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必殺断罪人Q  作者: 高柳 総一郎
いのちの価値は
3/12

いのちの価値は(Cパート)

 イヴァン北門から少し離れた高級住宅街。

 帝国における建築様式は、異世界からの影響を多分に受けている。それは、そうした別世界からの使者達が英雄として名を残したからであり、それにあやかろうという金持ちが多いからとも言える。

 そんな異世界様式の豪邸に住む、帝都随一の両替商『オキハタ屋』を、一代で築き上げたその社長が、実は今全くの別人だとしたら、驚くものは多いだろう。

 憲兵団筆頭官吏のスーガは、木で作られた庭側の廊下を歩きながら、その庭の荘厳さ──いや、寒々しさと言い換えたほうが良いだろう──に、辟易していた。

 ここにあるのは、取り繕われた豊かさだ。そうあろうとして、無理やりに作ったものだ。布をつぎはぎしてドレスにするようなもので、本物は何一つ存在していない。

「スーガだ。入るぞ」

 スーガは木と紙で出来ているという──耐久性がなさすぎて、騎士出身の彼にはとても理解できぬ様式の──引き戸をやや乱暴に開けると、豪奢な椅子にかけてパイプたばこを燻らせている男を見た。

 人間を横に引き伸ばして、空いた隙間に水──いや、油を詰め込んだような男だった。頭は寂しくなっており、細い目が不気味に光っている。欲望に満ちた男であった。

 もっとも、それはスーガも変わらなかった。細い目に同じような欲望の光を宿らせ、憲兵団の証である白ジャケットで覆い隠すような男だ。同じ穴のなんとやらである。

「霞のレオンが死んだそうですな」

「おお、死んだとも」

「よもやスーガ様のおやりになること、間違いはありますまい」

「皇帝陛下も天からご照覧あれ、だ。誰も気がつくまいよ。オルリの親分にどれほど金を積んだのか知らんが……。しかし、オキハタの。霞のレオンが姿を消して半年ばかり経った。俺はともかく、ほかの連中は誰もレオンの消息を掴めずにいたのだ。いずれ憲兵団も諦めただろうに、わざわざ替え玉を用意する必要などあったのか?」

 オキハタはパイプを置き、紫煙を少しばかりふうっと吐き出すと、引き戸と同じ形の窓を少しだけ開けた。その先には、見事な大木が育っていた。小鳥がさえずり、葉と葉の間から陽の光が柔らかにちらつく。

「スーガ様。あたくしは、いろいろとやってまいりましたよ。しかし世の中、酒だ女だと乱暴な趣味の人間が多くて困りますな」

「お前は違うとでも?」

「朝起きて、ここにかけて、小鳥が鳴いて葉が落ちる──そりゃ、酒も女も良いものですよ。しかしこのように真に豊かな時間には敵いません。霞のレオンは死んで、オキハタ屋としてスーガ様にお力添えをする。そうして、あたくしはこうした豊かな時を得る。それで良いのですよ。前のオキハタ屋には同情しますがね。あたくしなんかに似てたばかりに命を失ったのだから」

 スーガが、オキハタ屋と霞のレオンの入れ替わりに気づいたのは些細な──ほんの些細な出来事がきっかけだった。今となってはどうでも良い。重要なのは、この極悪人がオキハタ屋になり、オキハタ屋の秘密を共有する限り、スーガへの無限に近い援助を惜しまぬとの取引があったことだ。

 霞のレオンの捕縛は、間違いなくスーガを出世に導くだろう。憲兵団団長。帝都の治安の責任者の一人。そこから、さらなる出世も間違いなく見込める。なぜならばオキハタ屋の金庫は国家予算並みとも噂され、賄賂の類ならば、それこそ際限なくつぎ込めるのだ。

「それで、貴様はその豊かな時、豊かな人生を得るということか。俺にはわからん価値観だ。そのために人を殺すのは、あまりに危うくはないか? その度に金を使ってもみ消すにも、限度はあるし他にやりようと言うものがあろうに」

