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蟲の歌う国

 







 半月が照らす水面に、浮遊の島が巨人の足形のような巨大な闇を落としている。

 不思議、というより奇怪な光景だった。光と影のコントラストはその大きさゆえ壮大を通り越してどこか現実味に欠ける。何か、到底人の手には負えない、強大で恐ろしい力を象徴しているようにも見えた。

 そんな海面を分ける陰陽の狭間に、木の葉のように頼りない一艘の船が浮かべられていた。

 船には片腕のない、若い男が乗っている。

 ぱちゃ、と“舟運び”の派手な縞模様の尾が海面を打った。



 ――――姫様、


 音が、消えた。

 否。消えたのではない。人間の耳には極めて低いが「音」は確かに存在する。

 聞こえない(・・・・・)だけで。

 船上の青年は確かに唇を震わせている。けれど 「彼ら」以外の 周囲には潮騒の他、一切の音はないように見える。

 青年――――蟲人のリコは浮遊する島に歌いかける。


 ――――迎えに参りました、姫様。


 ニルアナを殺された夜、船を奪われた末追い落とされたリースとリコは、サナの寄越した記憶媒体ミーナを用いて擬似的な“泉”を精製していた。

 始めは何もかもが本当にギリギリだった。フィロ一族の追手に怯え、その日の食べるものにさえ困る有り様。風の噂では、別れ別れになったサナも「蟲を殺す毒草」に囲まれた僻地へ閉じ込められたという。


 傷付いた肉体を癒し、蟲を増やし。何とか対抗できるようになった頃には、すでにあの悪夢のような夜から数年の月日が経っていた。

 不幸中の幸いは、彼らが新しい「女神」として擁立したかったであろうオウリが当時はまだ幼く、船を操るのに必要な知識を伝えられていなかったことだろう。性急過ぎた行動が祟り、結局、船は「浮遊の島」という王権の巨大な張りぼてとなることで落ち着いた。それでも石を積み上げ屋敷を築けば、翼がなければ攻めることも出来ぬ不落の要塞だ。国内外への威圧としては十分だった。

 軍備を建て直すという名目で国土拡大は内治統制へと移り変わりつつある。皮肉にもこの国「パンゲア」はニルアナの死をもってようやく、彼の望んだ穏やかな世に向かい始めていた。


 あの夜、リコは人という生き物の愚かしさを知った。ニルアナのようにより優れたものをと技を磨いて作り出す一方で、アリウスのように取り返しのつかない破壊を平然とする生き物。未熟で、野蛮な生き物。死に絶えてしまえばいいとさえ思う。自分の器が彼らの似姿というだけで吐き気がするほど嫌悪する。



(そうだ、)

 決意から今日この日までの雌伏の歳月は気が狂いそうな程長かった。それでもこの優秀な蟲師の従者は驚嘆すべき理性と精神力をもって、反撃のための力を蓄えた。

(すべて片をつけてそしたらまた、気儘に虚空を旅をすればいい)

 母は元から、そういう民だ。こんな小さく野蛮な国ひとつに縛られて泣くような、この状況の方が間違っている。

 まずはオウリを助け出し、それから船を取り戻して幽閉されたサナを拾おう。

 もうこんなところにいる理由なんてない。この国を、この星を出よう。幸いなことに蟲を産み出す技術を持つのはミーナだけだし、雲追いという足さえ奪えばフィロ一族を封じ込めるのは容易い。

 辛い記憶は月日が癒してくれるだろう。何しろリコたちからすれば、時間は星の寿命よりもあるのだ。



 青年は歌う。

 また穏やかな日々を願って。心波立つことのない、静かな日々を願って。


 









 ◇◇◇◇








 


 マノンの港町にある食堂、“黒猫亭”。

 瀟洒な鉄看板に似合わず、一皿の料理が大の男を吐かせるほど多いことと営む女将の気風の良さで、荒くれ者の水夫たちにも愛された港の隠れた名店である。


 さてその“黒猫亭”だがここ数日、店の名に(ちな)んだ優美な黒猫を模した看板を下げ店を閉じる日が続いていた。

 ちょっとくらいの風邪なら無理を押しても開いていた女将の店が、竈の灰まで冷え切ってしまったような有様なのだ。心配した水夫たちがホールの手伝いに入っていた娘に訊ねても、臨時休業を言い渡された彼女も首を傾げるばかり。

