※決して食事を与えないでください
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地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
この街に引っ越して、三か月が経とうとしていた。
予てから考えていたマイホームの購入を、首都圏へのアクセスもよく自然に囲まれたこの住宅地にしたのは、妻がひどくここを気に入ったからだ。
病弱な彼女は都会の喧騒から離れたいといつも言っていて、私もまた彼女に賛同してこの家を決めた。
住宅地のうしろは緑の濃い山々が連なり、排気ガス臭さも鉄道の音もまったくしない。近所のスーパーには坂を下りて五分ほどで、駅まではバスで十分くらいだった。
車を持っていない妻にとっては買い物がすこし苦だろうけれど、それも承知でここに住むことに決めたのだった。
仕事は順調で、妻との仲も良好だった。
あえて不満があるとすれば虫が多いことくらいだろう。田舎暮らしなので当然といえば当然で、それくらいは覚悟してこの街に住み始めたのだから仕方がない。
とはいえ、虫が嫌いな妻にとっては悩みの種だった。
私が夕食を終えリビングでくつろいでいると、妻は初夏の風物詩ともいえる蚊をうざったそうに手で払いながらパソコンデスクのところへ私を呼んだ。
「ねえ、これ買ってもいい?」
妻は虫よけグッズのネット販売サイトを眺めていた。
画面に写っていたのは【おススメ♪】という文字が浮かぶ商品。
小さな石のお地蔵さんだった。
「なんだこれ?」
「【むしとり地蔵】っていうの。口コミでもすごい褒められてて一番効果が高いんだって。いまならすごく安いし……買ってもいい?」
発売元は『古黒株式会社』。聞いたことのない製造会社だ。
それだけすごい製品なら知っててもいいはずで、なによりネットで買い物をするのに抵抗があった私は、画面を覗きながらわざと渋い顔を作った。いつもの妻なら、私があまり乗り気でないことを知るとすぐに諦めるのだ。
「……だめ?」
珍しく粘った。
そこまで欲しいのだろうか。
たしかに市販の防虫剤では効き目が薄い。こうして蚊が飛んでいるところを見るに、あまり用を満たしているようにも思えなかった。
この【むしとり地蔵】なら、値段もほかの防虫剤と変わらない金額だ。
物は試しともいうし、捨て金だと思って使ってしまおうか。
「わかったよ」
うなずくと、妻は「ありがと」と言って注文ボタンをクリックする。
私は満足そうな妻の横顔をしばらく眺めてから、ソファに戻った。
品物が届いたのは、それから三日後だった。
黒い段ボールに詰められやってきたのは、赤ん坊ほどの大きさの石地蔵だった。
灰色の石を削り取って造られたのだろう、継ぎ目は一切ない。しかし中は空洞になっているのか持ち上げてみるとそれほど重くなかった。振ってみると、スゥッ、とどこからか空気が抜ける音がした。
防虫効果があるというから、てっきり匂いでも発しているのかと思って鼻を近づけてみる。
……とくに匂わなかった。
私は首をひねって石地蔵を眺めた。
石地蔵は、微かな笑みを浮かべているような表情だ。
「えっと……『玄関など、一番出入りする場所に置いてください』だって。そこにおこう」
妻は玄関に座り込んで説明書をパラパラとめくりながら、下駄箱を指さした。
下駄箱の上には花が飾ってある。細い花瓶に、いまは百合の花が生けられていた。ときどき入院する妻が、いつも見舞いで誰かから貰っている白い花。ちょうど小さな羽虫が、その花弁の内側で歩き回っていた。
玄関に石地蔵か。
知らない人が見たら妙に思うだろうな、と苦笑しながらも、私は花瓶と石地蔵を交換する。
地蔵はゴトリと腰を据えた。
「効果なさそうだったら、すぐに片づけるからな」
「……うん」
私が花瓶を渡すと、妻はじっと地蔵を見つめてうなずいた。
いつのまにか百合の花のなかの虫がいなくなっていることに、私たちは気づかなかった。
地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
「ただいま~」
玄関で靴を脱ぐ。
家に帰った私を一番に出迎えるのは、妻より地蔵のほうが早い。
無機質な薄い笑顔に、私は地蔵の頭をぽんと撫でるのが習慣になっていた。この地蔵を買ってから家のなかに虫が出なくなっている。