 オキハタ屋は顎を震わせながら、ぐるぐると──まるで獣の唸りのような──声で笑った。

「何をおっしゃいますやら。スーガ様、先の大戦の折は何処に?」

「うむ。戦時中は魔国の後方で、兵站の管理をする部隊にいた」

「あたくしは、王国の平民の生まれでしてね。王国ってのは、平民でも兵士にしてくれましてね、とりあえず兵隊やってりゃ、食うには困らんのです。だが、指揮をするのは王家の連中や、その取り巻きの特権階級。やつらは今も昔も平民のことなんざ、それこそ馬の糞ほども気に留めんのですよ。……あたしはね、山ほど同僚が死ぬのを見ましたよ。部隊長が気に入らんからと、背中から矢を射かけられたものもいました。良いですか、スーガ様。命の価値はね、同じじゃないんですよ。戦場で、イヴァンで、上流社会で──あたしはそれを学んだんです。だから、あたしのために誰が何人死のうとあたしは痛くもかゆくもない。なら、そんな命をありがたく使わせてもらうほうが良いでしょう?」

 まるで当然とでも言うように、オキハタ屋は言い切ってみせた。そこに疑問を挟む余地もなく、後ろめたさは何もない。スーガは背中に露が伝ったような感触を覚えた。この男は、人を利用するどころか、排除することすらなんとも思っていないのだ。

「それは俺も含まれるのではあるまいな」

「まさか。あたしはスーガ様のことを尊敬申し上げているのです。あたしのことを見抜いたのは、後にも先にもあなただけですからね。……話は変わりますが、霞のレオンの首はどうなりました」

「夕方から晒し首にする予定だ。……霞のレオンは極悪人ゆえな。それより、今日来たのはその報告と一緒に、悪い知らせがあるのだ」

 あまり、隙を見せたくない相手ではあるが、利用し合う関係である以上、伝えぬわけにもいかない。霞のレオンは、よく似た出稼ぎの男を無理やり太らせ作り出した偽物だ。しかし彼には娘がいた。女はいくらでも使い道があるからと、オルリの親分は一緒に引き取っていたのだが──。

「逃げ出した、と。いかんですね。まあ、まさか霞のレオンの入れ替わりを信じるものがいるとも思えませんが」

「うむ……もっと悪いことにな、俺とオルリの親分が関係していると、あちらの若いのにべらべらと話したのを聞かれたというのだ。所詮は卑しい身分の田舎者、相手にはされんだろうが……知られたままにしておくのは良くない。今、オルリ・ファミリーを挙げて……」

「まどろっこしいのはやめにしましょう、スーガ様。……親は極悪人として死んだのだから、その子は生きていても仕方ないと感じるのでは? 故郷にも帰るところはないでしょうし……嫌ですね、貧乏は」

 殺してしまえ。欲望で輝いていたはずの瞳に、まるで闇を溶かしたような暗黒が広がったのを、スーガは見た。ぞっとするほど冷たい視線が、彼を射抜く。少しだけ身が震えたが、それを押し殺して言った。

「あいわかった。……この件は追って知らせる。オルリにも伝えておく。奴に払う報酬の準備もしておいてくれ」

「もちろんですとも」





「……おう、坊。きたか」

 イヴァン西部から南西部には貧民街が広がっている。北西にはこの国随一の歓楽街『花街』があり、そこに挟まれる形で自由市場『ヘイヴン』が栄えている。ちょうど、ヘイヴンと南西部の貧民街の間あたりに、その教会はあった。

 時代がかった煉瓦造りの大聖堂、離れの小屋でできており、なんとか教会を装っているといった様相である。大聖堂へ入ると、左側が厚いカーテンで隠されており、そのまま懺悔室へ続いているのがわかる。中央には聖書台、その奥に巨大十字架オブジェが、ステンドグラスを背に荘厳な雰囲気を演出している。

