早過ぎる解決
午後九時といえば、普通は自宅にいる。そして今、自宅にいる。特別なことがない場合は、外出することもほとんどない。だが、自宅でテレビを見ようとしていた時に宮川の携帯電話が鳴った。黒木からのメールだった。宮川はメールを見る。
『話したいことがある。俺の家に来てくれるか』
この時間に呼び出されるとは思わなかった。面倒だな、と心中で呟く。『今日は遅いし、止めよう』と返信すると、一分くらいで黒木からメールが返ってきた。
『できれば、今日』
これを見ている時も、面倒だと宮川は思い続けていたが、断る気にはなれなかった。黒木は友達だし、……それに多分、今日は面白い番組が無いからだろう。携帯電話を左ポケットに、財布を右ポケットに入れると、鍵を持って玄関へ向かう。靴を履くと、ドアを開けて外へ出る。その瞬間、冷たい風が宮川を襲う。思わず顔をしかめた。
鍵をかけて、次に車の鍵を取り出しながら足早で自分の白い車に向かった。話したいことは何だろう、と宮川は思っていた。
車内に入り、エンジンを作動させる。そして、車を走らせる。黒木の「話したいこと」の根拠の無い予想が宮川の脳裏に浮かんでいた。
コンビニやガソリンスタンドを通過し、赤信号だったので車を停止させて、青になると再び進み、住宅街へと入る。すると、闇に包まれたかのように暗くなる。家の窓から漏れる少しの光だけが見える。人工的な光でも、多いのと少ないのとではかなり変わるのだ、と改めて思った。太陽の光には勝てないことは確かだが。
必要性の無いことを考えることに大きな意味はない。だが、時が速く流れているように感じることが可能だ。気づけば、黒木の家が見えている。速い、と宮川は心の中で呟いた。この根拠の無い意見も、間違っていると完全に否定することはできないだろう。
黒木の家の前に車を停めてから、外へ足を出す。車のエンジンの音で気づいたのか、黒木が家のドアを開けてくれた。玄関から光が漏れている。
「何で、こんな時間に呼び出した?」
宮川が車のドアを閉めながら訊くと、黒木は戸惑うように答える。
「まあ……大事なことだ」
詳しいことは俺が家に入るまでは教えてくれないだろう、と考えた宮川は黒木の家の中へ入った。
宮川はリビングに連れて行かれると、黒木がキッチンへ向かった。飲み物を持ってきてくれるのだろうか。何か注文しても良いだろう、と思った宮川は散らかったリビングを見回しながら言った。
「コーヒー、頼む」
黒木は宮川と同じで、一人で暮らしているので部屋を整理するという意識が湧きにくいのだろう。テレビが置いてあり、その近くにある机の上にはたくさんの雑誌や小説、漫画が山積みにされている。机の下を見てみると、そこにも漫画などの本があった。もう一つ机があり、ノートパソコンが開いたまま置かれているが、起動はしていない。床には紙が散乱していて、座る場所を作るために宮川は紙を集めて、机の下に投げるように入れた。ほこりが飛んで、思わず顔をしかめた。俺の家はここまで汚くない、と心の中で反論する。感化されないように気をつけないといけない、という感想が脳裏に浮かんだ。
綺麗ではない床に座るのは嫌だったが、立ち続けるのも嫌だったので、宮川は仕方なく座る。テレビでもつけようと思い、リモコンを探してみたが見つからない。面倒になってきた宮川はテレビの前まで歩いて、電源のボタンを押す。今の時間帯は宮川の好きな番組はしていないが、お笑い番組が放送されているので、それを見ることにする。
その時に、二つの白色のコップを持って、黒木がやってきた。
「コーヒー、入れてきたよ」
コップからは湯気が出ている。温めてくれたことには感謝しているが、少しも整理されていないと断言できるこの部屋に連れて行ったことには反省してもらいたい、と宮川は心の中で主張するが、口には出さなかった。言うのが面倒くさいし、言ったとしても彼がこの部屋を綺麗に整理してくれるとは思えないからだ。
黒木が山積みにされている本を右腕を使って机の上から雪崩のように落としてスペースを作り、温かいコーヒーの入ったコップを置いた。たくさんの本が床の上に山のように集まる。その中にはテレビのリモコンがあった。
彼も床に散らばった紙を何枚か拾って座る場所を作り、座った。拾った紙は机の下に入れた。机の下は物置になってしまったようだ。宮川はコップを持って、口に近づける。汚い部屋で飲むコーヒーは美味しくはないだろう、と勝手に思いつつ一口飲んでみる。意外と美味しい。もう一口飲んでから、机の上に置く。テレビの音量が小さいせいか、「コト」という音が部屋に響いた。
だが、音量を上げようとは思わない。それよりも大事なことがある。宮川は口を開いた。コーヒーを飲むためではなく、黒木に訊くために。
「さて、こんな時間に呼び出した理由を教えてくれ」
黒木は今までに見たことがないような真剣な表情をして、答える。
「トリックで相談がある。……殺人の」
宮川の脳裏に疑問符が浮かんだ。殺人トリックの相談、それは誰がどう考えても悪いことだし、実際に殺人をすれば犯罪になる。巻き込まれたくなかった宮川は立ち上がろうとした。だがその時。
「お前、一回成功しただろ?」
黒木にそう言われ、宮川の身体は固まったように動かなくなる。彼は続ける。
「男子高校生を一人殺しただろう?」
そう訊かれて、宮川は愚痴のように答える。
