21買い物に行こう
逃げるようにエミールの部屋を後にした私は、ふらふらと自室に戻り、フィルの隣の定位置に腰かけた。
「どうしたの、シュテフィ?」
背もたれに身体を預けて天井を見上げる私に、フィルが問いかけてくる。
「何でもない。何でもないの」
言いながら、私は全く動けずにいた。
さっき、エミールに抱きしめられた場面が頭の中で繰り返されている。
あー、もう。なんで私がエミールの行動や言葉で揺れ動かなくちゃいけないのよ。
おかしい。こんなはずじゃなかったのに。
いや、エミールが私に向けている感情は、恋愛とかそんなんじゃなくって家族の親愛的なそんなものだろう。
そうだ。
私のエミールに対する感情だって、きっとそうだ。
だって子供の頃から一緒に過ごしてきたんだもの。
家族と同じ感情を抱いて当たり前だろう。
私はそう、無理やり自分を納得させて顔を正面に向けた。
「シュテフィ?」
フィルが再度声をかけてくるので、私は彼の方に顔を向ける。
「何?」
「顔、紅い」
「え? あ、え? そ、そ、そんなことないわよ」
紅いなんて言うから、私は両手で自分の顔を挟む。
気のせいだろうか、いつもより顔が熱い気がする。
いやきっと気のせいだろう。そうだ、気のせいだ。
気のせい……
「そう、気のせいなんだから。それよりねえ、フィル。明日、一緒に買い物行きましょう?」
そう私が言うと、フィルの耳がぴくぴく、と動く。
そして目を大きく開き、ニカッと笑った。
「うん!」
気分を変えるには、買い物に行くのが一番だ、と思う。
よし、明日はフィルに本を買って、服を新調しよう。
悩むのは、いつでもできるじゃないの。
次の日。
エミールは私の両親に、ギルベルトとの婚約について話してくると言って、朝食の後早くに外出した。
私とフィル、それにリディアの三人は、朝食を終えてしばらくしてから家を出た。
少し風が強いが、日差しは暑い。
すぐに夏が来る。
フィル用の夏服は手配してもらっているけれど、フィルが薄着になったら今以上に目立つようになってしまうだろうな。
本人はあまり気にしてないみたいだけれど、奇異の目を向けられることは多いし、耳と尻尾は悪目立ちする。
それでも、フィルと暮らすようになって二か月は経つし、商店街の人々やご近所さんはだいぶ見慣れたようで、にこやかにあいさつしてくれる人も多かった。
特に本屋と雑貨屋の店員たちには顔を覚えられていて可愛がられている。
服屋に行った後、私たちは本屋へと向かった。
シュトラッセ書店。
この辺りでそこそこ大きな本屋だ。
二階建てのこの本屋は一階の天井が私の身長の三倍はある。その天井まで本棚で、どこを見ても本がびっしり入っている。
店の入り口付近に置かれているのが新作の本だった。
フィルは本屋に入るなり、まっすぐに新作の本棚に歩いて行き、目を輝かせて本を見つめている。
「フィル君、いらっしゃい!」
若い男性店員が、ほうきを手にしてにこやかにあいさつしてくれる。
フィルは振り返り、
「こんにちは」
と、あいさつを返す。
フィルが本を探している間、私は雑誌のコーナーを見た。
雑誌の表紙を飾るのは、舞台俳優たちや貴族、大商人の噂話だ。
私も少し前、散々いろんなことを書かれた。
放蕩娘だとか、熱でおかしくなったとか。
思い出すだけでこの場で雑誌を破り捨てたくなる。
こういう雑誌に書かれることなんて、半分くらい嘘よね。
でも、噂の中には真実が混じっていたりする。
私はいくつか雑誌を見繕い、手に取った。
あと、何を買おう?
広い店内にあるたくさんの本たち。
歴史の本が置かれているコーナーで、私は足を止めた。
フィルがいた、獣人たちの国の事を、私はよく知らない。
言葉こそ少しずつ覚えているけれど、その文化だとか歴史について詳しく調べてはいない。
せっかく来たのだから、獣人たちの国を扱う本も買おう。
そう思ったものの。
獣人たちの国に関する本は少なかった。
獣人たちは限られた人たちとしか取引しないから、なのかな。
この国では、獣人を連れて来て奴隷にしているしな……
表向き、経済的な理由があって「売られた」獣人や人間が奴隷になると聞くけれど、実際は誘拐や騙して連れてくる、というのも多いらしい。
奴隷と言っても、金で売り買いされた後はきちんと契約を交わして何年たったら自由の身だよ、という書類を作るそうだ。
これは、フィルと出会ってしばらくしてから知った。
奴隷という制度についてはなくそうという話が毎年のように上がっているらしいが、廃止には至っていない。
一度出来た制度をなくす、というのはとても難しいという。
金で人を売り買いするなど倫理に反している、という声はあるけれど、その金で救われている人々がいる、という現実もあるらしく簡単にはいかないとか。
家にいるとき、奴隷の事なんて考えたことはなかった。
フィルを引き取り、でも私はフィルを奴隷として扱うつもりはなくって。
私にとってフィルは何だろう?
弟みたいな?
私、末っ子だから、弟妹に憧れはあったことを否定しない。
「シュテフィ」
名を呼ばれて振り返ると、二冊の本を大事そうに抱えたフィルが立っていた。
彼は遠慮がちに、その二冊の本を私に差し出しながら言った。
「二冊、いい?」
どうやら二冊本を買いたいらしい。
「いいわよ、それくらい」
私が答えると、ぱっと笑顔になって、
「ありがとう」
と言った。
フィルが嬉しいと私も嬉しいし、彼が笑顔だと私も笑顔になれる。
そのあと私は、獣人の国に関する本を二冊ほど選んで購入した。
家に帰り買ってきた本を机に広げる。
フィルは興味深そうに私が買ってきた本を見つめ、そして指差しながら言う。
「これ、獣人の話?」
「そうね。獣人たちの国の歴史に関する本と、神話についての本よ」
私が答えると、彼は首を傾げて私を見た。
「シュテフィ、勉強するの?」
「そうよ。私は知らないことがたくさんあるの。だからたくさん勉強しないとなのよ」
「僕もいっぱい勉強して、シュテフィにいっぱい教える!」
そう宣言したフィルは、長椅子に腰かけると買ってきた本を勢いよく開いた。




