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狩人の夕べ






軍というのは効率よく罪悪感を分散させるためのシステムが緻密に、そしてほぼ完成した形で存在する。

兵は人を殺したという罪悪感を「命令」や「任務」に押し付けて正当化し、指揮官は自分の手を汚していないことに安寧を得る。だからこそ、同様にどんな厭わしい事も実行できてしまう。


――――お前はどう思う?


仄明るい神殿の地下洞。義父の闇色の瞳が、ロードを試すように問いかける。


――――お前は何ならば正しいと信じられる?


思考はひどく疲れる。

疑うこと、信じることを自分で選ばなければならない。 さらにはそこに生じる功罪もすべて受け入れることを前提として、だ。

どちらも、兵にとって禁忌である。戦闘の道具が指示を疑うようではそもそもが成り立たない。

矛盾した命題を義父は課した。

誰かに押し付けることも、目を逸らして逃げることも許されず、歩み続ける。

そういう苛烈な生き方を、あの男は望んで歩いている。






◇◇◇◇





青年将校たちの間で流行っているというその噂話をロードが耳にしたのは、そろそろと飛空蟲部隊が脱皮にかかりだす、初雪の舞う昼食の時のことだった。


「第3王子の側付きの者を核に一部の過激派が集まって、ええと、何と言いましたか………ああそうです、確か『金の矢』とやらを結成したらしくて」


冬になると飛空蟲部隊の食堂にはやたらとランズ豆が登場する。

寒気の立ち込める上空を高速でぶっ放す飛空蟲部隊は、いかな厚着であろうと体温低下が著しいので、身体を内から温めるランズ豆を食べるのだ。というのは建前で、虫が付いてしまう春になる前に、大飯食らいどもに適当な理由を付けて在庫を片付けるのが目的でないかというのがロードの見解だ。

確かに栄養はあるのだろうが、これがすこぶる不味いのだ。

トドのようなもったりとした赤紫がかった灰色に、これまたもったりとした歯触り。このランズ豆というのは、痩せた土地でも簡単に育ち大量に採れるため、単価は比較的安い。そのためしばしば家畜の餌に混ぜ込まれる。


副官のイワンはスープをもったりと占拠するそんなランズ豆を嫌そうにスプーンで転がしながら言った。

「しかし、『金の矢』とはまあ、大層な名だな。建国神話のだろう? 」

「ええ。太陽の女神ラーナの、大地を焼き滅ぼす裁きの矢ですね」

アーク領貴族、とりわけこの手の強硬派はやたらと神話に基づいて身の丈に合わない御大層でケレン味の強いものだが、と苦笑を浮かべる上官にイワンは色々と拗らせただけのセンスですよ、と容赦がない。

「まあでも、この名前に関しては一応、由縁があるらしいんですよ」

「由縁?」

「はい。なんでもこのアークの地下には初代国王が隠した秘密兵器があるとか。それが今なお回天の秘策と共に代々王室に口伝で伝えられているそうです」

「秘策か……」

まさか、とロードは笑った。

そんな都合の良いものが今更、という「まさか」。

一方で背を伝った冷や汗は、ギスタフ家、そしてダレンシス一族という似たような実例が存在したからだ。


「早いものだな。もうあれから二年半になるのか」

「え? 」

「狐――――いや、アシュと言った方がいいか」

「ああ」

ロードは窓の向こうに灰のようにちらつく雪を部下の肩越しに眺めた。


目鼻の先で“天涯の月”を掠め取られ、まんまと逃げ切られたあの事件。

たった二年、あるいはもう二年、なのか。

フクロウを失って以来、ジエンの言った通りアークの高度は傍目にも分かるほど下がり続け、今や島の下端も春には海面に触れるだろうという。すでに情報統制のしようもない。

噂話というのはどこにでも自然と派生するものだが、広がるには必ず何らかの背景がある。

民衆の王家に抱いてきた畏怖の崩壊、それに連なる貴族たちの焦り。そんなものを如実に、目に見える形で示されているのだ。年若く血気盛んな青年将校たちはじわじわと水の染みていくようなこの不安に絶対解を、強い指導者を求めているのかもしれない。





