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小さな話  作者: 蛍野霞穂
1/1

トトの話

「命令」


「じょーだん。誰が聞くかって」


「ほら、笑った」


 せせら笑いも笑いのうちだ。してやったりと笑えば、ヘラヘラしていた顔がピキッと固まった。


「きっさまー!」


「なにか~?」


 怒って追いかけてくるテンジャの腕をひらっとかいくぐって逃げ出す。鹿よりはやいとたたえられる自慢の足だ、いくらテンジャが怒ろうとそう易々とは捕まらない。


 怒らせついでに最近覚えた口笛を吹いて駆け回る。思った通り余計に青筋を立てたテンジャを、トトは万感の思いを込めて見つめた。


 ああ、大きくなった。


 馬鹿みたいに素直にそう思った。







 トトの一族は代々続く農耕の民だ。人々は日々の糧を精魂込めて作り、細々とだが満ち足りた日々を送っていた。


 その安息に影が差したのが三年前。


 突如攻めてきた騎馬の民に、一族の男はほとんど皆殺しにされた。必死の抗戦で不可侵条約を結んだとき、残っていた男は僅か三人。


 それが、村長でもあるトトの父、まだ幼子だったテンジャ、そしてテンジャの兄にしてトトの親友だった、レッケルだった。



 三人だけでも生き残ったことは、大きな救いとなった。女子供では手が出せないような力業を、レッケルはさっさと片付けた。


 それなのに。それなのにそれなのにそれなのに。


 トトは、レッケルを殺した。



 わざとではなかった。当たり前だ、生まれたときから互いに互いを無二の親友としている。本当に偶然の結果起こった悲劇で、そしてトトはその悲劇を偶然とは思えなかった。


 屋根の修理をしていたトトが、足を踏み外して落ちたのだ。たまたま通りかかったレッケルがとっさに受け止めて、事なきを得た。


 ように思われたが、そうはいかなかったのだ。勢いよく倒れ込んだレッケルの足元に、罠があった。それはトトがこしらえたばかりの猛獣よけの罠で、レッケルはそこにそんな物があることなど知りはしなかったのだ。


 そしてそのまま、彼は穴へ落ちていき、帰らぬ人となった。どうして自分まで一緒に落ちなかったのか、今でもトトは、分からない。


 分かるのは、ただひたすら己が悪いということ。それだけだったのだ。



「トト、トト!」


「なんだ?」


 テンジャがいつの間にか走るのを止めて、トトを呼んでいた。


「トト」


「聞こえてるって。なんだ?」


 走り疲れたか?と聞くと、テンジャは顔を真っ赤にして違う!と怒鳴った。


「俺は、もう十三だ!あと二年もすれば嫁を取って一人前の男になる!」


「へぇー、それはめでたい」


「トト!」


 嘘だよ。嘘だよ、テンジャ。こんな気のない振りなんて、素っ気ない態度なんて、全部嘘だ。本当は、思い切り笑い合いたい。まだまだ幼い体を、抱きしめてあげたい。


 けれど、彼の兄を殺したトトに、その資格はないのだ。


「トトってば!」


「あー、はいはい。なんだって」


「ゴンに行くって、なんで黙ってたんだよ!」


 息が、止まった。




 ゴンはトトたちの一族、サラを襲った一族で、生粋の騎馬の民であり、このうえなく残忍な一族であることが知られていた。


 数日前。一通の書翰が、乱雑に長の家に放り込まれた。


 内容は、二十日以内に進軍を開始し、そちらを攻める。それが嫌ならば、とびきりの女をよこせ。考え直してやらんこともない。


 そんなことがつらつらと書いてあった。


 顔を憤怒に染めて書翰を燃やそうとした父を、トトはいさめた。誰も犠牲になる必要などない、自分が行けばいいだけの話だと。


 トトは、もういないも同然の人間だ。レッケルを殺してなおのうのうと生きられるほど、トトはいい神経を持っていない。父は止めろと、そんなことは許さないと言ったが、では他に村を救う手立てがあるのかとトトに怒鳴り返されて黙り込んだ。


 手立てなど、ないに等しい。長はもう五十路を迎えて色々なことが覚束ないし、テンジャはまだ少年だ。その二人で立ち向かったとて、一瞬も持たないだろう。だが、トトが行けば。



『少なくともゴンまで二日、馬でかかる。その間に逃げるなり次の手立てを打つなりすればいい。ついでに、私はそう簡単には殺されないからどんなに軽く見積もっても五日は安全。二十日のギリギリに出発すれば、今日から一月近く時間はある。大丈夫さ、なんとかなる』

 


 自分の台詞を思い出して苦笑した。大きなことを言ったものだと。


 まあ、言った以上それを反故にするつもりはないし、そもそもできないことははじめから言わない主義だ。一月近くは必ず、サラの民に、平穏と安寧を。




それ以上のことは――


「ぶっちゃけ、命と引き換えでも何の確約もできないなあ」


先ほどとは違う意味で、トトは苦く笑った。


「…トト」


 消え入りそうな声でよばれてはっと我に返る。


「…忘れてただろ」


 全くその通りで、すっかりテンジャの存在を忘れていたトトはちょっと肩をすくめてごめんごめんと謝った。


「誠意が足りない」


「ごめん」


「もっと胸張って!」


「ごめん!」


 …だんだんなにをやっているのか分からなくなってきた。


 とりあえず全面的に悪いのはトトなので、おとなしく言うとおりにしておく。


「声出せ!」


「ごめん!!」


「胸張れ!」


「ごめん!」


「笑え!」


「…ごめ、ん…?」


「トト」


 突然、テンジャに呼ばれた。


「かえって、こいよ」


「テンジャ…」


 泣きそうな、けれど泣かない瞳がひたとトトを見据えている。もうすぐ大人になる、生まれたときから見守ってきた少年がそこにいた。


「テンジャ、ありがとう。努力はする」


 それしか、言えない。安易に帰って来るだなんて、実現が到底不可能なことを言えるはずもない。


「帰って来いよ。帰って、こい!」


「ごめん、テンジャ」


 見ているこちらが痛々しいほどゆがんだ顔で、テンジャは無理な笑みを作ろうとした。


「おれだけじゃないんだ、兄貴もきっと、トトが帰って来なかったら泣く」


「テンジャ、聞け」


 ごめん、と心の中で呟いて一つ息を吸う。


「村長の地位は、おまえが次げ。これは、命令だ」


「……ういう、ことだよ」


 しばし絶句してからテンジャがゆらりと動く。めまいを起こしたようにふらつく体で、トトを睨む。


「冗談じゃ、ねーぞ。俺は継がない。継ぐつもりなんて、これっぽっちもないからな!」


「それでも、私が帰って来られない以上、村を継げるのはおまえしかいないんだ」


「…じょーだん」


 微かに震える声で、それでも努めていつも通りにテンジャが笑った。


「トト、あんたが村長になって、おれが補佐をするんだ。ずっとまえからそう決めてたんだ」


 今さら決断を変えられると思うなよ、とやけっぱちで言う顔に、それでもトトは同じ答えしか返せなかった。


「テンジャ。おまえが、村を継げ」


「トト!」


「…悪いな、私が生きて帰ってこれる可能性なんて、万に一つもないんだよ」


 叩かれたような顔をしたテンジャに内心苦笑する。

 

 テンジャ。なんて顔してんだ、おまえ。そんな泣きそうな、怒鳴りそうな、なんでもなさそうな、なによりつらそうな、そんな顔をするなと言いたい。

 

 言えない我が身を、トトは心底呪った。


 テンジャは―――何かを諦めたような、そんな表情になって、もう何も言わなかった。







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