いのちの価値は(最終パート)
「期限は五日でしたね。……カッコつけたはいいですけど、策はあるんですか」
策。そう言われて、エルとイオは顔を見合わせた。
独眼の元締めによる組織には、鉄の掟が三つある。ひとつ。裏切りは自分、もしくは相手の死をもって償う。足抜けや誰かに断罪する姿を見られた場合も同様である。ふたつ。元締めによって設定された期限を経過した場合、言い訳は認められない。三つ。殺して良いのは、生きていても仕方のない、世間が裁かぬ悪党だけ。
彼女の組織は、ドモン達には窺い知れぬほどの規模を誇る。その実態を知るのは、頂点に立つ元締めリリアと、『ブン屋』のみだ。そうした中で規律と秘密を保つためには、厳しい掟とそれに対する罰が必要になる。
その中で厄介なのは、期限だ。エルによれば、断罪の依頼はブン屋によって配達される新聞によって行われるという。詳しくはエルしか知らぬことである。これは仲間とはいえ、組織の秘密が容易に漏れるのは良くないという理由による。
ともあれ、依頼についてわかるのは、新聞に載っている断罪対象者と報酬金額、そして期限のみだ。金額についての交渉は認められない。期限も、断罪人達が前倒しにすることは問題なくとも、逆は認められない。待っているのは死だ。
受けたからには、死ぬか、殺すか。組織の掟に遊びはなく、自分たちにも余裕はない。
ただ困ったことに、このエルとイオという男達は、どこか楽観的で直情的だ。当たって砕ければどうにかなるだろう、とまで考えている節がある。
「バカじゃないんですか、あんたら。人一人、いや三人は殺さなくちゃならねえんですよ。そこんとこわかってんでしょうね」
「たりめえだよ。そんなこたあ分かってらあ。こちとらイヴァン育ちだ、気が短えんだよ。坊、おめえはそんなんだから役人なんだ。もっと臨機応変にすばやく奴らをぶっ殺しゃあいいんだ、簡単だろお前」
エルはことが決まると頭に血が上りやすい。やる気があるのは結構だが、それだけではどうしようもない。言っていることも無茶苦茶だ。
「まあまあ。兄さんの言うことは分かるけどよォ、ここはひとつ旦那の意見を伺おうじゃねえか。連中、なんてったって大物揃いだ。それに、ヨナの嬢ちゃんを追っかけてた連中──オルリ・ファミリーっつったか。あいつらに殺しがバレたら厄介だぜ。キリがねえ」
「そういうことです。……そこでですが、ひとつ策があります。筆頭官吏のスーガ様ってお人は、義理堅いお人で通ってましてね。世話を焼いてもらったら焼き返す人です。ま、お偉方やら、役立ちそうな連中だけに、ですが。で、憲兵団での噂によれば、ここんとこ毎週──とあるレストランに集まって何やら楽しげな会を催しているそうです。僕の同僚の話によればそこの経営者は──」
「オキハタ屋ってことか。そりゃいいぜ。さっさとやりてえな。やつらも油断してるだろうし」
あまり時間はかけられない。大抵の悪党は、事を成した瞬間だけは油断をする。喉元を過ぎれば、不安になる。不安は、身辺の警護をする者の増加という形で現れる。そうなれば、もはや断罪人であろうとも手に負えなくなる。
「……しかし、今夜かどうかわかりませんよ。この話だって噂にすぎません。裏が取れれば別なんですが」
「おいおい、頼りねェな旦那。じゃ、まずはアレか? 裏を取るか?」
三人がううん、と唸っていると、突然、扉がきいと音を立てて開いた。エルがギター・ピックをつまみ、イオは首から下げた黄金のロザリオを握りしめ、ドモンは普段の眠そうな目とは対極の鋭い視線を送り、腰に下げた剣の柄に手を置いた。
ばさ、と紙束のようなものが投げ入れられた。それ以外に気配はなく、人影もなかった。
『ブン屋』だ、と三人が結論づけるのに、そう時間はかからなかった。
エルはずかずかと投げ入れられた紙束へ近づくと、ひょいと拾い上げ、自身の厚い胸板の前でそれを広げた。他の二人もそれを背中側から覗き込んだ。新聞、とだけ書かれている。古新聞──これは、ドモンも見たことがあるような記事だ──に紛れ込み、文字に赤い丸が書かれている。『今夜』『レスト』『ラ』『ンデ』。『居る』『りは』『家』。
