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契約、再び。

エンドテロップまであと四、五回くらいかしらん?

く・・・・円谷負けない・・・ッ!!





 暗い雪雲に閃く稲妻のように鮮やかだった。

 強い生気に満ちたライトブルーの瞳が闇の底であるにも拘らず確かに自分を捉えた刹那を、アシュは呆然と見送った。声が出ない。自分は都合のいい夢でも見ているのだろうか。

 突然の出来事にこの場にいる誰もが混乱していた。

 突き飛ばされたゼーレンも、従者も、あのジェレミアでさえもがその一瞬、何が起こったのか分からないようであった。

 ただ一人、少女は両腕を目一杯に広げて青年を庇うように彼らの前に立ち塞がった。


「………どうして、…………?」

「――――どこぞの死にたがり男を迎えに来たからに決まっているだろう、馬鹿が」

 冷ややかな声が響くや否や、ガッと背後からの急襲にゼーレンの握っていたサーベルが宙を舞い、壁にぶつかり音を立てて落ちた。蹴り飛ばされたのだ。

 痺れる手の痛みに呻く間もなく、すっと首筋に差し入れられた冷たい刃の感触に少年が身を強張らせる。

「おっと、卿も動くな。この王子様の明日をまだ惜しむ気があるならゆっくりと柄から手を離すんだ。この短剣には狼殺しの毒が塗ってある。一掠めであの世行きだ………そう、それでいい」

 ジェレミアはアシュを一瞥すると小さく舌打ちをした。

「これも貴様の策……という訳ではなさそうだな」


(策もなにも、)

 そもそもアシュ自身、この状況をさっぱり処理しきれていなかった。

 それは自分が死ぬとき、ほんの心の片隅にでも思い出して、彼女が悲しんでくれたらいいなとくらいは思った。――――だがどうこんな場所まで嗅ぎつけたのかは知らないが、まさかあの小さな子が追いかけてきて、あまつさえ庇われるなんて一体誰が想像しようか。

 多分この場で一番困惑しているのは他ならぬ自分だろう。

 だがアシュがおろおろと目を回している間に、ダヴィドは王子を膝で押さえつけたまますでに交渉を始めていた。


「卿。我々がここで睨み合うのは双方にとって得策でない。それの話は事実だ。すでに城では玉命のもと船でこの島を脱しようとしている。早く逃げられよ」

「な、陛下が……? い、いや、王家が島を捨てるなど――――」

「己が臣民を殺しても国を守るやと、主に胸の内で問うてみろ。王は決して馬鹿じゃない。ならばその差配くらい自ずと悟られよう」

 その瞬間、老臣は重く嵩張った荷がするりと己が肩を滑り落ちていくのを感じた。


 アークは、千二百年の長い長い歳月をかけて磨かれた権威と神性の証明そのもの。

 その神性の頂きに在った王が、自ら島を捨てる(・・・・・)

 心許なさに、柄に向かおうとする腕をいつの間にかだらりと下していた。狐への怒りがもはや届かないものになってしまったと、気づいてしまったのだ。………気づくべきではなかった。どっと疲労感が押し寄せてくる。

 一重の目がはたはたとしばたいた。

 卿、と青年が続けた。

「ここで殉じるも良かろうが、卿にはまだその大翼に庇護すべき雛鳥たちがいるはず……互いにまだ生きねばならない者同士だ。真の忠誠は何か、卿ならすでにご存じだろう?」

 まだ若木のような青年だ。

 けれど若いがゆえに、彼にはこのとき老臣の胸に穿たれた深い虚無を解すことはなかった。


「………分かった。殿下の解放を望む」 

 ジェレミアは目を閉じ体中の息を吐き出すように深く息を吐くと鞘ごとサーベルを外し、遠く床に放った。

 カシャ、と乾いた音がこだまする。

 短剣を突きつけられていたゼーレンが背を押され、まろび出た。

「ジェレミア、何故殺さない……? 早う、あの逆臣どもを殺さぬか」

「殿下、」

 ジェレミアは武人の厚くタコの張った手で少年の薄い肩を掴み支えた。

「……彼らの言う通り、逃げましょう。海に沈むならば、地下であるこの場所は最も危険です」

「嫌だ」

 少年は男の腕を叩いた。

「逃げるなんて嫌だ。正しいことをして、何故我らが逃げねばならない? 何故“閃光”の刃が届かない。何故平和を乱す奸臣に従わねばならない」

「殿下……」

 ゼーレンはぶるぶると太い首を振った。その瞳から赤子のような透明な涙が零れた。

「……何故、私の願いだけが認められないのだ………」

 もし、この場に正義というものがあるとせば。それはむしろ、後世「落日王子」と呼ばれたこの少年にこそあった。

 多少のずさんな計画と子供じみた傲慢な振る舞いを含めてなお、「アークに力を集め、中央集権型統治制度を再構する」というのは決して愚策ではなかった。だからこそジェレミアも「金の矢」という形で彼らをまとめ上げた。