◇◇◇◇






「そりゃあ焦りもすんだろう。老いたりとはいえパンゲア宗主に頂かれた、天下のアークだぞ。高々狐一匹に眠れる虎のまま尻尾を巻いて逃げ出すには決まりが悪すぎんだろ。奴らにも意地くらいはあるさ」


アーク学府大図書館。

黄ばんだ資料を捲り、ジエンは傍らの紙にさらさらと何事かメモを録りながら応えた。

膨大にして貴重な蔵書を扱うこの巨大施設は、側面に細い縦長の窓が備えられ日中に当たる日の長さを調節する。灯り採りの窓からは薄紫色の夕暮れの明かりが積もった雪に反射し、天井に届くほどに保管された書棚に停滞した大気を細く差していた。雪は昼過ぎに、ふっと息絶えるように止んでいた。



「しかし、このタイミングでこの噂となると、厄介な便乗をする奴が出たんだろうなぁ。この話な、どうもジェレミアあたりが絡んでるらしい」

「と、いうと? 」

「考えても見ろ。“閃光”があれだけいいようにやられたままで、引っ込みがつくと思うか? 奴には国の未来なんざ見えちゃいねえよ。手前の雪辱を雪ぐことだけで頭がいっぱいになってるんだ。奴ももういい年だし、そろそろ前線で突っ張る桃限界だからこその焦りもあるんだろうな。それにその『金の矢』とやらの中心になってる第三王子といや、今年で確か御歳十四。思春期真っ只中、激しい言葉にともかく酔わされやすい時期だ。しかも帝王学を叩き込まれた王太子や政からキッパリ手を引いて象牙の塔に引き籠もった第二王子と違って、人を率いる(・・・・・)愉しさ(・・・)も初体験とくるから、中途半端に引き際も分からない。……傀儡の旗頭として、主戦派が一番取り入りやすい」

若さゆえの見境のなさは、そのとき周囲を囲む人間により、後の進路を左右される。最悪、祭り上げられたことにすら気づかないまま、暴走する可能性もある、と義父はあくび混じりに答えた。

「やはり、戦になりますか? 」

「さあな、俺はもう気楽な隠居の身よ。軍部のことは分からん。だが王太子はじめ、幕僚どもも馬鹿じゃない。安心しろとは言えんが、今の状態での下手な開戦が命取りになることくらい、十分分かりきってるだろう」

ジエンはそう言うとコキリ、と凝った肩を鳴らして大きく伸びをした。

今日はこれで切り上げるのか、散乱したメモを纏める。 円に棒が突き刺さったような奇妙な紋様と、乱雑な書き込みが添えられている。

細かい字に疲れたのだろう。眼鏡を外し、揉むように押さえる目元には細かなシワが刻まれていた。


(老けたな……)

義父の横顔を盗み見ながら、ロードはふとそう思った。

まだまだ背筋も伸び矍鑠(かくしゃく)たるものなのだろうが、このところ不意にそんな思いが胸を占めるのだ。

二年半。

軍のみならず政界からもきっぱり身を引いて以来、義父は何かに憑かれたようにフクロウや“天涯の月”に関わる資料を探し漁っている。一時はグリフの一件を含め、まるで世捨て人だと嘲笑っていた声も黙って遣り過ごすうち、近頃ではもうほとんど絶えた。ギスタフ家の家紋、青い鈴蘭の印章をあしらった指環は今はロードの指に嵌まっている。

二年半というその年月が「もう」なのか「まだ」なのかは分からない。

けれど、背負い続けてきた重荷を下ろしてしまったように、義父はめっきり老け込んだ。かつてその広い背に覚えたような絶対は薄れ、そのまま消えてしまいそうな儚げな寂寥を覚えるようになっていた。



