もうすぐ花魁デビューなんです。
前章から、8年の月日が経ったお話し。
―――朝雲が神原に売られ、8年が経った。
「朝雲姐さーん!!早くお衣装決めないと、花魁道中に間に合いませんよっ!!」
「あらあらあら···ちょっと待ってぇ〜?霧ちゃぁん」
「朝雲姐さん!」
霧という名の真っ赤な着物を着た禿に、怒鳴られる。
朝雲と呼ばれ、すでに8年。
年下の女の子達が禿や新造として店に売られてきて、いつのまにか自分は新造の中では古参である。
「だって決められないよ〜。明け里姐さんの花魁道中に着ていく服だなんて、困っちゃうもん」
「朝雲姐さん····っ」
霧はイラッとしたのだろうが、朝雲は気づかなかった。
与えられた八畳の部屋で、朝雲は髪につけるかんざしはおろか、着ていく打ち掛けも決められず、床の上を散らかしていた。
「あらあらまぁまぁ〜、どうしましょう?」
「朝雲っ!!あんたいっつも遅い!この、ノロマっ!!」
「あ〜、清花ちゃん〜」
ふすまを無理矢理にこじ開け、ずかずかと入ってくる同い年の少女に、朝雲は柔らかく微笑んだ。
「笑ってる暇もないわよ!打ち掛けはこれ!帯はあれ!かんざしはそれ!早く用意しなさいよ!明け里姐さんの花魁道中なんだからね!?」
「ごめんね〜、ありがと〜。いつもいつも」
「グズ!!あんたみたいなのが振袖新造だなんて、この天竺牡丹の恥だわ!!はんっ!」
清花は鼻で笑うようにしてきびすを返し、部屋から出ていく。
彼女は切れ長の黒い瞳に、色素の薄い髪の少女だ。きつい物言いと同様に、氷の棘のような美しさがあると朝雲は思う。東北の出だからか肌も白いし、真っ青な振袖がよく似合っていた。
「何ですか、あれ―――悔しくないんですかっ?朝雲姐さんっ!朝雲姐さんは振袖新造で···」
「え、清花ちゃんは友達だもん~。清花ちゃんの言う通りに着つけるから、手伝って?」
「······もうっ」
霧は複雑そうな顔で、朝雲の用意を手伝ってくれた。長い髪をまとめ上げ、かんざしを差し、橙色の着物を着つけてくれる。
「ありがとう~霧!」
「行くわよ!朝雲!明け里姐さん待ってる!!」
準備が整ったら、清花がぎゃんぎゃんと階段下から叫んでいる。
朝雲は、いつもの調子を崩すことなく、階段を降りていく。
「お待たせ致しました。明け里姐さん」
「朝雲、主はいつもいっつも遅い。少しは清花を見習いなんし」
「はい、申し訳ございません」
朝雲は深々と頭を下げ、すぐに明け里の顔を見上げた。彼女は本気で怒っている訳ではなく、「仕様のない」とでも言いたげに優し気だ。
(明け里姐さん、変わらず天女みたい~。すっごく綺麗だなぁ~)
朝雲は、8年経っても変わらない明け里花魁の後ろ姿を見つめ、ほぅっと溜息をついた。
彼女は人間なのに、8年の時を経て、色香をどんどん増していく。
「「天竺牡丹」の明け里花魁の花魁道中だ!」
「明け里花魁···!?」
大通りにいる人々が、騒然としていく。
天竺牡丹に勤める若い男が歩き出すと、明け里が大通りを歩き出す。
「ああ···今度俺も天竺牡丹に行こうかなぁ···」
「馬鹿。おめぇなんか相手にされねぇよ」
明け里が歩くたびに、しゃんしゃんと髪飾りが鳴り、大通りにいた神々は彼女のために道を開ける。
―――ここは人間の男が通う遊郭ではなく、鬼神や水神が通う遊郭、神原。
当然歩いている人々は、人に見えて、人ではない。
(やっぱり天女様じゃなきゃ、神様でさえ見惚れさせられないよねぇ)
朝雲は、神々が見惚れる姐女郎を見て、少し得意げになった。
「ほら!ぼさっとしてないで私達も行くわよっ!」
「あ、は~い」
清花と歩みを合わせるようにして、自分達も店から出て、明け里の花魁道中の一部となる。
花魁道中とは、その店で1番位が高い花魁が、贔屓の客を茶屋まで迎えに行くことだ。
朝雲と清花は、共に明け里付きの新造――つまりは、花魁候補なのである。姐女郎である明け里に付いている見習いのため、自分達もまた彼女の花魁道中に加わり、贔屓の客を迎えに行くのだ。
「おい、あれが振袖新造の朝雲だ」
「ああ、落ちぶれた武家の出なんだろう?――――いいな」
「···ああ、いいな」
(···天狗さんかなぁ?)