「誰が坊ですか、エルさん。たかだか一回り年が離れてるだけでしょ」

 ドモンはため息混じりに、ベンチに腰掛け、背もたれに手を広げている男に言い捨てた。エルはへらへらと軽薄に笑うと、裏口から戻ってきた男に声をかけた。

「イオ。姉ちゃんはどうだ?」

 カソックコートをコート掛けに戻すと、他人からの評価を気にせずに、色男はその表情を曇らせた。

「俺ァガキは好かねェ。女にみるにゃあ十五年は早えぜ、ありゃ。エルの兄さんよ、悪いが今晩からはあんたが面倒見てくれよ」

 うんざりした様子でそう告げるのへ、ドモンは何があったのかを二人に尋ねた。

「何ってそりゃ、独眼の元締めから聞いたろ。……霞のレオンとして殺された男の娘だよ。ヨナっつってな。……先程、晒し首になった父親とご対面してぶっ倒れた」

「エルさん、なんだってあんたそんなことしたんです。自分の父親の首なんか見て倒れないほうがおかしいでしょ」

「悪い。そりゃ俺だ。獄門台は間の悪いことに、南西の……ほら、聖人通りのあたりでよ。最近は職のねえ余所者がそのへんの通りにまで溢れてやがるんで、その牽制だかなんだか知らんが。とにかく、あの子は一も二もなく飛び出したんだ。……俺にゃァ、あの子の後を追って──父親が天国に行けるように十字を切ンのが精一杯だった」

 ドモンは教会の離れに向かい、普段はイオが寝ているベッドを窓から覗き込んだ。まだあどけない顔の子供である。目元と鼻は泣き腫らして真っ赤だ。

 イオによれば、ヨナの父親は通りの外れに寂しく晒し首にされていた。鉄格子によって厳重に封印され、手を伸ばすことも叶わない。それどころか、ヨナにとってはたった一人の父親のことを、人々は口汚く罵り、石を投げるのだ。最低の男。極悪人。帝国始まって以来の大悪党、霞のレオン──父親には、ヨハンという名前があったのに、それを知るのはヨナだけだ。神父が来たことでようやく解散した野次馬連中を尻目に、ヨナは泣いた。もはや手の届かぬ場所へと連れ去られた父親のことを、たった一人になってしまった自分のことを想い、泣いた──。

「……坊よ。憲兵団ってのは、嫌なもんだな。女の子泣かして、父親の命取ってでも、出世したいもんかね」

 エルは俯きがちに、ドモンへそう言った。彼は憲兵団というより、役人や貴族を信用していない。苦労させられた、というばかりで、真意を語ろうとはしないが──とにかく、嫌っていた。役人であるドモンに対しても、その態度は変わらない。

「元締めは、もう調べはついてて、あんたがもう断罪を受けたと言ってましたが。……本気で殺るんですか。相手は憲兵団の幹部です。それに、元締めによれば、今の霞のレオンは……」

「両替商オキハタ屋の会長、だろ。それに、奴らの手駒になってたオルリ・ファミリーのボスもだ。俺は、あんな子を泣かす連中は許せねえ」

 エルはまっすぐに十字架を見上げて言った。彼はいつもこうだった。一度決めたことは曲げなかったし、怒りを隠そうとしなかった。前に貴族の三男坊を殺した時も、思えば彼が発端だった。許せねえ。生かしちゃおかねえ。ドモンはそんな彼に、半ば感化されるように手を汚した。

 理由は一つだ。それで、世の中が良くなるのなら。

 ドモンには、三つばかり年の離れた妹がいる。彼女に、ヨナのような悲しみを背負わせるような世の中にはできない。

 はじめドモンは、憲兵団という治安維持機構に奉職することでそれを果たそうとしていた。自分が正しく法を預かり、それを執行することで、正しい世の中──善なる人々が救われ、悪が間違いなく裁かれる世の中になると信じていた。

