いのちの価値は(Bパート)
いのちの価値はB 追加
帝都イヴァン、その中央部に位置する、政治中枢機構を担う中央区行政府。
その付近に、昔ながらの石造りで作られた建物こそ、帝都の治安維持を一手に担う憲兵団本部である。その隣には、憲兵団によって捕縛された犯罪者たちが一時収監される拘置所があり──処刑場も併設されている。
この大陸において、帝都として成立する以前から、川が水路として張り巡らされていること、大陸の中央に位置していることから利便が良いことから、城塞交易都市として発展してきた。
そうした古い時代においては、処刑が娯楽として扱われることもあった。現在はそこまで積極的な娯楽とされることは少ないものの、それでも刺激を求めて野次馬が見に来ることも多い。帝国としては、非人道的であるとして、あまり推奨していないこともあり、余程のことでもなければこうした憲兵団の処刑場でひっそりと行われるのがほとんどだ。
ここまできてしまえば、犯罪者達も静かに死を迎えることが多い。だが今回は別であった。
「おらじゃねえ……おらじゃねえーッ!」
羽交い締めにされた男が、二人掛かりで処刑場を歩かされ、強引に膝を突かせられた。
霞のレオン。長年その姿をつかませず、帝都のみならず大陸全土を震撼させた、およそやっていないことのないという大悪党である。十五年近くの活動で、村をいくつも焼き払い、虐殺に近いほどの命を奪い、殺した人々が持っていた財産を、柄杓一つにいたるまで根こそぎ奪い取った。同情の余地もない外道だ。そんな彼が、昨日の深夜、筆頭官吏のスーガ主導の捕物によってあっさり捕まり、拘置所にぶち込まれたのち、帝国判事所によって死刑が言い渡されたのがなんと今朝。その流れで処刑となったのだ。帝国としても、これ以上生かしておいてもなんともならぬというのが結論であり、異論をとなえるものは誰もいなかった。
そんな彼が膝をついた先には、ちょうど人が一人入りそうな四角くくり抜かれた穴がひとつ。その脇には、ジャケットやシャツを脱ぎ捨て、筋肉隆々な体を見せ、手には幅広肉厚な、斬首用の剣を持つ、つるりと禿げ上がった髭面の男──憲兵官吏のガイモンの姿があった。
「見苦しいぞ、霞のレオン! 死ぬときくらい潔う死ねい!」
検分用の席からそう一喝するは、酷薄そうな鋭い瞳を嫌悪に歪ませた細面の男──筆頭官吏のスーガである。彼の一喝で、ほかの担当者が無理やり頭に皮袋を被せた。それでもなお、霞のレオンはそのでっぷりと肥え太った体を揺らし、なにやらもがもがと言おうとしていたが、もはや何もかも無駄であった。
ガイモンが大きく剣を振りかぶり──一気に振り下ろした。
血飛沫があたりに飛び散り、その巨体が穴に転がった。首も。
「スーガ様。血が頰に飛んでおりますぞ」
ベテランの憲兵官吏であるガイモンとはいえ、斬首は気分の良いものではない。そうした感情を誤魔化すように、彼は上司に対しつとめて冷静にそう指摘した。
「おお、相済まぬな。──ではガイモンよ、後始末は任せる」
スーガはそこまで顔に表情が出るほうではない。憲兵団に数人いる主任官吏であるガイモンにとって、筆頭官吏であるスーガのことはよくわかっているつもりだ。
そんな彼が、血を拭うとき──わずかに目が笑っていたように見えたのは気のせいだったろうか。
「……わしの気のせいか」
「コーヒー」
その憲兵官吏は、横柄にカップを付き出しながら言った。よれよれの白いジャケットが、彼がかろうじて憲兵官吏であることを証明している。ボサボサ頭。剃りきれてないヒゲが、顎や鼻の下に残っていた。
「それ、僕がやるんですか」
対照的に、パリッとした白いジャケットを羽織った男が言った。腰にベルトで帯びた剣は一本。困惑した表情。前髪にくせっ毛がついた黒髪。
「何言っちゃってんの全く。いつも教えてんでしょうが。先輩のコーヒーは下っ端がいれる。常識でしょうよ」
