2話 『魂の運び屋』
聡の骸を、隊員たちは更に五分放置した。時間が経ち、手袋をはめた一人が聡の胸に棒状の機械をかざした。それに繋がったイヤホンからは〝死〟の証明である、波のように増減する低音が鳴っていた。
「死亡を確認」その隊員が言った。「これより押収する」
〈蛸〉を、と彼は続けた。要求したものはすぐに手のひらに載せられた。そのひし形で鉛色の物体を、回収担当の隊員は骸の額に装着した。
「開始」
装置の端を押し込むと、おびただしい量の線が物体から生い茂って、うねりながら筋組織状になって聡を包んでいく。それが全身に及ぶと、動きが止まる。だがそれも一瞬で、やがて呼吸をするように膨らんだり、縮んだりする。音波じみた高音が鳴り始めると、内側の肉体は激しい痙攣を起こし、指、腕の関節が無秩序に動き、暴れまわった。やがて音が収まっていくと、肉体も静まった。装置から出る筋組織は最後に一度強く体を圧迫した。それが終わるなり組織はほどけて線となり、大元の装置へ吸い込まれ、完全に収納された。その時〈蛸〉は黄金色の強い光を発し、少しして収まった。現れた聡の肉体は枯れ木のように萎み、細くなっていた。ミイラと形容するのが適当だった。
回収担当の隊員が装置に手をかけ、聡の体から引き剥がしていく。そして保管担当の隊員が構えてあった小型のトランクケースへと収納して厳重に鍵をかけた。
「回収に成功」
車は速度を上げた。巡回中のパトカーの前で赤信号の下を次々とくぐり、何度か歩行者を跳ね飛ばすギリギリを通過した。時速は優に百三十キロは超えていた。だが警察と歩行者のいずれにも、この車の姿、音を見聞きした者はいなかった。
ふ頭を眼下に収める展望台は暗かった。その駐車場に、一台のトラックが停車してある。エンジンは切ってあって、運転席の窓は空気が出入りできるだけ隙間が開き、そこから煙草の煙がもれていた。カーラジオが最新のニュースを伝えていた。
『今日午後九時前、歌宮区歌宮駅前の大通りで、トラック一台と歩行者一人が絡む事故があり、歩行者の男性会社員、鈴ケ嶺聡さんが搬送先の病院で死亡しました。また、聡さんをはねたとみられる運転手の男性、太山怜路容疑者は車から降りず、そのまま現場から逃走しましたが、およそ一時間後、業務上過失致死の容疑で逮捕されました。取り調べに対し太山容疑者は、「よく前を見ていなかった。恐ろしくなって逃げた」などと供述しており、警察は事故当時の様子を更に詳しく調べる方針です。現場となった大通りの横断歩道は見晴らしもよく――』
トラックの前輪、ホイール部分には肉片がこびりついている。渇いて黒ずんだ血痕もあった。バンパーは右側が大きくへこんで、そこにも血がある。右のヘッドライトは割れていた。
「……報道内容の最適化を確認」
運転手は呟くと、ニュースが終わったラジオを切り替え、適当なチャンネルに合わせた。オーケストラの「青く美しいドナウ」が流れていて、第四ワルツまで進んでいた。だが運転手の男、関堂篤は旋律に聴き入ることはなく、スマートフォンでネットに接続し、近場のレストランの検索を始めた。彼の黒い瞳は強烈な光を宿す一方で、明確な意志を感じさせない空虚さもあった。細身だが、仕事柄筋肉はしっかり付いている。背は百八十台にあと一歩届かないというところ。髪は大雑把に後ろへなで付けている。格好は黒のスーツに紺色のネクタイ。唯一の装飾品は、右の人差し指の指輪だ。
「ここでいいか」
良さげな店を見つけた篤は予約を取った。端末は懐にしまって、胸ポケットの煙草をまたふかそうと手を伸ばした。
『到着』
右耳に付けたイヤホンから声が鳴った。すると篤は煙草を吸わずに戻し、指輪に触れる。
「認識阻害、同期」
篤は言った。
『認識阻害、同期』
イヤホンからも同じ言葉が聞こえた。すると篤のトラックの左隣に救急車が出現した。今到着したのではなく、瞬く光のように一瞬で現れた。篤はイヤホンを外し、地面に降りる。救急車の運転手も出てきて、近づいてきた。手にはトランクケースがぶらさがっている。
「合流時刻、午後十一時五十二分」空いた手で腕時計を確認しながら、救急車の男が言った。それから彼はケースを胸元まで持ち上げ、横向きにして開く。〈蛸〉と呼ばれていた装置がウレタンに隙間なく囲まれていた。「実行担当による確認を要請する」
「要請を承諾。これより確認処理に入る」篤が言った。眼を凝らして、隅々まで装置を改める。そして表面に刻印――この一連の職務に携わり、報告責任を負う者らのサイン――を確認した。「装置内に〈玉〉の存在を確認。サイン、確認。実行担当のサインを記入する」
篤は右手の指輪を〈蛸〉の記述欄(装置の起動を制御する、両端の稼働部全体が銀製の面になっている部分)にかざした。すると指輪から記述欄へ【関堂篤】との文字が緑の光となって投射された。篤は自身の名前を、他の名前たちと被らない場所に動かしていく。定位置が決まると、篤の決断に応じて指輪が一方向へ熱を撃った。篤の名が記述欄に載った。
「確認した」救急車の男が言った。「では受け渡しに向かう」