 “黒猫亭”にまつわる噂は尾びれ背ひれに腹びれまでつき、遂には嫁き遅れを気にした女将が行きずりの男について街を出るのだとまで変容していた。




「不本意だわ。何よ、嫁き遅れって! 私はまだぴっちぴちの二十代よ」

「んぉ? お前まだ三十路に届いてなかったのか?」

「お父様……まさか、娘の年齢を覚えてないの? それとも女を見る目がないの? このハリツヤは二十代の肌でしょうよオイちょっと目ェ逸らさずになんとか言えやコラ」

「あはは……まぁそう怒らずに。所詮噂ですから、ね?」


 苛立ちのまま、噂の“黒猫亭”女将ことレミィはドン、とテーブルへ乱暴に皿を置く。ハマモグリと呼ばれる二枚貝のソテー。ネギをはじめとした薬味がほんのりと湯気に混じって、カウンターを占める濃厚なバターと磯の香りを引き締め、昼下がりの食欲をそそる。

 そんな温かな食卓と対照的に吹雪のような怒りを吹きすさばせる愛弟子に、カーヒルは若干頬を引きつらせながらフォローをいれる。勿論、呑気にフォークを手に取っているジエンの脛をカウンターの下で蹴ることも忘れない。


「それにしても、あたしたちはいつまになったら動けるわけ? このまま店閉じてたんじゃ、噂の方がホントにされちゃうわ」

「んー? そういや、誰か待ってからっつー話だったな。誰だっけ?」

「ああ、ダヴィドの言っていた『有力な協力者になりうる知人』のことですか? 」

 溜め息を吐く娘に、ジエンが首を傾げる。カーヒルは千切った黒パンを彼のお気に入り、燦海の毒婦と名高い果実酒、リコ酒に浸してふやかすとそれをもそもそと口へ運びながら答えた。

「ええと、確か蟲師、でしたっけ。 何でもダヴィドがアーク島からここに逃げてきたとき、アムーラ・アジャンタへ便りを出したそうですが……直通便の日数的には、もうそろそろ着いてもよさそうな頃合いなんですがねぇ」



「いや、もう着いた」

 その時、丁度裏の勝手口から身を屈めるようにしてダヴィドが入ってきた。ちなみに、カウンターのにひょっこりと顔を出した彼の姿は、今日は凛々しい男装である。

「あら、お帰りなさい。朝からどこに行ってたの? ルルーちゃんが心配してたわ」

「ただいま。ちょっと運び屋の船着き場にな」

「闇船、か」

「蛇の道は蛇に任すに限る。アシュの遺産になる前に、精々有効活用してやらないと」

 闇船とは一部の商人による、非合法の商道のことだ。闇船は海路だが、勿論陸路もある。基本、多くの行商人は親や師から店を受け継ぐことで一人前と認められるのだが、例外的に、この商道を自ら開拓して商会を興すという場合がある。船の大きさ次第ではそれこそ外海に漕ぎ出す強者もいる。狐に過ぎぬアシュが、「海狼」の皮を被りえたのは外海のとある国とパンゲアの西域との間にこの商道を拓いていたためである。

 彼らは安い卸値で外界の商品を運び込む一方、密かに麻薬や盗掘品、奴隷といったご禁制品を扱ったりして水面下の見えない勢力となっていた。


 眉を上げた親父たちににやり、と笑みを深め、ダヴィドは身を避け少し戸を広げると、一人の小柄な旅人を中へと押しやった。少年だった。

 少年は旅の埃を見るからに身の丈に合わぬ大きなずだ袋を背から下ろすと、ぞろりと乳白色の塊を取り出した。

 ダヴィドを除く一同が目を見開く間にも、少年は塊――――雪のように白い蟲に、囁くように歌いかけた。ヴゥウウン……と、短い、羽音のような唸りがカウンターに響く。

 おお、と思わず漏らされた声は誰のものであったか。

 衆目の中、複眼に青い光が宿り、ふわりと虹色の突起が広がった。



「えっと、お初にお目にかかります。僕は蟲師のリコ、こっちは記憶(メモリアル)のミーナ。僕らの愛し子、フクロウの窮地と聞き、その、……馳せ参じた次第です、はい」











「僕がこれから貴方がたにお話ししたいのは、この国最初のフクロウとなった、ある女人についてです」


 ルルーを呼び寄せカウンターに座り、一息ついたところで少年は口を開いた。

 ジエンとレミィはあからさまに鼻白んだ。

「フクロウ窮地と聞いたんじゃなかったのかよ」

「勿論それもありますが、そもそもアシュ殿をフクロウとしたは他でもない我らです。風の噂で彼が捕らえられたとも聞きおよんでいます。しかし彼の敗北もまた、我らには当初から想定内のことです」