 が、しかし。


「お聞き分け下さい、殿下。我々は………負けたのです」


 時代の流れはアシュを選んだ。

 混迷の世を繰り返すと、その狭間でこの先どれほどの人間を飲み込むとても、ゼーレンらではなくあの男を選んだのだ。きっとそこに、善悪などない。

 ただ、正しいというだけでは変え得ぬ大きなうねりがあった。それだけだったのだ。

 わっと少年が声を上げて泣きだした。

 針で突くような胸の痛みと、諦めに変容してゆくしかないやり場なき悔しさ。選ばれなかったというただそれだけが、この理不尽を飲み下さねばならない理由だ。

 それでもジェレミアはこの少年に、嫌だ嫌だと涙を流す彼だからこそ、歩き続けて欲しいと思った。

「行きましょう。生きていればまた浮かぶ瀬もございます」

 おろおろと立ち竦んでいた従者にゼーレンを支えさせ、老臣はふと思い出したように振り向いた。

 こちらもやはり泣きそうな顔の少女に支えられ、身を起こすのもやっとという有り様だったがジェレミアの視線に気づくや少女を庇うように強く睨み返した。

「なあ、グリフよ」

 ジェレミアはここにきて初めて頬を緩めた。

「俺は貴様の父親とは学院の同期でな。乳飲み子だったお前を抱いたこともある。――――だが下手に憐れんだりせず我が剣の下にあるうちに、貴様だけは殺しておくべきだったわ」

 男は背を向けた。

 そのまま姿が闇に消えるまで、彼は二度と振り返ることはなかった。







 ◇◇◇◇







 手枷を叩き割るとダヴィドはアシュに布を噛ませ、無表情のままその腕を固定しおもむろに持ち上げた。「~~~ッ!!」くぐもった悲鳴が布越しに漏れる。

「馬鹿が………どれだけ放っておいたんだ? 下手すりゃ一生腕が使い物にならなくなるぞ」

 脱臼は一度起こすと癖がついてしまう。その上長時間外れたままでおくと新しい組織が形成されてしまい、戻らなくなってしまう場合もあるのだ。ダヴィドの声音には完全に呆れが混じっていた。

 肩が入ったことで大分痛みが和らいだのだろう。布を吐き出し汗みずくの顔を拭ったその目にはようやく終止符を打った痛みにほっと安堵しているようだった。

「うん………まだこの腕を使うことがあるなんて、思わなかった」

 すぐ傍らに視線を上げると唇を噛んで顔を歪めたルルーがいる。ようやくまともに動くようになった手を伸ばし、頬に触れる。幻ならば感じ得ない確かな温もりが冷えた指先を痺れるように伝わってゆく。そっとすり寄る白いキャンパスを血と汗と泥に汚れた手がみるみるうちに色を変えていった。


「思い出しちゃったんだね」

「うん」

「いつから?」

「全部思い出したのはロード=ギスタフに捕まってから」

「そっか」

「ねえアシュ」

 小さな両手で慈しむようにそっとアシュの手を握り、彼女は言う。

「私、アシュに訊きたいことが沢山あるの。どうしてこんなことをしたのか、………その、あ、あああぁいしてるって! 言ったくせに、一人で死んじゃうつもりみたいになってるし」

「………………ルルー、俺、今汗臭い?」

 質問に質問で返すのはルール違反なんだろうが、真面目な顔で問うと案の定、少女はきょとんと首を傾げた。

「え? ………………まあ、……少し」

「じゃあごめん。ちょっとだけ、我慢して」

 正直に答える素直なルルーの肩に顔を埋め、そのまま抱き寄せた。




 ――――死ぬつもりだった。

 多分、復讐を誓った日からいつかここで死ぬだろうと漠然と思っていた。

 自分は一度ここで死んだ。名すらなく、ただ見えざる手に導かれるように嘆く者(アシュ)として享楽と虚ろを抱えて歩く、屍のようなものだった。

 だが彼女に触れて、共に旅をして、とうの昔に凍り付いたと思っていた心はいつしか春告げ鳥のように歓びに震えていた。

 微笑まれるだけで愛しいと思う気持ちが溢れ出す自分に、アシュはうろたえた。思ってはならないことを思ってしまったようで恐ろしかった。

 自分にこびりついた死の穢れを彼女に移してはならない。卑怯でも下劣でも他の何を壊しても、彼女だけは幸せになって欲しかった。湯気たつ食卓を前に笑い合えるような、優しい場所にずっと隠しておきたかった。

