5話 『特殊運搬部』
特殊運搬部に下される命令の中枢を担うのは、遠方の地から届く依頼――神勅と呼ばれるリストだ。そのリストには、神に適合だと判断された魂の持ち主たちの名前がある。神はそれらの魂を手に入れると、〈異世界〉と呼称される領域に、十分適合できるだけの能力を与えて送る。その転生した者たちは――本人が終ぞ知ることはないが――神との繋がりを持っている。転生者が強大な力を振るった場合、その一部が繋がりを辿って神へ還元されていく。それを膨大な回数行う事で、神は人々から溢れんばかりの力を受け取る。そしてその一端を、更にこの世界の者たちが豊かに暮らせるよう、再び還元してくれるのだという。だから〈出雲〉は是が非でも神のお得意様になるよう努めてきた。
『特殊運搬部の皆さん、定期的に垂れ幕を見ましょう。私達が正しく在るために。あなたたちが成功を掴むために』
アナウンスの言葉を聞き、篤も無意識に天井を見やった。でかでかと力強い筆記体で『特殊運搬部に失敗なし』と書かれた垂れ幕がかかっていた。この標語はそのまま、失敗が死に直結すると警告を発している。我々は現代において在ってはならないもの――異端なのだ、と。それ故に、些細な失敗でさえ存在の糸口を捕まれる可能性もある。だから〈出雲〉側の要請で魔術を織り込んだ垂れ幕を掲げ、出勤の際は必ず見つめるように職員たちには厳命が下っていた。
深呼吸をしてじっと標語を見つめ落ち着いた後、篤は所属する運搬課の部屋へ向かう。右側の一番奥だ。すれ違う同僚に挨拶を交わす。服装はまちまちでスーツ姿の男もいれば〈大倭通運〉の制服を着た男、油のシミが目立つ作業服の男、ロングスカートをはいた女性もいた。計画実行時以外、特殊運搬部に服装の規則はない。各々の作業効率を重視した部長の方針だった。
とはいえ篤はスーツこそ正装という、後輩曰く「太古の思想」を貫き通しているので、特殊な指定がない限りは必ずスーツ姿だった。
「次は阻害オフで行くぞ」通りがかった篤の近くで、整備課の連中が何やら実験をしていた。整備課は部屋というよりは開け放たれた工場に近く、整備される物資は表に出されているので丸見えなのだ。ラジコンのリモコンに似た端末を持った男がいたから、篤はすぐ「式神か」と分かった。
男が操縦を始めると、もう一人の整備課の男の正面に一人の女性が出現した。
「隆史、久しぶりね」その女性は何も無い空間に向かって手を振り、朗らかに笑った。「高校の入学式以来じゃない?」
「ダメだダメ、止めろ」女性の前に立っていた男が手を大きく振ると、女性は手を振る体制のまま一時停止した。「笑った時のえくぼがないし、松家隆史と別れたのは高校二年一学期末だ。ちゃんと設定くらいしろよ」
「悪かったな」と操縦していた男が悲し気に言って、女性型の式神を消した。
篤は反対側を見やった。そこには一台のトラックがあった。それは昨日篤が乗っていたトラックであり、鈴ケ嶺聡というサラリーマンを死に至らしめた凶器でもあった。しゃがんで検めるも、傷や凹みはまったくなかった。
「よう篤、昨日の計画も完璧だったって?」
ぽんと肩を叩くのは整備課の所属、松下創仁だった。篤より十も年上の彼は濃紺デニムのつなぎを着ており、いつも袖をまくっていた。腕は確かなのだが、仕事の大半を女性社員との会話で潰すさぼりのエリートでもある。
「お陰様で。それにしてもこれ、直すの早いですね。もう使えるんですか」
トラックを撫でてやる。
「ああ、ばっちりだぜ。部品の換装、オイル点検、ガソリン満タンってもんよ。まっ、直したのは俺じゃないがな」
がはは、と松下は笑う。「松下先輩は年齢にかまけて部下に修理ばかりさせている」と整備の人間が愚痴をこぼしていたが、本当だったらしい。実際、篤も彼が仕事をしている姿を知らなかった。
「仕事は仕事です、松下さん」四十まで特殊運搬部にいることができたのだから働いていないというわけではないのだろうが、この男は篤の目にはさぼることしか能のない人間にしか見えなかった。「〈ソウルカプセル〉もあなたの管轄なんですから。しっかりしてもらわないと……。仕事に出る人間が不安になります」
