8最初の朝が来た
身体がゆさゆさと揺らされる。
まだ寝ていたい。
お布団暖かい。
侍女が起こしに来たのだろうか? 私、起こされることなんて滅多にないんだけどな……
そう思って、ここは屋敷じゃないと言う現実を半覚醒状態の中思い出す。
昨日ばたばたして疲れたせいだろう。いつもはすんなり起きられるのに、今朝は身体が怠く感じる。
目を開けると、晴れた空のような澄んだ青い瞳と目が合った。
「おはよう、ございます」
たどたどしい発音で、青い瞳の少年が言う。
よく見ると、その子の金色の髪の間から三角の耳が見える。
「……フィル?」
寝ぼけた声で私が言うと、フィルはにこっと笑って頷いた。
「朝」
とだけ言い、彼はくるっと背を向けて寝室から出て行った。
ちゃんと扉を閉めて。
そうか、朝か。
カーテンの隙間から差し込む日の光がわずかに部屋を照らしている。
私は起き上がり、顔を洗おうと寝室を出た。
朝食を済ませてしばらくすると、リディアがやってきた。紺色のワンピースに白い前掛けをした彼女は、下げていた鞄から一冊の本を取り出した。
「お約束しておりました辞書です。私が使っていたものなので状態はよくないですが……」
赤い表紙のその本は、確かに使いこまれている様で端が擦り切れている。
「人類と友好的な獣人はごく限られていて交流も少ないので、言葉を学べるような本が少ないのですよね。この辞書も研究家が自費で出版したもので」
自費出版、なんてものがあることを初めて知った。
そうか、需要がなければ供給はされないってことね。獣人の言葉に関する本を出しても儲からないと思われて、ふつうの出版社は手を出さないということか。
「商人はどうやって言葉を学んでいるの?」
「獣人と交易を結べる商人はそもそも限られておりまして。商人たちの間で教本を作って回しているんです」
貴族の世界しか知らない私には、いろいろと衝撃的な話だった。
自分たちで教本を作るなんてことができるのね。
それはすごい話だと思う。
「リディア、じゃあフィルをよろしくお願いね」
すると、リディアは頭を下げ、
「かしこまりました、お嬢様」
と言った。
フィルがリディアに言葉を教わっている間、私は寝室で魔法の道具を作る準備をしていた。
私は魔法陣を床に描き、指輪をひとつその中に置く。
魔法を使うには素質が必要なため、使える人はとても限られる。数千人にひとりくらいの割合らしい。
王侯貴族には比較的魔法の素質を持った子供が生まれやすい、と言われており、その血筋を絶やさないため王家は魔法が使える女性を王妃として迎えるとかいう噂がある。
そんな魔法が素質のない人でも手軽に使えるようになるのが、私が作っている魔法の道具……魔道具だ。
回数に限りはあるものの、ある特定の魔法が使えるようになる、というのは魔法が使えない人たちにとってはとても魅力的らしい。
明かりの魔法は持続時間が長く手軽に使える為とても人気がある。
鍵をかける魔法や、宙に浮く魔法、物の重さを少しだけ軽くすることができる、なんて言う魔法もある。
魔道具は決して安いものではないのだけれど、ちょっとした贈り物として最適だとかで需要がある。
魔法が使える回数が多ければ多いほど値段が上がる。
魔法にもよるけれど、六回使えるものが一番需要がある、らしい。ちょっと使ってみたい、というのに最適なんだとか。
あと、所有者に危険を知らせる守護石なんてものも作ることができる。
危険が迫ると、一度だけ石が光って持ち主に危険を教えてくれる。こちらは魔道具よりも値段は上がるけれど、お守りにもたせる親が多いらしい。
一日に作れる数には限りがあるので大した数は作れないけれど、一日に六個もつくれば一日の生活費は稼げる計算だ。
私は魔法陣に向かって、手をかざす。
『我が求めに応じ この物に光を与えよ』
と、私が呪文を唱えると、魔法陣が青白い光を放ち、その光が指輪へと収束していく。
ちなみに呪文はなんでもいい。
魔法を発動させるための合言葉のようなものなので、特に決まりはない。
指輪を拾い上げると、石の中が青白く光っているのが見える。
この光が、この指輪が魔導具であることの証になる。
私は指輪を棚に置くと、もう一度床に魔法陣を描いた。
魔道具をひとつ作るごとに魔法陣を描かなくちゃいけないのよね。
それが割と面倒だし、二つも作るとどっと疲れる。
魔法を使うといわゆる魔力を消費する。
魔法付与は特に魔力の消費が高いので、作れる人があまりいないらしい。
だからそれなりの稼ぎを得られるわけだけれど。
新しい魔法陣に指輪を置くと、扉を叩く音が響いた。
「どうぞ」
扉に向かって声をかけると、失礼します、と言う声の後ゆっくりと扉が開いた。
「すみません、シュテフィ様。あの、フィル君が、部屋の中が光ったのは何なのか気になると言っておりまして」
リディアが遠慮がちに言った。
彼女の背後に、目を輝かせたフィルの顔が見える。
「あぁ、これは魔法の道具を作っているの」
すぐにリディアがフィルに通訳してくれる。
「シュテフィ様、見てみたいとの事ですが、大丈夫ですか?」
別に断る理由もないので、私は頷いた。
私は魔法陣に置いた指輪に向けて手をかざす。
呪文の言葉と共に魔法陣が青白い光を放ち、それが指輪へと収束していく。
魔力を付与した指輪を手に取り、フィルのほうを見ると、彼は目を丸くして何やら言った。
「すごく綺麗だと言ってます。何ができたのですか?」
「この指輪をはめて呪文を唱えると、魔法の灯りがつけられるの。やってみる?」
リディアが通訳した言葉を聞いたフィルはこくこくと何度も頷いた。
彼は私から指輪を受け取ると、それを左手の中指に嵌めて石を見つめた。
「光よ、と言えば灯りがつけられるわ」
リディアの通訳を聞いたフィルは、手を宙にかざし、
「光よ」
と、たどたどしい言葉で言った。
すると、指輪が光り、青く大きな丸い灯りが指輪の石に灯る。
「……眩しいですねえ」
リディアが笑って言った。
確かに眩しい。
そもそも太陽の光が入る場所で使うようなものではないし。
フィルは嬉しいのか、その光を笑顔で見つめている。
獣人て皆魔法が使えると聞いたことあるような気がするけれど、違ったのかな?
この反応からして、フィルは魔法が使えない、って事よねえ。
「あの、シュテフィ様。この光はどうやって消すのですか?」
リディアの問いに私は首を横に振って言った。
「消せないわよ」
すると、リディアはしばらく沈黙した後、
「そ、そうなんですか?」
と戸惑った声で言った。
「十二時間くらいすれば勝手に消えるから、眩しかったら指輪外してなにか布を被せておけばいいわ」
この灯りの魔法の欠点は、消すことができないことだ。
持続時間が長く、風が吹いても消えないし、放置しても安全だから使い勝手が悪いわけではないのだけれど。
ちなみに灯り自体は指輪じゃなくて、任意の物体につけることができる。
壁だったり、木の枝の先だったり。
消せないので身体につけるのはお勧めしない。
「それ、フィルにあげるわ。あと五回は灯りの魔法が使えるからって伝えて」
リディアが私の言葉を通訳すると、フィルは目を大きく見開いて私の方を見た。
そして、にこっと笑い、
「ありがとう」
と、たどたどしく言った。