「しかし、マヤさん……」
「ドモン! いいから淹れろって。俺はいま忙しいんだよ」
ドモンは去年憲兵団への仕官が叶い、いまはこうして先輩の憲兵官吏であるマヤに教えを請いながら仕事に励む毎日である。
帝都臣民は百万人を超えているが、それをたった数十人でエリアを割り振り、治安維持活動を行うのが憲兵団、ひいては憲兵官吏の仕事だ。上下関係は厳しい。
「それにしてもマヤさん、昨日ガイモン様からお願いされた拘置所入りの犯罪者リストなんですが、あれは……」
「あ? そんなんあったか? んじゃまあちょちょっとやっといてよ。数だけ数えりゃ済むからさ。あとコーヒー淹れてくれ」
これだ。マヤは大した事は教えてくれない。大抵面倒な雑務をドモンに押し付けるばかりだ。ドモンはカップを受け取ると、給湯室へと向かった。
「よう、ドモン。お前もコーヒーか?」
赤毛の同期、サイがちょうど湯を沸かしている最中であった。魔導式のポットは便利だが、湯を沸かすのになかなか時間がかかる。サボりにはちょうどよい。
「君もですか。いやんなりますよねえ。何が悲しくてコーヒーなんか淹れなくちゃならないのか分かりませんよ」
「まあそう言うなよ。俺たちは物を教わる身だ。気持ちよく教えてもらうためには、それくらいは我慢しなくちゃな」
「……君は物分りいいですよねえ。モルダ様もさぞかし教えがいがあるんじゃないですか」
サイの指導担当であるモルダは、帝国成立前には、その前身国家の一つである王国の騎士団出身、帝都イヴァン憲兵団ができてから現在まで務める大ベテランである。
マヤとは比べ物にならぬほど人当たりも良い。ドモンにとってはそれだけで既に羨ましいというものである。
「ぼやくなって。マヤさんだって、今度帝国騎士団へ栄転って話もあるんだろ。顔を売っておけば役に立つかもしれないぜ」
「あんななんにもしない人が騎士団入りだなんて世も末ですよ……」
ぶつくさと愚痴を並べながら、ドモンはコーヒーを淹れ、気は乗らぬがマヤの元へと持っていった。彼はお礼一つ言わなかった。
帝都中央部行政府の中に、憲兵団本部は存在する。その近く、憲兵団拘置所。ここでは判事所に送られる前の犯罪者達がまとめてブチこまれている。
ドモンはそこへ向かう最中に、見知った顔の男を見かけた。栗色の髪をゆるく括った神父。信者募集の木看板を掲げたその男は、ドモンの姿を見つけるとニヤリと笑みを浮かべ、近づいてきた。馴れ馴れしく肩まで抱いてくる始末だ。
「よう、旦那ァ。……どうでェ、景気は?」
「どうもこうもありませんよ。僕は忙しいんですから、帰ってもらえます?」
「つれねェこと言うなよ。旅先で女も世話してやった仲だろ、俺たちは?」
旅の剣士と旅の神父。そうした繋がりのあと帝都で再会した二人は、こうして腐れ縁を続けていた。
「……なあ、実はちょっとまずいことになりそうでよ。あんたに協力してもらえると助かるんだよ」
「馬鹿言うんじゃありませんよ。僕は憲兵官吏ですよ? そう何度も、加担すると思ってもらっちゃ困りますよ」
「たいしたことじゃねえ。……この手紙をな、『独眼の元締め』に渡してもらいてェんだ。それ以外は迷惑かけねェ。中は見んなよ」
ドモンは差し出された小さな羊皮紙で出来た手紙を、大きく作ってあるジャケット右袖口に滑り込ませて、言った。
「頼まれても見やしませんよ」
「じゃ、頼んだぜ」
判事所での裁判は非常に時間がかかる。長く拘置所にいる者の中では、拘置所という狭い世界の中で王として振る舞うものも存在する。女囚のなかでは、女王として。
女囚牢の中を覗くと、ござの上で寝転がる女囚達の奥で、三段高いマットの上に腰掛け、体を若い女囚にもませる大柄な中年女の姿があった。ひっつめた白髪。右目は黒革の眼帯で覆われており、はだけそうな女囚服の胸元は豊満。口元や目元に皺は刻まれているが、余計な年齢は感じさせない生命力があった。