半信半疑だったが、良い買い物だった。
「おかえり。今日も遅かったわね」
「ああ。仕事が長引いてな」
妻がリビングから顔を出し、私はスリッパを履いて廊下を歩く。
リビングに入るとエアコンの涼しい風が肌に染みる。ネクタイを取り、鞄をソファに置いて椅子に座った。妻が冷蔵庫から缶ビールを取り出して、私の前に置いた。
「おつまみ、なににする?」
「任せるよ」
テレビを点けて深夜のニュースを眺める。もう少し早い時間に帰ればいろいろあるだろうが、日付も変わって一時間も経っているためあまり面白い番組はない。
皿に盛られた柿の種を食べつつ、スポーツの結果を見る。妻が贔屓にしているサッカーチームが勝っていた。妻は鍋をかき混ぜる手を止めて、テレビをじっと見つめていた。
私はサッカーより野球が好きなので、あまり興味はない。
「けほっ」
コンロの火を止めたとき、妻が咳き込んだ。
私は妻の顔に視線を移す。
「夏風邪か?」
「うん……そうかも」
すこし顔色が悪い。私は立ち上がって妻の額に手を当てる。
熱はなさそうだが、疲れが見える。
「あんまり無理すんなよ。晩飯作るの辛かったら、買って帰ってくるから」
「でも……」
「また入院したいのか」
「……はい」
しおらしく返事をして、妻は大人しくなった。
その日はそのまま夕食を終え、風呂に入った。妻は布団に入るやいなやすぐに寝てしまったから、私は少しだけ読書をして寝た。
エアコンの温度設定をすこしあげて、私は眠りについた。
目を覚ますと妻はまだ布団のなかにいた。
いつもは私よりも早くに起きて、朝食の準備をしている。やっぱり具合が悪いのだろうと妻の額を触ると、やたらと熱かった。
「おい、大丈夫か」
私は急いで支度をして、会社に一報を入れてから車を出した。
近くに大きな総合病院があるのが、この街を選んだ理由のひとつでもある。
すぐに妻を病院に連れていくと、予想通り、持病の悪化だった。
「奥さん、最近ちゃんと食事摂られてました?」
「え、ええ……おそらく」
医者が言うには、持病の悪化のほかにも栄養が足りていなかったとのことだった。ふだんは帰りが遅いから妻の食生活は知らない。ただ私に作ってくれている夕飯と同じものを食べているとするなら、栄養が偏ることなんてないだろう。もしかしたら、夏バテしていたのかもしれない。
ただ、しばらく入院することになる。病院食を食べてゆっくり休めば元気になるだろう。
心配ではあるが、仕事を休むわけにはいかない。なるべく早く帰るからと病室を出て行こうとしたとき、ベッドで寝ていた妻は泣きそうな表情をしていた。
私は妻を病院に残して仕事に向かった。
地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
『Re:ごめん。。
いいの。あなたも仕事おつかれさま。
ちゃんと晩御飯食べてね?
おやすみなさい
>今日も遅くなるから行けない。しっかり食べろよ。
>明日会社に行く前には、様子見に行くからな。おやすみ。 』
妻から来たメールを確認して、私は携帯電話の電源を落とした。
「いいんですか、奥さん?」
「ああ」
自宅の玄関を開けると、今日も地蔵が私を迎えた。
後ろからついてきたのは会社の部下。まだ二十半ばの女性社員。
「あ、これですか、例の地蔵って」
彼女はヒールを脱ぎながら、興味津々に石地蔵を見つめた。この地蔵を置いてからまるっきり虫が出なくなった話をしたのは、すこし前だ。
「なんか、怒ってるみたいな顔してますけど」
「そうか? 笑ってるように見えるが……」
私はとくに気にせず、リビングに彼女を連れて行った。
夕飯はすでに済ませていた。仕事がはやく片付いたので彼女と近くのレストランで食事をしていたのだ。妻がしばらく入院することを話したら、彼女は家に行ってみたいとせがんできた。
冷蔵庫から缶ビールを出し、チーズも用意する。
生ハムや漬物を買い置きしていたような気はするけど、どこにもない。記憶にないうちに食べてしまったのだろう。夕食も食べたし、それほど多くはいらないか。
私と彼女はソファに座ってテレビをつける。
「いい家に住んでますね」
「まあな。たっぷりローンがあるから、稼がないと」
「だからあんなに厳しいんですか。みんなから鬼って呼ばれてますよ、部長」
「そうだろうな。昔からだ」
