クリスマスの殺人
「ああ、むかつく。すごくむかつく。なんで思い通りにならないんだ……」
山田花子は苛立っていた。彼女は40歳だが見た目以上に老けて見える。
その癖目付きは見る者を不快にするほど、陰険な目であった。
愛想笑いもせず、対面した者はすぐに逃げ出すほどだ。おかげで婚期を逃したが自業自得と言える。
花子が今働いているのは、親戚が経営する会社で、社長は母親の兄だった。花子の両親はすでに他界している。
花子は毎日社長に小言を言われていた。花子はいじめが大好きで自分より年下の相手には異常なまでに威圧的で、上司には米つきバッタの如くへこへことこびへつらう人間だった。
しかし社長はそれを見抜き、花子のいじめを見つけてはこっぴどく叱っていた。言い訳する前に手を動かせと怒鳴られるのは日常茶飯事だった。
だが彼女は反省しない。なんで自分が怒鳴られるのか理解できなかった。自分は偉いのに何で注意されなくちゃならないのだ。誰かが告げ口をしたに違いない。頭が固く、自分の考えが正しいと思い込んでいた。
年下の同僚では黒魔術が好きな女性職員がいて、気持ち悪いといじめていたが、上司に注意された。それでも反省せず不愉快になり、さらに注意されるのであった。
彼女は小学生の頃から弱い者いじめが大好きだった。いじめて面白そうな相手をみんなで寄ってたかっていじめるのが楽しかった。
担任教師はいじめを把握しても無視していた。面倒事が大嫌いだからだ。教育委員会も同様でいじめの存在を認めなかった。
相手が自殺しても両親や学校がいじめとは関係ないと言って守ってくれる。花子は調子に乗り続け、中学、高校といじめを娯楽としていた。もっとも周りの人間は年を重ねるごとに離れていくことに気づかなかったが……。
「あの社長、調子に乗りやがって……。何様のつもりだ……」
それが彼女の人生をめちゃくちゃにしたといえる。
卒業後も同じことを会社で繰り返したのだ。しかし学校と違い、会社にとっては利益が重要だ。社風を乱す人間など百害あって一利なしだ。よっていじめを理由に首を言い渡されることが多かった。
就職しても1年足らずで問題を起こし、クビになるのがほとんどだ。その際に口論して喧嘩をしており、評判は悪くなる一方だった。
30歳の時に親戚の会社に勤めることになったが、花子はまったく反省しなかった。自分は守られている、守られて当然だと思い込んでいるのだ。
さすがの両親も学校を出れば彼女を守ることはない。社長の方針にも口を挟むことはなかった。逆に結婚しろだのうるさく言われるが相手などいるはずがないのだ。
クビにはならないが、残業をやらされることが多かった。同僚に面倒事をすべて押し付けようとしたら、社長に怒鳴られ、自分ひとりでやるはめになった。
それを10年も繰り返したが、さすがの社長も堪忍袋の緒が切れかけた。花子をひとりだけの部署に移し、誰ひとり相手にさせないように工作していた。
そもそも花子は蛇蝎の如く嫌われていた。同僚で彼女が困っても助けようとする人間はいない。
花子の両親は40を迎える前に病死した。保険金を手にしたが、社長が管理している。花子としては無駄遣いをしたいのにそれができない。イライラは達していた。
「わーい、わーい」
あるクリスマスの夜だった。周りは雪が積もっている。花子は思い通りにならないことに腹を立てていた。
イライラしている最中に、橋に差し掛かった。下は川だ。橋の上でひとりの少女が歩いていた。
きれいな防寒着を着ており、毛糸の帽子を被り、毛糸の手袋をしていた。手にはプレゼントの箱を持っており、少女はくるくる回りながら笑っていた。その様子はまるで妖精のようだ。
この世の不幸など無縁で、幸せしかない人生を謳歌しているように思えた。
「くそぉ!!」
花子はむかついた。なんで自分は不幸なのに子供は無邪気なのか。こいつの親は何処にいるのか。
妖精でも悪戯をするブラウニーのように見えた。
花子は溜まったものが噴き出ていた。知らないうちに少女を抱きかかえ、橋から川へ投げ落としたのだ。
そのことに後悔はなかった。自分より幸せな人間など死ねばいいのだ。ニュースで両親が我が子を亡くした悲しみに染まった顔を見るのが楽しみだと、うきうきしながらアパートへ戻った。
彼女は気づかなかった。河に落ちた音が一切しなかったことに。
☆
「起きろ。おい起きろ」
「あん、なんだよ……、ひぃ!!」
花子は寝ていた。ネットでは気に入らないネットアイドルを誹謗中傷して楽しんでからベッドに入った。
そこに誰かが声をかけたのだ。いったい誰だろうか。
目を開くと、そこに信じられない物を見た。目の前には自分が殺したはずの少女が立っていたからである。
「あはは、驚いているね。自分が殺したはずの人間がいたらだれでも驚くからね。
あたしは悪魔だよ。あんたが殺したと思ったのはまぼろしさ。現実ではあんたは人を殺していないよ。安心するんだね」
そう言って少女の姿は変化した。成人女性だが真っ黒な肌に紅蓮のような長い髪。ヤギのような角が生え、金色の爬虫類のような瞳。