朝雲は、大勢の神々の中から、自分を見ている黒い羽の男達をちらりと見た。
自分のことを言われているのは、明らかであった。
振袖新造―――その意味を自分が知ったのは、8年前に「天竺牡丹」に売られてからである。
将来、妓楼の看板を背負えるほどの器量を見込まれ、楼主直々に教養を教え込んだ花魁候補の少女のことを、「振袖新造」と呼ぶらしい。
(美人なのは、清花ちゃんの方だと思うけどなぁ~。私の方が先に売られてきちゃったから、自然とそうなっちゃったんだろうな···)
外で振袖新造と神々が口に出すと、清花は少し嫌そうな顔をする。
「···何でも、水揚げの相手も殺到しているとか。楼主は決めかねてるらしいが」
「えー···おいらも、名乗りをあげようかな」
「馬鹿。河童みたいな妖じゃ金なんかないだろ?」
花魁道中の間はすました顔をしなければ怒られるので、朝雲は神々の噂を聞こえていないふりをした。
(そう、私も15だから···花魁になる日が近づいているんだよね)
時が経つのは、あっという間である。
水揚げとは、花魁として公表される儀式のこと。
朝雲と、清花は同じ日に花魁として水揚げされることが決まっている。
15歳となれば、童女ではなく、一人前の女として客と接することができるからだ。
(床に入る神様を選んでいると聞いてるけど···)
―――朝雲は、疑問に思う。
(···一緒の布団に、神様と入って、何をするんだろう···?)
この8年、ずっと疑問であった。姐女郎の明け里が一晩に3人ほどと床を共にすることもあったが、朝雲はその全貌を知らなかった。
正直興味も、なかった。
「···調子に乗るんじゃないわよ。あんたの水揚げ相手なんて、ああいう奴等がお似合いよ」
「え?清花ちゃん···」
彼女は優美な笑みを浮かべながらも、きつい視線を―――花魁道中の見物客の中の彼等に向けた。
あきらかに、異国の外套を着た男―――何の神様かもわからない。黒い羽も、天狗とは違う形をしている。
(最近、増えたなぁ···)
この国ヤマトは、長年鎖国している。貿易があるのは、隣国のムーダンフォアと、遠いトゥルプ国のみ。2つの国は昔からの貿易相手だが、昨今では近代化が進んでいるからか貿易が盛んとなり、ムーダンフォアとトゥルプ国の神々達も、この神原という遊郭にも集うようになってきた。
「神様相手に、不敬だと思うよ?お仕事中に良くないんじゃないかなぁ?」
「···ふんっ、良い子ちゃんねぇ」
つまらないとばかりに清花はきつく自分を睨んでくる。
(またそんなこと言って~···神様相手なんだから、良くないよ)
きっと口にすれば、もっと清花は嫌がるだろう。だから止めておいた。
(···あれ)
花魁道中の見物客の中で、つい朝雲は視線が奪われてしまった。
(変わった毛色と···角の人だ。何の神様だろ···?)
ヤマトには、八百万の神がいる。しかし朝雲の視線を奪った男は、明らかに異国の神であった――もしかしたら妖かもしれないが、他の神々とは明らかに”毛色”が違う。
「朝雲!」
「あ、うん」
足を止めそうになったことを、小声で清花に注意され、朝雲は歩み続けた。
後ろ髪をひかれる思いもあったが、立ち止まることは、自分に許されない。
清花は少しきつめの性格の子です。