総勢十一名もの名を記した〈蛸〉を収めるトランクケースには、『大倭通運』と印されていた。それは国内最大手の物流業者の社名で、篤たちの職場でもあった。
「噂通りだな、関堂さん」
救急車の男、日立山が言う。仕事の緊張感はある程度抜けていた。篤と彼はふ頭にある波止場の一つを、陸を背に歩いていた。ケースは篤が持っていた。
「噂?」篤は煙草を口から離した。「もしかしてそれは、ファッションセンスについての噂か?」
「あんたそんな噂立ってたのか」
日立山が笑った。
「違うのか」篤は言った。「忘れてくれ。後輩に散々弄られてるんだ」
「仕事ぶりの話さ」日立山は言った。「見事なもんだったよ。予定時刻ピッタリ。破損箇所も九割合致ときた。まいったね」
日立山の言った仕事とは、無論大倭通運の仕事のことだ。彼ら特殊運搬部員はあるものをこの港へ配達するように命じられていた。あるものとは、鈴ケ嶺聡から吸収した〈蛸〉がその内側に蓄え保存しているものだ。本来、それ自体に形はない。だが〈蛸〉は死後間もない肉体から、それを取り出すことができる。
大倭通運特殊運搬部は、国内で唯一、魂を運ぶために設立された部だった。
「正確だったなら何よりだ」褒められた篤だが、顔に喜悦の色を浮かべたりはしなかった。仕事に私情を持ち込まない点で、彼は部内でも非常に有名だった。「といっても俺がやったのはトラックで撥ねるだけ。タイミング、角度は重要だが、難しい事をやっている訳じゃない。君たちだって少しの観察ミスが命取りだろう」
「勿論そうさ。けど俺たちの仕事ってのは、ただやればいいって訳じゃない」日立山は首を曲げて篤を見た。「特に今回の件なんかはね。標的の抱える過去のトラウマや葛藤。それを適度にほじくりつつ、自主的に他者を救うって行動を取らせなきゃならなかった」
「ただ殺すだけでは上が望む〈玉〉の形質に仕上がらない」篤はケースを持つ手を変え、空いた手をポケットに突っ込んだ。「この男には自分と母親の事故を想起させる、仲のいい母と娘の幻影を見せた。場所も同じく交差点脇の横断歩道だ。二人が気になった鈴ケ嶺聡は、わざわざ歩調を変えてまで追いかける。更に母娘の会話が彼を共感、感情移入させる。そうなればあの母娘は彼にとって他人の空似ではなくなる。
「そして彼は選ばれている。元々素質はあるという訳だ。誘導さえしてやれば……二人が車に轢かれそうになったら、彼は間違いなく彼女らを救うために手を伸ばす――俺たちはそこを狙うだけだ」
「そりゃあそうだけどさあ。俺だって分かっちゃいるんだ、魂を転生用に調節しなきゃならんってことも。でも俺たち、失敗できねえだろ? あんたみたいなやつは失敗なんて縁のない話だろうが――」
「〈玉〉を〈配達〉だ」篤は声を潜めた。「外で、その言葉はよせ」
規則を思い出した日立山の顔がさっと青ざめた。その職務内容の特異さゆえに、彼らはあらゆる言葉を隠語として表現する義務があった。魂は〈玉〉、殺害は〈受領〉といった具合に、語呂を合わせたりニュアンスで分かるものが殆どだ。反対に〈蛸〉は本来〈ソウルカプセル〉という名称が付いていた。
「わ、悪かった。つい口が滑っちまって」
「聴かれなければいい」と篤。「それに君の気持ちはよく分かるよ。俺だって失敗はしたくない。身を置いてる組織が組織だしな」
二人は波止場の端に着いた。小舟が一艘停泊していた。篤たちが近づくと船内に明かりが灯って、漁師に扮した仲間が出てきた。それにケースを、先ほどと同様の手順を踏んで渡す。無愛想な漁師風の仲間は刻印が済むと、すぐに奥へ引っ込み出航していった。魂の運搬において、それに関わる者たちは総じて、自身の担当部分以外に関与しないことが暗黙のルールだった。篤と日立山は実行と回収という近しい業務なので、こうやって会話もやろうと思えば可能だった。
「このあとは……仕事のあとは普段、どうしてるんだい」日立山は言った。どうしてそんな事を気にする、と篤は返した。「いや、あんたは特運でもトップの成績だろ。何か習慣があるなら俺も真似してみようかと思ってね」
そういうことか、と篤は気軽に答える。
「仕事の後なら、まず指輪を返却して、それから食事だ」
「食事だって」男は思わず口元を抑えた。「ベジタリアンかヴィーガンとか?」
額にしわを浮かべながら篤は「いいや」と言う。「今日はステーキさ。特に何を食べるかなんて決めてはないが」
男には殺人後のディナーが理解できなかったようで、篤から一歩身を引いた。篤と違って彼は、まだ仕事と私生活の分類が浅かった。人が死ぬ様を目の当たりにしたり、実際に殺したりした場合――今日のようにぐちゃぐちゃな時は特に――決まって夜は水しか喉を通らない性質だった。
「お、俺はいいや。そこまでして成績を上げたい訳でもないし。ははは……給料には満足だし」男は「それじゃあ」と残して去っていった。
一人になった篤は誰もいなくなった波止場で煙草をやった。〈玉〉、魂を乗せた船が宵の海原の奥に光っていた。風が冷えたが、かえって頭が冴えた。
「失敗は許されない」彼は自分に言い聞かせた。「もし誤れば俺たちは――」
燃えたままの吸い殻を篤は海へ投げ捨てた。短い音を立てて、吸い殻は波に消えた。