「ま、いずれにせよ若いお前たちが考えて、お前たちが決めることだ。老兵はただ消え去るのみ。経験者に教えを乞うならまだしも、老骨を老害に変えてくれるなよ」

くっと喉を鳴らすようにジエンは笑った。

義父は引退以来、学生時代に齧ったという古語の研究を進めているらしくこのところ図書館と遺跡の往き来に一日の殆どを費やしている。息子の心を知ってか知らずかまるで義父自身、何かに追われるように身を駆り立てていた。

仕事一本できた人間はいざ仕事を取り上げられると何をして良いか分からなくなり、放心状態になるか、あるいは偏執的なまでに代わりになる作業を求めるという。だがジエンの場合、その取り組み様は暇にかまけてというには鬼気迫るものがあった。


「そういや、今日は何の用事で来たんだ? まさかそんな噂話をこんなおっさんとしたくて仕事帰りの疲れたなか、わざわざ大図書館まで押しかけて来た訳じゃないだろ」

「まあ、そうですね。相談というか、少々報告がありまして」

「なんだ随分と歯切れが悪いな。お前はもう一家の主なんだから、どーんと自信を持て」

「………では、義父上。これまでずっと私が考えてきたことを話すので、聞いていただけますか? 」

「おう話せ話せ。聞くだけならいくらでも聞いてやる」

「一目惚れしました」


ぶふぉッ!! と義父が噎せた。

口に何も含んでいなかったのが救いである。これが飲食禁止の大図書館でなく食堂なんかであれば、間違いなく鯨のように噴き出していただろう。

「義父上? 」

「ゲホげほッ、ゴホ……………いや、すまん。石頭に定評のあるお前が、まさかそんな冗談を言えるようになるとは思わなくてな」

「冗談ではありませんが? 」

「…………………………………マジ? 」

「俺は冗談は好みません」

「…………………」

「…………………」

「…………………」

父子の間にしばしの沈黙が流れる。


「うん、お前だっておとこだもんな、うん」

「俺は初めから男ですが」

「うんうん。分かってる。堅物のお前のまさかの変化球にちと戸惑っただけだ。大丈夫、続けてくれ」

「はあ。では続けますが……実はスエンニでルルーを一目見たときから、彼女が何故狐なぞと行動を共にしているのか、俺なりに考えてきたのです」

「ふむ。それで? 」

「俺はあれきり彼女を見つけることが出来ませんでした。フクロウが表舞台に現れたのはスエンニでの一夜のみ。狐は反乱軍の火種として、彼女の存在を世に知らしめた。……ですが、あれから“銀の髪の少女”が一度も姿を現さなくなったのは何故でしょう? 」

「何故って、そりゃお前、ほいほい頭出してちゃ捕まるからに決まってんだろうが」

「いいえ。我々はスエンニを敵に回す愚かしさくらい、もう十分身に染みて分かってる。狐も、自分の手札の有用性くらい理解しているはずです」


スエンニは、商人たちによる金が支配する街だ。そして、小さな島々によってなる流通はそんな商人たちにより支配されている。

ジェレミアの一件の後、アークは経済において痛烈な制裁を受けた。

決して表立って剣を持つことはない彼らの牙は、今なおアークの花形たる飛空蟲部隊の食事を安価なランズ豆に変えてしまうまでに影響している。

フクロウを手にしていると分かっても、公には乗り込めない。絶対の盾に守られているというわけだ。今更頭を出し、ついでにへそ出して踊ったところでまず手出しは出来ない。


「安全が分かっているなら彼女を隠す必要はありません。むしろ本気でアークを落とすつもりなら狐は彼女をもっと有効に、国内外社交界をはじめ他場面でも活用していたはずです。火種は多方面に同時展開で撒き散らす方が遥かに効果的ですから」