「……ナニモンなんだよ、『ブン屋』は」
イオが若干青い顔で、エルに尋ねた。たった今ここでした話のウラを取ってきた。いや、取れるように調べを入れていたということか。今回の話は憲兵団の中で、噂話をドモンが集めてきた結果の結論だ。そんな曖昧な情報すら、ブン屋は調べることができるのだ。
ゾッとした。見張られているどころではない。下手をすれば、生殺与奪すら握られている。
「お前らは知らねえほうがいいし、俺もしらねえよ。……間違いねえのはな、俺たちはもう、後には引けねえってことだけだ」
エルは新聞を、燭台の上のろうそくの炎へ近づける。質の悪い紙が燃える、焦げくさい臭いがあたりに漂うと、まるで魔法にでもかかったように一気に炎上し、そのままちらちらと隙間風に煽られ、灰になって消えた。
「行きますか」
「おう。話は決まったしなァ」
「ま、腹が決まれば話は早いってなことだ」
三人の男は笑っていた。
それはこれから先、自分たちがやることが正しいことで、世の中のためになると信じていて──その一方で、自分たちもまた地獄行きは逃れられぬだろうという、諦めに近いような笑みであった。
それでいい。こんな世の中なのだから、誰かがやらなくてはならないのだ。
エルが、ドモンが、イオが──それぞれの近くにあったろうそくを吹き消した。大聖堂の中はそれで一気に闇に落ち、三人の『悪党を超える大悪党』が世に放たれた。
帝都東区、オルリ・ファミリーの事務所。
彼らは、いまだ緊張の中にいた。
たしかに、霞のレオンの替え玉を作る作戦は成功した。本物の霞のレオンであるオキハタ屋のことを知るのは、彼らと憲兵団筆頭官吏のスーガだけだ。オルリ・ファミリーは水路の流通の際に生じる、荷下ろしの作業員たちの組合から始まった。あれやこれやと汚い仕事も請け負うようになり、イヴァンでも有数の組織へと成長してきた。
今回のことは、彼らを表舞台に導くチャンスでもあった。事実、オキハタ屋は両替商としての財力を背景に、彼らを傘下企業に引き上げると約束していた。
これじゃ、全部がパーだ。
部下は必死にイヴァン中を探し回っている。親分であるオルリは、不安と怒りを混じらせながら、酒をかっくらって紛らわせるしかなかった。もし見つからなかったらと思うと、とてもしらふではいられない。オキハタ屋は──いや、霞のレオンという男は、役に立たない人間など歯牙にもかけない。文字通り、ファミリーごとひねり殺されるかもしれぬ。彼は帝国建国時の記念ワインまで開けて、グラスに満たし、飲み干すといったことを続けていた。
「……なんだ?」
酔いが回ってきたオルリは、不意に何か物音を聞いたような気がした。東区は飲屋街の先に住宅街が広がっている。この事務所は通りに面しているが、いかに帝国一の規模をほこる帝都イヴァンといえど、深夜ともなれば魔導式ランプ(魔力を媒介にしたランプを指す)すら消えている。好き好んで出歩く人間などいない。
音がだんだんと大きくなってくる。シンプルな、それでいて情熱的な旋律であった。音楽、それもギターによるものだ──。オルリは、自分の耳がどうかしてしまったのではと疑った。外からということならわかる。この音楽は、事務所の中から聞こえてくるのだ。
「だ、誰だ!?」
部屋の扉を開けて、ぬうと現れたのは──銀髪で分厚い胸板にたくましい毛を生やした、大男であった。手には白いギターを持ち、髪色と同じ銀色のギター・ピックをつまんでいる。
男はオルリの質問に答えなかった。その代わりににやっと笑った。ろうそくの頼りない炎が下から男を照らし、それがまた不気味だった。男はギターを壁に立てかけると、言った。
「ちょっと聞いていけや」
「な、何を……?」
「決まってんだろ、てめえが死ぬ時の音だよ」
エルはピックを回転させる。鋭く光る、よく尖った金属製のピックを突き立てるように、オルリの左胸をめがけて繰り出すと、一気に拳ごと体に突き刺さった。肋骨が砕け、内部で手が心臓に到達し、ピックが翻った瞬間オルリはうめき声をあげた!
