鬼の旦那さんとは、いつも仲良しなんです。
鬼の正一郎さん、初登場です。
(あらあら···夜店が始まるとバタバタするよねぇ)
夜店が始まって妓楼の中に客が入り、花魁が自分が与えられた部屋に客を招く中―――朝雲はというと、禿や他の新造、そして若い衆と呼ばれる男達など、皆がバタバタと店の中を小走りで駆けまわる中、立ち止まるしかなかった。
禿や新造は、指名された姐女郎が来るのを待っている客の話し相手をするものだ。
若い男は、1階で客を采配する。
女中は、客が頼んだ酒や食べ物を、花魁の部屋に運ぶ。
―――朝雲がすべきことは、妓楼で1番人気の明け里を待っている神様の話し相手をすることである。清花は花魁道中から帰ってきてから、とっくに姿を消している。誰かの相手をしに行ったのだろう。
(誰のとこ行こう~···?誰が来てるんだろ~···?)
1階に行って、明け里を待っている客を、帳簿係に訊けば良いのだが、朝雲はそこまで頭がまわらない。
皆がバタバタしている中で、おろおろするしかない。
はっきり言って、恐ろしく要領が良くないのだ。
「朝雲!お前さん、こんな所で何してる!」
「あらあら、だんさん。皆忙しそうだし、どうしようかなぁと思ってたんです〜」
「お前さん、雲みてぇにふわふわしてるんじゃない!ほら、こっちこい!明け里が来るまで正一郎様の相手しろ!」
辰男に手首を捕まれ、引っ張られる。
しょういちろうーーと、朝雲は一度頭の中に飲め込み、ぱっと微笑んだ。
「正一郎様が、お越しなんですかぁ?何をお話しましょう?お会いするのは2週間ぶりでしょうか?」
「···ほんっと、お前さんくれぇだよ。他の花魁や禿は、正一郎様とお話になりたがらねぇのによ」
「え?どうしてですか〜?」
辰男は長々とため息を吐いた。
「正一郎様は手癖が酷いからな。お前さんも、水揚げ前なんだから気をつけろ」
「手癖?···はぁ」
「正一郎様!朝雲ですぅ!」
辰男にならい、ふすまの前で朝雲は正座をし、頭を深々と下げる。
ふすまが開かれる。
「おぅ!朝雲か!顔上げろよっ!」
「は~い!」
朝雲は微笑み、顔を上げた。しずしずと部屋の中に1人で入っていく。辰男がふすまをしめる音がする頃には、朝雲は正一郎の隣に正座していた。
「鬼の旦那様、お元気でしたかぁ?」
「ああ、元気に金儲けしてたぞぉ!だから天竺牡丹でぱーっとやろうと思ってなぁ!」
彼は、燃えるような赤髪に、角が2本生えた大男だった。
今は座敷の上であぐらをかいているが、立ったら5尺はあるはずだ。精悍なたくましい顔立ちで、紫色の派手な打ちかけを羽織っている。
「しっかし俺様が来たっていうのによ、だぁれも来ねえんだ。酷くねぇか?」
「すみません。人が足りなくて~···」
「だからさぁ、ちょっとサービスしろよなぁ!」
正一郎の手が朝雲の腰に伸ばされていた。朝雲は正一郎に酒を注ごうとしていたが、ことりと瓶を畳の上に起き、自身の腰に伸ばされた手を、ぎゅっと握りしめた。
―――常人から見たら、いつもの朝雲らしからぬ、素早い動きだった。
「あらあらまぁまぁ~。旦那様のお手てって、あったかいですねぇ。外は寒いっていうのに。旦那さんのお心が寛大でいらっしゃるからですか?」
「···へっ!ほんと、てめぇは面白い奴だなぁ、朝雲!さすがは武家の子ってとこか」
「え?そんなことはないと思いますよ?」
(手癖が悪いって、こういうことかしら?いつも鬼の旦那様の手は、そこかしこから現れるものねぇ。凄いわ~)
朝雲は、無意識にも正一郎の手を止めていることに気が付いていなかった。ただ忍び寄る手を、つい掴んでしまうだけのことだ。
軽く、けれど楽し気に正一郎は舌打ちし、酒を煽る。
「朝雲、食べたいもの、飲みたいものを頼め!俺様には金があるからな!どんどん持って来いよっ!」
正一郎はうわばみなので、どんどん酒がなくなっていく。女中が次々と酒瓶を持ってくる。
朝雲も、彼の空になった杯に、たっぷりと酒を注いでいった。
(ちょっと飲み過ぎじゃないかなぁ~?)