「自覚してるんですね」
彼女は苦笑して、私の肩にもたれかかってきた。
もっと言えば、厳しいのは野球部の部長をやっていた高校生の時からだが。
「でも、そんな部長も好きですよ」
彼女は甘い声を出して、私の首筋に吸い付いてくる。
ソファに倒れかかりながら、私は缶ビールをテーブルに置いた。
彼女と関係を持ち始めたのは、二年ほど前からだった。
新入社員だった彼女に厳しく指導する反面、仕事のあいまや終わってからなどは精神面のフォローをするために優しく接していた。それは彼女が理知的で聡明で、将来有望な部下だったから当然のことだった。そんな彼女は、私に妻がいることを知りながらも、関係を求めてきた。
この家を買ってからは彼女と会う機会は減った。移動に時間がかかるのもあるが、なにより背負うものが増えたからだ。長続きしない関係だとは思っていたし、彼女もあまり感情的にならない女だった。自然に密会する回数は減り、そろそろごく普通の上司と部下の関係に戻りつつありそうだったのだ。
妻が入院したと知った彼女が私の食生活を心配して、食事に誘ってきたのはが今日のことだ。
そのままこうして家に連れ帰り、またこうして肌を重ねる。
私も妻と離れ、寂しくなっていたのかもしれない。
久しぶりに、私は激しく彼女を抱いた。
地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
「あれ? 部長、痩せました?」
今週、何度目になるだろう。
私は彼女をまた家に連れてきていた。
妻には怪しまれないようちゃんと病院には顔を出している。妻のことはいまでも愛しているし、罪悪感も後悔もある。しかし私のなかの醜い情念が、貴賤な色欲が、こうして若い女を求めていた。
彼女は私の裸を眺めながらタオルを体に巻いて、そのまま脱衣所に散らかった服を丁寧に畳んで積んでいく。私の服は洗濯籠のなかに、彼女の服は洗濯機の上に。
風呂上がりの彼女の首筋に水滴が伝う。胸元に巻いたバスタオルに水滴が染みていくのを見て、私の欲がまた膨れ上がる。
「部長も、まだまだ若いですね」
くすりと笑った彼女は、私の腕にぴたりとくっついて、廊下にひっぱった。
そのとき私の肩が、扉にぶつかった。
コトリ、と脱衣所の隅にある小さな棚からなにかが落ちて来る。
本……いや、冊子だった。
【むしとり地蔵】の説明書。
妻がこんなところに仕舞っていたとは知らなかった。
私はもとに戻そうとそれを拾おうとして、ちょうど開いたページに目を留める。
注意書きが書かれていた。
『取り扱いに十分注意したうえで
以下のことを必ずお守りください。
※使用期限は開封から三年後です
※危険なので割らないでください
※使用後は地面に埋めてください
※決して食事を与えないでください』
「……食事?」
私は首をひねった。
地蔵に食事など、与えるわけがない。
ただ私は気になることがあった。気のせいだと思っていたが、玄関にいる地蔵がすこし大きくなっているような気がしていたのだ。
「どうしたんですか?」
いや、気のせいだろう。
私は頭を振って、説明書を元の場所に戻しておいた。
ありえない。
そんなこと、ありえない。
「やっぱり、痩せましたよね?」
私が棚に冊子を差し込むと、彼女が私に言った。
「なんかここ数日で腹の周りがかなり細くなってますよ。ダイエットとかしてます?」
「いや、そんなことは」
と否定しようとして、思い当たる。
ここ数日、食欲がない。
朝目が覚めても、何かを食べようという気にはならなかった。美味しそうな物をみても胃が刺激されない。てっきり夏バテかと思っていたが、そう考えると昼食もほとんど食べていない。夕食はいつもどおりに食べていたつもりだったが、いままでのように脂っこいものは食べていない。
必要最低限だけを食べる生活になっていた。
「あんまり無理しないでくださいよ? 体が頑丈なのが部長の取り柄なんですから」
「……そうだな」
私はうなずいて、彼女と寝室へ向かった。
階段を登る彼女の太ももに、なぜか喉が鳴った。
地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
『Re:あのね
ちょっと夏バテ気味かもしれない。
なるべく栄養価のあるものを食べるようにする。
ありがとう。
>ちゃんとご飯食べてる?