エルはそのまま、心臓につながる動脈をピックで断ち切ると、一気に手を引き抜いた。一瞬の出来事であった。あまりの速さに、エルの手には血すら付いていなかった。
青ざめていくオルリを見もせずに、エルはギターを拾い上げると、そのまま事務所を後にした。
「オルリの親分はどうするつもりだ、オキハタの」
オキハタ屋が出資する高級レストランの離れで、オキハタ屋とスーガ、二人きりで行われていた会食は終わりに近づいていた。お互い、忙しくなる。今回の企み、その最終打ち合わせを兼ねていた。もちろんこれからも付き合いは続いているだろうが、周りにおかしなイメージは与えたくない。これからは、必要最低限の接触で、最大限の効果を出さなくてはいけないのだ。
「もちろん、始末します。それにつきましては、そうですな……適当な罪をでっち上げて潰してしまえばよろしい。……帝都には、どうやら一山いくらの殺し屋もいるようですからな」
「殺し屋? 金をもらって人殺しを請け負う連中か」
「中には、生きていても仕方がないような悪党のみを殺す、などと嘯く連中もいるとか。くだらぬお題目だとは思いませんか。ま、安く使えるのなら、検討しても良いかもしれませんね」
「あまり気は進まぬな」
「でしょうな。ま、それについてはおいおいということで。……ところで、スーガ様。憲兵団の方をお供には付けぬのですか」
妙なことを言うものだ、とスーガは思った。このような企みに手を貸しているのだから、仲間を増やすのは単純に危険だ。秘密を共有するものは、少なければ少ない方が良い。オキハタ屋も、それは分かっているはずだ。
「……つけるわけがなかろう。だいたい俺に旨味がない」
「窓の外を、白いジャケットの男が通りました。この敷地の中にですよ。偶然にしては出来すぎておりますな」
スーガは壁に立てかけていた剣──剣士にとって、この国では容易に手に取りづらい場所に立てかけておくのは作法である──を取り、一も二もなく外へ飛び出した。オキハタ屋もそれに続く。
霧雨が降り始めていた。
まとわりつくような雨が、実にうっとおしかった。
手持ち式の魔導ランプを持った男──ノリの効いた白いジャケットに、腰には剣を帯びている男は、スーガもよく知っている男であった。憲兵団の下っ端。見習い以下のみそっかすだ。
「ドモン。……貴様、どうしてここが」
そう呼ばれたドモンに、感情の揺らぎはなかった。まったくの無表情。まるで面でもつけているような。ランプのおぼろげな光がなお、印象を曖昧にしていた。いったい何のつもりだ。
さらにその後ろに、なぜか神父が立っていた。栗色のウェーブがかった髪の彼は、首に下げたロザリオのチェーンを取り、両手で握ると、それぞれの手で別方向に捻った。
すると、ロザリオの先から鋭く太い針が突き出したのを、スーガとオキハタ屋は見た。
殺し屋。さきほどの笑い話がにわかに真実味を帯び始める。
「スーガ様。死んでもらいますよ。もちろんオキハタ屋さん、あんたも。身代わりになって死んだ男の恨みは、あんたらの命二つでトントンってわけです」
「貴様、気でも狂ったのか!」
スーガは腰の剣を一気に引き抜き、上段から一気に振り下ろした。ドモンは同じように剣を抜きながら彼の足を切りつけると、そのまま振り向きざまに背中から一気にスーガを切り裂いた。とどめとばかりに刃をつき入れる。もはや彼は何も言えぬ犠牲者と化した。
オキハタ屋は一目散に逃げ出した。何か武器になるようなものがあれば。いや、とにかく命を永らえなければ。ようやく、ここまで来たというのに!
