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と、男は、傾けていた背筋をゆっくりとのばしながら、私を仰ぎ見た。あげられた顔の、そこにあった、笑み。
とくん。
時が、とまった。
時間は真夜中。場所はうちのベランダ。目の前にはなんだかわけのわからない怪しい外人。
なのに。そんなこと一瞬で、私の頭の中からふっとんでしまった。
月の光が、男の輪郭を彩る。わずかに弧を描く薄い唇と、細められた気の強そうな瞳。媚びるための笑みではないけど、かといって私をさげすむような色もからかうような様子も見られない。穏やかに、挑むように、その男は微笑んでいた。
目が、そらせなかった。
男が名乗った聞きなれない名前なんか忘れた。けれど、この笑みは、私の中に深く刻まれてしまった。深く……
深く。
「もちろん」
呆然としていて反応が遅れた。
気付くと、再び立ち上がったその男は、私のすぐ目の前まで迫っていた。
息がかかるほどに近づいて、長いまつ毛の瞳を軽く伏せる。私を見つめながら、男は優しく囁いた。
近い距離にあるその瞳が、青い。
「我が花嫁を、迎えに」
「………………………………は?」
はなよめえ? 誰が?
突然の行動と突飛な発言にそのまま固まり続ける私を見て、男は続けた。
「もちろん、君のこと」
「はあぁ?!」
そう言うと、そのまま私を横抱きに抱き上げて。
「しっかり、つかまってな」
そのままベランダへ出ると、軽く勢いをつけてジャンプした。小さく悲鳴をあげて反射的に目を閉じる。そうして体を縮こまらせて着地のショックにそなえるけれど、覚悟したような衝撃はいつまでもやってこなかった。かわりに、やけに風の音がうるさくなって……おそるおそる目を開けると。
「きゃあああああああーーーーーーーーー!?」
家の屋根や木の枝が、みんな視線より下にあるー!!
どういう仕掛けかよくわからないけれど、男は、私を抱えたまま宙を飛んでいた。
「暴れんなよ、落ちるぞ」
耳元で言われて、あわててしっかりと男の首根っこに抱きついた。
「いやいやいやーーーー!! 降ろしてーーーーー!!」
「うるさいな、耳元でさわぐな」
パニック状態で叫ぶ私に男は、うんざりしたような声で言った。
「こわいーーーーー!! 私、高いとこだめなのーーーー!!」
「へえ、そうなんだ」
「だから、降ろしてーーーーーー!!」
と、男は、ぽふりと私の顔を自分の胸に押し付けた。
「これなら怖くないだろ? だから、少し黙ってろよ」
その胸から、ほのかにいい香りがする。物理的に口をふさがれてしまったということもあるけれど、その香りで少しだけ我に返った。
そうか。夢だ。これは絶対、夢に違いない。彼氏欲しいなんて思っているから、こんな無茶苦茶な夢、見るんだ。
そう思いながら必死に目をつぶる。不安定な自分の状態に、不本意ながら男にしがみついた手を離せない。その間にも、体にはすごい風を受けていて……
一体、何が起こってるの?!
第一章、終りです。二章へ。