契約
とうとう、スマホに替えました!
さよならガラケー、君の勇姿は忘れないよフォーエバー。
執筆、投稿と慣れない端末に戸惑いつつの作業だったので、誤字脱字があればぜひご一報下さい。
(また……染め直さなきゃならないな……)
足元のタイルを黒ずんだ湯が蛇のように這う。パンゲアには市場に流れているものいないものを含めても、染め粉の質などたかが知れている。
面倒だが、こればかりは仕方がない。
地図を描きながら這い進む流れをぼんやりと眺めやり、それから湯を止めるとアシュはザッとその暗く染められた髪を掻き上げた。
「主様」
浴室から出ると、すでにフェムトが執務机の傍らに控えていた。
「“砂”と“天”についた影たちからです」
アムーラ・アジャンタとアークを指し示す符合に、青年はその隻眼を微かに眇めた。
「………寄越せ」
受け取った報告書に素早く目を通すとアシュはひとつ頷き、そのままそれを暖炉へ放り込む。鮮やかな朱が紙束を舐めるように包み込み、瞬く間に煤へと変じた。
「いかがしましたか? 」
「いや、少し面倒なことになっているみたいだ」
おどけたように肩を竦めて、アシュは机に放り出されたままになっていた眼帯をつけ直した。
「豊かさと断罪を等しくもたらしたもう『金の矢』」
「ん? それは“フィロの正史”、ですかな」
「ああ。太陽の女神ラーナの、人間の断罪に際しての一節だ」
報告書に記されていたのは、第三王子を中心とした一派について。
どうも一部のタカ派がアークの地下に王祖の残した超兵器があると、若い士官たちを煽っているらしい。
希求する者にのみ応える月に対し、太陽は地上にあまねく全てに降り注ぐ。そんな太陽を意味する『金の矢』は、パンゲア王家フィロ一族のシンボルマークだ。
リースは一人きりで旅をしてきたのだから、当然彼女に姉などない。にも拘らず、『太陽神』は産み出された。
千二百年前のパンゲア開闢に際した祖先たちが奪い、扱いきれなかった凶悪なまでの圧倒的、力。
――――大地を焼き尽くした、天の火。
そもそもあの逸話の由来も元をただせば船の暴走だ。しかしその恐るべき威により、烈婦『ラーナ』は生み出された。
制御もできぬ危険な力は、ただその威光 だけを中途半端に記録として残してしまった。
そしてそれが今、再び行使されようとしている……。
案外、紋章の『太陽』は罰と恵み共々、常に人々に与え導けという為政者としての訓戒だったのではないかとアシュは思うが、アリウス=フィロ亡き今となってはその真意なぞもはや知れようがない。
だが、彼の編んだ美しい籠は長い年月をかけ少しずつ、解れ、その本来の意味も忘れられてしまった。
「『閃光』が絡んでいるそうだ。奴はスエンニで一度失敗しているからな、後がない」
「それはまた………『英雄』の方はすっかり隠居しましたというのに」
「 まあ、流石にただでは引っ込んではくれないさ。 年寄りの冷水で済むなら良いけど、あれは老い腐っても根っからの武人だ。脳筋は思い込んだらしつこいから下手な貴族よりよほど厄介だよ。………それにあの人も、果たして本当に隠居してくれたのかどうか」
この二年半、引退宣言をしたジエンは気味が悪いほど退役ジジイに徹していた。だが、あの父がただ大人しく身を引いたのだと思えるほど、アシュの頭もおめでたくはなかった。
「やだやだ、何で俺の周囲には無駄にアクティブな狸ジジイばっかなんだろうね」
「………ひょっとして、私もそのジジイの一人に数えられているのですかな? 」
「聞くかい? 」
「…………いえ、止めておきましょう………」
「賢明だね」
とはいえ、向こうが動かない限りはジエンに関してはどうせ手の打ちようもない。
「まあ、あればかり気にしていても仕方がないか。影にはジェレミアをはじめ“天”の動向からは引き続き目を離すなと伝えておけ」
「かしこまりました」
綺麗な礼をする家令に青年は目を細めた。
「ヤッホー」
昼過ぎになると、白テンを肩に乗せ、耳飾りや幾重にも重ねた腕輪をジャラジャラと騒々しく鳴らしたロキがひょっこりと姿を現した。
「君のトコの忠犬クン、随分と様になってきたネ~。働き者だし、ホントどこで拾ってきたのサ」
「牛と羊しかいないような、さるド田舎の村で拾った」
「君の慧眼には恐れ入るヨ。アイツとうとうこの僕から取引まで『盗み』やがっタ」