「独眼のリリア! お取り調べですよ。はやく出てきてください」
リリアはニヤリと笑みを浮かべると、女達を下がらせ、ゆっくりと牢のそばへ近づいた。
「ドモンの坊やかい。お取り調べなら仕方ないねえ」
二人は拘置所内の中庭──同時に斬首刑などを執り行う処刑場でもある──に出る。周りには誰もいない。
「坊やも悪党が身についてきたじゃないか」
「あんただけにゃ言われたかありませんよ。義賊だったかなんだか知りませんが、目こぼししてんのも今だけですよ」
「おや、これでも褒めてるんだよ。クズみたいな他の憲兵官吏と比べりゃ、あんたは信頼できる。変にまっすぐでもなく、ねじ曲がってもないってのは大事なことだ」
彼女は公式的には、憲兵団に入ったばかりのドモンが捕縛したことになっている。だが事実は全く異なる。
彼女は望んで捕まったのだ。それがなにより彼女の安全であると確信して。
事実リリアという女はあれよあれよと女囚たちのリーダーにおさまり、今や牢の外にいた頃より自由を謳歌している始末だ。おまけに、なにやら他の仲間とも文のやりとりをしている。
神父イオも、そうした彼女に連なる者達の一部らしい。あまり気分は良くなかった。ムリもない。犯罪の片棒を担がされているのだ。ドモンにとって本意ではないが、すでに彼はその手を一度汚している。彼女らの差し金によって。
「……神父から差し入れがありましてね」
「おや、そうかい。どらどら」
羊皮紙を広げたリリアは、中身を見て遺された左目を見開く。すぐに羊皮紙を巻き取ると、懐にしまった。
「……あんた、霞のレオンという男を知っていなさるかい」
「知らない人いるんですか? 押し込み強盗に強姦、火付けに殺人、やってない罪は無いっていう悪党でしょう。ま、今朝方そこで斬首されましたけどね」
ドモンはこともなげに言った。度を越した悪党には死を。当然の法である。
「……そうかい。見てたのかい、あんた?」
「見てましたよ。見苦しい死に様でした。おらじゃねえ、おらじゃねえ、ってね……」
ふう、とリリアはため息をつく。既に何もかも後手であった。しかしこの目の前の憲兵官吏には、なにかしら伝えて置かなくてはなるまい。
「当ててやろうか、ドモンや。今回の処刑、早めた野郎がいるだろう」
リリアの言葉に、ドモンの記憶が過去へと戻る。筆頭官吏のスーガ様。捕縛された霞のレオンを、その日のうちに帝国判事所送りにし、次の日には処刑にしてしまった。 ムリもないといえばそうだ。内戦により混乱状態の帝都を数人の仲間と荒らし回り、およそやっていない犯罪がないという大悪党である。一分一秒でも帝都の空気を吸わせているのが惜しい。
「それが、何か」
「決まりだね。……昨日殺された男は、霞のレオンなんかじゃない。ありゃ替え玉さね」
「そんなバカな!」
ドモンは悲鳴混じりに言った。あの醜い悪党が、無様な死を迎えたあの男が、全くの偽物とは。到底信じられないし認められない。
「いずれまたあんたにも一口乗ってもらわなくちゃならんだろう」
リリアは言った。ドモンはその言葉に身を震わせた。寒気。嫌悪。そして歓喜。複雑な身体の震え。
彼は斬った。二週間前、生きていても仕方のない男を。押し込み強盗の真似事をし、若い娘を強姦していた、クズのような貴族の三男坊を斬った。親の威光を笠に着て、すべてをもみ消していた。許されざる男だった。
男を斬った対価に、ドモンは金を貰った。役人として、いや人間として否定されるべき大罪である。
彼が死んだがために、イヴァンは間違いなく良くなった。ドモンはそう信じている。その時限りの善行であり、悪行であった。しかし彼は今憲兵官吏であった。憲兵官吏のドモンは言った。
「さあ、どうでしょうねえ……」