「……それは捨て駒、ということでしょうか?」

「いいえ。ですが契約相手、と言った方が正確でしょうね」

 私たちは彼とある契約交わしました、とミーナは淡々と、ともすれば冷淡にも見える口調で告げた。

「契約?」

「ルルー殿は、覚えておられますか?」

 飴色のカウンターの上でそわそわと小刻みに震える触角は、期待を秘めて顔色を窺っているようにも、また確認のようにも見えた。

 少女は目を閉じ、ゆっくりと頷いた。

「――――うん、覚えてる」

「……ルルー、」

「ごめんなさい兄さま。でも、私にも上手く説明できなかったの。本当に……お伽噺のような途方もない話で……」

 夢の中の、“虚空の泉”での、蟲人たちとアシュとの会話。まばらで繋がりの見えなかった会話は今なら一つ、ある道筋を示している。


「私の身代わりとして、アシュはフクロウの役目を引き継いだ………そうでしょう?」

「ええ、その通りです。……やはり、思い出されてしまいましたか」

「気づいてたの?」

 所詮にわか処置です。リコは眉をハの字にして困ったように笑った。

「記憶を封じてみたところで、人の精神というのは遥かに複雑にできています。元々、そう長続きするものではなかったんです」

 彼が、どこまで察していたのかは分からない。しかしアシュにとって、恐らくルルーの記憶を封じたのは足止め程度だった。

 二年半。

 彼は待ったのではない。たった(・・・)二年半で事を起こしたのだ。


 大きく息を吸い、ぐっと腹に力を籠めた。手が小さく震えていた。

 それでも自分は知らなければならない。

「………教えて、」

 真っ直ぐ、ライトブルーの瞳を向けて少女は問うた。

「あの人は何をしようとしているの? フクロウの役目って、何?」


 束の間、部屋を沈黙が占める。

 各々の想いを孕んだ視線が少年に集中した。

 少年は乾いた舌で長旅にかさついた唇を舐めた。

「――――この国の末を見届け、裁くことです」








 ◇◇◇◇









 たったひとつの恋が歴史を変える瞬間を、知っているだろうか?


 半月と蟲の歌う国、パンゲア。

 この国の歴史は一人の女人の裏切りと献身によって始まった。









「初代フクロウは、名をオウリと言います。彼女は私たちと血肉を同じくしながら道を分かちました。彼女とアリウスの子が、今の公爵家の祖。アシュ殿がフクロウとなれたのは彼女の裔だからだと僕らは予想しています」

 リコが地上へ逃れたとき、オウリは七つになったばかりだった。アーク島――――船を操るにはまだ幼く、ゆえに彼女には技術的価値は母に比べれば遥かに低かった。

 当時、“天涯の月”で船の高度が保たれていることはまだ知られておらず、オウリに敷かれた警戒網も今より遥かに薄いものだった。もしも、オウリが逃げようと思えば、いくらでも逃げられただろう。