>わたしみたいに、夏バテしないでね?』
地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
「ねえ部長、この地蔵ってこんなに大きかったですか?」
家に入ると、彼女が首をかしげた。
たしかに、やっぱりすこし大きくなってるような気がする。赤ん坊くらいの大きさなのは変わらないが、横に膨れているような気がしたのだ。
ただ、気味の悪いことを言うのは気が引けた私は「もともとこれくらいだよ」と答えて、彼女をリビングに促した。彼女が慣れた様子でリビングに入っていったのを見届けた私のポケットで、携帯電話が震えた。
メールを受信していた。
妻からだった。
『Re:やっぱり
冷蔵庫に缶詰の蜂の子があるわ
意外と効果あるから。おススメよ。
でも、お肉とかタンパク質も食べるのよ
>最近腹が減らない。
>おまえはなにを食べたらいいと思う?』
蜂の子の缶詰か。
なかなか、妻にしては珍しいものを置いている。
私はソファにくつろぐ彼女をしり目に、こっそり冷蔵庫を開けて棚のなかを探った。冷蔵庫の中身が減っているような気がする。また無意識のうちに食べているのだろうか。
探しやすくなった冷蔵庫の奥のほうに、小さな缶詰があった。プルタブを引っ張って開けてみると、しょうゆ漬けされた蜂の子が入っていた。
それを見た瞬間、私の腹がぐるぐると鳴った。
あまりゲテモノは好きではなかったはずなのに、異様に美味しそうに感じる。分厚いステーキや濃厚なラーメンには魅力を感じないのに。
私は大きく口を開けて、一口で缶詰の中身を食べた。
うまい。
猛烈に食欲が湧いてきた。痛いほど胃が活性化される。
蛇口を捻って水を飲む。
しかし、まったく満たされたない。
いきなり吹き出した食欲に、私は棚を漁った。
蜂の子はない。
なんでもいい。
なんでもいいから、この飢えを満たす物が欲しかった。
カップラーメンやハムなんて、まったく美味しそうに見えない。
この食欲を満たしてくれそうなものは――――
と。
私の目に留まったのは、足だった。
ソファに寝転び、スカートスーツから覗く彼女の生足。
すらっと伸びた綺麗な足。
私はゴクリと唾を飲む。
腹がゴロゴロと鳴る。
涎が口の中を濡らす。
手が、小刻みに震えた。
じっと彼女の足を見つめつつ、手はキッチンの下の棚に伸びる。
私は音を立てないように、慎重に包丁を取り出した。
ゆっくりと彼女に近づく。
頭がぼうっとする。
息をひそめ、彼女の背後に迫る私。
目の前を一匹の蠅が通り過ぎた。
地蔵を置いてから初めて虫を見た。
私は無意識に手を伸ばして蠅を掴んだ。
そのまま、口の中に放り込む。
咀嚼する。蠅が奥歯で潰れて口内に苦い汁が溢れてくる。うまい。
まだまだ腹は満たされない。
「ねえ部長、部長はこういうのどう思い―――――え?」
ニュースの画面を指さしながら、振り返った彼女。
私は迷わなかった。
リビングで物が倒れる音が響く。
その小さな揺れで、脱衣所の棚にある本が落ちて開いた。
『取り扱いに十分注意したうえで
以下のことを必ずお守りください。
※使用期限は開封から三年後です
※危険なので割らないでください
※使用後は地面に埋めてください
※決して食事を与えないでください』
そう書かれた次のページに、さらに注釈が書かれてあった。
『※2。食事を与えてしまったらなるべく早めに地面に埋めてください。【むしとり地蔵】の主食は虫ですが、虫より美味しい物を与えたら味を覚えてしまい、所有者の食欲と【むしとり地蔵】の食欲を入れ替えてしまう場合がございます。所有者の栄養失調、拒食症の原因になりますのでご注意ください。
※3.また上記を守ったうえでも虫が美味しそうに感じてしまいまたら、すみやかにお近くのお医者様にご相談ください』
地 蔵 地 蔵 地 蔵 地 蔵
携帯電話がメールを受信した。
『Re:今日は
夕飯食べた。
心配はない。体は元気だ。
さっき、肉もたっぷり食べたから。
>冷蔵庫に缶詰の蜂の子があるわ。
>意外と効果あるから。おススメよ。
>でも、お肉とかタンパク質も食べるのよ』
夫から届いたメールを見て、携帯電話の電源を落とす。
やっぱり【むしとり地蔵】を使ってよかった。
これでようやく、夫についた邪魔な虫を、とることができたのだから。
わたしは目の前を飛んでいた羽虫を手でつかみ、パクリと食べて笑みを浮かべた。