〈蛸〉こと〈ソウルカプセル〉は、この仕事で最も重要なものだと篤は考えている。通常、魂は肉体が死ぬと剥離し、探しようのない形態となって行方をくらましてしまうもの。それを〈ソウルカプセル〉は抽出し、持ち運びを可能にした革命的な道具だった。仕組みとしては、生命活動を終えた肉体から魂が剥離するより先にこの道具を取り付けると、内部から展開した無数の触手じみたコードが肉体を包み、記憶をデータ化、肉体の経年変化を記録する。そしてその情報を添加してやることで魂は転生させられた後でも過去の記憶と人格を引き継げるというわけだ。
魂という生命の深奥、神の領域にさえ手を伸ばすことができる〈ソウルカプセル〉はもちろんデリケートなものだ。機材としても、魂を抽出した後転生させるという意味でも。その管理は徹底し、完璧なものでなければならない。使おうとしたら壊れていました、既に魂が入っていました、では上に話が付かないのだ。一度取りこぼした魂はもう戻らない。だからこそ篤は松下に対していつも以上に強い口調になった。
「うっせえな。俺が仕事してるときにお前がいないだけだ」
「……監査の目の前でそう言ってみたらいい」
ため息とともに言葉を吐き出す篤。しかし松下はそれを一笑する。
「この仕事で首が飛ぶのはしくじったときだけさ。つまりだ、なにもしなけりゃミスもしねぇってこった」
松下の責任感のなさに篤は呆れた。この仕事に誇りを持っているだけに、憤りすら感じた。
この仕事は、世界をより良くしていく仕事だ。神の要求を満たせば、多くの人々の幸福を実現できる。だからこそ、常人では有り得ないような仕事内容だとしても、これまで耐えてこられたのだ。
〈出雲〉は活動し続けなければならない。特殊運搬部は魂を運び続けなければならない。日本という国が発展し続けるために。神というスポンサーのために。
「動かなければ成功もありません。あの垂れ幕を見てください」
松下は幼子に間違いを指摘されたかのように顔を歪める。
「成功だって? 人殺しが成功だっていうのか。そいつは何とも狂ったお話だ! そうとも俺たちゃ全員腐って、狂ってる。神のお膝元に預かりながら、いかれちまってる。もし違うって言うんなら、聞かせてくれよ。お前はどうなりたいんだ」
松下の言葉は篤に刺さった。 自分はどうなりたいのか。今年で三十歳になる篤はその問いに対する答えを未だ持っていなかった。関堂篤には夢が、理想が欠如していた。
子供のころから将来の夢という言葉が嫌いだった。周りの友達はその問いにいともたやすく答えることができた。テレビの中で活躍するヒーロー、消防士、かわいいお嫁さん。小さな体躯の子供がその胸の内に強固な夢を秘めていた。だが篤には何もなかった。特段現実に興味がないわけでも、年不相応に醒めていたわけでもなかった。ただどうしても情熱がなかったのだ。今の今まで理性も損得もかなぐりすてるような衝動が湧いたことがない。この歳になるまでのついぞ一度も、関堂篤という男は憧れるものがなかった。それなしでは生きていけないというほど欲しいものもなかった。車は好きだ。だがそれなしでも自分は生きていけるという確信があった。そしてきっと自分はそれを不満に思わないだろう。ちょっと不便だな、と思うだけで一カ月もすれば慣れてしまう気がする。
なりたいものも欲しいものも失いたくないものも何もなかった。篤はこうやって自分について考えると、もしや自分は意志の欠落した人間なのではないか、と思ってしまう。きっと自分は生まれた時に母親の胎内にそれを忘れてきてしまった。人として必要な信念を忘れてきてしまった。幸いだったのは篤が忘れてきた分まで弟は持ち合わせて、立派な人間になったことだ。だからといって自分のことを粗末な人間だと卑下することはない。このような人間だからこそ、〈大倭通運〉からスカウトされたに違いない。ただ、迸るような情熱を、熱烈な衝動を感じてみたいとは思う。それができれば自分にも夢や理想の手がかりがつかめるだろう。
「俺は……与えられた仕事をするだけです。提出書類があるので、これで」
篤が去った後、アナウンスがあった。
『整備課、松下創仁さん。直ちに監査課に出頭してください』