「へえ、カイル君もなかなかやるなぁ」
この業界では既存の技術や市場を奪うことを『盗む』という。
――――駒になる代わりに、力を。
かつてこの悪の街の夜会でカイルと交わした契約だ。
二年前、アムーラ・アジャンタから戻るなり、アシュは丁度空いていたシグの席を丸ごと寄越した。
まさか市場も商会も丸ごと素人にうっちゃってくるとは、スエンニの商人たちですら誰もが思わなかった。無論、そこでカイルが一騒ぎしたことは言うまでもない。
だが、もともと学府の学者であったリデルの教えを受けた少年だ。頭は悪くない。養父の残した人脈という遺産もあった。
いや、そもそもそれ以前に。
テナの後見人はシグの商会の名で登録してしまっていたため、学院での彼女の生活を守るには自力で商会を盛り立てるよりほか、道はなかった。
カイル青年はそれはもう、馬車馬のごとく働いた。
それまで代わって商会や資産を管理していたフェムトを補佐につけたとはいえ、街始まって以来の大盗人に古狸古狐その他魑魅魍魎が手ぐすね引いて待ち構える伏魔殿に年若い青年がいきなり放り出されたのだから、その苦労は涙なしでは語れない。
とはいえ、アシュの無茶振りすれすれの要求を青息吐息でこなすうち、いまや仕事に関しては押しも押されぬスエンニの一角、時期執政官候補の大型ルーキーとして名を挙げ、誰より厳しいフェムトの御墨付きを得るまでになっていた。
「彼も健気だよネー」
「愛しのテナ嬢のためだからねぇ」
「全く、人買いよりもタチの悪い男に家族を人質に捕られテなんて、可愛そうニ」
「コラコラ。人聞きが悪いこと言うなよ。俺はカイル君の才能に、僅かばかりの初期経費を出資しただけだ」
「ハハァ、モノは言い様だネ」
「投資だ投資。それはそうと、今日は何の用で来たんだ? 」
「ン? ああ、そうそう、頼まれてタ資料の計算が終わったから顔出しついでニ持ってきたんダ」
「へえ、早かったな。来週くらいになるかと思ったのに」
「君ノ忠犬クンのお陰で思いがけず暇が出来ちゃっタんでね」
ほれ、と相変わらず異国情緒溢れる白い衣の、ゆったりとした懐からロキは紙束を取り出した。
それを受け取り、アシュは素早く紙を繰り、目を通す。
「………ふむ、……分かった。急がせて悪かったな。おかげで助かったよ」
「礼なら実益で頼むヨ」
「あはは、分かってるさちゃんととっておきを用意してある」
青年は書類を丁寧に机の引き出しに仕舞った。
「ところでそんナ資料、何に使うんだイ? 蟲船無しでの供給なんて」
「以前、外海の船大工を招いただろう? 帆船も、今は大分性能が良くなってる。蟲依存型の社会なんぞこの国くらいだからな。いずれ外海とも交流していくとき、この国が蟲なしでどこまで粘れるか知っておこうと思って、な」
ふうん、と納得がいったようないってないような気の抜けた相槌を打ち、それからはたとロキは何か考え込むようにを顎を撫でた。
「………ソレ、僕モ儲かる? 」
「いや、どっちかっていうと儲け話というよりシケの予見。ロキのとこは穀物関係だろ。外海じゃ超大型船も建造され始めてる。外から安い穀類を流される前に支度しておかなきゃ、煽られるんじゃないか」
「………………もしかして、君のトコで最近始まった造船も、そこが狙イだったりすル? 」
「さてね。でも今回の情報の礼に、実益でお応えできるかと。お客様? 」
「うわあぁ……ソウきたか」
やられた、とロキはがっくりうなだれた。
「このところワン公に掛かりきりで、君が『海狼』と呼ばれていたのヲ忘れていたヨ! 」
「うわ、また懐かしい……その呼び名はあんまり好きじゃないんだけどなぁ。ま、ともかく。詳しい商談はまた日を改めるとして、一服しつつ概要だけでも決めちゃおうか。……フェムト、」
「かしこまりました」
老執事は恭しく一礼すると部屋を出て、すぐ茶器といくつかの書類を携えて戻ってきた。
芳しい紅茶の香りが湯気にのってふわりと部屋に立ち込める。
「……君はホント、不思議ナくらい人の縁に恵まれてるよネ」
ふ、と青年は肩に乗った白テン、ミミクリを撫で、束の間目を細めた。
「この僕の誘いを蹴ってアシュに仕えるフェムトなんて別に嫌イだけど、この一杯ダケは評価してヤらなくもない」