離れの部屋に入り込み、扉を閉めたところで、それを背にしてその場にへたり込んだ。
「はい、ご苦労さん」
神父──イオは、すでに離れの部屋の中、それも扉のすぐ隣に立っていた。オキハタ屋の喉に、ロザリオから飛び出した太い針を突き立てた。もはや彼には、どんな言い訳も詭弁も許されなかった。悪党はただ死に行くのみだ。
ぐったりと垂れ下がった首を確認すると、イオはロザリオを引き抜き、今度はさきほどと逆方向に回転させ、針をしまった。全てが終わった。呆気のないものだった。
翌日。
ヨナの様子を見に、教会にやって来たエルは、彼女の姿がどこにもないことを咎めていた。父親の仇は取った。だが、これからも彼女は生きていかねばならぬ。絶望に打ちひしがれた彼女を立ち直らせるために、エルは独眼の元締めを動かしたのだ。今後のことについても、面倒を見るつもりでいた。
「……おい、イオよう。どういうこったそれは。話が違うぜ!」
今にも掴みかからんとばかりに、エルはイオの胸ぐらを掴み上げていた。
「兄さんよォ、やめてくれよ! 殴るな、顔はやめろ! あの子は覚悟の上だったんだよ。親もいねえ、故郷にも帰れねえ。そんな中で、金貨三枚を女の子が用意するってなったら──色街に落ちるくらいしかなかったんだよォ!」
色街に落ちる。それは、契約に縛られた上で娼館へと売られ、働き続けねばならないことを意味していた。そんなつもりはなかった。だが、恨みを金で晴らしてくれる人がいると紹介したのは、他ならぬエルであった。
「……じゃ、やめますか。僕や、神父やあんたがしてるのは──そういう仕事ですよ」
ドモンはベンチに腰掛けたまま、慇懃にそう言った。第二、第三のヨナを作らぬように、生きていても仕方のない悪党を消す──。だがそれは、残されたものを不幸にするかもしれない。そうしたところまで、三人は思い至らなかったのだ。元締めは掟を尊ぶ。金は断罪のために必要な、最低限の条件だ。そこに手心を加えることなどない。
「やめねえ。……これはよ、この仕事はよ、俺たちが一生やってく仕事なんだ。だけどよ」
「けど?」
ようやく地面に足をつけたイオは、咳き込みながらそう尋ねた。エルはまっすぐだった。彼女が救われると信じていた。自分たちより年上なのに、こうした面はまるで子供だった。ドモンは立ち上がると、昨晩受け取った金貨を見せながら言った。
「僕らはワルですよ。ワルで無頼です。だから、もっと悪いヤツがいて、それをみんなが見逃すなら、僕らがやらなきゃならない。違いますか。それで、こんな金まで受け取っちゃったんですから。……もっとも、やめるってんならもらいますけどね」
イオはそんな言いように僅かに笑った。エルは、昨日の──ヨナから受け取った金貨を手のひらで光に当てながら、何やら考え込んでいたが、やがてそれを握りこんだ。
「……うるせえ。やるって決めたんだ、俺は」
「兄さんは素直じゃねえや」
やがて、三者三様、それぞれの日常へと戻っていった。
そこには、既に彼らが昨日まで過ごしていた日常とは異なっていたが、それを今の彼らが知る由もなかった。
いのちの価値は 終