 だが二年前、悪辣な貴族の三男坊によって一人の女性が死に追いやられた日に、そんな幻想は打ち砕かれた。世の中は残酷で、正しさなど相対的なものさしでしかない。ましてや、ドモンの考えるような正しい世の中など、存在し得なかったのだ。

 だから、彼はエルに共感した。正しい世の中などないし、生きていても仕方のないようなクズ野郎が確かに存在する。誰かがやらなくてはならないのだ。

 誰かが、世の中が裁かぬ悪人の罪を、死をもって償わせなければならぬ。

 エルと、その仲間であるイオが、そうした裁きを下す稼業──「断罪人」であることを知ったのは、そんな想いを抱えていたある日のことだった。

「それで、ウラはとれてんですか」

「ああ。知ってのとおり、独眼の元締めには『ブン屋』がついてるからな。奴に調べのつかねえことはねえ。……口を酸っぱくして言うがな。断罪を受けた以上、俺たちも奴の監視下に入る」

 エルはベンチから立ち上がると、金貨を三枚聖書台へと並べた。独眼のリリアという女の組織は、本人以外その実態を掴むものはいない。断罪人はエルやイオ、そしてドモン以外にも多数存在し、それを監視しているのが、リリア直属の断罪人である『ブン屋』だ。

 彼か彼女か、それすらわからないブン屋には、断罪にかかる案件の裏取りから、裏切り者の処刑まで幅広く重要な仕事が任されている。

 三枚の金貨はリリアからの手付であり、報酬の全てだ。カネの多寡は、断罪には関係ない。もっとも、それに足りない分は、かならず本人に補填させる旨の契約が交わされる。断罪人や、それに連なるもの──場合によっては、リリア本人が依頼を受けることもあるが、基本的な決まり事は変わらない。

 ブン屋は、牢屋の中にいるリリアの代わりに組織を滞りなく監視している。おそらく、今この瞬間も。

「坊。俺はこの間も言ったが、敢えてもう一回言う。イオも聞いとけよ。……お前らはこのカネを取って、人様の恨みを代わりに晴らしに行くんだ。地獄に自分から足を踏み入れに行くようなもんだ。誰も褒めちゃくれねえし、認めちゃくれねえウラの稼業よ。……それでも俺は、断罪することで誰かが救われる、そう信じてる。これは、俺たちにしかできねえ仕事だぜ」

 自分たちだけが、自分たちにしかできない仕事。

 思えば、虚しい仕事の連続だ。何の意味があるのかわからない仕事。誰のためにもならぬ仕事。憲兵官吏という仕事は、臣民のために戦う仕事だと信じていたのに、それすらも裏切られた。

 断罪はシンプルだ。生きていても仕方のない人間を、自分たちが裁く。偉ぶっていて、まさか自分たちがそうはなるまいとタカをくくっている奴らに、天誅を下すのだ。これが痛快でなくて何だ。

 それを、僕が。

「……どうしてくれましょうかね。足先から刻んでやりましょうか。それとも手から、頭から……」

 ドモンは、心底から──もちろん、不謹慎だとわかってはいるが──まるで心臓から期待が飛び出してきそうなほど身を震わせていた。

「へへへ……旦那よ、そんなんじゃ足りねェぜ。やつらはもっとひでえ目に合わせてやるんだ。刻んでサラマンダーの餌でも足りねェ外道共よ」

「んじゃ、体を刻んでお互い食わせてやるとか?」

「まだまだ。……なんだかゾクゾクするなァ、旦那? いいとこのご婦人を寝取ってもこうはいかねェ」

「イキんじゃねえよ、イオ。若えのが見栄張ってもみっともねえだけだ。……だがよ」

 エルは金貨を取って、月明かりに照らした。まるで自ら光り輝いているように、金貨は黄金色を孕んで三人の目に飛び込んでいった。

「せいぜい、いいカッコしてえじゃねえか。あんな不憫な子の前ならよ……」

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