 だが、だからといって彼女の利用価値がまったくのゼロだった、というわけではない。


 幼い彼女には二つだけ、ある歌が教えられていた。

 歌は蟲と、船を操る技能である。

 オウリに普段教えていたのは簡単な蟲操りの歌ばかりで、 船操(ふなぐ)りの歌は恐らくその二つしか知らない。




「一つは皆様もよく知っているんじゃないでしょうか」

 怪訝な表情を浮かべる一同に少年はどこかやりきれないような顔で微笑んで見せた。

「動植物の人工交配。動物に関しては発生過程の操作が些か複雑ですが、植物なら多少滅茶苦茶でも姫様に出来ないこともなかった。そうして生まれたのが、ムシヤライです」

 ムシヤライ。

 蟲と蟲人を厭い殺す、純白の毒花。

「ま、待ってくれ!」

 ダヴィドが慌てたように少年の言葉を遮った。

「それではまるで………、」

 自らの首を絞めるようなものだ。

 分かっている、というように少年は頷いた。リコとてそんなこと始めは信じなかった。




 ――――ごめんなさい。

 ――――ごめんなさい、ごめんなさい……。

 ――――私は貴方たちを裏切るわ。


 あの夜、島から歌として投げられた返答をリコは忘れられない。

 桜色の愛らしい彼女の唇から吐き出されたであろう憎々しいその言葉は、脳裏を一瞬のうちに真っ白に焼き尽くした。いっそ聞き間違いであれば、どれ程良かっただろう。

 オウリは歌った。

 ムシヤライに囲まれた砦に籠り、顔も見せぬまま、共には行けぬと。

 彼女は、自分の主人は、愛しくも愚かな妹は――――恋をしていた。


 ムシヤライが生まれたのは、決して偶然ではない。船に残されたリコたちの生体情報を元に、彼女の手によって造られた(・・・・)花だった。 リコたちとて、いたずらに千二百年もの年月を過ごしていたわけではない。もしリースがそうと望めば、パンゲアなぞ三夜で焼き尽くすことが出来るだろう。

 だが彼女はたった一人のためにこのパンゲアという国に沿うことを選んだ。

 仇し男を恋い、けれど母のように船を操ることも出来ぬ彼女は、最初のフクロウとして人柱となる道を自ら選んだ。

 オウリはリコたちを裏切り、ニルアナにムシヤライという盾を与えたのだ。




「もちろん、最初は無理矢理強要されただけだったのかもしれません。僕には今でも分からない。僕らにとってはたかだか国一つ、彼女の健やかな日々に代えられるはずもない。いや、むしろ姫様に苦痛を与えた罰として八つ裂きにし、草木も生えぬ焦土にしてやりたいほどだ……」


 淡々とした言葉は少年のあどけない面影を残す優しげなリコにはあまりに不釣り合いで、それがかえってゾッとするほど彼の「本音」であることを窺わした。

 リコの気持ちも分からんではない。

 大切に守り慈しみ、育んできたものを突然奪われたのだ。可愛さ余って、ではないが愛情の分だけ悔いも恨みも深いだろう。オウリに対する彼の感情は複雑すぎる。

 ふいにルルーの脳裏に、“善意の花”という言葉が浮かんだ。

 ムシヤライの別称である。もしかしたら、オウリの善意にこの国は守られてきたのかもしれない。リコが彼女を想ったように、オウリもまたリコではない別の男とその男の築いた国を、彼女なりに必死で守ろうとしたのではないだろうか。切なくなるほど誰かを愛しく思う気持ちを、ルルーは知っている。

 献身。

 父を殺した男に焦がれ、利用されると分かっても彼女は愛さずにはいられなかった。パンゲアが蟲で栄えたということは結局、リコは彼女の望みに沿う道を選んだということ。

 まったくの、一途な献身だ。

 ただただ役に立ちたくて、傍にいられる理由が欲しくて。




 「裏切り者」の彼女はまず、船を扱う者が自分だけになるよう従者のサナを島の外へと追いやった。ムシヤライで山中に幽閉することで上層部を安心させ、その後は里の存在そのものを歴史から巧妙に隠蔽しおおせた。


 ――――お願い、リコ。もう少しだけ見逃して。待ってほしいの。

 ――――私は人として彼と生きたい。生きて、この国の行方を見届けたい。


 オウリはリコに一つの約束をした。


 ――――全部私の我儘だって分かってるわ。だから………、


 オウリはもう一つ、船操りの歌を知っていた。

 滅びの歌。

 力を持つ者は、それを封じる(すべ)を持たなければならない。けれど誰にも教えてはならない。教育係であったリコたちが口を酸っぱくして、そしてずっとこの穏やかな日々が続くことを祈って一度だけ教えた歌。

 リースでさえ、娘と蟲人たちにしか知らせていない恐ろしのその歌を、物覚えの良かった彼女は大人になっても教訓とともにやはりきちんと覚えていた。

 蟲人のサナを島の外へと出し、船を扱う者はオウリただ一人。


 ――――フクロウが再び蟲の歌を歌うとき、船は落ちる。島は、海に沈むでしょう。

 ――――だから、この国を閉じるのも私と、私の子どもたちの役目。








 