明け里に会いに来ているだろうに、このまま彼は飲み続けて良いのだろうか。
「朝雲、おめぇのへらへらした顔も、俺様が濡れ顔にしてやるからな。覚悟しとけよ!」
「···濡れ、顔?」
正一郎は、自分の顔に近づくようにして言った。何故か額と額がこつんと重なった。
「ああ、俺様がてめぇの水揚げを買い上げてやるからな」
(···濡れ顔って何だろ~?)
囁くようにして正一郎は言ったが、自分は訊けなかった。正一郎の目が自分をじっと見つめており、――――それこそ、濡れていた。
(···あ)
朝雲は、気が付いた。
「水揚げの日の花魁道中も、誰よりもぱーっと派手にやってやる!それに、床の中でもめちゃくちゃ可愛がってやるよ!何も考えられないくらいに、天国見せてやらぁ···!」
囁くような彼の剛毅な声音を―――朝雲は、無視した。
「お」
彼の杯を奪い、強引に朝雲は彼の頭を掴む。
「――――――――――」
彼は驚いて目を丸めていたが、朝雲の膝の上にぽすんっと頭が着地すると、愕然として暫く何も声を発しなかった。
「はーい、ねんねなんですねぇ?どうぞ、私の膝で良ければお貸ししますから、どうぞ?」
「···朝雲、てめぇ···」
「飲み過ぎですよ~?それに眠たそうですし、少しお休みになられては如何でしょう~?」
いわゆる膝枕の状態で、朝雲は彼の赤い髪を梳いた。
「鬼の旦那さん、私の水揚げ候補に名乗りあげて頂いて、ありがとうございます。床で、どんなお話ししましょうねぇ?鬼のお話し、たくさん聞かせて下さいますか~?」
(わっ、角のとこってこうやって生えてるんだぁ。へぇ~)
豪胆で剛毅な鬼神は、優し気に髪を梳かれ、口ごもっていた。朝雲はそんなことも気づかず、ただ彼の髪から生えている2本の角の生え先をまじまじと見つめていただけだった。
「···てめぇは、ほんっとわかってねぇんだな···。俺様、鬼だぞ···?」
「はい、わかっておりますよ~?私を水揚げして下さろうとしている、優しい鬼の旦那さんです」
「···············てめぇ、まじでさぁ·········」
彼の変わった赤い髪を撫でながら、朝雲は首を傾げた。自分の膝から見上げられるが、朝雲は彼に微笑む。
「······畜生······」
「あらあらまぁまぁ、私、何か悪いことしましたか?」
「······天然が······!」
(天然?何か食べ物で、天然ものあったかなぁ~?)
正一郎が、吐き捨てるように言った。
彼が食べ終わった皿を見ても、綺麗に食べられていて、何が盛りつけられていたかわからない。
「正一郎様、まもなく明け里花魁が参りま···」
ふすまを静かに開き、頭を下げながら言い放ったのは―――清花だった。
彼女は視線をあげ、固まった。
「あ、清花ちゃん」
―――朝雲が微笑むと、清花も微笑んでいた。
しかし朝雲は、すぐにわかる。
(あらあらまぁまぁ···)
彼女は笑っているが、鬼よりも鬼らしく、怒っていることを。
あ・・あれ?清花、怒って・・・?