【幕間】侍従長と侍女
従順で品行方正。理不尽な命にも決して自分の感情を出すことはなく、主の意思を酌み、付き従う、使用人の鑑――
ルイスはミームの事をそう評価していた。
そんな彼女が突然辞めると言い出したのは、ほんの数時間程前。
倒れたと聞き、彼女が運ばれた使用人部屋に向かったルイスが見たのは、医者の制止を振り切りベッドから出て行こうとするミームの姿だった。
顔色は悪く、何かにおびえたような錯乱した様子のミームをルイスは医者と二人がかりで宥め、ベッドに座らせ落ち着くのを待ってから話を聞くが……
「前世の記憶が戻って……すみません、辞めます」
「……は?」
理解し難い事を言い出すミームにルイスが困惑していると、マーシャが泣きながら部屋に駆け込んで来る。
マーシャはベッドに駆け寄り、ルイスを押し退けるようにミームの前まで行くと、縋りつくように跪く。
「わ……私、お嬢様を怒らせてしまいました……!! どどどどうすれば……」
そしてミームの膝の上に頭を伏せ、わっと泣き出してしまう。
「どうすればって……状況が掴めないんだけど」
ミームはマーシャを冷めた目で見下ろしながらつぶやく。
「マーシャ、落ち着きなさい! 何があったのですか?」
ルイスは泣きじゃくるマーシャに声もかけるも、彼女にはまるで聞こえていないようだった。
「俺にどうしろって言うんだよ……」
ミームはうんざりとした様子で、ため息交じりに言った。その男のような口調にルイスは訝しげに彼女を見る。
「お嬢様を怒らせたって? 何やらかしたんだよ」
「わ、私はただ……お召し物のお手伝いをしようとお声掛けしただけですわ! そうしたらお嬢様はパーティーに出たくないとおっしゃって……」
ミームの口調はいつもの礼儀正しく丁寧な物とはかけ離れたものだったが、マーシャにはそれを訝しがる余裕もないようだ。
「マーシャ、それ位で。ミームは先程まで倒れていたのですよ。診察の途中ですから一旦外に出ましょう」
ルイスはマーシャの肩を支えて立たせ、部屋を出るように促すが――
「診察はもう結構です。頭痛も治まりましたし」
ミームは診察を再開しようとする医者の手を鬱陶しそうに振り払い、ベッドから立ち上がる。
そしてそのままルイスとマーシャの横をすり抜け、部屋を出て行ってしまう。
「ミーム! どこに行くのですか!」
ルイスはマーシャに落ち着くまで待機しているようにと言い付け、ミームを追って廊下に出る。
「先程は取り乱してしまい申し訳ありませんでした。マーシャがあんな様子ではお嬢様のお相手は難しそうですね。様子を窺って参ります」
ミームは追ってきたルイスを振り返らず、歩きながら淡々と言う。
「ミーム、貴女……大丈夫なのですか?」
ミームの口調は丁寧な物に戻っていたがその声音は固く、冷たい。
「あまり、大丈夫ではありませんが。他にお嬢様のお相手出来る使用人はいるのですか?」
「それは……」
貴人の身の回りの世話をする者は同性の使用人がなるのが通常であり、使える主が女性であればなおさらだ。
レミリアの母親であるマリアンヌ夫人にも、夫人がハイスバイグ公爵に嫁ぐ前から付き従っている専属の侍女がいる。
マリアンヌ夫人付きの侍女の主はマリアンヌのみであり、ハイスバイグ公爵に執事以外の使用人の管理を任されてるルイス、その指示に従って仕事をするミームやマーシャとは性質が違う。
レミリアの身の回りの世話をする使用人は、マリアンヌ夫人付きの侍女以外という事になるが――
とある事情から、現在それに当てはまる侍女はミームとマーシャしかいなかった。
「恐らく、お嬢様がご機嫌を損ねた原因を作ったのは私です。とりあえずは、仕事に戻りますよ。……そういえば、パーティーの時間は大丈夫なのですか?」
「……今からでは、どんなに急いでもお客様をお待たせすることになるでしょう。旦那様にはお嬢様の準備が遅れると私の方から伝えますが……」
「分かりました。お嬢様の方はお任せ下さい」
「……」
ルイスはしばらく困惑の表情でミームの後ろ姿を見ていたが、自分の仕事に戻るべく踵を返した。