ボンテージファッションに背中には蝙蝠の羽根、尻には尻尾が生えていた。明らかに人外の存在である。
周囲の光景の異常であった。紫色の霧の中に囲まれており、気温も感じられない。異質な空間であった。
花子の頭は思考停止していた。あまりな状況に感情が追いつかないのだ。
「……」
「さすがに言葉にならないか。あたしはね、あんたみたいに人の幸福はわが身の不幸というクズを探しているんだよ。ちょうどあんたみたいにね。これであたしの目的が達成されるというものさ」
「たっ、達成だって?」
「そうさ。あんたの性格を変えてやるのさ。人に対して親切にしないと気が済まない、お節介焼きにしてやるよ。自分の事よりも他人を優先する性格になるんだ。これで前より人に好かれること間違いなしだね」
「やっ、やめてくれ! そんなへどの出るような性格になんかなりたくない!! あんたは何の権利があってそんな真似をするんだ!!」
「あはは、それはね、あんたのような汚れた魂を持つ者を浄化するためさ。悪魔の願いはね、そんな人間の魂を浄化することを重視しているんだよ。なぜなら人間は死んだ後、魂が抜け出る、その魂はあたしら悪魔にとって酸素なんだよ。
地獄も天国も存在しない。汚れた魂は悪魔にとって毒なのさ。その毒を浄化するために悪魔は存在するんだよ」
「てっ、天国と地獄は存在しない? そんな馬鹿な」
「馬鹿じゃないさ。大体世界各国でも死者の行き先は様々さ。仏教では最初お釈迦様は地獄を作ったわけではない、時の権力者が作ったのさ。
キリスト教の地獄は永久に苦しめられる世界だが、それでは厳しいと言って煉獄というものを作り上げた。あの世の世界とは人間が生み出した者なのさ。ネットでよくある異世界転生なんか存在しないよ」
花子は震えていた。悪魔の告白に背筋が凍った。知りたくない情報を与えられ、花子は混乱していた。
「安心しなよ。あんたの記憶は消してあげる。人間にとって地獄の存在は必要なのさ。例え信じてなくても生活に密着しているからね。じゃあ、さようなら」
「まっ、まって!! 性格が変わったら私の記憶はどうなるんだ!!」
「どうなるんだろうね。あたしには知ったことじゃないから」
「そっ、そんな!! いやだ! 助けて!! お節介焼きな性格になんかなりたくない! 私は私のやりたいように生きたいのn……」
花子の性格は一変していた。明るく、気遣いのできる女性に生まれ変わっていた。
最初、社長も別人かと思ったら、色々話を聞いて本人だと判断した。
人を不愉快にさせる目付きから、愛くるしい顔へと変貌したのだ。
最初は猫を被っているかと思われたが、一年経っても変わることはなかった。おかげで花子の気遣いで会社の運営は上昇していった。事務員のおばさんが自分の息子の嫁になってくれと頼まれ、その息子と デートを重ねた後、来年の6月に結婚式を挙げることに決まったのだ。
今日は会社でクリスマスパーティを開いている。花子はひと月かけて企画したものだ。去年なら花子がいれば絶対やらなかったが、今の彼女は人々を笑顔にする女神へ生まれ変わっている。
「でも不思議ですね。今まで人のために何かをすることに嫌悪していたのに、今は一日一善をしたくてたまらないのです」
「そうだなぁ。今までのお前さんは死んじまったと同じだな。新たに生まれ変わった感じだよ」
「ですね。でも私は去年のクリスマス、人を殺した気がするんですよ。小さい子供を川に投げ捨てた感覚があるのです。でもニュースに流行っていないし、気のせいですよね」
みんな花子の話を聞いて、あっはっはと笑っていた。その中で笑っていないのはひとりの女性職員だ。
そいつは黒魔術が大好きな性格だった。彼女は花子を嫌っていた。悪魔を召喚し、彼女を殺してくれと願った。
結果として花子は死んだ。本人は生きているし、記憶も受け継いでいる。だがその性格は前とは別人だ。最初、出会ったときも花子に似た別人と思っていたくらいだ。
今まで花子の顔を想像で踏みつぶしていたが、その気にならない。親しみのある同僚として接している。
「これも殺人になるでしょうか」
「なんか言ったか?」
「いいえ、別に」
クリスマスの夜は過ぎていった。ちなみに女性職員も天国と地獄がないことを悪魔から聞かされたが、そちらの記憶を消されているので問題はない。あるのは悪魔に願いをしたことだ。ついでに悪魔の住む世界の事を聞かされたが、こちらも忘れている。
あと彼女は話し上手になっていた。これも悪魔の願いのひとつである。世間の知らないところでひとりの人間の人格が殺されたことを知る者はいない。
ありま氷炎様のクリスマス企画です。
悪魔の願いをモチーフにしております。記憶は受け継いでも性格が変わるのは死んだものと同様と思いました。
なぜ人間の魂が酸素扱いなのかというと、深く考えてません。
ただ悪魔が人間に願いを叶えることは打算であることは間違いない。それに今の世の中は自己中心的な人が多く、悪魔も嫌悪する世界になっている気がする。