「ああ、あいつらは毎日のように俺の住んでいる家の近くにある公園で騒いでいたし、俺の車も傷つけたし……」
「グループの一人を殺して、他のメンバーに罪を着せるという作戦は成功したんだろう?」
「失敗していたら、ここにはいない」
そう言うと、黒木は少し笑った。宮川はコーヒーを飲む。すると、黒木の表情が真剣なものに戻り、口が開いた。
「俺も、嫌な人がいるんだよ。恋人なんだが」
宮川はコーヒーを飲むのを中断して、コップを机の上に置く。えっ、と言うように口が開いた。変だと思った。二週間くらい前には恋人ができたことを喜んでいて、美人だとか性格も良いとか自慢をしていたのに、そのことが嘘のように思えてきた。もしかしたら、その人には裏があったのだろうか。宮川は、彼女を見たことがないのでよくわからない。考えることに集中して、言葉が出なくなる。
沈黙が流れると、それを遮るように黒木が続けて言う。
「で、殺したいんだ。だから、訊いてくれ。実行は俺がする」
黒木の表情は決意を固めたかのように真剣だった。それに押されるように宮川は頷いて、確認をした。
「俺は相談される……それだけだな?」
「ああ」
黒木は頷いた。まあ、それならば俺に被害を受けることもないだろう、と宮川は思った。何だか面白くなってきた。コーヒーを一口飲んで、彼を見つめる。自分の立場が目の前にいる人間よりも少し上になったような気がした。これが優越感というものだろうか。
宮川がすることは黒木が考えたトリックを聞いて、そのトリックが成功できるかを考えることだ。簡単じゃないか。黒木がコーヒーを飲んでから深呼吸をすると、殺人トリックの説明をし始めた。
――液体の毒と水道水を混ぜてから冷凍庫に入れて氷にする。完成した毒入りの氷を、水道水だけが入ったコップの中に入れて、もう一度冷凍庫に入れて氷にする。
これで外側は普通の氷で、内側には毒入りの氷ができる、と黒木は言っていた。それは成功するのか、と宮川は疑問に思う。
――ここで場面が変わり、恋人(被害者)に睡眠薬を飲ませて眠らせる。眠った彼女の口の中に先程作っておいた氷を入れる。当然、氷は溶け始める。だが、毒入りの氷は中にあるので、最初は外側の普通の氷が溶けて、普通の水だけが口の中に溜まり、それが体内に入っていく。だが、時間が経過すれば内側にあった毒入りの氷も溶けるようになり、溶けた毒入りの液体が体内に吸収されると、彼女は死ぬ。
――この死ぬまでの時間でアリバイを作っておく。罪を別の人間に着せるために、彼女の携帯電話で適当に知り合いにメールを送る。
これが黒木の考えたトリックだった。「どうかな」と自信がないように宮川に訊いてきた。宮川は思ったことを言った。
「睡眠薬を使う、ということは犯行は夜にするのかな?」
朝や昼に睡眠薬を飲んでいたら逆に怪しいだろう。黒木の彼女が一般人とは違う生活を送っているならば話は別だが、その可能性も無いような気がする。もし、そうであれば黒木が最初に言っておくだろう。黒木は頷いて答える。
「そうだ」
「メールを送る、ということになっているが、彼女の家に来ない可能性もある。もし送った知り合いの人の全てが来なかった場合、死体が見つかるのは次の日の朝か昼になるだろう。そうなれば死亡推定時刻が決めにくくなり、アリバイを作っても意味が無くなる」
「『助けて』とか『殺される』とか送れば来るだろう」
この問題については正確な答えは出しにくいだろう。宮川は別のことを訊いた。
「氷を口に入れて溶かすということは、口の中はかなり冷たくなる。それに気づかれたら終わりじゃないか?」
その問いに黒木は顔をしかめて、「うーん」と声を漏らす。正確な答えは返ってこなかった。この時点でこのトリックは失敗だということが証明された。彼はコーヒーを飲むが、答えが思いつかないのか、顔はしかめたままだった。
宮川は追い討ちをかけるように黒木に言った。
「それに氷を作るときに、毒入りの氷を水の入ったコップの中に入れて凍らせると、周りが普通の氷で真ん中に毒入りの氷ができることになっているが、それは間違いだ」
えっ、と言うように黒木の口が開く。自分の考えたトリックが見事に壊れていくのを知って、残念に思っているのかもしれない。宮川は冷静な口調で続ける。
「毒入りの氷は浮くんだよ。水道水に」
言った瞬間、「ああ」と黒木は声を漏らした。そして複雑な笑みを浮かべる。諦めたような口調で笑いが混じった声で言った。
「そうか、そうか……。ダメだね。うん、もう少し考えてみるよ」
「考える、か。そんなに彼女が嫌いなのか?」
「弱みを握られていて、ね」
黒木の口調が静かになる。
「弱み?」
「いや、それは言えないよ。永遠に消し去りたい思い出」
宮川はそれ以上、『弱み』については訊かなかった。興味が無いし、黒木に失礼だと思うからだ。コーヒーを一気に飲むと、リモコンを右手に持った。口の中に苦味が広がる。
殺意も消えればいいのに、と心の中で呟いて、テレビの音量を上げる。テレビから聞こえる楽しそうな会話や笑い声が大きくなっていった。
これは書きたいから書いた。ただ、それだけです。
思いついたと同時に流れに身を任せて書き続けました。かなり疲れました。執筆していた時の記憶は深くは覚えていません。少しだけなら、まあ、書く時の苦労とか壁とか、そういうのは脳裏の奥に隠れています。
話は変わりますが、番組が面白くなってきました。これでは勉強ができません。少し困ります。