「お誉めにあずかり光栄にございます。私も毒でもない限り感想すらない主様より、味のセンスだけは良いロキ様がたまに客としてきて頂けた方が執事として張り合いがございますよ」
にっこりと見るからな作り笑いで慇懃に答えるフェムト。
ちぇっ、と口を尖らせると、ロキはソーサーを手にしたまま執務机からドサドサと適当に書類を床へ落とし、空いた天板に無遠慮に尻を乗せた。
退出しようとしたフェムトが一瞬迷惑そうに眉をひそめたが、アシュは特に堪えた様子もなく、足下に散らばった分だけ少し邪魔そうに蹴って避けた。
「本当ニ不思議だヨ。どんな名になろうと、どこにいこうと君は君で、いつの間にか人を集めル。何者でもないのに、確としてそこにあル。――――加えて健気な人間をだまくらかスことにかけては、一流」
「おい。言い様はどうした、言い様は」
「ホントのコトだろ、だまくらかシ」
「別にだまくらかしてなんかないよ。契約だ。相手に誠実に応える代わりに絶対を約束させる。それだけだ」
「ヘエ、じゃあ『あの子』を逃がしたのモ、契約? 」
「――――………成る程、そっちが本題か」
チラリと舌舐めずりする青年に、アシュは溜め息を吐いた。
しかしそんなことにはお構いなしにロキはニヤリと美貌を邪悪に歪め、カップを置いて机に身を乗り出した。
「聞いたヨ。ルルーのトコにバロットをやったんだッテ? 水臭いじゃないカ。俺も行きたかったナ。ネェ、あの子が記憶を無くしてルって、本当? 僕のコトも? アシュのコトも忘れちゃったノ? 」
金の瞳が、キラキラと妖しく輝いている。 あの子の目にはこの男はどう映ったのかと、ふと思った。
決して自分が不器量なわけではないと知っているが、ルルーの周りにはダヴィドといいロキといい、同性の自分から見てもやたらときらきらしい男ばかりだった。その中で彼女が自分を選んでくれたのは、きっと奇跡のようなものだ。
あんないい女、多分二度とお目にかかれない。
「――――忘れてるよ。フクロウだったときのことは、全部ね」
「ヘエ………じゃあ本当ニただの女の子になっちゃったワケだ。そんなトコへ君に惚れたバロットなんて送って、大丈夫? 」
「惚れてるなら、まず俺に関わる記憶を取り戻させようとは考えないだろ」
「アハハハ。健気な恋心ヲ弄ぶその鬼畜っ振り、君のそういうところが僕は大好きダヨ! 」
でも気を付けた方がいい。
散々笑い飛ばしたのち、青年は軽やかに机から飛び降りると意味ありげに、艶かしい薄い口の端を吊り上げた。
「あれは女だ。おまけニ賢い。………そしてルルーも」
「何を、言いたいんだい? 」
「果たして君の望むようにダケ、動いてくれるかナ? 皆、君に集うけども、各々独立した意思を持つ個体ダ」
ルルーの記憶は決して無くなったわけではない。ただ、思い出せないだけ。
バロットならば、あの“炎華”とまで言われた才媛ならば、その歯唇の紡ぎなす言葉ひとつでルルーを誘導出来る。
ルルーも、知ることにかけては恐ろしく貪欲でときにあの小さな体に見合わぬほど行動的になる。
「だとしても、君には詮ない事さ」
アシュはおもむろに立ち上がると、散乱する書類を踏み越え、窓を大きく押し開いた。
どっと爆風のごとく夕暮れを従えた冬の風が吹き込み、厚い燕脂のカーテンをはためかせる。紙が騒々しく舞い上がる中でアシュはロキへと振り返った。
彼女の名を唱えるだけで走り出そうと心が騰がる。
窓の向こうでは薄い粉雪が、黄昏の空を灰のように散っていた。
肌を刺す寒さは薄く研がれた刃のようで、けれどその厳しさがかえって今は心安かった。
「あの子は忘れた。自由で、もうどこへでも行ける」
それが、一番最初に結んだ彼女との契約。
世界を見たいと願った彼女との、約束。
一人だけだと選んでくれた、その空の色の瞳に映る世界から、一人消えただけ。
「――――俺は、いや、俺があの子に思い出させない」
「………何故? って、参考までニ聞いとこうカ」
訝しげに眉をひそめる青年に。
「彼女のくれた『絶対』に、誠実に応えるためさ」
アシュは笑った。
羨ましがりやさんのロキ。
ルルーはもちろん、フェムトにせよこれはと狙った相手は大概すでにアシュのもの。けど略奪はしないくらいにはアシュは好きだし、なによりお行儀もいい。
78話「狩人の夕べ」改稿しました。




