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  ☆

 

 帰ろうとしたアルが、ふ、と思い出したように振り向いた。

「そうだ。明日来るときには、持ってきてやるよ。僕の描いた絵」

「出来たの?」

「ああ。本物よりきれいに描けた」

「アルにそんな描写力あったかしら?」

「見て驚くなよ」

「かわいくなかったら水浸しにしてやるから」

 口の減らないいつものやりとり。言葉を返してくれる、そんなささいなことが、幸せだった。


「リシィ」

 と。何かをためらうようにアルが口ごもった。

「なあに?」

 アルが、私の真正面に体を向きなおす。緊張した顔で、じ、と見つめてくるアルに、私はにっこりと笑った。

「ほら、早く帰らないと、またユーキにしかられるわよ?」

 せかすように言われて、アルは苦笑する。その彼が、こっそり小さく安堵の息をはいたことには、気付かないふりをした。

「そうだな。こないだのペナルティは、ギリシャ神話二十巻の書き写しだったよ」

「全部? よくやったわね」

「途中からABCの羅列にしてやった」

 くすくす、と二人で笑って、アルはふわりと宙へ駆け上がる。

「確かに、あんなのはもうごめんだ。じゃ、またな」

 その後姿を見送ろうとして、無意識のうちに声が漏れた。


「あ……」

「ん?」

 吐息のような声だったにもかかわらず、アルは反応して振り向いてくれる。

「……ううん、なんでもない。気をつけて」

 アルは、軽く片手をあげて私に返事を返すと、そのまま空へと消えて行った。

 その姿が闇に見えなくなるまで、見えなくなっても、私はその場に立ち尽くしたままだった。


 アルと出会ってから半年。それが短いのか長いのか、今の私には知る術もない。

 でも、私にとっては、今まで生きてきた中で一番大切な、半年だった。

 私は、一つだけ、ため息を落とす。

 行かなくちゃ。

 体をひるがえして、とぷん、と水のなかに体を沈める。私は、ゆっくりとその場所へと向かった。


 湖の一番深い場所。

 細く差し込む月の光が、凝り始めていた。

 じ、と見つめる私の目の前で、凝った光がうつむいた女性の姿を形作っていく。

 ゆらゆらと揺れるその影は、まだ透き通っていて頼りない。

「『リースリーナ』」

 そ、と声をかけると、影が顔をあげる。生まれたての無垢な瞳に、私の笑みが写っていた。

 『リースリーナ』は、固有名詞ではない。この湖に生まれる水の精を総称して『リースリーナ』と呼ぶ。だから、今度は、彼女が『リースリーナ』だ。

「誕生、おめでとう」

 次第に鮮明になっていく彼女とは対照的に、私の姿は水のなかでほどけ始めていた。

 これが、水の精の宿命。


 数十年に一度、水の精たちは新しい体に生まれ変わる。古い体はすべて水へと還り、約半年ほどかけて、また新しい水の精霊が形作られるのだ。

 目の前にいる彼女の体の中には、まだなにもない。からっぽな器。

 彼女に力と記憶を渡す。それが、最後に残された私の役目。その役目があるから、一人残った水の精はなにものにも使役されることが許されない。そうして『リースリーナ』は、その名の通り永遠に続いていくのだ。

 私は姉妹最後の『リースリーナ』。そして彼女は姉妹最初の『リースリーナ』。これから何人の『リースリーナ』が生まれてくるのか、私は見届けることができない。私は、5人姉妹だった。


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