 けれど彼女が捕えられたと聞いたとき、自分の中の何かが弾けた。

 どんなに巧妙に逃げ隠れてもカーヒルの言葉通り、彼女はもう戻れない。………他の誰でもない、アシュのせいで。

 ゆるりと力を削いでいくつもりだったアークへの計画を、あの雪の夜、すぐさま変更した。

 この身が滅びてもいい。どうせ拾い物の生だ。刺し違えても彼女を苛む柵だけは、自分が打ち破る。それがアシュが己に科した最期の気紛れで、心から惚れた女へのせめてもの罪滅ぼしだった。


「……ルルー、」

 ややあって、青年はゆっくりと少女から身体を離した。

「このまま、島を出て。すぐに船に乗って出来るだけ遠く逃げて」

「うん。アシュも早く立って…………アシュ?」

 しゃがみこんだまま微笑む男に、少女は訝しげに眉をひそめた。

「折角だからもうひとつだけ、騙されてくれないかな」

「なに、を?」

「『後から追い掛けるから、先に行ってて』」


 大きな瞳が見開かれ、みるみるうちに揺らめいた。

「………残る、つもりなの………?」

「頼むよ」

 裁きを待つ死人がこれ以上心震えぬように。

 ただ一人、自分のためだけに流されるあれだけ望んだ涙だろうに、胸が痛い。

 アシュはひらひらと手を振って殊更におどけてみせた。

「ね、ダヴィド。どうせ君この子のお目付け役で付いてきたんだろ? こんな形で約束破っちゃって申し訳ないんだけど、もーこんなことないから。早く連れてってあげて」

「――――そのことなんだがな、アシュ。あの契約はやっぱりいろいろと無理があったみたいだ」

「うん?」



 それまでは騎士の情けか傍観の姿勢を守っていたダヴィドが、鼻を鳴らして顎をしゃくった。


「うちの妹は手前勝手な男の理屈じゃ止められない、いい女ってことさ」

 怪訝な顔を戻した途端、鞭のようにしなった白い腕が微かな残像を引き――――



 パァー……ンッ!!


 横っ面を張り倒されていた。





「え………?」

 恐らく、痛みよりもショックが大き過ぎた。ぽかんと口を開けて見上げた。

 そんな青年を見下ろし、少女は言い放った。

「………アシュは今死んだわ」

「……は、え? いや待って、なに言って……?」

「引っ叩かれた拍子に頭打って即死だった」

「弱ッ!!! 俺弱ッ!!?」

 流石にそれはないと想い人からの予想外の暴言に思わず突っ込むと、

「そうだよ!! 弱い上に理屈屋で見栄っ張りで、乙女心の分からないヘタレ朴念人でっ、」

「君も結構好き放題言うね?!」

「………それでもッ! 私が最初に好きになった人だったの! 」


 ぐんと後ろ首から抱き寄せられた。

 ごちんとに顔面からぶつかり合った粗暴な痛みに混じり、柔らかい感触が唇を覆った。


「っ……………?!」

「彼は………嘆く者(アシュ)は復讐を叶えて、私を置いて、一人寂しくここで死んだの」

 ほら、望んだ通りの結末でしょう。

 思いがけぬ口づけに戸惑う間もなく、拙い仕草でまた重なる。


「――――ねえ、貴方私と契約しない?」

 にっこりと、いつの間にか大人びた美しい笑みを浮かべるようになった彼女は立ち上がると青年に向かい手を差し伸べた。


「今度は私が貴方に名前をあげる。新しい生き方をあげる。ここから連れていってあげる。こんな暗い所じゃない、もっともっと広い世界へ」









 ――――ひょっとすると。

 世界は、美しいのかもしれない。

 光だった。

 彼女の示すその先に、俺は何度だって光を見出す。

 自分の中に築き上げてきた砂の砦を突き崩し、そう錯覚させられてしまう。


「………対価は?」

 こんなことをしては駄目だ、そう叫ぶ頭を無視して口は素直に心に従ってしまっていた。

 思っていたよりもずっと単純な造りをしていたらしい俺を、ダヴィドは笑うだろうか。皮肉な微苦笑が浮かぶがそれさえも、彼女の前ではもうなんの盾にもならない。


 この手を取りたい。心の底から渇望する。

 ………望んでも、いいのだろうか?


 強引に攫うように、彼女の小さな手が薄汚れた自分の手をぱっと掬い上げた。

「誓って」

 彼女が言う。

 ああ。これは悪魔の囁きか、希望の福音か。

「一生私のために生きるって、一緒に歩いていくって、誓って」

 聡い、いい女なのにどうしてどうして。

 この子は男の趣味が悪い。


 俺はきっと、君には一生勝てそうにないだろう。

 “嘆く者(アシュ)”は死んだ。

 音を立てて、粉々に砕けた仮面が剥がれ落ちた。

 泣き笑いのような顔で、青年は立ち上がった。




「分かった。――――連れていって、ルルー」






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