- 8 -
「だからさ、少しでも望みがあるなら、もったいないよ、奏子」
少しだけ切ない目をして、早紀が言った。
そっか。
確かにそんな早紀からしてみれば、まだ何もしていない私がぐじぐじいうのは、はがゆいだろうなあ。
そうだよ。私はまだ、アルに好きだって言ってない。
アルが誰を好きでも、私の気持ちを伝えないことには、私の中では終わらないんだ。野宮君だって言ってた。振られるとわかっていても、って。アルに好きだって言えたら、私も野宮君みたいに笑えるようになるだろうか。
私に好きって言われたら、アルもさぞ、複雑だろうけど。
「そうだね……そうだよね。ありがとう、早紀」
私が笑うと、早紀もにっこりと微笑んだ。
「どういたしまして。でも、私、怒ってるんだからね」
「へ?」
つん、と、早紀が私のまぶたをつついた。
「言ったでしょ。もう、一人で泣かないで、って」
あ。
「だ、だって、夕べはもう遅かったし、自分でもまだよく気持ちの整理が……」
「そんなこと、気にしなくていいの」
早紀は、わざとらしく頬を膨らませる。
「今度一人で泣いたら、三日は絶交するからね」
真面目な顔の早紀に、ぷ、と笑みが漏れる。
「それは……嫌だわ。わかった。何をおいても、今度は早紀のところに来る。思い切り、泣くために」
「当然よ」
すまして紅茶を飲む早紀に、私は我慢できずに声を上げて笑った。
☆
そういえば。
その夜。首までお風呂につかりながら、私はアルのことを考えていた。
少しは元気になったかな。
手のひらでバスオイルの小さな粒を転がす。揺れる、透明なピンク。それにあわせて広がるバラの香り。それは、アルと飲んだあのドリンクを連想させた。
夕べのアル。具合が悪くてあんな態度だったって可能性がないわけでもない。そういう時って、不必要にイライラしちゃうものだし。都合のいい考え方かな。でも、実際店にいる時からあの様子はただ事じゃなかった。
うーん……
ぶくぶくとお風呂につかって考える。
今まであんまり考えないようにしてきたけど、アルってホントに、吸血鬼……なんだよね。と、すれば。
アルの栄養補給って、やっぱり……
手のひらの中でつぶれるバスオイル。浴室一杯に広がる、バラの香り。
今の私が、アルにしてあげられることと言ったら。
「お姉、いつまで入っているつもり? 早く出てよー」
ドアの向こうから響いた潤子の声に、我に返る。
「すぐ、出る」
大声で答えてから、もう一度、今考えたことを反芻する。
よし。
大きく息を吸い込むと、私は勢いよく立ち上がった。
☆
思い立ったが吉日。準備をして家を出たときにはもう、夜の十一時を過ぎていた。髪をアップにしようとしたら、まとめるのが意外に難しかったのよね。
こんな時間にでかけるなんて言ったら怒られるに決まってるから、私は裏口からこっそりと家を抜け出した。
肌をかするような雨が降り出していた。持ってきた傘を開きもしないで両手で握り締めたまま、自分自身に問いかけてみる。
私、実はすごくばかなことしているのかもしれない。
でも、今の私にはこれしか思いつかないから。アルのためになるかも、と思いついたら、いてもたってもいられなかった。だって、こうしてる間も、アルは苦しんでいるのかもしれないんだもの。