「………だが、あいつはそうはしなかった」

「ええ。俺が解せないのはそこです」


この二年半、奴は決してアークを落とすという目的のまま、火種を戦にまで発展させなかった。

内乱の兆候がある街は案外少なくはない。だが異様なことにこの二年と半年の間、ただの一度として行動にまで繋がっていないのだ。

ロードが把握している限りでも、いくつかの不穏分子が水際で矛を収めている。まるで何らかの意思が作用しているかのように、彼らは不気味な凪を守っていた。

「奴の落とし所は本当にアークの敗北だけなのでしょうか? この二年半の年月は、どういう意味を持っていたのでしょうか? 」





いつの間にか、部屋はすっかり暗くなっていた。

ロードは一旦話を切って席を立つと、手燭に灯りを点した。

夜の図書館は、風の死んだ林に紛れ込んだような感覚を覚える。ふわりと広がった柔らかな橙色の光と、その裏に濃くなる闇。暗がりに潜む誰かが、笑った気がした。

「それで、お前はどうしたいんだ? 」

ややあって、ジエンが訊ねた。

簡単なことです。ロードはにっと唇を吊り上げると明かりに青く輝く指輪をかざした。

「罠を張ります。これから俺は『銀の髪をしたフクロウ』でなく、『ルルー』という少女を探す、恋煩いの末に強行手段に出た馬鹿息子、ということにしてギスタフの私兵を動かします」

狐の企みは分からない。だが、この薄氷を踏むような今の均衡がパンゲアにとって良いものであるとは思えない。早いうちに内憂を取り除かねば、こちらが参ってしまうだろう。


(………それにルルーを手に入れれば、狐は必ず顔を出す)

スエンニで見た二人の姿が脳裏に翻る。青年の少女への慈しみに満ちた視線と、ロードへの傲慢と非難した冷たい瞳。

ロードには男として確信があった。

彼女さえ押さえれば、奴は動けなくなると。

ルルーが奴に依存しているのと同等に、彼もまた彼女に固執している。覚えた胸の痛みが裏付けるあれは、確かに恋する男の目だった。


恋情を利用するなど、騎士として、いやそれ以前に同じ女に惚れた男としては恥ずべき行為かもしれない。彼女も悲しみ、ロードを憎むかもしれない。しかし、

(罪悪感の分散など知ったことか)

自分で決めて、自分で呑む。

そうして手に入れればそれは自分のものだ。


「フクロウはなにも幽閉などしなくとも、アークにさえいれば良いのでしょう? 上手くすれば狐が自分から出てくるかもしれません。でももし、何かあれば、上には義父上からそのように押し通してください。最悪、俺のことはギスタフごと切り捨てても構いません」

義父はクスクスと楽しそうに笑った。

「成る程な、そういうことか。しかしギスタフ公爵家ごと切り捨てろたぁ、また大きく出たな」

「それだけの相手ですから」

「分かった。指輪ごともうお前に全てくれてやったんだ。精々好きに使え」

「ありがとうございます」

しれっと頭を下げる息子に彼はますます笑みを深めた。

「しかし考えたな。確かにジェレミアの一件以来、上はフクロウに対し慎重になりすぎている。その点ただの色恋話でカモフラージュしておけばそれなりに誤魔化しも利く。まぁ上はそれて良くても、狐ってのは総じて耳が早い上に鼻が利く。短期集中で確実に決めんとすぐ牙を剥いてくるぞ」

「分かってます。その点はこの二年半の間に俺も色々と考えてますから」


何しろ相手は老獪な狐の、大切なお姫様だ。

もちろん狐まで引きずり出すことが出来れば上出来だが、ロードとしては何としても彼女を手に入れたい。

たった二年半の間に、ロードは兵士としては禁忌ともいえる「疑り」を知った。それは狐の歩んできた生き方であり、その昏すぎる闇の構成要素でもある。もしかしたら、闇にあてられるうち変質してしまったのは自分の方なのかもしれない。……それが義父の狙い通りの自分であるかは分からないが。


(狩りは仕切り直し。勝負はここからだ、義兄上? )



誰にもやらない。

分散など、もっての他だ。

狐との雪辱戦も、彼女も、この思いごと全て俺が手に入れる。









久々のロード青年。

ライバルとして立派に黒進化を遂げました。

バトルロワイヤルですから。やっぱ兄弟対決とか外せませんよね。


親父さんはまだルルーへの息子の執着をあまり重要視していない模様。


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