5奴隷
奴隷。
お金で売られる存在。
獣人。
この大陸に住む先住民。
この大陸は、もともと獣人たちの楽園だったらしい。
今から千年ほど前、私たち人類の祖先がこの大陸に移住してきた。
この大陸における人類の歴史はたった三十人から始まったらしいけれど、今は百万を超えているはずだ。
そして、侵略者たる人類は、先住民である獣人と血みどろの戦争を繰り広げたそうだ。
今は表面上平和で、大陸を人類と獣人で半分に分けて暮らしている。
交易はあるけれど、両者の関係は良好とは言えない。
獣人の子供は、見た目の愛らしさから人に誘拐されることが多いと聞く。
誘拐は犯罪だけれど、人身売買そのものは禁じられてはいないらしい。
私は正直そのあたりの事情には詳しくないのだけれど。
獣人の奴隷がいるとの呼び込みをしている男の背後には、大きな檻がある。
檻の横には台があり、その上には見たことのない形をした装飾品は並べられていた。
檻の中にいたのは、輝く金色の髪から三角の耳がのぞく生き物……獣人の子供だった。
年は十二、三歳というところだろうか?
男の子で、灰色の上着とズボンを着ていて、金色の毛並みの長い尻尾が見える。
首には真っ赤な首輪。悲しげな顔で膝を抱えて地面を見つめている。
大陸にある十大都市国家のなかで奴隷を禁止している国は半分ほどだ。
この国では奴隷を禁じてはいないけれど、その取扱いには厳しい規則があるとかでだいぶ奴隷の数が減っていると聞いたことがある。
ちなみに私の家に何人か奴隷がいるけれど、あんな首輪はしていない。
なぜあんな首輪をされているのだろうか。
「……奴隷」
売られている奴隷を見るのは初めてだった。
奴隷の多くは遠く離れた海の向こうにある島や大陸にいる土民だと聞いたことがある。
どういう事情があって売られてくるのか私は知らない。
「あの子、どうして売られているの?」
エミールに問いかけると彼は首を横に振った。
「さあ。誘拐なのか、何かあって売られたのか。俺にはわからん。獣人は心底俺たち人類を嫌っているはずだけどな」
獣人は人類が嫌い。
それもそうね。
彼らからしたら、私たちは侵略者だもの。
私は獣人が入れられている檻に歩み寄った。
「おい」
なんで私を呼ぶのに「おい」って呼ぶのだろう、エミールは。
貴方は私の従者じゃないのかと。
「お嬢さん、奴隷に興味がおありかい?」
興味がなくちゃ近づきはしないでしょうに。
私は店主をちらっと見た後、檻の前にしゃがみ込んだ。
ぴくっと耳が動き、獣人がわずかに顔を上げる。
「親が死んでひとりになったらしい。だから親が取り返しに来ることはないですよ」
「そうなの。なんで首輪をしているの?」
「そいつはなあ、獣人てのは人間よりも力も魔力も強いやつが多いんですよ。それはそんな力を封じる奴だ。自分で外そうとすると首輪がしまるようになってます」
「外す方法はあるの?」
「えぇ、解呪の魔法がありましてそれをかければ……」
「そうなの」
私は檻の隙間から獣人に手を伸ばした。
そして、解呪の魔法を唱える。
「な……あんた何を!」
なんて言う、店主の慌てた声を背中で聞きつつ、私は呪文を唱えた。
ほどなく、首輪がバラバラになり、欠片がおちていく。
獣人は驚いた顔をしてきょろきょろと見回した後、私の方を向いた。
「買うわ」
と言い、私は立ち上がり、店主を振り返った。
「え? あ……え?」
店主があっけにとられた顔をして私を見つめる。
私は腕を組み、エミールを呼んだ。
「何でございましょう」
全く、人前だと言葉遣いが丁寧なのおかしくないかしら?
不満に思いつつ、私はエミールに向かって言った。
「彼に代金をお支払いして」
「本気ですか?」
「本気よ」
「人一人の人生、背負う覚悟、あるのですか?」
もう、なんでエミールは私のすることにいちいち口出しをするのかしら?
私は彼を睨み、
「なければこんな提案しないわよ」
と、語気を強めて言った。
「ですがお嬢様、奴隷を買い取ると言うことはその人生に対して責任を負うと言うことですよ。貴方のような世間知らずに奴隷を教育できるとは思いませんが」
なんという言いたい放題。
「一緒に暮らすの! 同居人よ! 確かに家事とかは私には教えられないけれど、人を雇うことくらいできるわ。私だけで教育する必要なんてないわよ」
「たしかに、お金があれば大抵のことは解決できますが、彼の人生を背負う覚悟、本当にあるんですね?」
「生半可な気持ちでこの子を買おうとはしていないわよ! いいから黙って支払いを済ませなさい」
すると、店主が私とエミールの間に割って入り、困った顔をして私たちを交互に見た。
「おいおい、喧嘩するなよ。怖がってるじゃねーか」
まさか奴隷商人に諭される日が来るとは思わなかった。
私たちが獣人を見ると、檻の片隅に縮こまって身体を震わせてこちらをおびえた目で見ている。
もう、恐がらせるつもりなんてなかったのに、エミールが余計なことを言うから。
私は檻の前にしゃがみ、できるだけ優しく檻の中に話しかけた。
「ごめんなさい。怖がらせてしまって」
と声をかけると、獣人はびくり、と身体を震わせる。
「あぁ、一つ注意があって、その子は俺たち人間の言葉があまりわからないんだ」
「そういう大事なことは早く言ってくださらないかしら?」
しゃがんだまま店主を見上げ半眼で見つめると、彼は首を振って、
「だって、説明する前にあんたが首輪とっちまうし、喧嘩始めるしで」
つまり私が悪いと。
それは心外でしかない。
「とりあえず、そこにいる私の従者から代金を受け取ってください。そしたら、この子、出してくださいね」
「あ? 本当に買うのか?」
店主が不安げな声を出す。
「エミール」
しゃがんだままエミールを振り返ると、彼は小さくため息をつき、恭しく頭を下げた。
「かしこまりました、お嬢様」
彼は店主の方を向いて、財布から紙幣を出して店主に渡した。
「これでよろしいでしょうか」
「あ、え、あ……いや、即金で? え?」
いったい何を驚いているのかわからないけれど、奴隷ひとり買うくらいのお金は持っている。
「では、この檻を開けてくれるかしら」
私が催促すると、慌てた様子で店主は鍵の束をズボンにさげた袋から取り出し、檻に近づいて鍵を差し込んだ。
かちゃり、という金属音が聞こえてくる。
檻は開かれ、店主は、ほらよ、と言ってそこから離れて行った。
私は立ち上がり、檻の入り口のところに座り手を伸ばす。
じっと彼の目を見て、
「おいで」
とできる限り優しく声をける。
また、獣人の身体が、びく、と震える。
すっかり怯えさせてしまったらしい。
私はめげず、もう一度声をかける。
「ごめんね。怖かったわね。もう声をあげないから、一緒に行きましょう」
すると、獣人は私の顔と手を交互に見る。
青く澄んだ、空のような目が大きく開かれ、そして、ゆっくりと彼は手を上げた。
私の手と、彼の手が重なり合う。
冷たい手。
私は彼の手をぎゅっと握りしめ、
「行きましょう」
と笑いかけた。