱かれたくない望む心を抱きながらも―――神に『贄』として捧げられる。
それなのに、朝雲は無垢で―――正真正銘、”何も考えていない”。
『燃えるように、1人の御方への恋心とか、憧れますねぇ~』
―――嘘つけ、何も考えていなくせに。
「ふーん、欲がない人間ねぇ。それじゃ、イリヤっちは喰わないわなぁ。オイラは若い女なら何でも良いけどねぇ―――ってか、ここにくる妖なんて、若い女を『贄』とするのばっかじゃん?イリヤっちが特殊なんだよ」
「···············」
人間には「欲」があるのが当然なものだ。
それなのに、この遊郭にいながらも「無」しかない少女など―――正直、気持ち悪い。
「ほら、あれなんか専用の『贄』にするために身請けする娘だよ」
ワンが指示した方向を見ると、ある妓楼の中から、白無垢の若い女が出てくるところだった。
「おめでとうございます!空蝉花魁!」
「おめでとう――草津稲荷様に嫁げるとは、本当おめでたいことで···っ!!」
白無垢を着た女性は、狐耳の初老の男性に手を引かれる。
「身請けったぁ、まぁ人間の男用の吉原とか島原に合わせただけなんだよなぁ、これが」
イリヤは、白無垢を着た女の顔を見つめる。優美な微笑みを浮かべているが、彼女の『欲』が見えた。
(逃げ出したい······か)
彼女は、稲荷神の手を振り払ってでも逃げ出したいと望んでいた。しかし、それができない。
ここは、神原。
神に抱かれることを”有り難がらなくてはならない”、神に奉納される女達の巣窟だ。
そして身請けは、神に魂を奉納されることを意味する。
神の嫁、つまりは生贄として、死んでも魂を縛られ続ける。
「ああいう人間の方が、イリヤっちは美味そうに見えるもん?」
「·········先程の小娘よりは、余程······」
「へぇ~。オイラは無垢な方が好きだなぁ?一応、オイラはイリヤっちと違って、そういう神聖な面もあるからさぁ?」
にたにたとワンが笑ってくる。
―――神聖、か。よく言う。
(···············無、の娘か)
イリヤは―――自国で出会った老人のことを思い出す。
しわがれた手で、生を切望していた老人。もう長年生きたにも関わらず、まだ生きていたいと願っていた―――ずっと一緒にいた男のことを。
(·········気に喰わない)
彼をよく知っているからこそ―――気に喰わないのかもしれない。
イリヤはワンと共に、夜の繁華街を歩いていった。
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次回のお話は、4月11日(土)の19時頃更新予定です。
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