 ◇◇◇◇










 ダヴィドはため息を呑み込んだ。黙りこくった面々も、恐らく似たり寄ったりの感想を抱いているのだろう。

 小娘のたった一つの恋からこの国の形は興り、幾度もの変遷の中で歴代のフクロウたちのあり方を今のように定めた。

「アシュ殿がアークでどのような策を弄したか、今どのような状態にあるのかは分かりかねます。ですが、彼は僕らにフクロウの役目を果たすことを約束しました」

「契約、ね。そういや、あいつのお得意の台詞だった」

 基盤のない彼には、信頼をそういった商いじみた形でしか表現できなかった。しかしだからこそ、自分から投げ出すことはまずない。

「もしその通りならば、彼は船を止めるため深部――――機関部に向かうのではないでしょうか。……こう言っては何ですが、僕にはあの方がホイホイ首を差し出しに行くようには到底思えないんですよ」

「まあそうですが……ううん。とはいっても、あの子の考えてることなんて分からないですしねえ」

 カーヒルがいよいよ困惑したように首を竦めた。「ジエンは何か心当たりはありませんか?」

「ああ? いやいや俺にもあいつの考える事なんざ…………いや、待てよ、」

 はたと何か思いついたようにジエンが髭に手をあてた。



「なあ蟲師さんよ。あんた今、機関部……って言ったか?」

「お父様、何か思い当たる節でもあったの?」

「んー……アークには四公各当主と王家の者、あと一部の古くからの一族にだけ伝わる場所があっただろ?」

「“フィロの正史”……」

「そうゆうこと。なんだ兄さん知ってたのかい」

「アシュに一度、聞いたことがある」

 ぽつりと呟いたダヴィドにジエンはにやりと笑った。


「蟲師さんの話じゃそのオウリとかいう娘、そりゃもう王祖にぞっこんだったんだろ? かといって女神の娘ともなりゃ、そこんじょそこらの娘のようにただ家飛び出して好いた男に尽くすだけってわけにもいかねえ。で、考えてみたんだがよ、その機関部とやらに“正史”という偽の建国記を(しる)し、その一方で『自分の子孫たち』にその場所をひっそりと、それこそ口伝だけで文字にも残さずに伝えさせたとしたら………?」

 ごくり、とカウンターの面々は息を呑んだ。

 リースの娘としての柵。この国を慈しみ、行く末を見届けたいという願いへの対価。五家のしきたりは、本来、審判者たるフクロウの使命として受け継がれていた。しかしあるときから故意かあるいはただの偶然か、しきたりは形態を変えていつしか審判者を人柱とすることで落ち着いた。

「まあ、肝心の滅びの歌に関しちゃあギスタフ(うち)じゃ廃れちまったみてえだし、あくまで可能性の話だがな」

「待って、………そういえば、スエンニ商工連が取引を持ち掛けたのって『金の矢』って言ってたよね? あれって一応トップは王子様じゃなかったっけ」

 ルルーの言葉にレミィがついと片眉を上げた。「なるほど、第三王子殿下ね」

「それにあそこのバックにフォビアーニ家が控えているのは公然の秘密です」カーヒルが付け足す。

 王族ならば、当然正史の場所も知っている。いや、中途半端に知っているからこそ、次は自ら手に入れた“情報”の正否を試してみたくなる……人間の心理だ。ましてその対象が精神的にまだ未熟な少年ならば、なおのこと。

「あいつはルルーを助けるために身代わりを買って出て、自分は捕まりついでに『金の矢』を利用して深部に案内させようとしている………?」

「……………」


 正史が果たして機関部であるかどうかはさておき、………これはあんまりだ。

 復讐と、恋。どちらかだけ(・・)選んでも後悔し、到底両立し得ないものを二つとも、アシュは「ついでに」こなそうとしているのだ。それも同時に。

 欲を張るにも程がある。



「………なぁ、」

 ややあって、ジエンがのっそり手を挙げた。

「あ、はい。何でしょう?」

「その歌ってのは、あいつは知らねえはずだよな?」

「いえ、滅びの歌ならアシュ殿には取り引きの際、ちゃんとお伝えしてありまあだだだだッッ! ちょっ、抜ける! ジエン殿触角抜けるぅウウう!!」

 どうやらミーナの美しい触角はギスタフ家の男の琴線に余程障るらしい。カウンターの上の白い蟲は、軍人の節張ったゴツい手によってむんずと掴まれた。

 無表情のまま、まとめて握り込んだ突起を引き抜こうとするジエンと、必死で制止するリコとがぎりぎりと拮抗して震えている。


「………まぁ、少なくともあいつの目的と向かう場所は分かったわね」

「………ですね」

 師弟は揃ってため息を吐いた。









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